世間はGW真っただ中。
空は長期休暇にも関わらず全く予定がない俺の心とは裏腹に、憎たらしいほどの快晴だ。そんな天候に腹を立てつつも、俺は今最寄りの駅前の商店街に繰り出している。
理由は単純だ。
GW明けに同僚や上司を交えて開催される〝スピーチ大会〟に備えてだ。
まぁ要するにGWに何をしていたかを報告し合う、リア充コンテストである。
所帯を持っていれば、自然と話は決まってくる。
だが、友人がそれほど多くない独身貴族にとっては、中々ハードルの高いイベントなのだ。
普段の休日であれば、『家でひたすら断捨離してましたー』などとまるで面白みのない報告をしてやり過ごしているところである。
しかし、GWのような長期休暇ともなると少し話は変わってくる。
憐みの視線を浴びるまでは許容範囲だが、こうも連日一人きりで過ごしていてはコミュニケーション能力まで疑われてしまう。
こういった印象を周りに与えることは、後々仕事にも響いて来るのだ。
第一、5連休を全て断捨離に費やしてしまえば、部屋の家具は絶滅待ったなしだ。
生憎、俺はそんな変態染みたミニマリストではない。
そうして強迫観念に駆られるようにアパートを飛び出した、まではいい。
だが、元来休日は昼間から配信映画を肴に酒を浴びている生粋の出不精だ。
目的もなく街へ繰り出したところで、特別なイベントなど起きるはずもない、と思っていたが……。
「あ、ああの、ア、ア、ア、アンケートお、お、お願いしますっ!」
駅ビルに併設された百貨店の入り口の前を歩いていると、とある女性に話しかけられる。
小動物のように怯えながら懇願する彼女は、恐らくどこかの会社の新入社員だ。
そして、依頼の内容から察するに新人研修か何かのようだ。
ノルマもあるのだろう。
クリッとした目を潤ませ、俺を見つめてくる。
というより、もはや泣きそうである。
亜麻色のボブヘアも乱れ、ビジネススーツもしわくちゃだ。
これまで、余程誰にも相手にされなかったのだろう。
さて社会人というのは、こういったシチュエーションには弱い生き物である。
何故なら、自分にもこういった時代があったからだ。
だから俺は彼女の要請に応じることにした。
「まぁアンケートだけなら……」
「ほ、本当ですかっ!! 嬉しいです!!」
俺が応じると、漫画であればパァといった効果音が飛び出しそうなほどに彼女の気色はみるみるうちに回復する。
「えっと……、ま、まずはこちらの質問に回答をお願いします!」
彼女はそう言うと、俺に質問事項が書かれた用紙を挟んだバインダーを差し出してくる。
俺はバインダーに目を落とし、内容を確認する。
〝何歳までに結婚したいですか?〟
そんなことを考えたのはいつ以来だろうか。
20代も半ばを過ぎ、気付けばアラサーに差し掛かろうとしている。
男は30を越えてからが本番などという言説もあるが、結局はそれも予防線だろう。
30を過ぎてもなお、うだつが上がらなければ40、50とどんどん〝本番〟の時間は延長されていくのだ。
さて、肝心な結婚についてだがこれと言って展望はない。
というより、恥ずかしながらこの年になっても結婚観というものがはっきり見えてこない。
日々の暮らしに忙殺されているためか、ただただ出会いから逃げているだけなのか。
分からないので、とりあえず〝35〟と書いておくことにしよう。
俺がそう記入すると、彼女はすかさず突っ込んでくる。
「さ、35歳、ですか。ち、ち、ちなみにい、今おいくっ」
落ち着け、落ち着けっ!
あんまり噛む要素ねぇだろ、その質問。
「あぁ。年齢ですか? 今26ですね」
「そ、そ、そうなんですね! 良い年齢ですね!」
「いや、あの……、それはどういう意味でしょうか?」
「ひぃいい! ご、ごめんなさいっ!」
そう彼女が大声で言うと、深々と頭を下げてきた。
当然のことながら、俺たちは衆目の的だ。
「いやいや! 怒ってませんから! お願いですから頭上げて下さい!」
「は、はい……。すみません」
謝ることがクセになっているのか。
新人にはありがちかもしれない。
だが、彼女はいささか度が過ぎている気がする。
軽はずみな同情心で依頼を受けてしまったことを少し後悔しつつも、次の質問へ移ることにする。
〝プロポーズの言葉はどんなものを考えていますか?〟
公開処刑ですか……。
味噌汁だの、お墓だのキラーワードを持ち出して、全力で引かれればよろしいんでしょうか?
大体、交際相手もいないっつーの!
と言うことで、無難に〝結婚して下さい〟とだけ書いておくことにする。
次は……、えっ? これだけ?
「えっと……、これだけ? ですか?」
「は、はいっ! あ、あとはお名前と電話番号を!」
電話番号?
アンケートだよな?
そう思いつつも、促された通り記入してしまったことが運の尽きだった。
質問用紙とともに挟んであった、彼女の務める会社のものと思われるパンフレットに目を落とす。
そこには何カラットだかは知らないが、俺の給料などでは年単位で前借が必要であろうダイヤモンドの指輪や、それらを展示するであろうラグジュアリーなショールームの写真が掲載してあった。
彼女はこれまで一つも仕事の話をせずに本題に入っていったが、ここで一つ疑惑が生まれる。
そして、それとともにかつてネットで見かけた情報が頭の中を駆け巡った。
「は、羽島 望さん、ですね。あ、あなたと話せて、嬉しかったですっ! 後日、お礼の電話を差し上げます!」
彼女は全力の歪んだ作り笑いを浮かべながら俺に媚びたようなセリフを吐くと、そそくさと逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
そんな、彼女のうしろ姿をみて疑惑は確信に変わる。
あぁ。これはアレだ。
間違いない。
完全にデート商法だ。
それも飛び切り出来損ないの。
俺は軽はずみな同情心で依頼を受けてしまったことを深く後悔した。
「で、どうだったんよ? また例の如く引きこもって映画三昧か?」
GWが明けて、出社初日。
連休明けの倦怠感と戦いながら、何とか昼休みまで漕ぎつく。
俺は午前中の仕事の書類を整え、昼食の準備に取り掛かろうとしていると、隣りのデスクに座る同僚の米原 隼人が、椅子の背もたれに顎を乗せながらへらへらと嫌味ったらしくGWの成果を聞いてくる。
確かにコイツの言う通り、普段は部屋に閉じこもり映画ばかり見ている。
『趣味は映画鑑賞です』とでも言えば多少聞こえは良くなるかもしれないが、実のところ究極のインドア派というだけだ。
実際今年のGWもほとんど……、いや今年はある一点を除いて、だな。
「ふっ。今年の俺は一味違うぞ。なんせ飛び切りの美女から逆ナンされたんだからな!」
冒頭から侮ってかかってきた米原に対抗するため、俺は事実をやや脚色して話してみた。
「おぉ! マジか! 羽島にも遅めの春が来たってことか! おめでとう!」
俺の言葉を何ら疑いも持たずに受け止め、純粋に祝福してくる米原に対して一抹の罪悪感が生まれる。
バツが悪くなり、俺は真相を話すことにした。
「……まぁ、実はな。こういうことだよ」
俺が先日あった一連の出来事を順序立てて伝えていくと、米原の表情は次第に崩れていく。
そして遂には堪え切れず、俺を蔑むかのような、にやけ顔を惜しむことなく晒してくる。
「何だよっ! そういうことかよ! 要するにヘタクソなデート商法のネェチャンにハメられそうになったってことか! それはご愁傷様」
米原はヒィヒィ言いながら、嬉しそうにデスクを叩き爆笑する。
いや、さすがに笑い過ぎだろ……。
まぁ確かにネタにはなるけどな、この話。
