その日の夜のことだった。

 僕は団長特権を使ってテント内に個室を用意している。

 一部の病人や、病人の面倒を見てる人には隔離スペースを設けているが、ほとんどの団員は男女を分けた上で広間に雑魚寝させている。

 けど僕、雑魚寝がイヤなんですよね。

 元日本人なので、もう少しプライバシーが確保できる場所が欲しい。それに団長とか集団の長がいると落ち着かないという人間も結構いる。皆と交わるのも良いことだが、こうした区別も大事だ。

「っと、いけないいけない、そろそろ寝なきゃな」

 この告死島開拓団の朝は早い。

 燭台(しょくだい)もなければ蝋燭(ろうそく)も油もないのだから夜ふかしできない。

 皆、やることがなくて早起きする。団員の不安を払拭するためにもやることを与えねばならず、そのためには僕も早起きしなくてはいけない。

「……ま、まだ起きてるか?」

 そんな時、テントの幕を上げて入ってくる誰かがいた。

 暗くてよく見えないが、声は普段から聞いている。

「おや、カガミさんどうしました? お兄さんは?」

 殺しに来たとかじゃないよな。目を凝らさずとも、彼女が何となく思いつめた顔をしているのが分かる。

「に、兄ちゃんは寝ている」

 なるほど、相談せずに一人でここに来た訳か。

「じゃあ、あなたも早く寝なさい。おばけが出ますよ」

「で、出るのか?」

「嘘です」

「お、おま……!」

 怒り出そうとするカガミさんだったが、僕がしっと人差し指を立てると静かになった。

「すみません、からかいました。皆さん寝ているので静かにしましょう」

「わ、わかった」

 カガミさんは、誰かに気づかれてないか焦ったのだろう。カガミさんは呼吸を整え、落ち着きを取り戻したあたりで、ぽつぽつと話を始めた。

「い、いきなり来て悪かった。聞きたいことがある」

「構いませんよ、何でもどうぞ」

「お、お前は……何でもできるよな」

「そんなこともないですが、まあこういう場面は得意なので」

「楽しそうだな、お前」

「え、そ、そうですか?」

 楽しい、と言われてどきりとした。

「船に乗ってた時は飄々(ひょうひょう)としてたけど……今は何か話の仕方とか、ちょっと違う……気がする。前よりもやる気がある、みたいな」

「……うーん、うかれてる気配、漏れてました? 不謹慎でしたかね」

 言われてみればその通りだ。

 正直言うと、楽しい。

 船に乗っている時よりも張り合いがある。

 国にいた時は親父殿や他の兄、姉に嫌味を言われていたので、のびのびと生活できるのは楽しい。何もかも足りない尽くしではあるが、一から何かを作ることもまた楽しい。

 前世での僕は海外展開する商社に勤めていて、会社の命令で東南アジアや中央アジアの奥地などに行かされることが度々あった。

 人件費が安い場所に工場を建てたいという露骨(ろこつ)な思惑で、現地での土地の確保や建築計画を立てたり、現地労働者を雇用したりと、ブラック労働に従事していたが、ある時「労働者を雇う以前に貧困や食糧不足や医療不足を何とかしなきゃどうにもならない」と気づいて、様々な活動を始めた。

 たまたま現地視察に来た上司に「お前何で会社の出張で来てるのに畑を耕したり学校教師やったりしてるの?」って素で怒られてクビになった。

 まあクビというか、正確には独立支援だ。「社会インフラを整えないといけないのはわかったから、お前はフリーで好きにやれ」と言われて会社とかNPO法人とかを設立していろんなことをやり始めた。

 で、そんな活動をしていた最中、僕は死んだ。理由は大したものじゃない。反政府勢力の凶弾に倒れたとかではなく、野生動物がうじゃうじゃいる場所で運転してたらハンドル操作をミスってうっかり死んでしまった。そしてなぜかこの世界に生まれ落ち、子供の時に唐突に前世を思い出した。

 ま、それはさておき、インフラがない田舎に突撃して食糧問題を解決するとかはちょっとした経験がある。しかもスキルや魔法という不思議なパワーがある世界なのだから、無人島といえども生活基盤を築くのは決して無謀(むぼう)なことではない。

 思い描いた平和な世界を作ることは楽しい。やりがいがある。

 けどそういう野望を悟られるのはちょっと恥ずかしい。

「べ、別に悪いって言ってる訳じゃない……。でもお前、このまま、王様になるのか?」

「王様?」

「お前が望めば何だって人に命令できる……みたいな」

「嫌ですよそんなの」

 こういう場面では旗振り役がいないとどうしようもないから声を張りあげてるだけであって、顎で人をこきつかうのは趣味じゃない。

「そういう気持ちがないなら、ないで、困る」

「困る?」

「力がないやつが命令すれば、みんな怒って反乱する。力があるやつが命令すれば、みんな渋々従う」

「真理ですね」

「凄い力があるのに命令しないってことは、みんな、お前の顔色を伺う。怒らせたり不機嫌にならないよう読み合う。お前に目をかけてもらうように、いろんなことをやる」

 なるほど。

「だ、だから……もしお兄ちゃんがお前を怒らせたりしても、ここから追い出したり、しないでくれ。わたしが代わりに罰を受けるし、言うことはなんでも聞く。お願いだ」

 読めました。たった一人の家族のために犠牲になろうという訳ですか。

ダメです。こればかりは偉いと褒めたりもしません。

「お、お酌するとか、茶虎盤とかいうゲームの相手とか、何でもいいぞ! 夜ふかしも付き合ってやる!」

「それはまた魅力的な提案ですね」

 カガミさんは発想が可愛い。そこは読めてませんでした。もっと大人びた提案かなと思い込んだ僕の心が汚れていたようだ。「ですがこのベッドは一人用なんですよ。ここで八時間寝るという快楽を他人に分けたり譲ったりつもりはまったくありません」

