翌日もいつもの時間に起きて、いつもの駅でいつもの場所で待つ。

「おはよー」

「おはよー」

 すれ違う何人かと挨拶を交わす。

声をかけてくるのは、大概いつも決まったメンバーだ。

同じクラスの子が数人と、前に同じクラスだった子たち。

直央くんが現れた。

「おはよー」

「おー」

 スマホを見ながらそこから動かないから、私は歩き出すしかない。

数歩進んだところで、思い切って振り返った。

「直央くん。あのさぁ、一緒に……」

 到着した電車から流れてきた人の波に、長い黒髪の、アノ子がいた。

どうしてか目が合う。

パッと反らした瞬間、直央くんの声が聞こえた。

「千香ちゃん、おはよう」

 話しかけた直央くんを、カノジョは見上げる。

振り返ってしまった私は、パッとその場から離れた。

見てらんない。

目の前の自販機にすがりつくと、財布を探すフリをしている。

欲しくないし買いたくもないんだけど、何か買わなくっちゃ……。

 朝の駅前の喧噪から、聞こえそうで聞こえない2人の会話を必死で探している。

ゴトリと何かが落ちる音がして、その場にしゃがみ込んだ。

冷たくて丸い、細長いものを取り出す。

なにコレ。

黄色い。

飲んだこともない栄養ドリンク系の炭酸飲料。

絶対美味しくないやつだ。

最悪。

 なんとか通学路を歩いて、ようやく教室に入る。

席に着こうとして、大きなため息をついた。

意味の分からないペットボトルを机に置くと、リュックを背負ったままドカリと腰を下ろす。

「はぁ~……」

 もう一度ため息をつく。

額をゴチンと机にぶつけたところで、誰かが前の席に座った。

「どうした? 朝からため息ついて」

 広太くんだ。

よく分からないペットボトルの上に手を置くと、机に押しつけぐるぐる回している。

「あれ、彩亜ちゃんこんなの飲むっけ」

「……。間違えて押しちゃった。あげる」

 そう言うと、広太くんはすっごい驚いた顔で私を見下ろした。

「え? マジ?」

「うん。いらない。本気で買う気なくて……。純粋に間違えた」

「何それ、それでそんなにヘコんでんの?」

 彼は笑った。

そのまま蓋を開けると、ひとくちそれを口に含む。

「まぁまぁ美味いよ」

 そう言われて、彼の手からそれを奪う。

せっかくだし飲んだことないヤツだし味見くらいしておくか。

「ホントだ。悪くはないね」

 私はもう一度ため息をつく。

無駄な出費があったのはもちろんだけど、それ以上に直央くんのことに傷ついている。

彼女じゃないって言ってたし、多分それは確かだし、もしかして「お友達からお願いします」ってやつ?

「あ、朝さ、いつも誰待ってんの?」

「は?」

「今朝もいたでしょ、駅で」

「あぁ……」

 そう言えば今朝も、広太くんに挨拶されたな。

「別に……。何となく、すぐ教室に入りたくないから……」

 とか、信じてもらえるのかな? 

気のせいか、彼の顔が少し赤いような気がする。

「あ、あのさ、今日、郊外学習のグループ分けがあるでしょ。なんなら一緒にどうかなーって……」

「あぁ、ゴメン。もう決まってる」

「……。それは、直央たち?」

「うん」

「そっか。悪い」

 広太くんが立ち上がる。

チャイムが鳴った。

すぐに戻って来て、一度置いてったペットボトルを持って行く。

そうだ。

今日はそれがあるから、しっかりしなきゃ。

アノ子と直央くんはなんでもないんだから。私も頑張ろう。

 ホームルームの時間になって、私は同じ班になることを約束している仲良しの栄美ちゃんと慧ちゃんに合図を送った。

2人は同時にうなずく。

それを確認すると、立ち上がった。

この2人は、私が直央くんのことを好きなのを知っている。

いよいよ班決めとなって、にわかに騒がしくなった教室を、バクバクさせながら横切る。

「あ、あのさぁ……」

「あ、班。一緒になるんでしょ?」

 直央くんと仲のいい京也くんだ。

「いいかな?」

「いいよー」

 栄美ちゃんと慧ちゃんが待っている所に、直央くんと京也くん、隆史くんがやってくる。

「じゃあ、よろしく~」

「はーい」

 よかった。

とりあえず第一関門はクリアした。

机をくっつけて、話し合いがスタートする。

信じられない。

本当に来週、私は直央くんとうろちょろ出来るんだ……。

 目の前に彼の顔があって、同じパンフレットを見ながら同じ話をしている。

それだけで気分が舞い上がる。

はしゃぎ過ぎちゃってないかな。

ヤバい、何もしてないのに顔がニヤける。

ヘンなヤツって思われたらどうしよう。

もう次の金曜日が待ち遠しくて仕方ない。

あっという間に掃除の時間になって、出席番号で編成された掃除当番班のくじ引きが行われる。

私と直央くんの班が当たった。

今日は本当にツイてるのかもしれない!

