船長ダブラの部屋の前に辿り着いた。

 そこに行き着くまでに何人かの船員とすれ違ったが、全員ヒマそうだった。袖の下は喜んで受け取って船長の状況を(うれ)しそうに話してくれた。船長は能力こそ信用されていても、人格は好かれていないらしく、悪口と共に彼の動向がどんどん耳に入ってきた。これはヤバい兆候だ。反乱を起こす側も好機と思ってるに違いない。

 扉に耳を当てて聞こえるのは、湿り気と温もりが混ざった(かす)れ気味のあえぎ声。

「【錬金術師:錬金】」

 懐に隠していたエーデルの毛を鋼線に変質させ、扉のロックを切断する。

 そして音を立てずに部屋に忍び込んだ瞬間、弾丸が飛んできた。

 眉間(みけん)に一発、心臓に一発。

 狙いがあまりにも正確すぎるゆえに、ネット上に展開した金の糸が弾を弾く。

 撃たれると思って事前に準備していたのが功を奏した。

「あっ……あぶな……危ないですよ……!」

「そちらこそ人の情事を(のぞ)いてはいけないと親に教わらなかったかしら……って、あら、王子様?」

「どうも、良い夜ですね」

 部屋を見渡す。

 そこにいたのはマントを翻して銃口の煙をふうと吹き消すミレットさん。

 そして、半裸のままロープで縛られた船長のダブラだ。

 さるぐつわも()まされており、むーむーと(うな)っている。

 脱がされたのか脱いだかは分からないが、彼の服はそのへんに散乱していた。

「こんな時でもご挨拶できる子、好きですわよ。育ちが良いのね」

 微笑を浮かべながら僕を褒め称える。

 だがその目はまさに肉食獣だ。

 一言発言を間違えたらこっちが蜂の巣にされるだろう。

「ああ、別に彼を助けに来たわけでもあなたを邪魔するつもりもありません。どうぞ、ご趣味に(ふけ)ってください」

 とはいえ、妙に卑屈になっても気分を害する。

 さっき銃弾を防いだことがほぼ偶然と悟られてもまずい。

 多少強気で行く。

「趣味って言い方よしてくださる?」

「ならば、理由をお尋ねしても?」

「話したら納得してくれる?」

「納得も何も、船長を押さえてる時点であなたの勝利でしょう。あ、邪魔が入ってもよくないのでドア閉めますね」

 糸を張り巡らせて扉を固定した。

 銃声に反応した船員が押しかけないようにキツく閉じる。

「あら、器用ね。錬金術かしら」

 おい、開けろ!という怒声と罵声が鳴り響いてくる。

 だがエーデルの毛糸はなまくらで切れるようなものではない。

「この奴隷船で運ばれる奴隷の中に、わたくしの仲間もいるのよ。それを助けたいだけ」

「奴隷……?」

「傭兵働きをしていれば、どうしても雇い主側が負けてしまうことだってありますから。その時に逃げ遅れて敵軍に捕まってしまう者もいますの」

 その言葉になるほどと思った。

 この船には三等奴隷も存在している。

 バルディエ銃士団は少数精鋭で名高い傭兵だ。奴隷船の護衛という華のない仕事を請け負う理由が疑問だったが、これが理由だったかと納得する。

「敵に捕まる間抜けとはいえ、味方を見捨てたら傭兵の名折れ。だから船長に交渉を持ちかけたのですわ」

 ミレットさんは、撃ったばかりで熱が冷めていない銃口を船長の額に押しつけた。

 船長はもごもごと悲鳴をあげようとして涙目になっている。

「船の護衛をすれば奴隷は半値で引き渡すとあなたは最初におっしゃいましたねぇ。けど途中からころころと話を変えて、『やっぱり割引はできない』、『貴重な奴隷だ、二割増しで譲る』、『俺と寝ろ、そしたら手を打ってやる』と」

