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 私の頭の中にある一番古い記憶は、未就学児の頃、自宅にあった壊れかけのピアノに触れた時のものだ。

 当時、私は三歳か、四歳くらいだったと思う。

 近所の子たちがお母さんやお父さんに連れられて賑やかに幼稚園や保育園に通うなか、私はそのどちらにも通っていなくて、日中は市外に住むおばあちゃんがお世話をしにやってきたり、時には『すぐ帰るから』と言って夜中まで帰ってこない母親を、アパートの狭い部屋の中でぽつんと待ち続けることが普段からの日課になっていた。

 私の母親はそれはそれは忙しい人で、日中は露出度の高いおしゃれなブランド服を着てアパートを出ていき、夕方くらいに帰ってくると、私には目もくれずシャワーを浴びて今度はスリットの入ったロングドレスに着替えて再び夜の街へ消えていく。

 母親がどういう仕事をしている人なのかなんて考えたことがなく、父親がいないことも私にとっては当たり前の日常だったので、毎日、アパートの部屋の一番大きな窓の前に立って、与えられた菓子パンとおにぎりを頬張りながら通勤するサラリーマンや学生、親に見送られてどこかへ出かける幼稚園児や保育園児を眺めて過ごした。

 自由に外を歩ける人たちを心底羨ましいと思ったり、家の中に閉じ込められているのが嫌になって泣き叫んだこともあれば、時にはお母さんに甘えたいと思うことも多々あったけれど、でも、ワガママを言うとものすごく怖い顔で怒鳴られて、髪の毛を掴まれて張り倒されたり、それでも言うことをきかない時には思いっきり平手で殴られてお風呂場に閉じ込められたりするので、いつの間にか我慢するのが当たり前になっていた気がする。

 時々、市外からお世話をしにやってきてくれるおばあちゃんの存在だけが心の拠り所だったが、それも毎日来てくれるわけじゃないから甘えるのにも限界があり、自分なりに持て余した時間を解消する方法として、机上に放置されていた母のタブレット端末を勝手に閲覧しはじめたのが、ピアノと触れ合うようになったそもそものきっかけだ。

 タブレット端末の中には、幼児の私が扱えるような機能はほとんどと言っていいほどなかったけれど、唯一、写真フォルダの中に入っていた夥しい枚数の〝ピアノ弾き語り動画〟――誰かの指先と鍵盤、それから誰かの美しい歌声のみが収録されたものだ――は、当時の幼い私の好奇心を強く刺激し、綺麗な音だなあとか、これはなんていう曲だろうとか、夢中になって視聴を繰り返していると、ふと、自分の家にある四角くて黒い艶の塊が、動画のそれと同じものであることに気が付いた。

 埃をかぶって洋服置き場と化していたそれは、それまで、場違いに大きい邪魔すぎる黒い塊としてしか見ていなかったけれど、荷物を取っ払って蓋を開けてみると、白く光る鍵盤が目の前に現れ、最高の玩具を手に入れた気分になった。

 その頃はまだ、高い音がいくつか鳴らないくらいでほとんどの鍵盤が正常に音を奏でていたため、私は無我夢中になって鍵盤をたたき、その頃の大半を壊れかけのピアノとともに過ごして、寂しさを紛らわせるようになっていった。