校内放送の機械から、憶えるほどに聴き慣れてしまった旋律が流れてくる。僕たちは限られた時間の中で、何かを成し遂げるんだ。歌い出しの部分はそんなありきたりな歌詞だった。

 正直言うと歌詞のセンスは微妙すぎる。けれども、すっと耳に馴染む優しいメロディーは、とても心地がいい。それでいて、どこか切ない気持ちにさせてくれる何かがあった。

 『第五十三回南高等学校文化祭テーマソング』をBGMに、各々が与えられた作業をこなしていた。我が二年A組の出し物は段ボール迷路。その完成に向けての作業も大詰で、教室の隅には大量の段ボールが置かれていた。

 文芸部の部誌も印刷しないといけないが、原稿は出揃ってるし、そっちは明日でいいだろう。なんせ、文芸部誌を好んで読むのなんて、部員と顧問くらいのものだ。時々国語教師、っていうのも付け加えておこう。

 窓の向こうから降る十一月の陽を浴びて、私はひとつ伸びをした。校門のそばに植えられているイチョウの木が、黄金色の葉を纏って輝いている。風に揺られるたびに、イチョウの葉は色を変える。なんて素敵な景色なんだろう。

眠ってしまいそうな暖かさに、ふわぁと欠伸をこぼした。



「痛っ……」



 ほら、見たことか。自他共に認める超不器用な私は、作業を始めてものの五分でカッターで親指を切った。

 お母さんやお姉ちゃんがここにいたならば、『ぼけーっと空想にふけっていて怪我をした』と言われたことだろう。そう言われたところで、それは間違ってはいない事実なんだけど。

 皮膚の上には鋭い線が浮かびあがり、それに沿うようにして、鮮血がぷつりと滲み出てきている。



「ノン! また怪我してるじゃない!」

「直ちゃん~!」


 直ちゃんこと稗田直子(ひえだなおこ)は、小学校からの私の親友だ。優秀で、しっかりもので、おまけに美人。

 天に二物以上を与えられすぎている親友・直ちゃんは、ブレザーのポケットからささっとティッシュを取り出すと、一~二枚つまんで私の指に被せた。

 私がぼーっとしている間に直ちゃんは手際よく血を拭き取り、カバンの中からポーチを、さらにはその奥から絆創膏を取り出して、私の親指に巻きつけていく。ほんの一分もかからないうちに、傷の手当は完了した。



「はい。しばらく押さえててね」
「直ちゃん、ありがとう」


 じくじくと親指が痛むと同時に、私の胸はきゅうっと締めつけられた。

 また、やってしまった。クラスメイトが全員こっちを見ているような気さえしてくる。悔しさで涙がこぼれそうだ。

 たったこれだけのことで、私はすぐに泣いちゃいそうになる。そしてこういうドジな出来事が、毎日のように起こるのだ。



「え~? ノンちゃん、また怪我したの?」

「何? 何? 何かあったの?」

「天然ノンちゃんが、指切ったんだって~!」



 予想通りクラスメイトがぞろぞろと集まってきて、私の周りを取り囲んだ。男子も女子も、みんなが笑いながらじろじろと見物している。なんだかイヤだな、と思った。

 けれども私は、絶対にそんな気分を表情に出さない。だって私は、『天然ノンちゃん』だから。変な意味で有名人なのに、平花音(たいらかのん)という本名さえクラスメイトに周知されていない。

 私はいつものようににへらと笑うと、「えへへ、またやっちゃった」と言った。どっ、と笑いが起こる。



「ノン、本当天然~」

「ノンはそういうとこが可愛いんだから、放っておけないよね」



 クラスメイトのアヤと美羽(みう)が、そう言って私の頭を撫でた。

ぼさぼさのくせっ毛が、二人の細い指に絡まる。アヤの爪は艶やかに磨かれていて、美羽の袖からはアロマオイルみたいな香りがした。

 私はまた「あはは」と笑って、怪我をした指を押さえる。

 じくり、じくり。傷の奥が疼いている。窓の向こうに見えるイチョウの木は、さっきよりずっと寂しそうに見えた。

 ドジで泣き虫、おまけに怖がりな自分のことが、私はあんまり好きじゃない。友達はそんなところが長所だと褒めてくれるけど、本人にとっては到底そんな風には思えなかった。

 だって私なんかみたいなのより、直ちゃんみたいなのの方が、きっとずっといいと思うから。だから私はいつも、自分に自信が持てずにいる。