米原は一通り満足するまで笑い倒すと、疑問を投げかけてくる。
「でもよ。その子、後で電話するって言ってたんだろ? 来たのか?」
「いーや。来てない。アンケートの時もだいぶ緊張してたみたいだし、電話なんて掛けられねぇんじゃねーのか?」
「かもな! でもよ、羽島。これだけは言っておくぞ?」
そう言うと米原は途端に真剣な表情となり、声を抑えながら話し出す。
「デート商法ってよ。商品さえ買わなけりゃ無料のキャバクラみてぇなモンで、結構楽しめるらしいぞ。ワンチャン、ヤれるかもよ」
米原はそう言って、下卑た笑みを浮かべる。
コイツは……。
相変わらず下品なヤツだ。
米原の言う通りデート商法は、モテなさそうな独身男性をターゲットにあたかも気のある素振りを見せて近づき、ジュエリーや不動産などの高価なものを買わせる、というのが一般的な認識だ。
彼女にしても、やたらと俺を持ち上げようとしていたので、確かにそう言った側面はあるのかもしれない。
だが、それは人によるだろう。
正直な話、俺が出会った彼女がそんな真似をやってのけるとは想像し難い。
「ねーよ! 万が一、手ェ出して輩みたいな兄ちゃんが出てきたらどうすんだよ! 向こうは、平気で人を陥れようとする集団だぞ」
「そりゃそうか! まぁなんか続報あったら聞かせてくれよ。面白そうだし」
そう言うと、米原はケラケラと笑いながらデスクを立ち、オフィスの一角にある喫煙ブースへ向かっていった。
全く。他人事だと思って、調子に乗りやがって。
しかし、米原に話したことで改めて疑問に思う。
あの度を超えた人見知りの彼女は、何故この仕事を選んだのか。
そう言えば、名前を聞いてなかったな。
GWが明けて早くも1週間が過ぎた。
世間の雰囲気も連休ボケが抜け、すっかり通常モードだ。
その日、俺は出張先から直帰でいつもより少し早めにアパートへ着いた。
5月病とも言い難いが、この時期独特の気だるさのようなものにやられ、部屋へ入るなり溜息交じりにネクタイを緩める。
スーツのポケットのスマートフォンを乱暴にベッドに投げつけ、早々と部屋着である灰色のスウェットに着替える。
夕飯はどうするか……。
今さら外に出る気にもなれない。
余った食材で適当に済まそうと、部屋の隅に設置された冷蔵庫へ手を伸ばすと、それを遮るように無機質な電子音が鳴り響いた。
渋々ベッドまで戻り、スマホの画面に目を落とすと、見慣れない番号がそこにあった。
ハァと嘆息をつきつつも、こうして自然と〝通話〟に手が伸びてしまうのは根が真面目だからだろうか。
「もしもし」
応答がない。
しばしの間待ってみるも、なしの礫だ。
今時、無言電話なんて逆に新鮮だ。
「あのー! もしもしー?」
苛立ちから自然と語気が強くなる。
「ひぃっ!」
大方察しがついてしまった。
まさか今頃になって掛かってくるとは……。
正直、自然消滅しているものと思っていたが。
それにしても、何で掛けてきたあなたが驚いてるんですかね。
「あの……、ひょっとして先日駅前でお会いした方ですか?」
この質問自体よくよく考えればおかしい。
だが彼女が何も話さない以上、こちらから仕掛けるしかない。
「は、はははいっ! あの、えっと、羽島さんの携帯でよろしかったでしょうか?」
「あ、はい。そうですね」
「そ、そうですか……」
終わってしまった。
さて、ここから彼女がどう仕掛けてくるかが見ものだ。
以前、ネットでデート商法の体験談を見つけ、読んだことがある。
そこで書かれていた大筋の流れはこうだ。
まず先日の俺のように街中で声を掛けられ、その数日後にお礼と称した電話がかかってくる。
今、俺はこのフェーズにいるわけだ。
そして、その体験談によれば、この電話で1時間以上に渡る雑談タイムが繰り広げられるらしい。
ちなみに仕事の話は一切しないようだ。
そうすることで、まずはこちらの警戒心を解こう、という算段なのだろう。
よって、彼女が切り出す話題は恐らく……。
「は、羽島さん……。ご趣味は?」
えーっと。
俺はタイムスリップでもしているのだろうか。
昭和のお見合いでも、第一声で放つ言葉ではない気もするが。
「は、はい。そうですね、映画を少々……」
「そ、そうですか……」
思わず向こうの調子に合わせて答えてしまったが、結局また沈黙してしまった。
あの、これ、何の時間ですか?
正直な話、詐欺と分かっているのだから、今すぐこの電話を切っても何ら問題ない。
そして、スグに着信拒否をして彼女とは永遠にさよならだ。
しかし、こうも不器用な彼女に、そのような不誠実を働くのはいささか気が引けてしまうというのも人情である。
いや、もちろんそういった特殊な作戦であることも、現時点では否定できないのだが。
「すみません。そろそろご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
「ひゃいっ! す、すみませんっ!!」
俺が何か聞くたび、この調子なのだろうか。
キャリアの浅さ故のものなのか。
いや。
彼女の場合、初々しさとは少し種類が違うような気がする。
ここまでのやりとりを聞いて確信した。
善悪だとかそれ以前に、彼女はこの仕事に向いていない。
親心などというと吐き気を催すが、こうして引き合わされた縁だ。
極めて余計なお世話かもしれないが、赤の他人であり、何の責任も持たない俺が引導を渡してやることにしよう。
「あのー、ぶっちゃけこれってデート商法ですよね?」
「は、はい。そうです……。すみません」
秒速で認めちゃったよ、この子。
いや、彼女の性質を考えれば当然か。
とは言え、さすがにもう少し粘るとは思ったが。
彼女がこうして白状し謝罪してしまった以上、俺が親父臭く説教をかます筋合いはない。
「この度は本当に申し訳ありませんでした。今後二度と羽島さんには連絡を致しませんので」
そう彼女に言われた時、ふと米原が放った一言が頭を過る。
『商品さえ買わなけりゃ無料のキャバクラみてぇなモンで、結構楽しめるらしいぞ』
そうだ。
俺はまだ何も楽しめていない。
あの下衆な男の言葉を真に受けるのは癪だが、危うく詐欺に引っ掛けられそうになったのだ。
少しくらい迷惑料を貰ってもバチは当たらないだろう。
「まぁまぁ、そうお気になさらず。それより、せっかくなんでもう少しお話しませんか? そう言えば名前も聞いてませんでしたね」
「あ、はい……。豊橋 光璃と申します」
「豊橋さん、ですか。ちなみに今おいくつですか?」
「22歳、です……」
新卒か。
果たして、彼女の会社は就活サイトに掲載しても許されるものなのか。
だが、問題はそこじゃない。
「なるほど。じゃあこの前まで学生だったんですね。大変そうですね、色々と」
彼女がどういった経緯でこの仕事に辿り着いたかは知るところではない。
だから、あまり頭ごなしに否定は出来まい。
とは言え、社会人生活の第一歩としては、いささか変化球というか、何というか。
これが原因で、彼女の中にトラウマが生まれなければ良いが。
「あっ、羽島さんの方が全然先輩なんで敬語じゃなくて大丈夫ですよ。そうですね……。毎日失敗続きです……」
と、彼女は消え入りそうな声で漏らす。
自業自得な部分もあるかもしれないが、やはり不憫に感じてしまう。
それにしても、拍子抜けだ。
普通に喋れるのか……。
これまでの彼女の一連の辿々しさは、やはり人を騙しているという後ろめたさに起因しているだけなのかもしれない。
「そうか。豊橋さんは何でこの仕事を選んだんだ?」
「えぇ、実は……」
それから俺と彼女の歪な時間が始まった。
「なるほど。そりゃ大変だったな」
