志貴が再び目を覚ましたのは、夜の10時過ぎだった。PCがハッキングを受けて直ぐ様別のホテルに移って窓から様子を(うかが)ってたものの、最初に泊まった安ホテルに怪しい人物の出入りが無かったため、ひとまず安心しきってしまったのか、志貴自身いつ眠ってしまったのかさえ分からないほど、ぐっすりと眠ってしまっていた。
 外は街灯とライトアップされた店の看板以外真っ暗で、昼間と違い静まり返っていた。
 志貴は部屋の中を見渡した。しかし、どこにも愛玲の姿が見当たらない。ベッドから起き上がるとハンガーに掛けてある上着とコートを羽織り、内ポケットに隠してあった銃とナイフがあることを確かめた。部屋の中を片付けると、ホテルを引き払い急いで外に出た。
 夜の街は人が少なかった。人が急にいなくなったかのようなビルのジャングルを歩き回り、愛玲の行方を追った。
 どこを見ても、春物の薄手の上着を着た男しか目に入らず、チャイナドレスを着た女性の姿がなかった。コンビニやファミレス、酒場を覗きながら、あちこち探した。そうすること30分、明かりのついていない中小企業のビル群が並ぶエリアに入った。
 3階から5階ほどの高さ。さっきまでいたホテルの周辺から、だいぶ離れてしまった。もうここに来ると人の気配がなく、音も何も聞こえない。
 冴えないビルとビルの間の狭い道を通り、ちょうど十字路に差し掛かったところで、急に声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある幼い笑い声。志貴は4つのビルの屋上から、黒い影に囲まれているのを確認する。
 胡蝶だ。胡蝶とその分身に囲まれ、志貴は立ち止まって身構える。胡蝶は楽しそうに話しかけてきた。
「やっと見つけた!言ったでしょ。あんたのことは殺すって。あの時は邪魔が入ったけど、もうここまでよ。あっそうそう、あの時撃たれた傷、まだ痛むのよね。後であいつも殺してやる。でも、良かった。今日の夜は寒くなくて。寒いと身体の動きが鈍くなっちゃうもん。あぁ、そう言えば、あの女の姿が見当たらないわね。どこに隠したの?言いなさい」
 志貴は黙ったまま、胡蝶を睨みつける。
「まぁ、いいわ。あんたを殺した後、ゆっくり探す。それじゃ、さっさと死んでね」
 四方にいる胡蝶の分身が右手を上に上げ、手のひらから緑色の小さな炎を作り出した。志貴は銃を内ポケットから取ろうとコートに右手を突っ込むが、身体が硬直してしまう。少しでも銃を抜く瞬間を見せれば、間違いなく敵はそのタイミングで攻撃してくる。四体のうち、どれが本体なのか見当がつかない。さぁ、どうする?
 志貴が銃を抜く暇を与えず、胡蝶が小さな炎を一斉に投げる。4つの小さな炎は蝶の形に化け、志貴の周囲を飛び回る。
 目くらましか?そう思った瞬間、志貴の喉に向かって短刀が飛んでくる。志貴が左手で刃をキャッチすると、胡蝶が間合いに入ってきて、志貴の腹に横蹴りを決める。
 志貴は突き飛ばされ、地面に身体をつける。胡蝶は分身を消して、志貴をあざ笑いながら、ゆっくりと近づく。
 志貴は膝をついた状態から、何とか立ち上がろうとする。胡蝶は懐から銃を取り出し、志貴の額に銃口を向けた。
 しかし、後ろから銃声が聞こえてきた。銃弾は拳銃を持ってる胡蝶の右手を掠めた。志貴の後ろから、銃を持ったコート姿の女たちが4人、こちらに近づいてきた。女たちの中には、月光の白いドレスの女もいた。
 女たちは志貴のそばに来ると、胡蝶に銃を向けた。胡蝶は劣勢に立たされたと舌打ちをして、直ぐ様建物の上に跳び移り撤退した。
 白いドレスの女は、ベージュのコートを着ていた。志貴に視線を移すと、笑顔になった。
 再びこちらに近づいてくる足音がした。志貴は後ろを振り返ると、黒のコート姿の弥生が見えた。弥生は志貴のそばまで来ると、少し意地悪く微笑み、ハスキーな声で話しかける。
「何とか無事みたいだね」
「あぁ、助かった。でも、どうしてここに?」
「あんたを探してたのさ。沙代って()の監禁場所らしいところを見つけてね」
 志貴は目を大きくした。
「どこだ?」
「二番街の貸倉庫が並んでいる辺りさ。監視カメラにも引っかからないし、見つけるのに苦労したけど。情報収集用のカラスに小型カメラを付けておいて、あちこち飛ばさせておいたら、ようやく引っかかってね。たぶん、間違いない」
 志貴は急いで来た道を引き返そうとする。弥生は志貴を引き止める。
「1人で行く気かい?」
「あぁ。あんたたちには世話になったからな。もう迷惑をかけたくない」
「何水臭いこと言ってんだい!ウチからも人を貸してやろう」
「すまない。だったら、さっきの殺し屋を追ってくれないか?若い小娘だと思って油断しないでくれ。あいつは異能の力を持ってる。自分そっくりの分身を作ったり、恐らく幻術をメインとした異能の力を持ってる。かなりの強敵だ。他にも隠してる力があるかもしれない。奴は俺を狙ってる。沙代を助ける時邪魔されたくない」
「分かった……あぁ、そうそう。もし助けに行くなら、ウチのバンに載せているバイクを使いな。早く助けに行きたいんだろ?」
「あぁ、ありがとう。恩に着るよ。あんた、本当にいい女だな。生まれるのがもっと早ければ、あんたと結婚してたかもな」
「無駄口言ってないで、さっさと迎えに行け。あぁその前に携帯出しな。何か新しい情報が入った時、連絡するからさ。あの時連絡先交換すれば良かったよ。すっかり忘れてた。探すのに苦労したんだから、有り難く思いなよ。何か困ったことがあったら、直ぐ電話をかけな」
 志貴は連絡先を交換した後、白いドレスの女に連れられてバンを止めている場所まで向かった。弥生は消えていく志貴の後ろ姿に、小さな声でこう呟く。
「死ぬんじゃないよ……」