 そしてミレットさんが船長ダブラの猿ぐつわを乱暴にほどいた。

「ぐあっ……! じょ、冗談だ! あれは冗談のつもりだった! 今離せば許してやる! そっちの条件は全部飲む!」

「うふふふふ……! あらそう! なら全部いただこうかしら!」

 嗜虐(しぎゃく)に染まった瞳が船長を見下ろしている。

「ぜ、全部……!?」

「奴隷。積み荷。それと船」

「ばっ、馬鹿野郎! そんなことできるか……ぐわっ!」

「ここはうなずくしかないんじゃないですかね」

 僕が呆れ気味に呟くと、船長がもの凄い目でこっちを見てきた。

「たっ、助けろ……! 助かったら報酬は言い値で出す! 頼む!」

「だ、そうだけど?」

 ミレットさんが面白がるように話しかけた。

「すみません、初回取引で信用払いはやってないんですよ」

 僕の言葉にミレットさんが爆笑した。お気に召したようだ。

「王子様、あなた本当に面白いわね! お付き合いがあったなら助けてあげたのかしら?」

「だとしても交渉の仲介とか助命の嘆願くらいしかできませんね。成功の芽もあまりないでしょうし……。それよりもミレットさん。急いだ方がいいと思います。味方の解放が目的なんでしょう?」

「大丈夫よ、船を掌握するのにあと十分とかからないわ。あなたには興味ないから適当なところで降ろしてあげる」

「いえ、そうではなく……レーア族のことは?」

 あ、心配が当たりそうだなと思いながらおずおずと尋ねた。

「大丈夫よ。連中の場所は船長室とは正反対。あいつらとはことが終わった後に交渉するから」

「では彼らも反乱しようとしていることには」

 まだきづいてませんね? といいかけたところだった。

「闇と獣を払う聖なる炎よ、我が愛槍(あいそう)に宿りたまえ! 【獣狩り:炎陣槍(えんじんそう)】!」

 その声は床を隔てた下から響きながらも、美しく、そしてはっきりと聞こえた。

 同時に、部屋の中央から轟音(ごうおん)と共に凄まじい火柱が現れ、上へと吹き上がっていく。

「うわっ、危なっ!」

 凄まじい勢いで床に穴が空き、天井に風穴が空いた。

 かろうじて僕、ミレットさん、そして船長は直撃を避けることができた。が、安堵(あんど)している暇はない。火が床の絨毯(じゅうたん)に燃え移った。

「船長! 我が仲間を返してもらおう!」

 そして穴の空いた床下から現れたのは褐色の少女、マリアロンドさんだった。

 甲板で見かけたときとは違い、勇壮な槍を持っている。

「【魔法使い:水流】!」

 だが彼女に驚くよりもやることがあった。バケツ二~三杯分の水を魔法で生み出し、引火した絨毯にぶっかけて急いで火を消す。

 今繰り出されたのは破壊力を重視した技のようで、火の勢いは破壊の勢いによってある程度吹き飛んでしまったようだ。直撃する瞬間に火力や威力が集中しているのだろう。

「この馬鹿! 邪魔よ……【(じゅう)鍛冶師(かじし):ガンボックス】!」

 ミレットさんが握った銃を捨てながらなにかのスキルを発動した。

 随分と珍しいクラスとスキルだが、その効果はすぐにわかった。

 新しい銃が突然ミレットさんの両手に現れたのだ。

「くっ、貴様! なんでここにいる……! 少年、お前もだ! 何をしに来た!」

 ミレットさんは言葉の代わりに弾丸で答えた。だがマリアロンドさんは槍を高速で振り回し弾丸を弾き飛ばした。嘘でしょ。

 これはマリアロンドさんの槍が勝つか……と思いきや、ミレットさんは第三、第四の銃を続けざまに出現させて撃ちまくる。火力と物量の前にマリアロンドさんが一歩も動けずにいた。

「小癪な! 貴様、この船長をどうあっても守るつもりだな!」

「ハァ!? なにをおっしゃってるのやら。この男はわたくしの獲物です! 横取りするつもりなら容赦しませんよ!」

 マリアロンドさんが破壊された床板の一部を蹴り上げる。

 散弾のごとき勢いで襲いかかる破片を、ミレットさんが横っ飛びに回避する。ミレットさんは銃弾の数だけに頼った雑な戦闘をしている訳ではない。敵の攻撃を防ぎ、避け、有利な立ち位置を狡猾(こうかつ)に確保し続けている。