「はい……。ですから、今の会社を辞めたとしても、上手くいくか不安で不安で」
豊橋さんはその不器用な性格が祟り、学生時代の就職活動も上手くいっていなかった。
そんな中、今の会社から声が掛かった、というのが大筋の経緯らしい。
まぁ、何というか。
新卒でブラック企業に行き着くロールモデルそのものだ。
だが、このIT社会。
自分が志望している会社の情報くらい、事前に調べれば得られるはずだ。
彼女に全く非がないかと言えば、素直に頷きにくい。
とは言え、本人も切羽詰まっており、選り好みしている余裕はなかったのだろう。
やはり俺の懸念は当たっていた。
豊橋さんは、社会に対してトラウマが生まれつつある。
これ以上、精神的に傷を広げる様であれば長居は無用だ。
「とは言ってもな……。正直もう辞めた方がいいと思うぞ。世間体とか倫理観とかは別にして、な」
「……でも、簡単に辞められない事情があるんです」
「は?」
どうやら、豊橋さんは学生時代に所謂〝就活塾〟のような場所に勧誘されていたらしい。
入学金や授業料などかなり値が張るものの、エントリーシートの添削や面接のノウハウを記した教材の提供などのプログラムで構成されており、まさに当時の彼女のニーズにぴったりと合致したものだった。
切羽詰まっていた彼女は、文字通り藁にも縋る想いで入会を決意する。
だが入金後、待てど暮らせど続報が来ることはなかった。
まぁ要するに、彼女のように就活に苦戦している学生をターゲットにした一種の詐欺だったようだ。
彼女も後々気づいたようだが、その時には既に手遅れだった。
業者とは連絡が取れず、彼女は泣き寝入りせざるを得なくなる。
その後、彼女に残ったのは入学金や授業料と称して組まされた多額のローンだけだった。
豊橋さんは現在もその支払いに追われているため、軽はずみに仕事を辞められないと言う。
まさに泣きっ面に蜂だ。
いつの世も付け込まれるのは、弱者だ。
しかし、ここまで踏んだり蹴ったりの彼女には、同情を禁じ得ない。
「いや、何つぅか。そりゃ大変だったな」
思わず数刻前と同じセリフを吐いてしまうが、ニュアンスとしては強めである。
「はい。もう人生、八方塞がりですよ……」
ややオーバーな物言いだが、豊橋さんは社会人1年目だ。
今年まで学生だった彼女に対して、これだけの面倒ごとを消化しろという方が酷である。
しかし、だからと言って赤の他人の俺に何が出来るのか。
ましてや今回の一件は金が絡んでいる。
外野にいる身としては、彼女の負担が少しでも減るよう導いてやることしかできない。
「とは言えな。繰り返すようだが、俺は転職を勧めるぞ。もっと、何つぅか、こう……、そこよりまともな会社なんて腐るほどある」
オブラートに包み切れず、結局ストレートな表現になってしまった。
「ですよね……。でも、せっかくこんな私を拾ってくれたのに、自分から辞めるなんて言えるかどうか……」
「まぁ、多少嫌味の一つも言われるかもしれないけどな。でもな。ぶっちゃけ逃げたもん勝ちだと思うぞ。最低でも3年続けろって時代でもねぇしな。まぁアンタの会社はそれ以前の問題だとは思うが」
「うーん……」
恐らく豊橋さんは、学生時代の挫折が尾を引き、現在もその負のスパイラルから抜け出せていない。
だからこそ、次の一歩を踏み出すことを躊躇しているのだろう。
どうすれば、彼女の自信を取り戻せるのだろうか。
「まぁまた何かあったら、電話してこいよ。相談、乗るからさ」
「……本当にお優しいですね。私、羽島さんと話しているとホッとします。今度、私の会社のショールームでゆっくりお話ししましょう」
おい。
えっ。まさか看破されるまでが向こうのシナリオなの?
だとしたら、どこぞの王妃様もドン引きするレベルの悪女なんですけど。
「ご、ご、ごごめんなさい。相手が気を許したと感じたら、こう言えっていうマニュアルを思い出してしまいまして。つ、ついうっかり……」
彼女は再びぎこちない雰囲気に戻り、必死に弁明した。
どうやら悪女でも、質の悪いギャグでもなかったらしい。
心底、安心した。
まぁ悪気がないことくらいは分かる。
彼女がマニュアルだと白状したことが何よりの証拠だ。
だから、この彼女の言動についてはどうこう言うつもりはない。
ただ、一つ。
俺はどうしても解せないことがある。
「……何だよ、それ。馬鹿にしてんのか」
「す、す、す、すみませんっ!!! もう二度と羽島さんには近づきませんので、どうかお許し」
「そうじゃなくてだな! 何だよ、そのクソみたいなマニュアル! ホントに人を騙す気あるのかっ!? 色々と雑過ぎんだよ!」
「ひゃいいいっ! ぎょ、ぎょめんなさいっ!!」
俺の理不尽とも言える怒りの声に、彼女は今日一番に竦む。
「大体な! コッチは友達も彼女もいねぇから、休日は引きこもって配信動画ばっか見てんだ。だから、何つぅか……、舌が肥えちまってんだよ!」
俺は4つも下の新社会人に対して、何を言っているのだろうか。
しかし、女性にモテないことが事実とは言え、こうも稚拙なシナリオで侮ってこられては言いたいこともある。
「確かに今はネットがあるから、そちらさんの手口なんて筒抜けかもしれねぇ。だからってな。開き直ってんじゃねぇよ! 本気で人を騙したいなら、もっとこう、なんだ? 一つ一つのプロセスを大切にしろよ! 俺たちにもっと夢を見させてくれよ!」
「は、はぁ……」
俺が捲し立てると、彼女は唖然とし押し黙ってしまった。
そこで頭が冷静になり、顔が熱くなる。
コホンと取り繕うように咳払いを交えつつ、俺は続ける。
「……まぁ、とにかくだな。コッチが恋愛経験乏しそうだからって、雑なシナリオでハメようとしてくんなってことだ。何か見ず知らずの人間にまで舐められてるって思うと、スゲェ惨めな気分になるんだよ」
「はぁ……。申し訳ありません。私には羽島さんの気持ちが分かりません」
そうだろう。
むしろそう簡単に分かってたまるか、という感じだ。
「なぁ豊橋さん。さっき、こんな仕事辞めちまえって言ったけど前言撤回だ。アンタはもう少しこの仕事を続けて、人間の裏とか悪意とかを学んだ方がいい」
「で、でも、私なんかじゃとても」
「……俺が考えてやる」
「え?」
「どうすれば男を騙せるか俺が考えてやる。もちろん、アンタも考えろ。俺と一緒にモテない男どもがついつい引っ掛かっちまうような甘~いシナリオを作るんだ!」
「で、でもそれだと羽島さんまで、詐欺師になってしまいませんか?」
豊橋さんは至極当然の疑問を投げかけてくる。
だが俺はこの時、どうかしていたのだろう。
「そんな細かいこと気にすんなっ!!」
「えぇ……」
「とにかくな。これ以上騙されたくなかったら、まずは騙す側の立場になって物事を見れるようにしろ! 何でもかんでも人を信用して馬鹿を見るの、もう沢山だろ?」
俺がそう言うと、彼女は沈黙する。
そして、腹を括るようにゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「私……、変わりたいです!」
「分かった。全力でサポートする」
そこから、俺と彼女の最高のデート商法マニュアル作りが始まった。
俺も詐欺の片棒を担ぐと豪語したものの、無論その辺の人間を手当たり次第ターゲットにする訳にはいかない。
いくら彼女を放っておけないとは言え、流石にムショ入りは御免蒙る。
だから俺たちが狙うのは、お互いの知り合いに限られる。
人となりを知っているからこそ、個々の性格に合わせた対策が出来るというものだ。
そして、順当に相手がこちらの手口に嵌ってきたところでネタ晴らし。
