志貴が目を覚ましたのは正午前だった。外は昨日より寒さが緩み、小春日和といった陽気だ。志貴は上半身を起こし室内を見る。志貴のそばには、パイプ椅子に座って寝ている愛玲の姿が見えた。室内は狭く、ベッドと椅子と机にPC、そして小さな冷蔵庫以外何もない。とても質素で味気ない部屋だ。
 志貴は体全体が熱っぽく感じ、右肩が疼いた。ホテルに入る前に近くのコンビニで消毒液と包帯を買って、愛玲に手伝ってもらいながら手当をした。ナイフをライターの火で炙って傷口に押し付けたおかげで止血することができたが、痛みを抑えることは出来ない。志貴は右肩を抑えながら、窓の外を眺めた。
 窓の外からは、遠くにある大学のキャンパスが見えた。学生が楽しそうに歩き回る様子を見ると、昨日の出来事がまるで嘘のようだ。
 スマホを充電器から抜いて画面を見る。義和が言っていた複数の殺人事件に関する記事を、ニュースアプリで確認する。
 志貴はスマホを枕のそばに置くと、愛玲の方を向いた。この女のせいで沙代が裏社会の小競り合いに巻き込まれてしまったと、怒りで腸が煮えくり返る思いだった。そして、ベッドの下に隠しているリボルバーを取り出すと、愛玲に銃口を向けた。
 愛玲は健やかに眠っている。志貴はその寝顔に余計腹が立ち、銃を持った手の指先に力が入る。手が震え思わず撃ちそうになる。しかし感情的になるのを抑え、銃を下に向けた。
 志貴はベッドから起き上がると、机に置かれたPCのそばまで行く。カメラ部分をガムテープで覆いPCを立ち上げると椅子に腰掛け、上着のポケットからUSBメモリを取り出しPCに挿し込んだ。
 志貴は入管システムに不正アクセスして、沙代に関する記録を破壊しようと考えていた。義和についた嘘もあったため、どうしても記録を破壊しなければならないと考えたからだ。
 しかし、志貴は電子戦が得意という訳ではない。それなりにコンピューター関連に関する知識や技術はあるものの、電子戦を得意とする本物のハッカーやAIには到底(かな)わない。
 もちろん、不正アクセスをしようと試みたら、間違い無く防衛システムであるAIに感知されるだろう。このホテルには身分証の提示も求められることもなく偽名で泊まることが出来たものの、特定される可能性は充分にある。
 しかし、大陸系のマフィア共がこの学芸研究都市に入り込んだ状況から、この学芸研究都市のシステムが外部からサイバー攻撃を受けてシステム麻痺を起こしている可能性があるとも考えた。この状況に(じょう)じれば、上手く誤魔化せるかもしれない。志貴はこの可能性に賭けた。
 志貴は入管システムへの入り口を見つけ、PCに事前に挿し込んでいたUSBメモリの中に入っているウイルスプログラムを注入しながら、入国管理局のコンピューターへと侵入していく。
 志貴が予想していた通り、どうやらサイバー攻撃を受けて機能が麻痺しているようだった。志貴は数分足らずの時間で、沙代に関するファイルがある領域を探し当てた。沙代のファイルのみを書き換えまたは破壊してしまうと怪しまれるため、沙代のファイルの周辺の領域ごとウイルスに感染させ、ファイルを破壊しようと試みた。
 沙代のファイルごと周辺のファイルもじわじわと破壊されていく様子が確認出来る。志貴は息を漏らして安堵の様子を見せたその束の間、外部からこちら側のPCのシステムが徐々に乗っ取られる様子が確認出来た。志貴は慌てて対抗してみるものの、どんどん浸食されていて手に負えない。志貴は急いでPCを強制シャットダウンさせケーブルを全て抜くと愛玲を叩き起こし、ホテルを急いで出て近くにある別のホテルに急いでチェックインした。