「どうか唸らないでくれ。美味しい物、あげるからさ」

 男がそう言いながら、ゴミ箱の前にそっと缶詰を置いた。こちらを窺いつつ、少し後退して距離を置く。

 害を加えはしないから、と行動で示そうとしているのだろうか。

 笑止。信用はしない。

 私は、すぐには動かずに少しだけ考えた。この距離であれば逃げられるだろう。ならば、せっかくの御馳走だ。警戒を解かないまま缶に近寄ると、男を牽制するように睨みつけてからそれを口にした。

 一秒でも早く食べきってしまおう。そんな警戒状態で早食いしてしまうのが勿体なく感じるほど、缶詰に入っている食べ物は美味い。

 こちらの食べっぷりを見て安心したのか、男がほっと息を吐いた。

 その時、横から聞き慣れた声が上がった。

「あら、伊藤さんじゃないの」

 店頭で閉店準備の掃除をし始めていた例の女が、こちらに気付いて手に持っていた道具を置いて歩み寄ってきた。

「今日も原稿関係で出向いていたのかしら?」
「いえ、今日は同業者と少し話しを……」
「そうだったの。伊藤さんってなかなか見かけないから、昨日の今日で会うのも珍しいなと思ったのよ」

 女は、食事をしている私を見て「ふうん、それにしても用意がいい」と口の中で呟いた。それから、なんでもないようににこやかな表情に戻してこう言った。