ある冬の日の上海の街。高層ビルが建ち並ぶここら一帯の夜景は、しがない生活を送るものにとってとても眩しすぎるものだった。しかしその一角にある廃ビルは、おぞましい光景と化していた。
 ビルの中はとても静寂だった。薄暗い廊下には黒の人民服を着た、決して真っ当な生活を送っていないであろう男たちが、無残にも倒れている。壁は血で汚れ、倒れている男たちの中には、白目で絶命している者や、腸がはみ出ている者までいた。その血潮の先には黒い扉があり、そこから微かに物音が聞こえていた。
 部屋の中はとても暗く、唯一の明るさと言えば、この最上階から見渡せる夜景だけだった。街灯やネオンの光が主張するごとに、室内は一層冷たく褪めていた。こんな暗い空間の中、薄っすらと中年男の姿が見える。卑しさを蓄えた身体と、長袍(チャンパオ)を着ている様子から、中国マフィアの幹部と思われる。
 男は震えていた。全身汗でびっしょり濡れていて、呼吸も荒かった。デスクの上にある受話器に手をかけ、必死に助けを呼んでいる。まだかまだかと、繋がらないもどかしさから、机の上を叩き、受話器を握る手には力がこもっていた。
 しかし、首筋に冷たい感触が伝わった瞬間、男の心臓の拍動は最高潮に達した。震え方の質も変わり、呼吸もさらに荒くなった。そんな男の姿は、透明なひもで首を絞められている豚そのものだ。
 鋭利な刃が頸動脈に突きつけられた瞬間、男は振り返った。はっきりとは姿が見えない。相手が男なのか、それとも女なのかも分からない。分かることと言えば、影として存在する輪郭、そして自分を殺そうとする相手の眼孔だけだ。
 微かに光る相手の目を見て男は理解した。その瞳がとても血に飢えていて、正に修羅のようであることを。