頼むから宿題くらいは終わらせていて欲しかったな……、というのが今の本音である。男は娘に「私、数学と物理が苦手なのッ」と泣き付かれて、深夜遅くまで臨時教師のように頑張っていた。私は放っておくことも出来ず、二人を、いやとくに男の方を応援してそばにいた。

 そんなことを思い返していると、娘がブレザーを手に持って慌ただしく戻ってきた。食卓につくなり、残ったサンドイッチを口に詰め込む。成長と共に短くなった紺色のスカートからは、見事に焼けた小麦色の素足が覗いていた。

 キッチンから出てきた女が、エプロンを脱いで娘の方を見た。送るための外出準備はすっかり整っていて、カウンターに置いた腕時計を手首にはめつつ声を掛ける。

「優花、他に忘れものはない?」
「ない! 多分!」

 娘が、てきぱきと口に食事を放り込みながらそう答える。

 おいおい。しっかりしろ、娘よ。

 私は、やれやれと立ち上がると、ソファに投げ出されたままのネクタイを口にくわえ、床に転がってる鞄の上に置いてやった。私の動きを目で追っていた男が、「あ」と気付いた様子で目を丸くし、それから苦笑して「お疲れ、クロ」と私に声を掛けた。

 男の声に気付いたのか、娘がこちらを見た。

「あッ、そっかネクタイ!」

 すっかり忘れていたと言わんばかりに、娘がブレザーに袖を通しながらパタパタとやってきた。桃色のネクタイを拾い上げると、私の頭を力強く撫で揺らす。

「クロ、ありがとね!」

 いや、どうって事はない。他に忘れ物はないか?

 私は、自慢の黒い尻尾を揺らして、そう娘に問いかけた。彼女は手早くネクタイをすると、鞄の中を確かめ、その隣に置かれた部活着の入った袋を見、更にその手前に置かれたぞうきんやティッシュ箱などが入った袋まで確認する。