奴隷船『(いくさ)乙女(おとめ)(ごう)』。

 皮肉めいた名前の船の上階の船長室で、僕は白髪交じりの髭の男と対面していた。

「素敵な海の旅を楽しんでくれよ、お坊ちゃん」

「船は好きです。しかしこれだけ大きいと快適ですね」

「快適と来たか。光栄だな」

 髭の男がにやっと笑った。

 彼がこの船の船長、ダブラだ。そして僕を国から買い取った奴隷商人でもある。

 しかし船長とか奴隷商人というよりも、海賊という言葉がぴったり合う容貌(ようぼう)だ。がっしりとした体格、陽に焼けた肌に伸ばし放題の髭。

 だが何よりも、野心に濁った目こそが彼の生き様を表していた。

「ええ、よろしくお願いします、船長」

「聞いてるたぁ思うが売約先はもう決まっててな。西大陸の開拓団だ。【テイマー】クラスを持ってて、ついでに計算や物資の管理ができるやつが欲しいんだとよ」

「ええ、聞いています。簿記は得意ですよ」

「王族から追放されて、行き先も決まってる。タクト=アラスレイ=ローレンディアが今までのお前の名前だったわけだが……今日からお前は、ただのタクトだ」

「書きやすくて助かります」

 僕の淡々とした態度に、ダブラが面白そうに自分の髭を()でた。

「……余裕って顔だな? だがあそこはサラマンダーやレッサーデーモンみてえな魔獣がウヨウヨして人間をむさぼり食ってる。前線に駆り出されることがないなんて甘い考えは捨てておけよ」

「はい。主人には礼と忠節(ちゅうせつ)勇猛(ゆうもう)を尽くし、誇りある仕事ができるよう全身全霊で勤め上げる所存です」

 だがその程度の事前情報は仕入れている。

 そんな僕の様子に、ダブラは首をひねった。

「お前、怖くはねえのか?」

「はぁ。兄のバイアンやウィーズリーに比べたらさほどは。あのへんの兄の部下になるよりは(はる)かに穏当(おんとう)な処置ですので」

「……そ、そうか。親しいのか?」

「バイアンにはあまり好かれてなかったというか、興味の外でしたね。ウィーズリーとは割と良好ですよ。とはいえ海賊よりもヤバいので深く付き合うのも難しくて」

 バイアンとは僕の兄弟の長兄にあたる人で、なかなかの難物である。父親以上の脳筋主義というか戦闘民族で、戦いこそ我が人生という感じの男だ。自他共に認める大陸最強格の戦士である。

 ウィーズリーは四男で、バイアン以上にヤバい人だ。海の魔獣を愛しており、独自に海を支配域として活動する騎士団の団長を務めている。が、他国の商船を襲うわ港町を襲うわ、海賊にさえも襲いかかるわのやりたい放題の男だ。海賊以上の海賊として海の男たちに恐れられている。

 この兄の名を出せば、いかに奴隷船長といえども僕に無茶な要求はしないだろうと思ったが、効果はてきめんのようだ。というか想像以上にビビったらしい。

「お、お前を(さら)いに来るとかはないだろうな」

「流石に無理でしょう。兄の本拠地からは遠いので。とはいえ王族がいたぶられたとか難癖つけて何もかも奪いに来る可能性はあるので気をつけてください。兄に狙われたら僕にも誰にも止められません。どうしてもやりたいならこっそりお願いします」

 その言葉に、船長は少しばかりホッとした様子だった。

 普通に気をつけていれば良いとわかってくれたのだろう。

「……ま、まあ、いい。お前はお客様の商品だ。丁重に扱うさ」

「ありがとうございます」

「行き先の開拓地は、魔獣が多いって言ったって人間が住める範疇(はんちゅう)だ。告死島(こくしとう)暗黒大陸(あんこくたいりく)みてえな、人間が生きていけねえ場所って訳でもねえ。運が良けりゃ五体満足で奴隷の任期も務められるだろうさ」

「ええ、頑張ります」

「ま、開拓地でどうなるかは俺の知らねえところだ。だがそこに着くまでの船旅は安心してくれていい。王子様だからって訳じゃねえぞ。いろいろと便宜を図ってもらったからな。普通の奴隷にゃそれなりの労役もあるんだが、あんたはナシだ」

「助かります」

 実は、姉のリーネが(そで)の下を船長に渡していた。十分にそれは効いているようで、態度は荒っぽいが僕を丁重に扱うつもりのようだ。

 とはいえ、船長は他の船員にも奴隷にも基本的に乱暴かつ横暴であった。僕を船長室に連れていく途中、別に怠けているわけでもない船員や奴隷を無言で蹴飛ばし、だが誰もがその行動に抵抗さえできなかった。

 おそらくは僕を丁重に扱うと同時に脅しをかけることを成立させるための行動だったが、それだけではない。暴力を振るうことが当たり前のように日常やルーチンに組み込まれている。人としては悪辣で、奴隷商人としては精勤といったところなのだろう。

 そうした姿勢に反論して逆らいたいところではあるが、論破してやり込めたところで彼のフラストレーションの向かう先は罪のない船員や奴隷たちだ。彼らを思えば、ここで喧嘩(けんか)するのも得策ではない。

「ところで……あんたの使役獣だが」

「エーデルのことですか?」

「あんたのところの王様はそいつが嫌いだって話だが信じられねえな……。まさに金の卵じゃねえか。ええ?」

「羊毛は少しでしたらお売りもできますよ」

「糸や生地が欲しい訳じゃねえんだ。欲しいのは羊だよ」

 論外ですね、と言いかけて我慢した僕を誰か褒めてほしい。

「普通の【テイマー】のスキルで契約したわけではなく、僕はこの子……エーデルと、生涯に渡る魔術的な契約を結びました。売り払うことも引き離すこともできませんよ」

「……残念だな。船一隻どころじゃねえ金に変えられるんだが」

「まさしく金を生む卵と思ってらっしゃるのでしょうけど、羊一頭から取れる毛などたかが知れてますよ。エーデルそのものの美しさの方が評価が出るでしょう」

 (うそ)をつきました。

 エーデルの毛は結構伸びる。

 だがわざわざ彼の欲望を触発する必要もなかった。

「ああ、お前の羊は美しい。金を持った連中を集めてオークションにかけりゃすげえことになるぜ」

「ですがローレンディア王は不快であると断じました。魔獣の美しさを評価し高値をつけることは王に異論を申し立てるようなもの」

「ぐ……それもそうか……」

 船長ダブラは苦々しい表情を浮かべた。

 彼にとってローレンディア王国は重要な得意先であり、父上の恐ろしさもよく知っていることだろう。

「また別のお取引の機会がありましたら、ぜひよろしくおねがいします」

「へっ、ローレンディアの若造にしちゃ話せるやつだ。奴隷生活もお前なら楽しめるんじゃねえか」

 こうして船長と奴隷、商人と積荷の会話は穏やかに終わった。