事情を話した上で全力で土下座する、というのが俺たちが決めた基本の流れだ。
会社的には契約できなければ意味はないが、まぁ目的は飽くまで彼女の成長だ。
幸い基本給はきちんと出るようだし、体裁的にもやってる感さえ演出できれば問題ないだろう。
そこから先は、彼女次第だ。
はっきり言って、友達を失う危険性は大いにある。
だからこそ、その人選は重要だ。
それなりに信頼関係が構築してあり、単じゅ……、もとい懐が深い人間を選ぶ必要がある。
リスクもそれなりにあるが、彼女にとって得るものもあるだろう。
そして、俺たちの記念すべき一人目のターゲットは……。
「よぉ。その後どうなんだ? デート商法のネェチャンとは?」
彼女からの電話があった翌日。
昼下がりのオフィスで、いつものように腹立たしい笑顔を浮かべながら米原が聞いてくる。
すまん、米原。
彼女の今後の人生のため、犠牲になってくれ。
「で、どうなんよ?」
興味本位にしては、少ししつこい。
だが、コイツのこれは紛れもなく天然モノである。
腐っても、入社1年目の時代から互いにしのぎを削ってきた、同僚の一人だ。
伊達に付き合いが長いわけではないから、コイツの性格を良く理解している。
米原は、このように一見軽薄な人間のようだが……、いや事実軽薄だ。
しかし、根は悪い人間ではない。
実際、米原にはこれまで何度も助けられてきた。
相性云々はともかく、人としてはそれなりに信用している。
それに……、こう言っちゃなんだがあまり物事を深く考えておらず、遊び心もあるので多少のオイタは許してくれそうである。
だからこそ、真っ先にターゲットの候補に挙がってしまったのだが。
「何もねぇよ。もう一週間も前の話だぞ? 普通に考えりゃ、自然消滅だろ」
計画のためとは言え、貴重な友人の一人に嘘をつくのはやはり心が痛む。
「そっか。そりゃ残念! せっかくの貴重なチャンスだったのにな。まぁ近々合コンでも開いてやっから、そう落ち込むなって!」
そう言って俺の肩を叩きながら屈託なく笑う米原の姿を見ると、改めて罪悪感に苛まれる。
「別に端から期待してねぇよ。変な気ィ回さなくていいから、急げよ。お前、午後から出張だろ?」
「おっと、イケね。俺、今日直帰だからまた明日な!」
「おう。お疲れ」
ヒラヒラと手を振りながら、オフィスを去る米原のうしろ姿を見つめる。
全てが終わった暁には、お詫びとして本物のキャバクラにご招待することにしよう。
米原の背中を見届けると、俺はスマホを取り出し、電話を掛ける。
無論、相手は一人しかいない。
「豊橋さん、か。今、ヤツが会社を出たぞ」
「は、はいっ! 駅前、でいいんですよね!?」
電話越しでも伝わる緊張感を発しながら、彼女は応える。
「あぁ。昨日言った通りだ。イケるな?」
「はい……。自信はありませんが、やってみます!」
と、俺の問いかけに対して、彼女なりの決意を伝えてきた。
昨日の夜、俺は豊橋さんに男を騙すためのレクチャーを行った。
とは言っても、大したことは言っていない。
当然だ。
当方、恋愛経験値などというステータスは、数年ほど前から全くと言っていいほど伸びていない。
そんな男が提示するアドバイスなど、映画の一節等から引っ張ってくる個人的な願望に過ぎない。
レクチャーなどと偉そうなことを抜かしたが、所詮は冴えない独身リーマンの儚い妄想でしかないのだ。
だから、彼女にはシンプルかつ核心的なことを一つ伝えた。
それは、とにかく特別感を演出することである。
特別感とは、要するに豊橋さんにとっての〝初めて〟だ。
無論、性的な意味ではない。
いや、場合によってはそれも含まれるの、か?
……まぁ、それはどうでもいい。
詰まる所、米原を彼女の最初の客にしてしまう、ということだ。
男は本能的に自分が助けた女を好きになってしまう生き物である。
米原とて、それは例外ではないはずだ。
『今まで誰にも相手にされなかったんですよぉ~』などと彼女が涙交じりで訴えれば、米原も手を差し伸べるだろう。
そう。俺と同じように。
あれ? 俺と同じ?
俺、やっぱり騙されてる?
いや、さすがにそれはない、か。
豊橋さんの実直さ・不器用さは、間違いなく彼女自身のアイデンティティだろう。
何ら生産性のない俺の提案に乗ってきたことが、何よりの証拠だ。
そう言う意味で、豊橋さんは特別感を演出しやすい。
加えて、米原はああ見えて何かと世話焼きな部分がある。
動機はともかく、女っ気のない俺を合コンに誘ってくれたこともそれをよく表している。
余計なお世話と言えば、それまでだが。
以上のことから、米原は比較的難易度が低く、入門編としてはうってつけの相手と言える。
「まぁ普通にいつも通りの感じでやってくれ。後は昨日言った手順でやれば恐らくイケる」
「はい。でも、ホントにいいんでしょうか? 羽島さんの大切なお友達ですよね?」
「……大丈夫だろ」
「今、間がありましたけど……」
「細かいことは気にすんなって! じゃあ、頑張れよ」
「は、はいっ! では!」
作戦と言えるほどのものではないが、飽くまでこれは入り口だ。
その後、じっくり甘い罠でいたぶってやるとしよう。
「あ、ああの、ア、ア、ア、アンケートお、お、お願いしますっ!」
よしよし。いい調子だ。
俺の時と一言一句違わぬフレーズで、いい感じに挙動不審さを演出している。
並みの男であれば、彼女を放置しておくことなど出来まい。
そんなことを思いながら、駅前のロータリーに設置してある郵便ポストの裏に隠れ、彼女を見守る俺の姿はまさしく挙動不審そのものだろう。
仕事?
ひ、昼休みに決まってんだろ!
「ちょっ! 落ち着いて! アンケート? いいよ、協力するから!」
さすがだ、米原。
俺が見込んだだけある。
このまま順調に彼女の罠に嵌っていってくれ。
米原はアンケートに目を落とし、回答を始めた。
順当に回答用紙に記入をしていくが、ある時点を境に米原の様子は変わる。
「ん? ちょっ! これ、デート商法っしょ!?」
米原は、回答用紙とともにバインダーに挟まれていた会社パンフレットをブラブラと見せつけながら、してやったりといった表情で豊橋さんに問いかける。
無理もない。
昨日の今日で、タイムリーにもほどがある。
さすがの米原でも、それくらいは看破できるだろう。
だが、甘い。
甘いぞ、米原。
俺と豊橋さんが、お前のために用意してやったラブストーリー(笑)はここからが本番だ。
「……は、はい。申し訳ありませんでした」
「えっ! 随分あっさり認めちゃうんだね……」
ペコリと深々と頭を下げた豊橋さんに対して、米原は困惑した様子だ。
これでいい。
俺と彼女が電話でしたやりとりを、今この場で済ませてしまうことで米原の警戒心を一気に解く。
これこそが俺たちの狙いだ。
「わ、私ホントに昔からこういうことニガテで……。今まで誰にも相手にされなかったんです」
「そ、そうか。そりゃ大変だったね」
「はい。あなたが優しそうな人なので、つい白状してしまいました……」
「え!? それって……」
さぁどうだ、米原。
分からねぇだろ?
ぶっちゃけ、今の豊橋さんの発言は傍から聞いていても相当ワザとらしい。
だが、なまじ彼女の正体を見抜いてしまったばかりに、米原は却って疑心暗鬼になっているはずだ。
これは彼女の本音なのか。
はたまた、ヘタクソ風のリップサービスなのか。
初対面の相手を騙す時は、二段構えで臨むべし。
まずは相手に〝看破した〟という実績を与え、自分は嘘を吐けない人間だという印象を植え付ける必要がある。
……あれ?
俺、やっぱり騙されてる?
