朝の4時過ぎ、志貴はよろよろと歩きながらチャイナタウンから一番近い駅へと行って、モノレールに乗り目的地へと向かった。志貴は窓の外を見て、薄暗いなか、学校の校舎や研究所、企業の工場などが静かに佇んでいる様子が目に入る。志貴は心の中でこう思った。「この学芸研究都市かぐやは、これからの未来に展望を抱いて作られたはずだ。でも、どうしてこの街はこんなにも悲しみに溢れてるのだろう?」志貴は憂いを帯びた瞳で、目的の駅まで着く間街の景色を眺めた。
朝の5時ちょうど、海岸付近の東洋の美に包まれた庭園へと辿り着く。庭園の石畳でできた道の両脇には、人工的に作られた桔梗、睡蓮、曼珠沙華などが咲いていた。そして赤い鳥居が並ぶ道を行った先に海が見えた。そばには桜の木が何本も植えられ、蕾を膨らませていた。この場所は庭園でもあって、岬でもある。だから、絶壁の下を覗くと海が見える。志貴は桜の木が両脇に並ぶ先に、ある人物の姿が目に入る。黒のチャイナドレスを着た、黒くきれいな髪の持ち主。志貴の瞳には、死んだはずの愛玲が映っていた。
愛玲は不敵な笑みを浮かべながら、真っ直ぐこちらを見る。アイシャドーを入れたことにより、今まで見てきた表情とはまるで別人。悪魔的な顔つきだ。愛玲は志貴との距離が5mになったところで、志貴に銃を向ける。
「やぁ、志貴。ここまでご苦労さん」
愛玲のハスキーな中国訛りな日本語が聞こえると、志貴は口を開く。
「愛玲なのか?おまえは死んだはずじゃ……」
愛玲は志貴の言葉に翳りのある笑みを浮かべる。
「あぁ、あれね。あれはわたしのクローン。2年間で急速成長させた試験管ベイビー。劣化版だけど、よく出来てるでしょ?日本にあるアメリカ政府の秘密研究所から連れてきたの。蛇頭とCIAとの間でいろいろ取引があってね。商品の人を使って、いろいろ実験をやってたみたい。わたしのクローンもその1つ。構成員だったわたしのサンプルをどこで取ったのか知らないけど、おかげで目くらましになったわ。だから、今わたしが生きてるってことを知るのは、あなたただ1人。でも、こういう形で先輩であるあなたと話ができるってのも、なかなか感慨深ってものね」
「最近頻発してる中国系マフィアのアジトを襲撃してまわってるっていうのは、おまえの仕業だな?なぜこんなことをする?」
愛玲は一瞬表情が硬くなる。しかし、再び不敵な笑みに戻った。
「なぜって?そうね、なぜかって敢えて問うなら、この世の全ての悪を憎んでるから。……わたしは物心がついた時には、既に売り物にされていた。商品として中国各地を転々としながら、身体を売られそして犯された。わたしは薄汚れた世界から抜け出すために機会を待った。そして、かつてのあなたと同じ殺し屋となって、人の生き血を吸う裏社会の者たちを次々と殺していったわ。でも、それだけじゃ、世の中のクズどもは消えない。だから、方法を変えることにした。マフィア同士の抗争を煽り立て、そして自滅させていく。もううんざりなの。だから、この世から奴らを全て消し去ってしまえば、自分の居場所が見つかる。そう思ったの」
「よくそんなことを思いついたな。俺も考えつかなかったよ。でも、無謀だ」
「確かにね。ヘマをやったわ。だから、ここまで逃げてきたの。あなたがこの街にいる情報を掴んでたし、蛇頭があなたを巻き込むと思ったの。それに乗じて、行方をくらまそうとしたわ。案の定、上手くいった。でも、それぐらいやらないと、わたしは生き残れないの。あなたのようにあんなバケモノたち相手と、真っ向に戦おうなんて思わないから」
志貴は悲しそうな表情を見せる。愛玲は目を細めて、穏やかな口調になる。
「どうやら、あなたの他にもお客さんが来たみたい」
志貴は後ろを振り返る。そこには2人のよく知る人物の姿が映っていた。黒の長袍を着た男の姿が。
「黒龍……」
黒龍。志貴を殺し屋へと導いた張本人で、現在蛇頭の首領。後ろに流した黒髪、切れ長な眉、そして鋭い瞳、志貴と負けるとも劣らない二枚目だ。歳も変わらないように見えるが、実際20も歳が離れている。志貴のそばまで来ると、穏やかな口調で話しかける。
「久しぶりだな、志貴」
