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 私の通っていた学校ではクラス替えが二年に一度しかなく、二年時のクラスは一年時のメンバーと変わらないため、その頃も相変わらず『相馬蓮王』の名による学校支配は続いていた。

 今日もくだらない相馬との小競り合いや、運が悪ければ彼の配下による嫌がらせのターゲットになるだろうことを頭の片隅に抱きながら登校すると、どうもその日は様子が違うようだった。

 教室の隅の方で、女子の一人がみんなに囲まれて泣いている。

「どうしたの?」

「唄ちゃん、あのね……昨日、先生に提出するはずだった給食費がなくなっちゃったの。ちゃんと机の中にしまってたはずなのに、今朝見たらなくて……。どうしよう、ママに怒られる……」

 啜り泣く彼女を宥め、みんなでなくなった給食費を懸命に捜索したもののそれが見つかることはなく、やがてその件は盗難事件として担任教師に伝わり、ホームルームで犯人探しの会議が開かれた。

「怒らないから、何か知ってる人がいたら正直に話して。誰か、心当たりのある人いませんか」 

 真剣な顔つきでクラス全員の顔を見渡す担任の先生。

 気まずい沈黙が流れ、探り合うような視線が飛び交う。

 明日からしばらく学校に来られなくなるかもしれないというのに、なんだか大変なことになったな、と思う。

 とはいえ給食費の行方は気になるし、一体誰がなんのためにこんなことしたんだろう……と、不安な気持ちで成り行きを見守っていると、ふいに前の席から小さな紙切れが回ってきた。

〝犯人は相馬蓮王〟

 破られた漢字練習帳の一枚に書かれたその一文に息を呑む。

 周囲を見渡すと、その紙切れは同じものがいくつか同時に回っていたようで、あくびをしている相馬を除くほとんどのクラスメイトたちが、何かを示し合わすように小声を交わしていた。

(なにこれ……)

 奇異な気持ちに駆られながら、回ってきたメモをどうしようかと考えあぐねていたところ、絶妙なタイミングで一人の男子が手をあげた。

「先生、俺、相馬くんが盗ってるところ見ました」

 ぴんと背筋を伸ばし、正義感に溢れる顔でそう申告したのは、相馬蓮王の取り巻き第一号、佐野俊介だ。

「え……」

「……は?」

 驚いたように佐野を見る先生と、突然名指しされて怪訝そうな声をあげる相馬。

 正直、私も一体なにが起きているのかよくわからなかった。

「ほら、他にも見たやついるよな? 相馬くんが山田さんの机から給食費を引き抜こうとしてるとこ。いくら相馬くんでもやっぱりよくないことだし、みんなちゃんと言おうぜ?」