「い、いえっ! ごめんなさい。急に変なこと言っちゃって……」
「いいよいいよ! 気にしてない。今はネットで色々情報分かっちゃうから警戒されるよね」
その通りだ、米原。
だがな。情報は常にアップデートされていくものだ。
デート商法とて例外ではない。
「そうなんですよ……。やっぱり悪いことしてるなって自覚もあるんです。でもでも! その一方でこんな自分が他の仕事をしたところで上手くいくはずがないとも思ったりで……。出会ったばかりのあなたにこんなことを聞くのは大変恐縮ですが。私、どうしたら良いでしょう?」
「えっ!? どうしたらって言われても……」
これは紛れもなく彼女自身の本音だ。
言葉の一つ一つに魂がこもっており、米原としても疑う余地はないだろう。
兎にも角にも、ここまでは彼女のペースだ。
考える暇を与えず相談を持ち掛けることで、さりげなく相手を嵌めようとした事実を煙に巻くことがポイントである。
案の定、米原は応えに窮している。
米原であれば、十分に通用する作戦だと信じていた。
「うーん……。でも、あんまり勝手なことは言えないしなぁ」
「か、構いませんっ! 率直な意見を伺いたいです!」
「そうだなあ……」
米原は少し考えた後、ゆっくり口を開く。
「うん! 辞めちまえ!」
「へっ」
米原のあまりにもあっけらかんとした物言いに、豊橋さんは今日一番の間の抜けた声を出す。
「だってさ、ぶっちゃけスゲェ辛くね? ノルマだってあるんしょ?」
「は、はい。一応……」
「でしょ! それにさ……、仕事に罪悪感を感じちゃうの、結構キツくね?」
なるほど。
そういう観点から攻めてくるか。
「えっ? それはどういう……」
「俺さ。初めて先輩から営業先引き継いだ時、お客さんに言われたんよ。『先輩を超えられるように頑張ってね。ウチはあの人が居なかったら、結構マズイことになってたから』って」
「そ、そうですか……」
「ぶっちゃけ入社した時は、求人広告のルート営業なんてどんだけ社会的に意味があるんだろ、なんて馬鹿にしてたんだよ。でも、そん時思ったんだ。世の中っていろんなものが複雑にリンクしてて、知らない内に誰かを救ってたり、逆に救われてたりするんだなって」
「は、はぁ」
「だからさ。なんて言うんだろ? そういうのがなくて、ただただ誰かを傷つけているだけだって思うの、しんどくない? 何か、こう……、孤立してるっていうか、社会から切り離されてる気分っていうかさ」
米原。お前って奴は……。
俺は少しショックを受けてしまった。
この男がこれほどまでに崇高な仕事観を持っていたとは。
だが、すまん。
誠に残念で心苦しいのだがその話、この作戦においてあまり重要ではない。
米原の話に呆気にとられた豊橋さんは、言葉に詰まってしまう。
「あれ? 俺なんかヘンなこと言っちゃった?」
米原は豊橋さんの顔を覗き込み、心配そうに問いかける。
「い、いえっ! も、申し訳ありません。単純に社会人として勉強になるなーって思いまして!」
我に返った豊橋さんは、慌てて弁明する。
「す、すみません。緊張して喉がカラカラで……。水、飲んでもいいですか?」
「あぁ、うん。どうぞ」
よしよし。
本来、計画していた軌道に力技で戻したぞ。
ここからダメ押しの一手だ。
豊橋さんは鞄からペットボトルを取り出し、そのフタを緩める。
「ひゃっっっ!!!」
すると、突如豊橋さんの手元が狂い、ペットボトルが宙に放り出される。
「あっ!」
パシャンと軽快な音を奏でつつ、ペットボトルは地に落ちる。
中の水は当たりに飛び散り、初夏の程よく熱せられたコンクリートに紋様を描く。
その飛沫は、これから客先へ向かう米原にも容赦なく浴びせられた。
水浸しとなった米原の足元に気付くと、豊橋さんは勢いよく謝罪する。
「す、す、す、す、すすすすみませんっっっ!!!!」
計画通りだ。
彼女は絵に描いたようなドジっ娘を演じてくれた。
いや、あまりにナチュラルで普通にミスったのかと思うほどだぜ。
「えっ。あぁ……。大丈夫大丈夫、このくらい。キミの方は平気なん?」
「いやいやいやいやっ!!! 私のことなんて本っっっ当にどうっでもいいですから!!! 靴、お拭きします!!!」
彼女は鞄から真っ白いポケットタオルを取り出し、米原の足元に手を向ける。
「いや、良いって! 汚れちゃうよ」
「いえっ! 拭かせて下さい!」
豊橋さんがそう言いながら深々と頭を下げると、米原は一層困惑した様子を見せる。
すると、米原は何か閃いたとばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあさ。こうしない? キミは罰として、俺に電話番号を教える。もちろん会社のじゃないぞ。キミのプライベートの番号、ね」
「は、はぁ……。そ、それでしたら私も教えて下さい! 後日、私から改めてお詫びのお電話をさせていただきます!」
「おけっ! じゃあ、これ。俺の番号ね。米原っていうから。またね!」
米原は彼女のスマートフォンに早々と自分の番号を入力すると、急ぎ足で改札へ向かっていった。
俺は笑いを堪えるのに必死だった。
米原よ。
まんまと俺の術中に嵌っちまったみたいだな!
お前は良くも悪くも、分かりやすいヤツだ。
電話番号を要求したのも、彼女が負い目を感じないよう米原なりに気を回したからに違いない。
もちろん、多少は私欲も含まれているのだろうが。
俺はお前のその行動を読み、自然に彼女に番号を教える流れを構築したのだ。
しかし、こうも台本通りに進んでくれると、自分に何か特別な才能があるのかと勘違いしてしまいそうになる。
「あのー。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
不意に誰かから声を掛けられ、興が醒める。
誰だ?
こんな良いところで邪魔をする無粋な奴は。
俺が隠れている郵便ポストの陰から、声のする方角へ顔を向けると、ガタイの良い警察官が俺を不審げな視線で見つめていた。
無論、この件については俺の計画に含まれていない。
「羽島パイセン。どうよ? 調子は?」
翌日の朝。
俺たちのターゲットは、白々しい敬称を付帯させつつ、いつもの調子で声を掛けてくる。
朝から不快な奴だ。
俺の心境を他所に、当の本人はホクホク顔でこれでもかと言うほど幸せオーラを撒き散らしている。
その鬱陶しさと言えば、前日比10割増しだ。
思えば、昨日はコイツのせいで偉い目にあった。
とは言え、別段後悔はしているわけではない。
むしろ、ある種の達成感のようなものすらある。
これも俺なりに本気で考え、取り組んだからに違いない。
そうした中で得た経験であれば、例え世間的に見て後ろめたいものであっても、一つ一つが勲章と言っていいだろう。
つまり逆説的に言えば、職務質問の一つや二つされてこそ、一人前の大人ということである。
「おう……。ぼちぼち、だな」
「そうか! そりゃ良かった!」
米原は、いつも通り何の実りのない冒頭挨拶に満足すると、俺の耳元で静かに言葉を漏らしてくる。
「なぁ、羽島。お前が言ってたデート商法のネェチャンさ。俺、狙っちゃっていい?」
おいおい。
随分と展開が早いじゃねぇか。
ということは、昨夜はお楽しみだったようで。
まぁ、全ては俺が仕組んだことなのだが。
俺は油断していると漏れそうになる笑いを抑えながら、精一杯惚けて応える。
「はぁ? 開幕早々、何の話だよ?」
我ながら白々しいとは思うが、米原は気に留める様子はなく続ける。
「実はさ。昨日駅前で会ったんよ。この前、お前が言ってた女の子に。掛川さんだろ?」
もちろん、仮名だ。
そこら辺も抜かりはない。
豊橋さんも今のところノーミスなので、計画は順調に進んでいると言えるだろう。
「いや。俺が会ったのは豊橋さん、だぞ」
「マジ!? なんかお前が言ってた話とスゲェ被ってたから、絶対そうだと思ってた!」
「そうか。まぁ似たような奴なんて、腐るほどいるだろ」
「ふーん、そっか。じゃあ、俺フツーに狙っちゃっていいんだよな?」
「いや、そもそも俺は狙ってるなんて言ってねぇし……。好きにしろよ」
「よっしゃーっ! いやさ。ぶっちゃけ、結構タイプだったんだよね~」
マジか……。
米原は豊橋さんのような人が好みだったのか。
コイツはいつも一方的に色々と踏み込んではくるが、こうして自分の話をしてくることは意外に少ない。
だから、率直に驚いてしまった。
「そっか。そりゃ、おめでとさん。お前にも遅めの春が来たってことか。まぁ、精々頑張れよ」
俺はいつぞや言われたセリフをそのまま引用し、適当に流す。
「おぉ、応援してくれるのか! 心の友よ!」
俺の言葉に米原は大袈裟に喜び、抱き着いてくる。
あぁ! イタイ!