黒龍は志貴の隣に立つと、愛玲に視線を向けた。
「愛玲……」
黒龍は志貴に視線を戻すと、再び話しかける。
「すまないな、志貴。いろいろ迷惑をかけたみたいだ」
黒龍は懐から銃を取り出して、愛玲の銃を狙う。命中して愛玲の手から弾け飛ぶ。黒龍は銃を向けながら説得し始める。
「さぁ、一緒に帰ろう。今ならまだ間に合う。同胞を襲っていない今だからこそ、首領である俺の力で何とか部下たちを説得させることができる。だから、さぁ」
黒龍は普通话で話して説得するが、愛玲は首を横に振る。
「嫌よ!」
黒龍は銃を持つ手に力が入る。
「愛玲、俺は殺し屋としてのおまえを、組織のトップとして愛している。でも男として、女であるおまえのことも愛しているんだ。だから、一緒に戻ってくれ。嫌なら無理矢理にでも連れて行く」
黒龍は銃口を向けながら、ゆっくりと愛玲に近づく。愛玲はおとなしく両手を上げるふりをする。しかしそれは一瞬で、右太ももに隠していたもう1つの拳銃を素早く取り出すと、黒龍の胸を撃ち抜く。
「黒龍!」
志貴は崩れ落ちる黒龍に、寄り添う形でしゃがみ込む。黒龍は血を吐きながら、志貴に語りかける。
「志貴、すまない。おまえの事務所の女をさらったのは、俺の部下なんだ。おまえなら愛玲を必ず見つけ出してくれると思って、俺が直接命令した。見つけても見つけられなくても、必ずおまえのとこの女を返すつもりでいた。だが部下たちは、組織を抜けたおまえをどうしても許せなかったみたいだ。すまない、本当にすまない」
志貴は優しく微笑む。黒龍はそんな志貴を見て、顔を青くしながら、そして苦しみながらも笑顔になる。
「本当に優しい奴だな、おまえは。昔からそうだ。組織内で俺が孤立した時も、おまえだけが裏切らなかった。そんな優しいおまえだからこそ、最後の頼みを言う。聞いてくれ。愛玲を殺さないでくれ。本当に可愛そうな娘なんだ。売り物にされた彼女を闇市場で偶然見つけて、引き取った。愛玲はどこか足掻いているように思えた。今の生活から何が何でも抜け出したいような……だから、俺が新しい居場所を作ってやった。俺にはこのぐらいのことしかしてやれなかった。でも、気に入らなかったみたいだな。そしていつしか、愛玲に惚れている自分に気がついた。ホント、首領として失格だな。ゴホゴホッ、たぶん志貴、近くで銃声を聞いた者がいるはずだ。急いでここを離れろ。後はおまえに……」
黒龍はそう言い残すと、静かに息を引き取った。愛玲は冷たい瞳で黒龍の亡骸を見る。
「ホント、馬鹿な男……」
愛玲は弾き飛ばされた銃を拾うと懐に仕舞う。志貴は立ち上がって愛玲に視線を向ける。
「あなたをここに呼んだ理由。教えてあげるわ。それはあなたにわたしという存在を知ってもらいたかったからなんだと思う。……あなたとわたしはよく似ている。人の世の闇によって人生を狂わされ、裏社会の一番深淵へと入り込み、闇の世界から逃れようともがき苦しんだ。わたしのことを理解してくれそうな、あなただから話したかったのかもしれない」
志貴は哀れみを帯びた表情で、愛玲に言葉を放つ。
「そんなことを続けても、誰も救われない。もちろん、自分自身もな。そして、自分自身がおこなってきたこと全てが、今まで憎んできた存在と同じだと気づき、自己矛盾、今までの罪の重さで一生苦しむことになる。だから、もうやめるんだ」
志貴の言葉に、愛玲は銃を持つ手に力が入る。
「もし邪魔するつもりなら、ここで殺すしかないわ。それに一度戦ってみたかったのよ。あの伝説の殺し屋修羅と」
愛玲は銃を撃とうと引き金に力を入れる。しかし、突然悲しそうな表情へと変わり、志貴にこう言う。
「でも……やっぱり駄目みたいね。あなたとは戦えないわ。だって、あなたはもう手に入れてしまったから。わたしが決して手に入れられなかったものを」
愛玲は銃口を下に向ける。
「ねぇ、本当の善悪って何だと思う?わたしもあなたも社会の裏側を歩いてきた。そこには国家も絡んだ、必要悪と唱えた非情な殺戮の数々もたくさんあったでしょ?国がそのことを合法だと言ってる今の狂った人の世に、明確な善悪を決める基準があると思って。まぁ、いいわ。あなたがわたしの生き方を否定するのは構わない。でも、ここまで闇が浸透している世の中、あなたはどうやって自分の信念を貫き通すつもりなのかしらね?話はここでおしまい。じゃあ、もうそろそろ行くわ」