 激しい戦闘が繰り広げられる中、僕は自分の身を守るのに精一杯であった。

「ちょっとちょっと! 落ち着いてくださいよ!」

「「うるさい!」」

 双方からどやしつけられる。

 しかも廊下側からも激しい戦闘音と叫び声や雄叫びが聞こえてきた。

「ミレット! この犬め、観念しろ! 船員はオレの部下が制圧する!」

「何ですって!」

「だからお前も無駄な抵抗は……」

「こっちだって戦闘開始したところなのよ! あーもう、タイミング悪すぎ!」

「何だと!?」

 廊下から聞こえるのは、剣と剣のぶつかり合う音だけではない。

 明らかに銃声が混じっている。ミレットさんの部下だ。

 二人とも、攻撃の手を止めた。

 ようやく激しい攻撃が収まって、僕がのこのこ出ていく余裕も出てくる。

「もしかしてマリアロンドさん、あなたも奴隷を助けるために反乱を計画したんですか」

「そうだ」

「けど、船長に交渉したはいいものの、値段を釣り上げられたとか、約束を反古にされた?」

「なぜわかった!?」

 マリアロンドさんが驚愕した。

 ミレットさんは気まずい顔をしてそっぽを向いている。

「……読めてきましたね。ねえ、船長?」

 僕と同様、家具を盾にして縮こまっていた船長に話しかけた。

「な、何だ」

「船長にして奴隷商人、ダブラさん。追放貴族や敗残兵の売買が得意で、文官や士官の能力を有する奴隷の斡旋(あっせん)には定評があり、商売相手は高級商人から一国の大将軍と幅広い。ローレンディア王もあなたの商品には一目を置いている」

「それがどうした!」

「ミレットさんの話を聞いてちょっと不思議だったんですよ。妙に三等奴隷が多いな、と。船底の部屋には数百人いますよね?」

 僕の言葉に、船長の目が泳いだ。

「そ、そういう時もあらぁ。積荷を軽くして出港するなんて効率の悪いことはできねえからな」

「傭兵団双方に『買い渋るなら、向こうの傭兵団に売るぞ』と脅しをかけるつもりだったんですね」

 僕の言葉に、女傑二人が反応した。

 お互いの殺し合いの手を止めて、二人とも船長を睨みつける。

 ダブラさんも流石に殺気に怯え、焦っている。

「お、おい! それ以上言う必要はねえだろう! なにが望みだ!」

「ごくシンプルな提案をしたいだけですよ。ここは痛み分けといきませんか。最初の契約通り、ミレットさんもマリアロンドさんも自分の仲間を救出する代わりに反乱を断念していただきます。そして船長は二人の反乱による被害を訴えない代わりに、これまで通り船旅を続ける。いかがですか?」

 僕の言葉に、ミレットさんとマリアロンドさんは苦々しい顔を浮かべた。

 その表情に、僕は手応えを感じた。

 選びたくはないが、選ばざるをえないのが頭でわかっているから悩んでいる。あと一押しというところだろう。お互いに目的を達成できれば面目は立つはずだ。

 そして船長もまた命が助かる。

 だが、僕は船長の顔を見て、まずいなと感じた。

 彼は冷や汗を垂れ流し、目を血走らせながらも、口に笑いを浮かべている。

 何かがある。

「ったく、ケチはいけねえ。商人だってのにそれを忘れちまった。だからこんな状況になっちまう」

「じゃあ、太っ腹なところを見せて許してくれませんか?」

「嫌だね」

 船長が、懐から水晶玉を取り出した。

「俺が後悔したのは、あばずれ共を騙したことじゃねえ! 手持ちの戦力を出し惜しみしたことだ! 使わせてもらうぜ!」

 まずい。

 彼が持っている水晶玉には見覚えがある。あれは、自分の魔力を周辺に飛ばすというシンプルな魔道具だ。攻撃に使うほどの出力はなく、電波を放つようなものと表現するのが正しいだろう。だが電波だからといって何か通信ができるわけではない。