 班は違っても、メンバーそれぞれが一緒に掃除することになっていて、結局くじ引きで決まるのは、担当班が決まるってだけで、みんながそれぞれに好きな所を勝手に掃除してて、直央くんがモップを手にしたのを見て、私もさりげなく同じのを持ってみたりなんかして……。

「ねぇ、こっちもうやった?」

 ゴシゴシと床をこすっていた、彼の隣に立つ。

「あ、まだ」

「じゃあ私やっとくね」

 彼と受け持つ範囲を確認する。

一緒に歩きながら、廊下から教室へ。

彼が机を移動させ始めたら一緒に動いて、モップを洗うところまで合わせる。

「バケツ、持ってくるね」

「あぁ、重いからいいよ」

「あ、じゃあ一緒に行こう」

 ジャバジャバ洗って、干すところまでやったらお終い。

「お疲れさまぁ~」

 この後どれだけ不自然にみえても、「一緒に掃除した流れで同時に教室出て駅まで行く」をやるんだもんね! 

席が離れているのは苦しいところだけど、こうやって頑張っていかないと、「一緒に帰る」なんて絶対ないの知ってる。

急いで帰り支度をして、彼の側に近寄る。

チラリとこちらを見て、一緒に出ようとしていることを理解したらしい。

直央くんがリュックを肩にかけたのを合図に、私達は歩き出した。

こうやって一緒に教室を出る日が来るなんて、夢みたい。

「私、バケツについてるローラーでモップ絞るの、結構好きなんだよねー」

「あぁ、なんか分かる」

「ジャバァッって、水があふれ出す感覚、楽しくない?」

「あはは」

 笑った彼の横顔を見上げる。

置いて行かれないように、小走りで廊下から階段への角を曲がる。

ほら、直央くんの顔が真横に来た。

「ねぇさぁ。古文のノート、提出した?」

「あれダルくない?」

「そーもう最悪」

 階段の踊り場は、回る時にぶつかっちゃう。

内回りの直央くんは、速度を落とすことなく先へ進む。

「ノートの配点が高いのって、ズルくない?」

 ねぇ待って。

おいていかないで。

「それで点数稼げてるところもあるけどね」

「中間テストやばかった!」

 靴箱が同じ場所でよかった。

同じクラスになれて、本当によかった。

急いで靴を履き替えようとして、上履きを落としてしまう。

「あっ」

 置いてかれる! 

そう思ったのに、彼は私を待ってくれていた。

上履きを入れ直し、直央くんを見上げる。

よかった。

また一緒に並んで歩き出せる。

薄暗い校舎から出ると、外はキラキラと眩しくて、思わず目を細めた。

「そういえば英語の浜田先生がさ……」

「うん」

「こないだ彩亜ちゃんに教えたのと同じゲームやってるらしくって」

「え、本当に?」

「あいつ、雷属性だってよ。じゃあ先生と一緒に今度のイベント回りたいって言ったらさぁ……」

 一歩足を進めるごとに、胸の鼓動は高まる。

あなたの声がこんなにも近い。

「誰がアカウント教えるかぁ! だって」

「はは。別にいいじゃんねぇ、教えてくれたって」

「だよなぁ」

 あ、また笑った。

「あれ、結構楽しいよね。周りでもやってる子多いし」

 見上げるその横顔に、もう心臓が止まりそう。

「流行ってるからなぁ~」

 直央くんは空を見上げると、そうつぶやいた。

「だよねー。人気だよね~」

「うん。流行ってるからね。女の子でも、結構やってるよね」

 彼の頬がほころぶ。

そんな顔もするんだ。

「いいよね」

「うん。いい」

 信号を渡ると、ごちゃごちゃした駅前広場が広がる。

もう着いちゃったの? 

早すぎる。

「じゃ、また明日」

「うん」

 同時に改札をくぐって、互いに手を振った。

本当は走り出したいのをグッと我慢してる。

いつもとは反対の階段を上がった。

ホームに出ると、彼はいつもの定位置にいる。

それを知っている私は、その彼の前に立った。

今日くらいは、許されるよね。

電車が来て、流れ込む車両に姿の見えなくなる瞬間、また手を振る。

私の顔は真っ赤だ。

乗り込んだ彼の後ろ姿はいつもならとっても遠いのに、今日だけは近い。

大胆過ぎたかな。

大丈夫だったかな。

私、汗かいてヘンな臭いとかしてなかったかな。

走り去る後ろ姿を見送って、私も電車に乗り込んだ。

 土日は学校がなくて、直央くんにも会えないからつまんなくて、やらなきゃいけないことだけを淡々と進める。

学校の宿題とか家の用事とか、買い物とか何とか。

日曜の夜は翌日に備えて早く寝る。

月曜日には早起きして、丁寧に頭をセットし細かく制服をチェックしてから家を出る。

よし。大丈夫だ。

鏡の自分にそう言い聞かせて、駅へ向かった。

 ホームから下りると、改札の先に直央くんがいるのを見つけた。

いつも私が待機してる柱の後ろだ。

駅舎の壁に掛けられた時計をチラリと見上げる。

いつもより早くない? 

