ようやくすべてが終わった。
平地は津波によって塩分マシマシの湿地になってしまったので、開拓はやり直しだ。錬金術で塩分を抜いて土地を生き返らせるか、それとも別の場所を探すか、思案のしどころだ。
と、物思いに耽りながら荒れ地となった砂浜に疲れて寝っ転がっている僕のところに、一羽の鳥が降り立った。
「あ、渡り鳥だ」
伝書鳩ではない。そもそも鳩ではなく、おそらくツバメの仲間だ。スピード優先の快速便といったところだろう。しかし足には何もつけておらず、首に何か宝石のようなものをぶら下げている。なかなかオシャレさんですね。これを届けに来てくれたのだろうか。
『やっほー。聞こえるー?』
しげしげと宝石を眺めていると、そこから声が出てきた。
「リーネ姉さん。また凄いの作りましたね……」
遠距離での無線通信じゃん。怖いわ。
『うふふ、国宝級の魔石使っちゃったのよ。量産できるものでもないから秘密にしておいてね』
「言えませんよこんなの。こちらは何とかウィーズリー王子を撃退したところです」
『撃退ってことは殺してはいないのね? 良かったわ。とりあえずこっちでローレンディアの王都も、青鱗騎士団の本部も押さえたから、死んじゃったら面倒が増えるところだったわ』
僕がどういう風に動くか完全に予想している。
ウィーズリー王子に勝てたのは結構博打だったと思うのだが、リーネ姉さんにとっては僕が勝つのは当たり前だったようだ。交渉能力も、戦術や戦略の分析においてもリーネ姉さんは僕より遥かに上だ。
今はアルゼス義兄さんと仲良く平和を目指してくれているので助かるが、もしこの人がローレンディアの流儀に完全に染まっていたら最強の支配者になっていたことだろう。
「ともかく、幾つか契約した上で帰ってもらいましたよ」
『教えてくれる?』
戦闘の後、僕はウィーズリー王子とその部下たちを捕縛して彼らの本拠地に帰らせた。
【テイマー】を殺してしまうと彼らと契約してる魔獣が暴走する可能性もあったし、何より戦後処理としてはリーネ姉さんやアルゼス義兄さんに丸投げできる。
リーネ姉さんたち反ローレンディア連合は、僕らが資源も戦力もないない尽くしで対青鱗騎士団の準備をしていた時に電光石火の勢いでローレンディアの王都を征服した。
つまりはカーネージ国王や王子たち……つまり僕の父上や兄弟を倒した、ということだ。今や立場が逆転し、ローレンディアの方が属国となってしまった。
そして、リーネ姉さんたちは団長不在の青鱗騎士団の本部もついでに押さえている。僕らの方の勝敗が何であれ、ウィーズリー王子は実は詰んでいた。
「ウィーズリー王子と部下の助命を引き換えに、リーネ姉さんとアルゼス義兄さんに仕えること、僕らへの報復は断念すること。このくらいですよ。細かい処罰や処遇はお任しせます」
『仕方ないわねぇ』
ウィーズリー王子はあまりにも獰猛で金持ちの船や港などを容赦なく襲うが、一つ、美徳と言えるものがある。
奴隷の商売が大嫌いだということだ。荒くれ者揃いの部下の中で、逃亡奴隷だった者も多い。まあ元犯罪者など自分の非で居場所をなくした人間も多いが、ともかく彼はあぶれ者を好き好んで登用した。
敵対した人間は容赦なく殺すので人間に優しいとも言えないし、金品を奪われた人間が最終的に奴隷落ちしてもそれは見逃してしまうので、この一つの美徳だけで無罪という訳にはいかないのだが、その筋の通し方に惚れ込んだ部下も多い。彼を殺すのはより大きな恨みと反乱の種を生むことになる。バリバリ働かせて贖罪させるのが一番だろう。
『で、あなたこれからどうするの?』
「どうするとは?」
『頑張ったご褒美に何が欲しい? 帰りの便を寄越してあげましょうか? もともと、開拓団に送られても後で引き取ってあげるつもりだったし』
「え、どうやって?」
『最近、大きめの鳥を飼い始めたのよ。乗り心地いいわよ? あ、でも島と大陸を行き来するのは一人二人が限度だし、いろいろとお仕事があるから全員連れて帰るとかは無理よ』