 佐野が同意を求めるように教室内を見渡してそう発言すると、示し合わせたように賛同の声が相次ぐ。

「え、えっと……う、うん」

「そ、そうだよね。や、やっぱ泥棒は良くないよね……」

「ひっ、人の物を盗むなんてサイテーよ相馬くんっ」

 相馬蓮王の取り巻きをはじめ、次いで頷きを見せたのは何日か前に相馬に告白して手酷くフラれたと噂されている吉川さんだ。

 取り巻きのみならず女子まで賛同したとあってはクラス中に共感の声が広がり、あっという間に相馬はA級戦犯並の扱いを受け始めた。

「やっぱり相馬くんだよ、いつも問題ばっかり起こしてるもん」

「……おい、なんなんだよお前ら。ふざけんなよ」

 普段は子分が何をしようがなにも言わない相馬だが、この時だけは不快感をあらわにして抗議するも、クラスの同調圧力はあっけなくその声をかき消した。

「家がこの街唯一の病院だからって、やっていいことと悪いことあるよね!」

「ぼ、僕も盗みは良くないかなって思う」

「よし、みんなで相馬くんのロッカー見てみようぜ! きっとこの中に……」

「は? おい佐野、テメェ何勝手に……」

「あ! ほら見て、あった! 山田さんの給食費!」

「な……」

 あれよあれよと教室内の空気は相馬が不利な方向へと流れ、仕組まれたように彼のロッカー内から山田さんの給食費が発見される。

 それを突き出された相馬は全く身に覚えがないと言ったそぶりで肩をすくめていたけれど、現物が発見されたとあっては、最早彼の味方はもう誰もいないに等しかった。

「ちょ、ちょっと相馬くん。これはどういうことなんですか? 先生にもわかるよう説明してください」

「アホくさ……。俺は知らねーし、勝手にやってろっての」

「あ、相馬くんが逃げようとしてるぞ! ほら、唯川! 犯人が逃げないよう後ろの扉閉めろよ!」

 その頃、私の座席は後ろ扉に一番近い席だったため佐野に名指しされて協力を求められた。

「唯川だって本当は相馬くんが盗むところ見たんだろ? 陰で相馬くんにだいぶイジメられてたみたいだし、怖くて言えない気持ちはわかるけど、ちゃんと言ってこうぜ??」

「……」

 やや前のめりになって圧力をかけてくる佐野。

(ああ、そうか。なるほど、そういうことね……)

 紙切れに視線を落とした私は、すぐにそれがどういうことなのか理解した。

 いい加減、子分でいることに飽きたんだろう。みんなで相馬支配から抜け出そうというわけだ。

 特に私は相馬と仲が悪かった方なので、味方につければ心強いと思われているのかもしれないし、同調しなければ裏切り者として明日から仲間はずれにされるかもしれない。

 みんなの注目が集まり、相馬も私の顔を見て諦め切ったような顔をしている。

 目の前にぶら下がった天秤。

 今ここで頷けば、愛人の子が本妻の子に一矢報いるのも夢じゃなかった。

 ――でも。

「……じゃない」

「……え?」

「何かの間違いじゃない」

「なっ」

「相馬はそういうことするような人じゃないし、してないと思う」

 でも、もうどうでもよかった。

 私は明日から音々のお世話が優先で、学校には通えなくなる。

 お母さんの『ちょっと』はいつも『ちょっと』じゃないから、それは多分、しばらく続くわけで。

「ちょっ。唯川、おまっ」

「だってそうでしょ。相馬んち、金持ちだからなんでも好きなもの買い与えてもらえるみたいだし、そもそも相馬は他人のお金でストレス発散するほどバカじゃないと思う」

「……」

「な、な……」

「だから何かの間違いだよきっと」

 みんなは好きなだけ学校に通えて、一緒に勉強できて、友達とも遊べるのに、どうしてそれだけじゃ満足しないんだろう。

「……っ」

「……」

 ざわざわざわ。

 ――騒然とする教室で、私は完全に孤立した。

 だけど……。

「あ、あー……えっと、はは、やっぱり僕、何も見てないかも」

「ちょっ」

「さ、佐野くん、や、やっぱりさ、なにかの勘違いかもしれないよ? 疑うのは良くないかも、うん」

「ちょっと待てよお前らっ」

「ご、ごめん、ぼ、僕もやっぱり……」

「わ、私も……」

「よ、よく考えれば相手は相馬くんだしね……」

「……」

 それは一過性のことにすぎなくて、私のその一言でやがてみんなは目を覚まし、流されるように最後は相馬の肩を持って結局犯人未確定のままその日のホームルームは終わりを迎える。

 私は次の日から予定通り学校を休んだので、その後、相馬や佐野がどうなったかは知らないけど、二、三ヶ月経った頃、音々の粉ミルクを買いに薬局へ行く途中、下校中の相馬を遠目に見かけた時には、アイツは一新した取り巻きを従えて――といっても、多分周りが勝手についていってるだけなんだろうけど――いるところだったので、佐野の謀反は失敗に終わったんだろうなと暗に悟った。

 佐野は、反旗を翻すつもりが逆に仲間達に反旗を翻され、切り捨てられたというわけだ。

 正しいことをしたとは思っていないし、佐野に申し訳ないことをしたなとも特には思わなかったけれど、たどり着いた薬局が無期限の臨時休業をしていたせいで隣町まで粉ミルクを買いに行かされる羽目になり、後日になってそのお店が佐野の両親の経営する〝そうま総合病院指定〟の処方箋薬局で、結果的に閉店に追い込まれていたことを知った時には、さすがに申し訳ないことをしたかもしれないと思う私だった。