雨は厄介だ。空気が冷えて肌寒くなるうえ、私の寝床を濡らしてしまい、そのたびに私は濡れた全身を抱えてじっと耐えるしかない。

「閉店前に、またあげるからね」

 女が、空になった皿を下げようと動く気配がした。その手が伸びる直前、私は素早く察して俊敏な動きでゴミ袋の間に引っ込んだ。

 私は人間を警戒している。とても注意しなければならない。初めて外に出た曇天の日、幼い私は理由もなく、何人もの人間たちに罵倒を浴びさせられ暴力を受けそうになったのだ。

 ゴミ箱の間に隠れた私を見て、女は少し寂しそうな顔をした。それから「また後でね」と言って紙皿を持って私の前から去っていった。

 しばらくすると、店の方から「新鮮な魚はいかがですかぁ」と行き交う人々に声を張り上げる女の声がし始めた。相変わらず通りには、沢山の人間と車が行き交っている。歩く大人の男達のほとんどはスーツで、ゴミ箱の前をひっきりなしに通っていく革靴の音が煩い。

 同じ顔をして過ぎて行く人間、温度もなく殺人的な速さで通り過ぎていく鉄の車。

 なんとも無情な世界よ、と私は何をするでもなく灰色の世界を眺めた。


 私は知っているのだ。記憶はなくとも、あの鉄の車に乗せられてここに捨てられたであろう経緯を身体が覚えている。それは誰に教えられなくとも、我々には分かる事だった。


 私としての自我の目覚めが、その後であるというだけで、本能は顔も知らぬ母親から産み落とされた瞬間にはとうに芽生えている。

 だから、私の本能は知っているのである。

 そこに刻まれた経験が、私に「信用するな」「期待もするな」「味方は自身だけなのだ」と警告し続けている。