「ベッド……?」

 その時、枕に近い部位に、突然〝目〟が現れた。

「うわっ!?」

 世界一愛らしい黄金の羊、エーデルである。

 僕は毎夜毎夜、この子に毛を少々伸ばしてもらってベッド兼布団として寝ている。

 夏は通気性に優れ、冬は保温性に優れる。

 液体のように沈み込むほど柔らかく、だがしかし適度な重量感もあって、地球とこの世界の二つを見渡してもこれ以上のものはないと断言できる、至高の寝具だ。ついでに防御力も高い。

「い、一緒に寝てたんだ……」

「ええ。僕はいつもこの子と寝ています」

「ふーん……」

 カガミさんは一瞬後ずさりしたが、目の正体がエーデルと気づいて安堵したようだ。

 そして僕の方に近づこうとして、阻まれた。

「……あ、あれ? そっちに入れないんだけど」

 カガミさんの手が空中を触っている。

 彼女もようやく、〝壁〟の存在に気づいたらしい。

「防犯のために透明な糸を何本も張っています。一定以上の距離には入り込めませんよ。あなたのことが嫌いとかそういう話ではなく、誘拐や暗殺の対策をしなければならないんです。スキルを使って変装や変身して寝所に近づく人だっているかもしれませんしね。このスタイルがみんなにとって一番安全です」

「ええ……」

 カガミさんが「何だこいつ、こわっ」みたいな目で見てくる。

 まったく、真面目な話をしているのに。

「いいですか、カガミさん。確かに僕と仲良くして便宜を図ってもらおうとする生存戦略には一理あります。しかしあなたは、リーダーの一番最初のお手つきや贔屓(ひいき)になったとして、その後を耐えぬく自信はあるんですか? めちゃめちゃ嫉妬されますよ?」

「うっ」

「同じことを考える人を出し抜いて一番最初に僕の所に来た判断力は凄いです。しかし、同じことを考えた人にとっては〝出し抜かれた〟という悔しさや嫉妬になるでしょう。藪蛇(やぶへび)では?」

 僕の言葉を、カガミさんはしみじみ理解したようだ。

 彼女も決して楽な人生を送っているわけではないだろう。出る杭として嫉妬され疎まれた人間が行き着く先というものも予想がつくはずだ。

 彼女はありえる未来を想像し、怯え、ごくりと生唾(なまつば)を飲んだ。

「いいですか、これはあなたでなくても、僕が誰かを寵愛(ちょうあい)すれば確実に起こりうる問題です。だから僕はここにいる誰かを贔屓しようとは思いません。夜はゆっくり休んで、明日の朝にまた元気に働いてもらえたらみんな花丸です」

「はなまる?」

 おっと、お国言葉が出てしまった。

「ともかく、あなたもツルギくんも、そして他の人たちも、誰一人として追い出したり罰したりなどできません。みんなにやってもらいたいことがたくさんあるんです。不安はいつでも聞きますが、こんなことをしなくったって大丈夫ですよ」

 カガミさんは、悔しそうに拳をギュッと握った。

 だが、やがてホッとしたように表情を緩めた。

「……わかった」

「そんな訳でおやすみなさい。明日、お二人にはちょっと周辺の偵察をお願いしたいんです。魔獣の有無や簡単な地形だけでも調べたくて」

「そういうのは得意だ。任せて」

「ありがとうございます。明日も早いですから、カガミさんも皆さんも早く寝てくださいね」

「え?」

 僕はカガミさんと、そしてカガミさんの後ろで様子を見守ってる人たちに声をかけた。

 カガミさんは驚いて振り向くと、その闇の中には数人の気配があった。そこにいる人々は息を殺しながら、こちらの会話にじっと耳を傾けていた。おそらくカガミさんと同じことを考えていた。

 ちなみに、女性ばかりではなく大人の男性も少年もいた。おそらく皆、隠し持っていたと思しき酒や食材、その他自分が差し出せる何かを持ち込んで、僕に接待を仕掛けようとしていたのだろう。素敵な香りが食欲をそそり、そして睡眠欲を削いでいく。素敵な賄賂に心惹かれつつも、今夜はみんな早く寝てほしい。

「まずいよ、戻ろ戻ろ」

「裾踏まないで……!」

「押すな押すな!」

 全員、僕に声をかけられたことに驚きながらも、わたわたと去っていく。

 何とも間抜けな空気が流れた。

「ほらね?」

「わ、わかった……おやすみなさい」

 カガミさんも、顔を赤らめながら去っていく。

 しかし一番最初に来たのがカガミで良かった。この子が納得してくれたおかげで、後から来た人にも納得感を与えられただろう。

「めぇ」

「起こしてごめんな。寝ましょうか」

 僕はエーデルの頭を撫でながら、今宵も世界一のベッドで寝るという快楽を享受することにした。