何がって、それは主に僅かばかり残った俺の良心が、だ。
要らぬ迷いが生まれそうになり、慌てて米原を引き剝がす。
「どこのガキ大将だよっ! 暑苦しいっ!」
「おっと、悪い! いや、お前から思ったより前向きな言葉が返ってきたから嬉しくてな」
「いや、100歩譲って俺がソイツを狙ってたとしても、お前はお前でアプローチすりゃいいだろ」
「まぁ、そりゃそうなんだけどよ。たださ……」
米原はそう呟くと、突如神妙な面持ちになる。
「それでも、やっぱりお前に悪いなって思っちゃうんだよな。ホラ、なんていうかさ……。昨日会った娘、アノ娘に少し雰囲気似てるんだよね」
米原らしからぬ、どこかバツが悪そうな声で話す。
何を言うかと思えば、そんなことか。
相も変わらず、つまんねえ気ィ遣いやがって。
断じて、似ていない。断じて……。
「心底、どうでもいい情報だわ。それよりいいのか? デート商法だろ? あんまり深入りすると火傷するかもしれねぇぞ」
「ご忠告ありがとよ。まぁ向こうのペースにハマんなきゃイケるっしょ!」
「何の根拠があんだよ。まぁとにかく気をつけろよ」
「おぉ。さんきゅ!」
そう言うと、米原は意気揚々と喫煙ルームへ向かっていった。
すまんな、米原。
どの道、お前には深入りしてもらうし、火傷してもらうことになる。
ただまぁ……。いらん気を遣ってもらった恩もある。
地獄までは、出来る限りステキなルートでご案内するとしよう。
さぁ。第二フェーズ、スタートだ!
「えっ!? いきなりですか!?」
「そうだ。こういうのは勢いがある内にいった方がいい。鉄は熱いうちに打て、だ」
話は昨日に遡る。
米原と豊橋さんがひと悶着終えた直後だ。
俺と豊橋さんは、駅前のカフェで今後の方針について話し合った。
米原のあの様子を見る限り、豊橋さんに対しての警戒心はだいぶ緩和されたと言っていい。
というより、もはやゼロだろう。
何なら向こうから誘ってきた上で、そのまま賃料3万5000円の小汚い安アパートにテイクアウトされそうな勢いだ。
そうなってしまえば、俺の中に僅かながらに生まれてしまった豊橋さんへの親心のようなものが疼き、ヤツのヘラヘラとしたあの不快な顔面に一、二発お見舞いしかねない。
無益な刑事事件など、起こすべきではない。
だが、しかし。
だからこそ、今この時を逃す手はない。
豊橋さんが米原に向けて放った特別感が冷めやらぬ内に、今夜の電話で文字通りデートの約束を取り付けるべきである。
場所は……、無論ショールームではない。
「でも、緊張します。男の人と二人きりなんて」
確かに自他ともに認める超人見知りの彼女が、出会って間もない男性と二人きりで出掛けるなど酷な話かもしれない。
つーか、俺は男にカウントされてないんですかねぇ。
「まぁ、良くも悪くも女慣れはしてる奴だから、そこら辺は向こうに任せて平気だと思うぞ」
俺はそうフォローするが、彼女の表情はなおも不安の色に覆われている。
……それはそれとして、一つ根本的に気になる問題がある。
「……なぁ。こんなこと聞いていいのか分からんけど、話の流れだからな。豊橋さん、あんた恋愛経験ってあんのか?」
「っ!?」
はい。大方予想通りです。
しかし、こちらも決して他人のことを言えた立場ではない。
「すまん……。余計なこと聞いちまって」
「いえ……。お気になさらず」
「……まぁ、兎に角だ。そんな過剰に心配しなくていい。俺の好きな映画にこんな作品がある。アクション映画なんだが、主人公がゲーセンで働いてるフリーターで、でも実は元凄腕のエージェントで、って話なんだが……」
「は、はい」
俺の与太話が始まると、彼女は姿勢を整え、真っ直ぐな視線で見つめて来る。
こういった反応は年配者として嬉しいと思う反面、不要不急の先輩風を吹かせてしまったことに対して、一抹の罪悪感が生まれてしまう。
「……まぁ詳しい内容は興味があったら観てくれ。で、その中でこんな一幕がある。主人公とその元部下が敵の組織に乗り込むシーンなんだが、途中でその元部下が恐怖で尻込みするんだよ。その時、主人公がそいつを奮い立たせるために言うんだ」
「何と……、言ったのでしょう?」
「『人生は小さなバンジージャンプの積み重ねだ。地上1mからスタートして、2m、3mと続けていけば、いつの間にかクリアした高さの恐怖心の記憶なんて失くしちまっている。人生なんてそんなモンだ』ってな」
初めてこのセリフを聞いた時は、B級映画の決め文句もここまでチープだと逆に見事だとしか思えなかった。
だが、まさかこうして自分自身が誰かに向けて送り付けるとは、人生は分からないものだ。
改めて自分自身の引き出しの少なさ、浅はかさに幻滅し、自然と顔が熱くなる。
俺はそんな形容し難い居心地の悪さを誤魔化すため、咳払いを交えながら彼女に向けて言葉を放つ。
「高そうに見える壁でも越えて見りゃ大したことねぇってことなんだろうよ。俺自身はあんま好きな言葉じゃねぇが、一般論として送っておくよ」
「は、はいっ! あの……、勇気付けてくれてありがとうございます!」
「…………」
我ながら勝手な男だ。
自分自身では一切しっくりと来ていない言葉を、一般論などとして相手に押し付けるなど無責任極まりない。
今更ながらこんな身勝手な男のエゴに、これ以上彼女を付き合わせていいものだろうか。
「でも……、具体的にどうやって誘い出せば良いんでしょうか?」
「文脈は何でもいい。アイツの趣味とか適当に聞いて、その流れで『あなたのことをもっと知りたい』だとか言っときゃ、向こうはホイホイ乗って来るはずだ。……まぁ要するに、俺を嵌めようとしたあのレベルのやりとりで十分だ。断言してもいい。アイツは、チョロい!」
「は、はいっ! 不安ですけど、何とか頑張ります!」
「あぁ。間違っても、会社のショールームに来いだとか口走るなよ」
初回に米原を選んだのは、やはり正解かもしれない。
人の悪意を知るというのはもちろんだが、そもそも彼女はこういった人間の奥底にある邪な部分に嫌と言うほど触れてしまったせいで、人付き合いそのものに疲れ切ってしまっているフシがある。
人間関係のリハビリも兼ねてと思えば、米原はうってつけの相手と言えるだろう。
「あぁ、それで構わない。俺か? 大丈夫だ。ちゃんと店内見渡せる位置にいるから。何かあったら隙を見て連絡くれ。じゃあな」
5月も終わりに差し掛かり、初夏の爽やかな陽気は影を潜めつつある。
直近では、雨こそ降ってはいないものの、日に日に湿度は高まり、梅雨の足音がぽつりぽつりと聞こえてきた。
そんな中、俺は豊橋さんと米原の初デート(笑)の主戦場である洒落臭いカフェに来ており、彼女たちの来店を待ち伏せている。
彼女の成長をこの目で見届けたいという野次馬根じょ……、もとい責任感からか、本来の予定よりも早く現場についてしまい、コーヒー一杯でかれこれ1時間近くも粘っている。
改めて、店への罪悪感を禁じ得ない。
ふと真横のウィンドウに目をやると、季節外れのニット帽を目元まで被り、腕組をした痩せ型の男が薄っすらと映っていることに気づく。
一端の不審者として板についてきたものだと実感し、何とも言えない物悲しさに襲われる。
密会が盛り上がるのは大いに結構だが、今日に関して言えば極力短期決戦でお願いしたいものだ。
あまり長期戦にもつれ込むと、時季が時季なだけに頭皮にも優しくない。
取り留めのない物思いに耽っていると、カランコロンと、来客を知らせる鐘の音が店内に鳴り響く。
入り口の方へ視線を向けると、まるでこの世の春を謳歌するかの如く幸せそうな表情で一方的にまくし立てる男と、引きつった笑みを浮かべながら相槌に終始する女が入ってきた。
傍から見ていても、非常にバランス感覚の乏しいカップルであることは明々白々だ。
スタッフに誘導され、二人は俺が陣取る席の通路を隔てて、向かいの席に辿り着く。
すると、米原は着席するかと思いきや、ある提案を持ちかける。
「あー、俺トイレ近いからコッチ座っていい?」
そう言いながら、米原は自然と豊橋さんにソファー席を譲った。
なんと言うか。
基本に忠実というか、本当に小癪な奴だ。
普段はガサツでデリカシーの欠片もない輩だが、こういった面ではやたらと気が回るところは実に憎たらしい。
だが、多少のあざとさがあるとは言え、こうしてナチュラルな気配りが出来る点は、一人の男としての甲斐性なのかもしれない。
まぁ要するに、大変参考になります米原パイセン!