愛玲は志貴の横を通り過ぎ、静かに消えるように庭園を離れていった。
朝の5時ちょうど、海岸付近の東洋の美に包まれた庭園へと辿り着く。庭園の石畳でできた道の両脇には、人工的に作られた桔梗、睡蓮、曼珠沙華などが咲いていた。そして赤い鳥居が並ぶ道を行った先に海が見えた。そばには桜の木が何本も植えられ、蕾を膨らませていた。この場所は庭園でもあって、岬でもある。だから、絶壁の下を覗くと海が見える。志貴は桜の木が両脇に並ぶ先に、ある人物の姿が目に入る。黒のチャイナドレスを着た、黒くきれいな髪の持ち主。志貴の瞳には、死んだはずの愛玲が映っていた。
愛玲は不敵な笑みを浮かべながら、真っ直ぐこちらを見る。アイシャドーを入れたことにより、今まで見てきた表情とはまるで別人。悪魔的な顔つきだ。愛玲は志貴との距離が5mになったところで、志貴に銃を向ける。
「やぁ、志貴。ここまでご苦労さん」
愛玲のハスキーな中国訛りな日本語が聞こえると、志貴は口を開く。
「愛玲なのか?おまえは死んだはずじゃ……」
愛玲は志貴の言葉に翳りのある笑みを浮かべる。
「あぁ、あれね。あれはわたしのクローン。2年間で急速成長させた試験管ベイビー。劣化版だけど、よく出来てるでしょ?日本にあるアメリカ政府の秘密研究所から連れてきたの。蛇頭とCIAとの間でいろいろ取引があってね。商品の人を使って、いろいろ実験をやってたみたい。わたしのクローンもその1つ。構成員だったわたしのサンプルをどこで取ったのか知らないけど、おかげで目くらましになったわ。だから、今わたしが生きてるってことを知るのは、あなたただ1人。でも、こういう形で先輩であるあなたと話ができるってのも、なかなか感慨深ってものね」
「最近頻発してる中国系マフィアのアジトを襲撃してまわってるっていうのは、おまえの仕業だな?なぜこんなことをする?」
愛玲は一瞬表情が硬くなる。しかし、再び不敵な笑みに戻った。
「なぜって?そうね、なぜかって敢えて問うなら、この世の全ての悪を憎んでるから。……わたしは物心がついた時には、既に売り物にされていた。商品として中国各地を転々としながら、身体を売られそして犯された。わたしは薄汚れた世界から抜け出すために機会を待った。そして、かつてのあなたと同じ殺し屋となって、人の生き血を吸う裏社会の者たちを次々と殺していったわ。でも、それだけじゃ、世の中のクズどもは消えない。だから、方法を変えることにした。マフィア同士の抗争を煽り立て、そして自滅させていく。もううんざりなの。だから、この世から奴らを全て消し去ってしまえば、自分の居場所が見つかる。そう思ったの」
「よくそんなことを思いついたな。俺も考えつかなかったよ。でも、無謀だ」
「確かにね。ヘマをやったわ。だから、ここまで逃げてきたの。あなたがこの街にいる情報を掴んでたし、蛇頭があなたを巻き込むと思ったの。それに乗じて、行方をくらまそうとしたわ。案の定、上手くいった。でも、それぐらいやらないと、わたしは生き残れないの。あなたのようにあんなバケモノたち相手と、真っ向に戦おうなんて思わないから」
志貴は悲しそうな表情を見せる。愛玲は目を細めて、穏やかな口調になる。
「どうやら、あなたの他にもお客さんが来たみたい」
志貴は後ろを振り返る。そこには2人のよく知る人物の姿が映っていた。黒の長袍を着た男の姿が。
「黒龍……」
黒龍。志貴を殺し屋へと導いた張本人で、現在蛇頭の首領。後ろに流した黒髪、切れ長な眉、そして鋭い瞳、志貴と負けるとも劣らない二枚目だ。歳も変わらないように見えるが、実際20も歳が離れている。志貴のそばまで来ると、穏やかな口調で話しかける。
「久しぶりだな、志貴」
黒龍は志貴の隣に立つと、愛玲に視線を向けた。
「愛玲……」
黒龍は志貴に視線を戻すと、再び話しかける。
「すまないな、志貴。いろいろ迷惑をかけたみたいだ」
黒龍は懐から銃を取り出して、愛玲の銃を狙う。命中して愛玲の手から弾け飛ぶ。黒龍は銃を向けながら説得し始める。