 ただ〝持ち主の魔力に馴染み深いものが反応する〟というだけの話だ。

 端的に言えば【テイマー】にとっての、犬笛である。

「来い! クラーケン!!」

 その声と共に、ずずず、と船が揺れた。

 波とはまた違う小刻みで不気味な感覚。

 足下から何かが突き上げるように近づいてくる、大質量の予感。

「なにを企んだか知りませんが、遅いですわよ!」

 ミレットさんが新たな銃を召喚して船長を狙い撃った。

 だが弾丸が船長の頭を射貫く直前、部屋の壁が凄まじい勢いで破壊された。

 破壊の余波と赤く太い触手が船長を守る。

「遅いのはお前だ! このクラーケンにそんな豆鉄砲が効くかよ!」

 そして、触手は船を破壊しながら船長を外へと連れ出す。

 破壊された壁から外を覗き込めば、そこにいたのは巨大なタコであった。

「くそっ、あなたも【テイマー】だったんですか……!」

 船長を守っているのは、クラーケンと呼ばれる海の魔獣だ。

 海洋生物の魔獣の中でも、屈指のタフネスと繊細さを兼ね備えている。ローレンディア王国の海上戦力の主力として使役されている魔獣だ。海の魔獣のみの騎士団を組織し、数十匹のクラーケンを擁している兄がいたりする。

「へっ、俺は元はと言えばローレンディア王国の海軍よ! 横流しがバレて名前と身分を隠してたがな。しかしお前の姉ちゃんには助けられたぜ。お前に便宜(べんぎ)を図る代わりに、俺の可愛いペットを取り返してくれたんだからな」

「え、それ聞いてないんですが」

 リーネ姉さん、そこは説明しておいてよ。

 あの人も清廉潔白(せいれんけっぱく)ですって顔をしながら僕よりえげつない交渉をするから怖いんだよな。いがみ合う兄弟姉妹が多い中で、あの人が僕の味方でいてくれて良かったとは思うんだけど。

「だからお前の命だけぁ助けてやる。こっちに来な」

「……船はどうするおつもりで?」

「ま、少々被害が出るのは仕方ねえ。刃向かうやつは殺す。反乱を見抜けなかった間抜けは殺す。巻き込まれる間抜けも殺す。生き残ったやつは船の残骸にしがみついてもらって、クラーケンに運ばせる」

「大きな赤字でしょう」

「損切りを怖がってたらもっと損になる。何よりこの商売は、()められたらおしめえなんだよ」

「なるほど」

「おめえはあのバカばかりの国の王子にしちゃ聡明だ。計算のできるやつだ。クラーケンの強さはわかってるだろう? 今度はそっちのアバズレ共に降伏勧告してやったらどうだ?」

 船長が下卑た笑顔を浮かべながら僕に甘い言葉を囁く。

「ふむ、それも悪くありませんね」

 ほう、とダブラの顔に驚きが浮かんだ。

 そして僕はミレットさんとマリアロンドさんの方に振り返る。

 二人とも、警戒しながら武器を構えている。

「提案です。和睦しません?」

「和睦だと? あの船長とか。論外だな」

「冗談がお上手ね」

「お二人とも仲がよろしいようで何よりです」

「「そんなわけない!」」

 ハモった。

 そして二人とも、ハモったことに気づいてお互いを睨む。

「よろしい、徹底抗戦というわけですね。お二人とも協力して彼と戦うと」

 僕が問いかけると、二人とも言葉に詰まった。

「今まで敵対していた人間と手を組む。決して背中から撃つことも斬りかかることもなく、運命共同体となって窮地を脱する。そういうお覚悟があると解釈してよろしいわけですね?」