「は、はい。ありがとうございます!」
うーん、豊橋さん。
米原の意図に気付いたのは立派だが、礼を言ったらせっかくの計らいが無駄になるぞ。
ただまぁ……。
こう言っちゃなんだが、米原が勝手に気を遣っただけだ。
何故、相手方のエゴで、こちらの行動が制約されなければならないのだろうか。
そう思えば、社交とは斯くも面倒なものである。
一体、何重に尊重し合えば良いのか。
まさに忖度の無限地獄だ。
「よし! じゃあ何か頼もうか!」
米原は豊橋さんの反応を気に留める様子もなく、彼女にメニューを差し出す。
すると、間髪を入れずに畳み掛ける。
「ゆずティーが美味しいらしいよ! あ。あとはキャラメルマキアートも看板メニューなんだって! どうしよっか?」
なるほど……。
事前にリサーチした上で具体的な選択肢を絞ることで、相手の心理的な負担を軽減する狙い、か。
決断を下す、という行為はどうにも消費カロリーが高いらしいからな。
普通に勉強になるから、本来の目的を見失いそうになる。
「そ、そうですね……。私、ゆずティーがいいです!」
「そう? じゃあ俺も同じヤツにしようかな。アイスでいいかな?」
「は、はいっ! お願いします!」
すると米原はスタッフを呼び、注文に移る。
注文を終えると、場は再び米原の独壇場へと化した。
さて。
ここまでは米原のリードもあり、順調そのものと言っていい。
だが、いつまでも主導権を握っていられると思うなよ。
そろそろ、こちらからも仕掛けさせてもらおう。
「そう言えばさ……。掛川さんって、何でこの仕事選んだの?」
やはりな。
俺の時とは状況が大きく異なるが、彼女のバックグラウンドを知る上で避けては通れない話題だ。
このタイミングで切り出したのも、ある程度信頼関係が構築されたと判断したからか。
最もソレを言うなら、豊橋さんの方がイニシアチブを取り、この足で会社のショールームなりに連行する立場なのだが。本来であれば。
返す返すも、歪な時間だ。
「は、はい。えっと、そうですね……。ちょっとヘビーというか、こんなこと出会ったばかりの方にお話しするコトでもない気が……」
米原の問いかけに対して、豊橋さんは困惑したような表情を浮かべ、俯きながら応える。
「そ、そうなんだ……。ご、ごめんねっ! ヘンなこと聞いちゃって!」
「い、いえっ! で、でも、何だか米原さんにはチョット話してみたいかも……、ですっ!」
「掛川さん……」
ん?
アレ?
安っぽくない!? この展開。
いや、待て。
彼女の会社のマニュアルよりはだいぶマシなはず……、だよな?
ここまで思い描いていた展開ではあるが、こうして改めて目の前で繰り広げられると、恥ずかしさでコッチが顔を覆いたくなる。
ベタではあるが、雑ではないと信じたい……。
俺の憂慮を他所に、豊橋さんは俺の指示通りに淡々と、米原の問いに応え始める。
「実は私、借金があるんです」
「えっ!? そ、そうなんだ。ち、ちなみにいくらくらい?」
「…………」
恐る恐ると言った様子で米原が問いかけると、豊橋さんは口を噤む。
世の中には、総量規制というものがある。
俺自身直接聞いたわけでもないが、学生の身分で組めるローンなどたかが知れてるはずだ。
だが具体的な額を聞かれ彼女が黙り込んだことで、米原はそんな常識も忘れ、勝手に膨大な額を妄想しているのだろう。
そして、借金があるという事実だけを伝えることが、今後の展開で非常に重要なファクターになってくる。
「いやっ。ごめん! 答えなくていいよっ! また余計なこと聞いちゃったね!」
「いえっ! 私の方こそごめんなさい! いきなりこんな話しちゃって。でも、それの返済で今とっても困っているんです。頑張れば稼げるって聞いたから始めたんですが……。だからイケないと分かってても、選り好みしてる場合じゃないって思ってて……。自分でもスゴく矛盾しているって思ってはいるんですが……」
ところどころ脚色は混じっているが、完全な嘘というわけでもない。
彼女の動機の部分を少しだけズラしただけに過ぎない。
話の核をデート商法云々ではなく、借金にフォーカスすることでよりスリリングな展開をお届けする狙いだ。
「そ、そうだったんだ……。何ていうか、大変だったね……」
どうやらこの話は、米原にとってそれなりに衝撃だったようだ。
だが、ここからがお前の腕の見せ所(?)だ!
米原よ。
お前の彼女に対する本気度を見せてもらおう。
「そ、それでですね……。実はあまり良くないところから、お金を借りていて……」
豊橋さんがそう言うと、米原は露骨に黙り込む。
当然フェイクだ。
まさに初級編に相応しい、非常にベタな筋書きだ。
ここまで香ばしい展開だと、怪しく思っても無理はない。
しかし、米原は既に豊橋さんの人間性に触れ、ある程度の人となりを理解してしまっている。
彼女は嘘がつけない人間だ、と。
実際に一度彼女を看破してしまった。
言ってしまえば、これは嘘のような本当のような嘘だ。
そして、米原ならきっと……。
「そ、そうなんだ」
どうした?
いつもの威勢の良さはどこへ行った?