空の便で人や荷物を運搬するのって流石にチートすぎませんか。
あと、〝最近〟っていうのおそらく嘘ですね。僕の勝利を褒めてくれるから力の一端を教えただけで、きっと前々から可能ではあったと思う。ついでに言えば、もっとヤバい鳥をわんさか飼っていると思う。
「そういうことなら、僕はここにいますよ」
『え、いいの? お仕事たくさんあるわよ?』
「働かせる気満々じゃないですか」
『それもあるけど、あなた好みの仕事があるのよ。人と話したり、商談や交渉したり、好きでしょ?』
リーネ姉さんは見た目からはわからないほどに腹黒い策謀家の面はあるが、それはそれとして僕を本心で可愛がってくれている。そして能力や人格を信用してくれている。この人に仕えることができれば、楽しく一生を過ごせることだろう。アルゼス義兄さんとも会ってゆっくり話をしたい。
「いえ、遠慮しておきます」
『あらそう?』
「ここを出るにしても、僕と開拓民の力で何とかしますよ。助力をお願いしたり、何か取引を持ちかけたりすることはあるかとは思いますが、僕だけがこっそり大陸に戻るというのはナシの方向でお願いします」
『…………』
あ、あら、何だか沈黙してしまった。
ご気分を害されましたかお姉さま。
「えーと、変なこと言っちゃいました?」
『あなた、もしかして誰かに籠絡されてるということはないでしょうね?』
「姉さん、僕を幾つだと思っているんですか。二十歳にもなってないんですよ」
『十代の半ばなら変わらないわよ。あなた意外と女好きだから、女で失敗するわよ。いい? あなたは自分のことをちょっとばかり賢いと思ってるでしょうけど、世の中にはずるいことを考える人はたくさんいるのよ』
「リーネ姉さんが言うと含蓄がありますね」
この人は、アルゼス義兄さんのいる場所では常に貞淑で優しい妻として振る舞い、策謀家としての顔はできるだけ隠している。この人はこの人なりに恥ずかしいらしい。そしてアルゼス義兄さんはリーネ姉さんのそんなところを含めて可愛がっていたりする。
『そういう返しをするということはいい人はいるということね?』
「ええ、まあ」
『近々顔を見に行くわ』
「えっ、いや、来ないでほしいんですが」
『何ですって!? あなた、お姉ちゃんに今何て言ったの!』
うおっと、地雷を踏んでしまった。
「待って待って。嘘です。愛しいお姉ちゃんに会いたくてたまりません。ただ、土地をめちゃめちゃにされてしまいました。僕の力が至らないばかりに被害が大きくなってしまったので、それを見捨てて一人だけ戻るわけにもいかないんです。一応ここの開拓団のリーダーですので、彼らの生きる方針を示さなければ」
『ならいいのだけれど。じゃあちゃんと生活の目処がついたら連絡するのよ。あまりに遅いようならそちらに行くからね。あなたの恋人の顔も見るわよ。わかった?』
「はい、心から」
また面倒事が増えてしまった。
だがそれもこれも、勝ったからこそだ。頑張りますか。
『それじゃまたね。元気でやってくのよ』
「ありがとうございます、姉さん」
僕の言葉を聞き届けたあたりで、渡り鳥はばさばさと羽ばたいて空へ飛び立っていった。
渡り鳥が水平線へと消えるまで、静かにそれを眺めていた。
「おーい! タクト!」
「あなた、さぼってないでそろそろいらっしゃい! 戦勝の宴の席ができておりますわよ!」
遠くから、僕を呼ぶ声が近づいてくる。
マリアロンドさんとミレットさんだ。
二人ともひどく消耗しているし、嵐の後の時のようにボロボロだ。もっともそれは僕も同じで、ひどい有様だ。熱い風呂に入りたい。
だがそれでも、嵐の後とはまったく違うものがある。
やるべきことをやり遂げ、勝ったという実感だ。
「はーい! 今行きますよー!」
そしてまた日常へと戻る。
一時の疲れを忘れるために飲み、食べ、踊り、喜ぶ。
そして明日からはまた、土地を耕そう。
僕らが、僕ららしく暮らすことのできる、平和な場所を築き上げるために。