「ここに至ってはな」

「気は進まないけどね」

「ですが、このままでは徒労に終わるでしょう。足並みが揃わない。無駄です」

 船長ダブラの愛蛸(あいしょう)クラーケンは強力だ。

 敵に水の利がある一方で、こちらは船の上でしか活動できない。

 しかも穴は空いてるし、船内のそこかしこで戦闘が始まっている。

 この混沌とした状況では、彼女らが散発的な反撃をしても意味は薄い。

「だからどうした! 怖じ気づくと思うか!」

 マリアロンドさんが怒鳴る。

 だが話はようやく本題だ。急ぎたいところだが説明を怠るわけにもいかない。

「だから改めて提案です。高度な連携を生み出すために、和睦しませんか? 僕が調停しましょう」

「……それをすれば、何とかできる。そういう意味ですわね?」

 ミレットさんが、顎に手を当てて値踏みするように僕を見た。

 マリアロンドさんも、困惑しながらも僕の提案を興味深そうに聞いている。

「いいわ、乗った! マリアロンド、一時休戦よ!」

「何でもいい! 早くしろ!」

「契約成立ですね……【調停者:和睦】発動! これより和睦交渉を始めます!」

 僕がそう叫んだ瞬間、一枚の羊皮紙と羽ペンがミレットさんとマリアロンドさんの目の前に現れた。二人ともそれを驚きながら見つめている。

「レーア族、族長マリアロンド=レーア! バルディエ銃士団団長、ミレット=バルディエ! 聖なる誓いの羊皮紙に調印したその時、契約の神が大いなる加護を与える! これまで燃やし()べてきた憎悪と血を(にえ)とし、それに倍する力を与えん!」

「……何だと?」

「……何ですって?」

 ミレットさんとマリアロンドさんが同時に声を放った。

 これこそが僕が研究して極めたクラス【調停者】のスキル、和睦である。

 戦争相手との戦後交渉から離婚夫婦の財産分与に至るまで、〝敵対する人間が血みどろの殺し合いに発展することを、契約と魔力で食い止める〟という特殊なスキルだ。その都度様々な契約内容を提示し、敵対者同士を調印させる。そして調印した人間は、スキル効果によって恩寵(おんちょう)加護(かご)が与えられる。