反応に窮する米原を尻目に、豊橋さんは更に畳み掛ける。
「はい……。私ホントに世間知らずでそういう世界に詳しくなかったんですけど……。米原さん。関○連合って知ってます?」
彼女が問いかけると、またもや黙り込んでしまう。
ココからでは見えないが、米原は顔面蒼白となっていることだろう。
無理もない。
まさか彼女の口から、我が国最大手の半グレ集団の名が飛び出すとは思うまい。
「あの……、米原さん?」
彼女の生々しい話を聞き、言葉に詰まる米原の顔を覗き込むように、豊橋さんは呼びかける。
「あ、ごめん。ちょっと色々とビックリしてた」
「そ、そうでしたか! それで、ですね……、どうやらその関○連合さん?の系列の貸金業者さんから借りちゃってて……。取り立ての方も、チョット激しいんです」
情報を処理し切れないのか、激しいの中身を具体的に想像しているのか、米原は一層意気消沈する。
そんなターゲットの姿を見て、後悔している暇はない。
ここからが本当の意味で男の真価が試されるところだ。
「仕事の方もあんな感じだし、取り立ての方もキツイし、でも誰にも相談できないし……。私どうしたらいいか分からなくて」
これに関しては多少脚色されてはいるものの、彼女の本音だ。
こんなことをしていて何だが、米原には先輩として奇譚のない意見を彼女にぶつけて欲しいところだ。
しかし、米原はなおも口を噤む。
「ごめんなさい……。米原さんには関係のない話でした。やっぱりこれ以上、米原さんにご迷惑をおかけするわけにはいきません。今日はこれで」
そう言って彼女が席を立とうとすると、米原はフゥと深い息を吐き、意を決するように言葉を零す。
「あのさっ! キミがどれだけ借金を抱えているかは知らない。ぶっちゃけ貯金もあんまりないし、俺が建て替えてやるとかカッコいいことも言えない。でもこれだけは言わせて……」
そうまくし立てると、米原は息を整え、ゆっくりと続ける。
「この話をキミから聞いた以上、俺は関係者だ。俺、あんまり頭良くないし、どこまで役に立てるかは分からないけど、出来る範囲で協力する。だからさ……、『関係ない』なんて寂しいこと言うなよ」
「米原さん……」
さて、どうしたものか。
いや、路線としては俺の思い描いていた通りなのだが。
しかし、一つだけ計算外のことがある。
米原パイセン、格好良過ぎませんか?
普段のヤツの姿を知っているからこそ、一人の男としての真っ直ぐさに感心してしまう。
同時に、俺の心の中を疚しさ・後ろめたさが順調に侵食していく。
「あの……、なんて言っていいか分かりませんが……。兎に角ありがとうございますっ!」
普段の挙動不審さは影を潜め、真っ直ぐに米原を見据え、謝辞を述べる。
「うんっ! 一緒に頑張ろう! 俺の会社の同僚にさ。陰キャなんだけど、俺と違って頭が良い羽島ってヤツがいるんだけど、ソイツにも意見を聞いてみようぜ!」
「そ、そうなんですねっ! ははっ……。それはとても心強いです!」
そうだ。米原は昔からこういう奴だった。
この殺伐としたご時世、こういったピュアで損得勘定なしで付き合える同僚は貴重だろう。
そう考えれば、俺の社会人生活もそう捨てたものではないのかもしれないな。
だから、さり気なく俺に陰キャレッテルを貼り、面倒ゴトに巻き込もうとしたことについては、格別の慈悲をもって不問としよう。
米原の思いがけない急な提案に何とか顔色を変えずに踏ん張った豊橋さんを尻目に、スタッフが注文の品を運んで来る。
「おっ! キタね。うまそー」
「そ、そうですね! 近頃、暑いですから、シーズン的にはピッタリですね!」
特に決着がついたわけではない。
だが、それでも一定の方向性が決まったことは、二人の安心感に繋がったのだろう。
二人は喜々とした雰囲気でゆずティーを口に運ぶ。
そして、再び米原のペースで歓談が始まった。
「今日はありがとう。楽しかった! 家どこ? 送ってくよ」
その後、二人に特段変わったことはなかった。
取り留めのない談笑に終始し、今日についてはお開きを迎えることになる。
俺は米原がトイレへ向かった隙を見計らい、会計を済ませ一足先に店の外へ出たのは良いが、格好が格好なだけに道行く人々の面妖なものを見る視線がただひたすらに辛かった。
最高のマニュアルが完成するまで、俺はこういった視線へ対する耐性を身につける必要があるのかもしれない。
そんな下らない物思いに耽りつつも、俺は店の影から二人のやり取りを見守る。
米原の申し出に、豊橋さんは食い気味に応える。
「い、いえっ! 実はこの後予定がありまして……。今日はここで失礼します!」
「そ? 了解! じゃあ気をつけてね。また何かあったら連絡してよ! こっちはこっちでイロイロと調べとくからさ」
「は、はいっ! あの……、今日はホントにありがとうございます! 私もその……、楽しかったです!」
豊橋さんは深々と頭を下げると、米原は柔らかな笑みを浮かべ、そのまま最寄りの駅の方角へ消えていった。
「どうよ? ソコソコ良い男だろ?」
特に含みはない。
俺は等身大の意味を込めて、米原の後ろ姿を見つめる豊橋さんに問いかける。
「は、はい。そうですね……。でも、だから余計に悪いことしてるなって感じちゃいます……」
「だよな、俺も思った」
「ちょっ!? 羽島さんが最初に言い出したんですよね!?」
「あー、大丈夫大丈夫。心配すんなって! ちゃんと最後まで見届けるし、アンタにだけ責任押し付けたりもしねーよ」
「それなら良いんですが……」
良心の呵責に苛まれているのか、豊橋さんは力なく呟く。
彼女は心の芯から善人なのだろう。
そう思えば、やはり彼女はこの仕事に向いていない。
そんな仕事をある意味で強要している俺自身、改めて業の深さを実感するものである。
「んじゃ、俺も帰るわ。帰って今後の展開煮詰めにゃならんしな」
彼女らの一連のやり取りから生まれた後ろめたさを隠すため、俺は早々に別れを切り出す。
「は、はい。じ、じゃあ、お気をつけて!」
「おう」
俺は振り返ることもなく右手を挙げ応える。
そうして一歩、二歩と彼女との距離が遠ざかる。
「あ、あのっ!!」
大凡、今までの彼女のものとは思えない声のボリュームに一瞬たじろぐ。
だが、それほど気に留めていないといった様子を装い、ゆっくりと振り向く。
「ん? どした?」
「あの……、羽島さんは私の成長のため、とおっしゃいましたよね?」
「……まぁ、そんなところだな」
「そうですか……。あの! 率直に伺いますが、何で私なんかのためにそこまでしてくれるんですか? 正直、かなり危険な橋ですよね。これって……」
俺自身、その問いに対する答えを持っていない。
いや。きっと、持っていないわけではない。
稚拙なシナリオで嵌められそうになったから?
不器用な彼女に同情したから?
違うな。
本当は、最初から全て分かっている。
だが、もしそれに気付いてしまえば、俺が俺じゃなくなる気がした。
もっと厳密に言えば、それは彼女を裏切ることに繋がる。
そんな自意識が頭の中を巡り、豊橋さんの成長のため、などと取ってつけたような動機で自分自身を騙している。
それが今の俺なのかもしれない。
豊橋さんに心の内を見透かされたような気分になり、いたたまれなくなる。
だから俺は、極めて的外れな揚げ足取りで、本題から逃げざるを得なかった。
「なぁ、豊橋さん。その、なんかってのは止めた方が良い。別にキレイ事を言うつもりはねぇよ。ただな。テメェんとこの商品をテメェで貶すのは商売人として不味い。そういう商法もあるのかも知れねぇが、アンタには10年早い。先輩ビジネスマンとしての忠告だ」
「は、はい……。ごめんなさい」
俺の八つ当たりにも等しい小言を聞くと、豊橋さんはまた俯いてしまう。
そんな彼女を見て、後悔の念に駆られ、慌ててフォローに走る。
「ま、まぁ、そうだな。今日の米原の様子を見る限り、楽しそうにはしてたからな。そういう意味でデート商法プレイヤーとしては成長したんじゃねーの?」
「それ……、褒めてるんですか?」
「いや、分からん」
「何ですか、それ。目的とも違うし、メチャクチャじゃないですか」
そう言うと、クスリと彼女が笑みを浮かべる。
今まで見た中で、一番自然な笑顔のような気がした。
そんな彼女を見て、俺自身の表情も綻んでしまう。
「じゃあ、今度こそまたな。帰り気をつけろよ」
「はい! あのっ……、これからもよろしくお願いしますっ!」
「……あぁ、よろしくな」
余計なお世話の極み。
客観的に見て、そう言わざるを得ない俺の取り組みも、彼女にとって塵ほどくらいの意味はあるのかもしれない。
そう頭の中で自身を正当化しながら、俺は帰路についた。