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 それからというもの、母の『ちょっと』は小学校卒業の頃まで続き、私は言葉も通じないような幼い音々の世話に明け暮れる日々を続けた。

 小学校二年の秋から卒業するまでの約四年半、まともに学校に通えたのは市外に住むおばあちゃんが音々の面倒を見に家までやって来てくれる時くらいで片手に数えるほど。

 楽しみにしていた遠足はもちろん、運動会も、音楽祭も、発表会も、クラブ活動も全て蚊帳の外で過ごした。

 長く続く欠席に、さすがに小学校の先生も不審に思ったのか、電話をしてくれたり、訪問してくれたり、友達を派遣してくれたり、児童相談所経由で職員の人を派遣してくれたりと色々手を尽くしてくれたみたいだけれど、母は外部との連絡を完全に断ち切っていたし、幸いといっていいのか暴力による躾はそこまで多い方ではなく、食事も、最低限のご飯代だけは毎回用意されていてコンビニご飯で生活できていたので、保護の必要はなしと判断され、私が救いの手を掴める機会は全くといっていいほどなかった。

 母は私に音々の世話を丸投げし、『仕事』といって外に出ては次々新しい彼氏を作ってデートに励む。

 本当に仕事をしている時もあったのかもしれないけれど、何の仕事をしているのかよくわからなかったし、もちろん直接聞くなんてとんでもないことだった。

 一人だけ隔絶された世界でなんの思い出もなく言葉の通じない幼児と過ごすのはひどく孤独で惨めだったけれど、いつも泣いてばっかりの音々が時々あどけない顔で笑う様は素直に可愛いと思ったし、『よそはよそ、うちはうち』と諭され、外部に憧れを抱くことすら禁じられていた私にとって、母の存在は絶対的だったから〝逃げ出す〟という概念すらなかった。

 そうして……――小学校卒業を迎える頃、ようやくその孤独な生活から抜け出す転機が訪れる。

『ちょっと哀歌、お店に遊びに来たミナミちゃんのお母さんから聞いたわよ! 唄を学校に通わせてないんだって? 育児で手が回らないなら、なんで私に相談してくれなかったのよ!』

 市外に住む私の大好きなおばあちゃんが、母の行いに気づいたのだ。

 母にとって継母にあたるおばあちゃんは目の上のたんこぶのような存在で、祖父亡き今でも唯一逆らうことができない人間。

 それまで口止めされていて明るみに出なかったアパート放置の件や、音々丸投げの件を独自のルートで突き止めたおばあちゃんは、すぐさま私の支援に回ってくれた。

 音々の世話を引き受け、家事育児の支援に保育園の手配から私の中学校進学の準備まで。

 それからほぼ毎日のように大好きなおばあちゃんがアパートにやってきて様子を見てくれるようになり、私は中学校から念願の復学も果たすことができた。

 中学校は小学校の時とほぼ同じ顔ぶれが揃っていたため、特に友達作りに苦労することもなく、部活動も強制だったので憧れだった部活動への参加も叶った。

 私は比較的お金のかからない合唱部に所属し、充実した日々を過ごす。

 歌も好きだけど、ピアノを弾くことはもっと好きだったので伴奏者としても立候補したし、ちゃんと音の出るピアノを弾いたときはひどく感動した。

 部活の友達ができて、クラスの友達ができて、遠足や体育祭、音楽祭に文化祭、部活のコンクールなど、尊い日々が当たり前のように過ぎていったが、そんな幸せな学生生活も、およそ二年程度しか続かなかった。

 中学二年の冬に、大好きだったおばあちゃんが病気で他界したのだ。

 余命が残り少ないとわかった時には、すでに母は『新しい彼氏』の子どもをお腹に孕っており、おばあちゃんは三人目の姉弟・(りつ)の顔を見ることなくこの世を去った。

 おばあちゃんが死んでから中学三年の秋に律が生まれるまでの間、私の出席日数は徐々に減っていき、大好きな部活も妹弟のお世話優先のため強制的に辞めさせられた。

 そして律が生まれてからは、

『あんたさ、もう中三だよね。音々の時はまだ小さかったけど、もう大人みたいなもんだから律と音々の面倒くらい余裕でみられるよね。ちゃんとやってくれたら高校に行かせてあげなくもないから、しばらくまた二人のことお願いね』

 その一言で、私は再び欠席がちな中学校生活を送ることなった。

 小学校の頃の不登校と違って、欠席〝がち〟である理由は、この頃内縁の夫だった律のお父さんが音楽通のライブハウス経営者で、私が志望していた音楽大学附属高校の卒業生だったからだ。

 私の志望校の話が元で付き合いに発展していたらしいので、母の体裁のためにも私はその高校に合格しなければならず、おかげで最低限の出席日数確保のための通学も許されていた。

 私にとってはそれが不幸中の幸いのようなもので、せめて高校が決まるまで――できれば高校を卒業するまでは――母と彼の関係が続くことを強く願い続けていたのだけれど、中学三年の冬、その希望はあっけなく絶望へ変わる。

『ねぇ唄。私、最近忙しいしお金ないからさー、やっぱり高校行くのやめて、しばらくまた律と音々の世話と家事全般頼んでいい?』

 内縁の夫と別れた母は、突然そんなことを言い出したのだ。