誰か待ってるのかな。

「おはよー」

 声をかけると、彼はビクリと体を動かした。

「あっ、あぁ。おはよう」

「何してんの?」

 朝からこんなところで直央くんに会えるなんて、なんてラッキーな日だ。

「あ、イヤ、別に……」

 彼は何だかちょっぴり恥ずかしそうに、もぞもぞしてる。

「どうしたの? 何かあった?」

「あっ……」

 彼はパッと顔を上げた。

私は振り返る。

改札を吹き抜ける生ぬるい風に、肩より長い髪がなびく。

カノジョだ。

もう一度直央くんを見上げた。

彼の視線はカノジョを追いかける。

「な、なんでもない。一緒に行こうか」

「え? う、うん」

 突然の申し出に、急に恥ずかしくなる。

死ぬほど聞きたいと思っていたそのセリフは、100%私の望む完璧なものではなかったけど、そんなことはどうだっていい。

アノ子が直央くんをいらないって言うんなら、私がもらう。

「英語の当たる順番、今日はどの列からだっけ……」

「えっと、12日だから……」

 そんな話しをしながら、直央くんと並んで歩く。

直央くんの気持ちがどうかなんて、そんなことは今はどうでもよくて、私はただ彼の側にいたい。

それだけ。

彼の視線は少し前を歩く、カノジョの背中を追っている。

「京也からじゃない?」

「京也くんだっけ。京也くん、背が高いよね~」

 ん? カノジョが追いかけてるのは広太くん? 

アノ子と仲いいんだ。

知らなかった。

「なのに授業中うるさいからって、一番前の席にされちゃってさ」

「後ろの子が見えないっつーの」

 何か言い合いみたいなのしてる? ケンカした? 

カノジョの手が広太くんのリュックに触れる。

そのまま隣に並んだ。

彼を見上げ、何かを必死に訴えてる? 

なんか、そんな感じみたいに見えるけど……。

「その麻衣ちゃん背が低いからさ、いっつも黒板見るときぐいって背中曲げてるよね」

「そうそう。それはそれで可哀想だとは思うけど、ちょっと面白い」

「あはは。分かるー」

 広太くんの方は、何にも動じてないみたい。

こっちに真っ直ぐ背を向けたまま、普通に歩いている。

校門をくぐってもそんな状態は変わらなくて、ついにカノジョは広太くんに何かを言うのを諦めたっぽい。

昇降口前でカノジョと別れ際に、広太くんは何か声をかけた。

「……。付き合ってるのかな? 彼女?」

「いや、それはない」

 靴箱に広太くんと直央くんが並ぶ。

「おはよー」

「うっす」

 直央くんが声をかけ、広太くんが応えた。

広太くんは一瞬私を見下ろし、すぐに行ってしまう。

「やっぱ付き合ってんじゃない?」

「ないって」

「ケンカかな」

「かもな」

 直央くんの好きな人がカノジョだとして、だけどもう、一度はフラれているわけで、アノ子が誰と付き合おうが私には関係ない。

むしろ好きな人がいるのなら、その人と幸せになってほしい。

「『好き』って難しいね」

「うん」

 教室に入った。

カノジョは違うクラスだから、もう姿は見えない。

先に席についていた広太くんの背後に近寄る。

彼の席は私の斜めから2つ後ろだ。

「広太くん、彼女いたんだ」

 彼は振り返ると、じっと私を見上げた。

「なんの話し?」

「いや、何でもない」

 何だかちょっと、機嫌が悪いみたいだ。

まぁ仕方ないか。

彼女とケンカしてるんだから。

「彩亜ちゃんこそ、彼氏いるの?」

「え?」

 誰のこと言ってんだろ。

もしかして直央くんのこと?

「……。そんな風に見える?」

「見えない」

 機嫌の悪い広太くんは、語気を強める。

「えぇ、そうですよーだ。彼氏は、い、ま、せ、ん!」

 なんかムカつく。

私が席に腰を下ろすと、始業を知らせるチャイムが鳴った。

 そうやって数日が流れ、私は少しずつ直央くんとの距離を縮めることに成功していた。

今では一日に数回は言葉を交わす、ごく自然にそんなことが出来るような間柄になっていた。