「なんか言われた?」

 私は必死で泣き止もうとしながら、頭を横に振る。

「違う。言った」

「言われたんじゃなくて?」

「言っちゃった。言わなくていいこと」

 彼は立ち上がると、もう一度滑り台を滑った。

私はその間に鼻水をすする。

「何言ったの」

「好きですって、告白した」

「……。そしたら?」

「フラれたから出てきた」

「はぁ~。そっか。……分かった」

 広太くんは盛大なため息をつき、頭を抱えたままボリボリかきむしった。

私は滑り台の下でしゃがみ込む広太くんに、しがみつくように飛びつく。

「ねぇ、私のどこがダメなのかな? 何が悪いと思う? どういうところが可愛くない?」

「どういうとこだろうな」

「ねぇ、真剣に悩んでるんだけど」

「分かるよ」

「どうしたらいいと思う?」

「そのままでいいんじゃね」

 やっぱりこの人は、何にも分かってない。

「だから、私は真面目に……」

「俺は、そのままの彩亜ちゃんが好きだから」

 彼の目はじっと私を見つめる。

「だから、そのままでいいと思うよ」

 夕陽に沈む公園で、広太くんは滑り台にしゃがみこんでいて、私はそんな彼の真横にくっついている。

彼のシャツを掴んでいた手を、そっと離した。

「あ……。えと……」

「そう言われて、困る?」

 そっと微笑む彼の顔を、まともに見ることが出来ない。

「こ、困らないし……、嬉しいけど……」

 だけど、私が好きなのは……。

「言いたくなったから、言っちゃった」

 彼は立ち上がると、ウンと背伸びをする。

「もう今ここで言わないと、タイミング逃すような気がして」

 そう言って、「はは」って笑った。

そんなとこで笑わないでほしい。

「それで、彩亜ちゃんの気持ちは変わる?」

「か、変わらないと思う……」

「俺のこと、嫌になった?」

「ならないよ。そんなの全然ならない」

「だったら、直央もそう思ってるんじゃない?」

 彼の大きな手が、私に向かって真っ直ぐに伸びる。

「好きだよ。よかったら俺と、付き合ってください」

 その手をじっと見つめる。

動きたくても動けなくて、私には固まったままどうすることも出来ない。

伸ばされた腕がふわりと動いた。

「はは。ゴメンね。わがまま言って」

 彼はヒラリとそこから飛び降りると、今度はブランコに乗る。

立ったままこぎ出した、その上から声をかけた。

「彩亜ちゃんも乗ったら?」

 そう言われて、断れるわけがない。

私は彼の隣に腰を下ろすと、ゆっくりとブランコをこぎ始めた。

「1年の時にさ、俺、体育委員やってて。その時にテントで見かけてさ。可愛いなーって思ってた」

 左右に揺れるブランコと、軋む鎖の音が交差する。

「で、2年になって同じクラスになれて、めっちゃうれしくてさ……」

 彼は勢いをつけて、そこから飛び降りた。

「それで、ずっと見てた。そしたら分かったよ。彩亜ちゃんの好きな人」

 泣いていいのかダメなのかも分からなくて、だけどここで私が泣くのも違うよなって、どんな顔をして彼を見たらいいのかが分からない。

「……。そ、そうなんだ」

 ブランコから立ち上がった私に、彼は笑い出す。

「あはは。そんなに困った顔されると、こっちも困るからやめて」

 ニッと笑うその笑顔が、今の私にはとてつもなく眩い。

「ね、今日もアイス食べて帰る?」

「え……。どっちでもいいけど……」

「じゃあ、一緒にコンビニ行こう。今日こそ俺がおごるから」

 普通に、もの凄く普通に、ごく自然に接してくれる広太くんが、自分より遙かに大人に見えて、とうてい私なんかには手の届かない人になってしまったようで、申し訳ないようないたたまれないような、目に見えない分厚い壁が出来てしまったような気がする。

 それでも私は、彼が普通に接してくれるから、普通に接することを演じている。

上手に振る舞えているのか、彼の気を悪くしてないのか、そんなことが気になって仕方がない。

夕暮れの通学路を、先にゆく彼の背を見つめる。

このままやっぱり普通にコンビニ入って、当たり前のように一緒にアイス食べて、何もなかったみたいに別れて、そしてまた学校で……。

ふいに、私の足は止まった。

「ゴメン。広太くん」

 彼はゆっくりと振り返った。

「私、やっぱり直央くんが好きだから……。広太くんとは付き合えない」

「うん。そうだよね」

 彼はニコッと微笑むと、軽やかに手を振った。

「じゃ、悪いけど先帰ってるね。アイスはまた今度」

「う、うん」

「また明日」

「また、明日」

 小さく手を振って、彼を見送る。

なんだか今日は、泣いてばっかりだ。

真っ赤に染まった夕焼けの下を、ぐずぐず足を引きずって歩く。

体が重い。

いつも短い駅までの距離が果てしなく遠い。

絶対に顔が腫れてる。

こんなとこ、誰にも見られたくないな。

ようやく構内に入った。

雑踏を抜け、さっさと電車に乗ってしまおう。

「彩亜ちゃん?」

 直央くんだ。

なんで?

「待って!」

 逃げだそうとした私の腕を、彼が掴んだ。

「ちょ、あ、アレ? 広太が……。んと、どうしたの?」

 その手を振り払う。

こんなの、タイミング最悪過ぎる。

「さっきアイツが……、ねぇ、待って!」

 逃げ出した。

今は直央くんの顔も見たくない。

そこから飛び出し、路上へ出た。

最悪だ。

もう一度涙を拭う。

一人で歩く混雑した夜道で、直央くんが私の手を掴んだ。

「どこ行くの。駅はこっちでしょ」

 そう言いながらも、私を引く手は駅から遠ざかる。

道幅の狭いごちゃごちゃした通りを、彼は私の手を掴んだまま離さない。

「広太と何があった?」

「……。好きって言われた」

「で、何て答えたの?」

「……。直央くんが好きだから無理って……」

 つないでいる彼の手が、私の手をぎゅっと握り返した。

それに負けないくらい、私も強く握り返す。

彼は立ち止まると、ようやく振り返った。

「とりあえず、今日は帰ろっか」

「うん」

 つないだ手を離したくなくて、離されたくなくて、彼をじっと見上げる。

「他に、何にもヘンなこととかされてないんだったら、いいよ」

「うん。それはない」

「……。そっか。じゃあいいんだ」

 歩き出す。

つないだ手はそのままだ。

さっきまで歩いて来た道を、そのまま引き返している。

帰宅ラッシュの混雑とピカピカ光る看板の明かりに、私の頭はくらくらしている。

「私、直央くんが好き。好きなの。ずっと好き。大好き」

「うん。ありがと」

 構内に戻って、改札を通る時に離された手には、まだその感触が残っていた。

「じゃ、また明日」

「うん。またね」

 ホームに電車が滑り込む。

その気配に、彼は慌てて階段を駆け上っていった。

その背中をじっと見つめる。

いつか彼が、私を振り返る日はやってくるのだろうか。

 このまま諦めた方がいいとか、頭では分かってても気持ちが言うことを聞かない。

好きってきっと、そういうものなんじゃないの? 

どっちがいいかとか楽だとか、そんなことでは動けないんだ。

広太くんのことは嫌いじゃない。

むしろいい方だと思う。

だけどだからって付き合って、それで本当にいいの? 

もしかしたらアノ子も、そんな気持ちなのかな。

 どれだけその願いが儚く遠いものでも、いつか好きな人の好きな人になれますように。

私はそれを願って、自分の階段を昇り始めた。



【完】