 このスキルの大事なことは、守るべき契約内容が当人にとって重ければ重いほど、大きな力を得ることができる。

 和睦をしたくない相手同士であればあるほど、力を発揮するのだ。

「各々が郷里へ戻るその日までを契約期間とし、その間の調印者同士の戦闘行為の全てを禁ずる!」

 僕が宣言し、二人の調印が終わった瞬間、目映(まばゆ)い光が(ほとばし)った。

 だが、それはすぐに終わった。

 光は消えた。

 いや、正しくは、ミレットさんとマリアロンドさんに宿った。

「おい王子! 何を怪しげなことをしてやがる……しょうがねえ!」

 ダブラさんが痺れを切らした。

 思ったような展開ではないと流石に気づいたのだろう。クラーケンの触手をこちらに伸ばしてくる。僕を攫うつもりだ。

「エーデル、行きますよ! 【テイマー:契約獣(けいやくじゅう)召喚(しょうかん)】!」

「めぇ!」

 僕が叫んだ瞬間、そこにエーデルが突然出現した。

 そして金の羊毛を伸ばしたかと思うと、僕を繭のように包み込む。

 クラーケンの触手は、まるで電撃に打たれたように弾き飛ばされた。

「てっ、てめえ……!」

「【テイマー】を鍛えたらこういう芸当もできるんですよ。そんな玩具がなくとも、契約した魔獣を召喚することだって難しくはありません」

「そうじゃねえ! 嘘ついてやがったな! 金の糸がそんなにも出せるなんざ聞いてねえ!」

「あ、そこですか」

「それに……今のは俺に敵対するってことでいいんだよなぁ?」

「そう見えましたか?」

「しゃらくせえ話はおしまいだ。お前の羊さえありゃ傭兵を千人二千人雇う金だって稼げる。悪いがおめえの姉貴との契約もなかったことにするさ……クラーケン!」

 その言葉と共に、怒涛(どとう)のような衝撃が船を襲った。

 クラーケンがその巨大な触手を振り上げ、鞭のように振り下ろした。

 船が倒れんばかりに傾き、だが何とかバランスを取り戻した。

 耐えたのではない。加減し、いたぶられているのだ。

 船をぎりぎり壊さない威力でクラーケンが船を打擲(ちょうちゃく)する。

「はっ! どんなに防御力があろうが、船ごと襲われたらひとたまりもねえだろう! さあもう一発くら……あ?」

 だが、クラーケンが船に当てた触手を引き戻そうとした瞬間、奇妙なことが起きた。

 触手が、戻ってこなかった。

 船にぴったりとくっついた触手が断ち切られ、船長はその断面をぽかんとした顔で見つめていた。

「……(しゃべ)りすぎだ。ここは戦場だ」

 触手を断ち切ったのは、マリアロンドさんであった。

 見れば、彼女の持つ槍は美しい白い輝きと、恐ろしいまでの熱を放っている。

 現れた時に見せた火の勢いと比べれば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。

 巨大なクラーケンが、焼き切られたことさえ自覚できないほどに一点に集中した熱と速度は、今までとはレベルが違った。

「我がクラス【獣狩り】の秘技は、魔獣に対して無類の力を誇る。……ま、ここまでの一撃を放てたのは初めてだがな」

「て、てめえ……!」

「あら、よそ見をしてもしてて大丈夫かしら? 【銃鍛冶師:ガンボックス】!」

 その時、軽快な音が響き渡った。

 ミレットさんが、指を鳴らしたと同時に凄まじい数の銃がその場に出現した。全て銃口を天に向けている。

 十(ちょう)や二十挺どころではない。百挺あっても不思議ではないほど大量に、かつ規則正しく並んでいた。

「構え!」

 ミレットさんの言葉に従うように、全ての銃がクラーケンの方を……いや、正確にはクラーケンが持つ船長の方を向いた。

「くっ……そんな豆鉄砲でクラーケンを貫けるか……やっちまえ!」

「それはこっちの台詞よ」

 クラーケンがミレットさんに襲いかかる。

 だが斉射(せいしゃ)された弾丸が容赦なくクラーケンを襲う。たとえ一発一発の威力は軽くとも、全ての銃弾と轟音はクラーケンを止めるには十分であった。

 もうもうと煙が上がる中、再び銃が召喚されて斉射が起きる。その轟音が何度か起きた。

「……くっ、ははは! やっぱり豆鉄砲だったようだな!」

 そして船長の哄笑(こうしょう)が響き渡った。

 クラーケンは傷を負いながらもまだ戦意は失われてはいない。邪悪な笑みを浮かべるように、触手を天高く持ち上げた。

 それを見て、マリアロンドさんはふふっと皮肉めいた微笑みを浮かべた。

「だ、そうだが? どうするミレット。手伝ってやろうか?」

「……ぴぃぴぃうるさいわね、お腹の空いた子供かしら? だったら、もーっと大きな豆をあげますわよ」

 ミレットさんが再び手を上げた。

【銃鍛冶師:ウェポンキャスト】! 召喚武具を贄として捧げ、幻想(げんそう)武具(ぶぐ)を鋳造せよ!」

 弾を撃ち尽くした後の銃が光りに包まれた。

 そしてミレットさんの呪文によって、まるで鉄が溶けるかのように姿を変質させていく。

「こ、これは……」

 見たことがある。

 この世界ではなく、前世の歴史ドラマや歴史資料館で見かけたものだ。

「た、大砲だとぉ!?」

 船長がこれまでの余裕を忘れ、凄まじく驚愕(きょうがく)した。

 ミレットさんが作り出したのは、十門の大砲。

 大きなへちまを横に倒して車輪をつけたような形の、アームストロング砲であった。地球で言うところの西暦一八〇〇年代にイギリスで開発されて日本に輸出され、幕末の動乱で大活躍した大砲である。それらの砲門が全て、クラーケンの方を向いている。

「豆鉄砲だけではご不満だろう」

 そしてダメ押しとばかりに、マリアロンドさんが一歩前に踏み出した。

「『獣狩り:灼槍(しゃくそう)』! 人を守護せし武と火の加護よ、我に宿りたまえ!」

 マリアロンドさんが槍投げのような姿勢を取る。

 槍の先端で燃えさかる火の力はますます強まり、海上にいるはずなのに周囲いったいがまるで灼熱の砂漠となったかのようだ。

 熱源であるはずのマリアロンドさんは、火の精霊のようでもあり、近代スポーツのアスリートのようでもある、不思議な神々しさを放っていた。

「やっ、やめろ……!」

「やめろと言われてやめる馬鹿がおりまして?」

「見苦しい。覚悟しろ」

 二人共、性格が如実に表れた罵声を口にする。

 そして轟音と閃光(せんこう)と共に、クラーケンと船長がこの場から消え去った。