志貴は夢を見ていた。廃ビルから、豪邸の一室、高層ビルの一部屋、戦場となっている市街地まで、蛍光灯の点滅のように、舞台が素早く変わっていく。
 どの場所に居ても、人が血を流し倒れている。マフィアの構成員から、警察、傭兵、政治家、そして女子どもまでが、銃弾や刃物の切り傷で死んでいる。
 志貴の足元は血でできた海が広がり、錆びついた匂いを漂わせる。志貴は自分の両手を広げ顔の前に持っていき、血で汚れていることを確かめる。そして両手を顔の前から退けて、視界にあるものが広がる。
 胸から血を流して膝を付いている、沙代の死体だ。瞳が虚ろで、輝きがない。この光景が何度も点滅し、フラッシュバックのように志貴の精神を支配する。
 何十回と同じ光景を見終わった後、突然真っ暗になる。そして、何者かの手によって、首を強く締められる。志貴はもがき苦しむ。しかし、相手は手を離さない。志貴も抵抗できるだけの気力をどんどん失い、意識が遠のいていく。
 志貴は目を覚ました。上半身を起こし、強く息を吐きだした。最悪のシナリオを想像し、胸が張り裂けそうな想いだった。楊と黒い長袍を着た男性が死体で発見されたというニュース。もう1人は恐らく陳だろう。もしそうだとしたら、沙代は……
 志貴の心がどんどん冷え込んで、感情的な部分が薄っすら消えていく。もう諦めたような、絶望的な色へと変わった。瞳が虚ろに輝き、モノローグから現実世界へと視界が広がっていく。
 志貴は自分の今の現状を確認する。コートを脱がされ、ネクタイを取られたシャツの襟元のボタンを開けられ、そこから見える首筋には冷たい汗が流れている。学校の保健室によく置いてある、白いパイプ式のベッドの上で半身を起こした状態で、部屋の中を見渡す。
 ベッドと衣装箪笥の他には、いくつか置かれている段ボール以外、特に家具が見当たらない。必要最低限なものしか置かれておらず、まるでサーカスの雑用係に充てられた部屋のようだ。ベッドの直ぐ側にある白いカーテンの隙間から、外の景色を眺める。近くにあるビルや店の名前を確認し、こことの位置関係から上海美人の中にいることが分かった。
 志貴は後ろを振り返ると、ベッドの直ぐ側にパイプ椅子が置かれていることに気づく。そこには愛玲に似た女が座っていた。牡丹などの花柄が描かれた白のチャイナドレスを着ている。髪は写真で見た時と同じロングヘアーで、そのまま髪を下ろしていた。
 志貴は怒りの感情を見せることなく、まっすぐ相手の顔を見た。彼女も志貴を見つめ、少し心配そうな表情を見せた。
 志貴は写真に写っていた中国娘を思い浮かべ、間違いなく彼女だろうと確信する。そして、掠れた声で尋ねる。
「ここに運んでくれたのか?」
 女が頷くと、志貴は少し間を置き再び質問する。
「あんたが愛玲なのか?」
 女は間をおいたが、しばらくして頷いた。志貴はこの女が愛玲だと分かると、苛立ちにも似た熱い感情が込み上げてきた。その感情を抑えつつ、先を続ける。
「中国マフィア共があんたを探し回ってる。俺は身内を人質に取られ、あんたを探し出すよう脅迫された。今その身内も命の保証が無い状態だ。裏稼業と全く関わりのない俺たちが巻き込まれたんだ。なぜ追われているのか、説明してもらうぞ。」
 愛玲は口を開いて、声を出そうとした。しかし、小さく籠った声しか聞こえない。
「あんた、話せないのか?」
 愛玲は頷くと、申し訳無さそうな表情をした。志貴はズボンのポケットからスマホを取り出したが、バッテリーが切れていた。志貴は書く仕草を見せ、愛玲に筆記具がないか伝える。愛玲はベッドの枕近くにおいてある花瓶のそばから、メモ用紙の束と鉛筆を取り出し渡した。
 志貴はメモ用紙に、日本語が分かるか書いて質問する。愛玲が頷くと続けて、なぜ追われることになったのか経緯を説明しろと書き、メモ用紙と鉛筆を投げつけた。愛玲は膝に落ちたそれらを取って、経緯について書き始める。
 愛玲は特別心当たりが無いとのことだった。今まで上海や香港でバーやキャバレーのホステスをやっていたが、働いていた街で中国マフィア同士の抗争による殺人事件があって、街を移動するごとにそれが続いたと、メモに書かれている。偶然そこに居合わせただけで、何も関係ないと。
 志貴はメモ用紙を丸め、床にポイッと捨てた。偶然居合わせただけ?志貴はメモに書かれた内容を呼んで、腸が煮えくり返る想いだった。愛玲のナチュラルメイクに彩られた、如何にも善人らしい顔に腹が立った。
「偶然居合わせただけ?ふざけるなよ!ここまで運んでもらって看病してもらってあれだが、本当はちゃんとした理由があるんじゃないのか?本当のことを話せ。」