「さぁ、一緒に帰ろう。今ならまだ間に合う。同胞を襲っていない今だからこそ、首領である俺の力で何とか部下たちを説得させることができる。だから、さぁ」
黒龍は普通话で話して説得するが、愛玲は首を横に振る。
「嫌よ!」
黒龍は銃を持つ手に力が入る。
「愛玲、俺は殺し屋としてのおまえを、組織のトップとして愛している。でも男として、女であるおまえのことも愛しているんだ。だから、一緒に戻ってくれ。嫌なら無理矢理にでも連れて行く」
黒龍は銃口を向けながら、ゆっくりと愛玲に近づく。愛玲はおとなしく両手を上げるふりをする。しかしそれは一瞬で、右太ももに隠していたもう1つの拳銃を素早く取り出すと、黒龍の胸を撃ち抜く。
「黒龍!」
志貴は崩れ落ちる黒龍に、寄り添う形でしゃがみ込む。黒龍は血を吐きながら、志貴に語りかける。
「志貴、すまない。おまえの事務所の女をさらったのは、俺の部下なんだ。おまえなら愛玲を必ず見つけ出してくれると思って、俺が直接命令した。見つけても見つけられなくても、必ずおまえのとこの女を返すつもりでいた。だが部下たちは、組織を抜けたおまえをどうしても許せなかったみたいだ。すまない、本当にすまない」
志貴は優しく微笑む。黒龍はそんな志貴を見て、顔を青くしながら、そして苦しみながらも笑顔になる。
「本当に優しい奴だな、おまえは。昔からそうだ。組織内で俺が孤立した時も、おまえだけが裏切らなかった。そんな優しいおまえだからこそ、最後の頼みを言う。聞いてくれ。愛玲を殺さないでくれ。本当に可愛そうな娘なんだ。売り物にされた彼女を闇市場で偶然見つけて、引き取った。愛玲はどこか足掻いているように思えた。今の生活から何が何でも抜け出したいような……だから、俺が新しい居場所を作ってやった。俺にはこのぐらいのことしかしてやれなかった。でも、気に入らなかったみたいだな。そしていつしか、愛玲に惚れている自分に気がついた。ホント、首領として失格だな。ゴホゴホッ、たぶん志貴、近くで銃声を聞いた者がいるはずだ。急いでここを離れろ。後はおまえに……」
黒龍はそう言い残すと、静かに息を引き取った。愛玲は冷たい瞳で黒龍の亡骸を見る。
「ホント、馬鹿な男……」
愛玲は弾き飛ばされた銃を拾うと懐に仕舞う。志貴は立ち上がって愛玲に視線を向ける。
「あなたをここに呼んだ理由。教えてあげるわ。それはあなたにわたしという存在を知ってもらいたかったからなんだと思う。……あなたとわたしはよく似ている。人の世の闇によって人生を狂わされ、裏社会の一番深淵へと入り込み、闇の世界から逃れようともがき苦しんだ。わたしのことを理解してくれそうな、あなただから話したかったのかもしれない」
志貴は哀れみを帯びた表情で、愛玲に言葉を放つ。
「そんなことを続けても、誰も救われない。もちろん、自分自身もな。そして、自分自身がおこなってきたこと全てが、今まで憎んできた存在と同じだと気づき、自己矛盾、今までの罪の重さで一生苦しむことになる。だから、もうやめるんだ」
志貴の言葉に、愛玲は銃を持つ手に力が入る。
「もし邪魔するつもりなら、ここで殺すしかないわ。それに一度戦ってみたかったのよ。あの伝説の殺し屋修羅と」
愛玲は銃を撃とうと引き金に力を入れる。しかし、突然悲しそうな表情へと変わり、志貴にこう言う。
「でも……やっぱり駄目みたいね。あなたとは戦えないわ。だって、あなたはもう手に入れてしまったから。わたしが決して手に入れられなかったものを」
愛玲は銃口を下に向ける。
「ねぇ、本当の善悪って何だと思う?わたしもあなたも社会の裏側を歩いてきた。そこには国家も絡んだ、必要悪と唱えた非情な殺戮の数々もたくさんあったでしょ?国がそのことを合法だと言ってる今の狂った人の世に、明確な善悪を決める基準があると思って。まぁ、いいわ。あなたがわたしの生き方を否定するのは構わない。でも、ここまで闇が浸透している世の中、あなたはどうやって自分の信念を貫き通すつもりなのかしらね?話はここでおしまい。じゃあ、もうそろそろ行くわ」
愛玲は志貴の横を通り過ぎ、静かに消えるように庭園を離れていった。