 しかし愛玲は首を横に振り、今まで語ったのが真実だと言わんばかりだった。怯えた表情でとても必死に。
 起き上がって愛玲に近づくと、右手で首を絞めた。壁に押し付け、力を込める。愛玲は怯えた表情で涙目になりながら、志貴を見つめる。志貴の怒った表情がどこか悲しげで、愛玲の怯えた表情を見て、手を首から離して、ベッドに腰掛ける。
「あんたのせいじゃないのは分かってる。でもな、あんたがこの街に来たせいで、沙代は……沙代はもう殺されているかもしれない。そう思うと、悔しくて、悔しくて……」
 今にも泣き出しそうな表情に愛玲が慰めようと手を伸ばすが、どうやって慰めたらいいのか分からない様子だった。
 志貴は暫く顔を下に向けていたが、何やらドンドン物音が聞こえてくるので、顔を上げ立ち上がる。愛玲も立ち上がり、不審そうな顔で志貴を見つめる。志貴が頷き愛玲も頷くと、衣装箪笥からコートを取り部屋を出た。
 2階の寄宿所から階段を降り、ホールに向かった。ホールは薄暗く、もう営業時間は終了しているようだ。志貴たちは、バンドやダンサーがパフォーマンスをおこなう舞台へと上がった。志貴たちの他にも、黒の蝶ネクタイをしているここの支配人らしい男と、チャイナドレスを着たホステス2人の姿が見えた。他の3人も舞台に立っていて、入口付近を見ていた。
 志貴は近づいて何事か尋ねようとした。しかし銃声が聞こえ、最初は支配人が、次にホステスの2人が銃弾に倒れた。
 志貴は入口付近を見ると、こっちに近づいてくるヤクザ風の格好をした男たちの姿を確認する。合わせて10人近く。その中には事務所でやり合った鼻ピアスの男の姿もあった。鼻ピアスの男は志貴の姿を見てニヤッと笑い、客席と客席との間の赤いカーペットの上を歩きながら話しかけてきた。
「ほぉ、これは珍しいところでお会いしましたな。この前は油断してたが、もうあんたには近づかない。元々、あんたには用がないんだ。用があるのは、隣りにいる女だけだ。それに人も増やした。この人数で銃を持ってたら、流石のあんたでもかなわないだろ。だから、ここで死ね。」
 男たちは一斉に銃を向けた。愛玲は志貴の背後に隠れ、志貴のコートを掴みながら震えていた。
「下がってろ。」
 志貴がそう言うと、愛玲は舞台袖に身を隠す。鼻ピアスの男は青あざで膨らんだ顔を益々醜くしながら、挑発した。
「1人でやる気か?」
 志貴は冷たい表情で、まっすぐ相手を見る。
「面白い!おいっ、遠慮はいらない。コイツを殺せ!」
 他の男たちも普通话で何やら叫び、襲いかかる。
 志貴はコートの内ポケットから拳銃2丁を取り出すと、中国マフィアに銃弾を放つ。右手に持った銀色のコルト式拳銃で、右手にいる3人の頭や胸などの急所を撃ち抜く。銃弾が尽きると、左手に持った黒のオートマチックで左側の敵を狙う。
 マフィア共の放った銃弾が、志貴の頬や腕、そして足を掠めるのだが、志貴は歩みを止めない。敵がどこから狙ってくるのか予測し、最小限の動きで弾丸を躱していく。
 テーブルの下などに隠れ狙ってくるのだが、志貴の素早い動きに間合いを取られ、頭を撃ち抜かれる。残り2人となりオートマチックの銃弾が尽きると、コルト式拳銃をポケットに仕舞い袖からナイフを取り出し、右手で投げつける。敵の喉を突き刺し、苦しそうに絶命する。志貴は死体からナイフを引き抜くと、少し長めの黒い髪をたなびかせ、最後の1人である鼻ピアスの男にゆっくりと近づいていく。
 鼻ピアスの男は恐怖で足に力が入らず、床に腰を下ろした状態だった。視界からは、仲間が血を流して絶命している様子が映っていた。白いテーブルと椅子が血で汚れ、まるで地獄絵のような光景だ。
 志貴は弾丸によるかすり傷や銃を撃ったことにより、かつての感覚を取り戻していた。冷めた表情のままオートマチックに弾を装填すると、腰を抜かした標的に銃口を向ける。
「俺はなぁ昔、別の呼び名があったんだ。この志貴って名前、読みがどこか不気味な感じがするだろ?みんなが言うんだ。志貴がやって来るではなく、死期が迫るって。そう、死が近いってさ……一度狙いを定めた相手が誰だろうが何人いようが、俺は容赦しない。相手を必ず死へと(いざな)う。両親が想いを込めて付けてくれた名前と全く正反対な道を辿った、常に争いのある場に身を置かずにはいられない性を持った、そんな哀れな男の名前だ。」
 鼻ピアスの男は思い当たるフシがあるように目を大きくし、恐怖で呼吸が荒くなり、汗をダラダラ流していた。
「まさか、おまえは!」
「気づくのが遅い……」
 志貴はそう告げると、引き金を引いた。