波瀾(はらん)に満ちた航海であった。

 船長ダブラ、そして彼の魔獣クラーケンを撃退した後、僕は船の応急修理に奔走した。

 衝撃によって折れそうになったマストを無理やり縫い付け、空いた穴を塞ぎ、何とか沈没を免れてどこかに寄港するまでは船は持つだろう……と思った矢先、嵐が訪れた。

 僕はもちろんのこと、マリアロンドさんやミレットさんにも航海の経験はない。そこで僕は茶虎盤を与えた船員を無理やり船長代理に指名した。嫌ならあなたが誰か他の人を指名してもいいんですよとつけ加えて。

「くそっ、やればいいんだろ、やれば! これから俺、エリックが船長代理だ! 文句があるやつはすぐに代わってやるから名乗れよ!」

 船員はやむを得ず代理船長に就任し、他の船員も賛同してくれた。

 有能であるとか無能であるとか以上に、指揮系統がないことが問題であることをエリックさんはよく理解していた。そして問題点を理解するということは、幸運にも船員として有能な部類であった。ちくしょうあの時ゲームなんかやらなきゃ良かったという愚痴については、僕は聞かなかったことにしました。サボる方が悪いんです。

 こうしてオンボロの船は大嵐の中を進み、とある島に漂着した。

 その島の名は、告死島。

「マジですかー……」

 嵐が去って晴れ晴れとした海岸の美しい景色の中で、僕は流石にこの結末は予想していなかった。

 船員たちも、がっくりと肩を落としている。

「どうしたのだ? 沈没は何とか避けられただろう?」

 マリアロンドさんが、海風にクリーム色の長髪をなびかせつつきょとんとした顔をしていた。

「告死島って知ってますか……というか、詳しくは知りませんよね?」

「この島のことか? まあ、名前程度しか知らないが」

 マリアロンドさんがうなずく。

「恐ろしい魔獣が跋扈(ばっこ)する無人島……とは聞いたことがありますわ」

 そこにミレットさんが口を挟んだ。

 彼女も丁寧に()いた銀髪が風になびいている。

 皆、髪や服を整える暇もなく徹夜で修繕や航海にあたっていたはずだが、二人にはまったくみすぼらしさというものがない。この状況でも凛として強くあろうとしている。それを思えば凹んでもいられない。まずは説明をしなくては。

「そうですね……まず、告死島は無人島です。外洋に出て半日程度の場所に位置します。島とは言われますが土地は広く、小国の領土と同程度の広さはあるでしょう」

「待て、地図上ではそんなに大きくなかったように見えるが」

「不正確なんですよ。海流が妙で、日時や気象条件などが揃わないとこの島に来ることも、この島から出ることもできません。そして何より……」

 僕がその続きの言葉を言いかけた瞬間、凄まじい雄叫びが上がった。

「くっ、言ってるそばから……!」

 皆、雄叫びがあがった方を見る。

 それは島の内側の方から現れた、巨大な蛇のような鳥のような魔物であった。

 いや、なにを言ってるのかわからないだろうが、そうとしか言えないのだ。頭が幅広な凶悪な毒蛇に、巨大な鳥のような翼が生えている。鋭い眼光はこちらを射抜くように見据えており、まさに獲物が来たと言わんばかりだった。

「ウイングスネークだと……!?」

 マリアロンドさんが戦慄しながら槍を構えた。

 彼女の部下や仲間たちもそれぞれ武器を構え、戦闘態勢を取った。

「あら、マリアロンド。もうお忘れになったかしら……。【銃鍛冶師:ウェポンボックス】!」

 ミレットさんがスキルを使用した。

 三十挺近い銃がその場に現れる。

 だが、先程の船での戦闘とは違って、今度は一挺一挺をミレットさんの部下たちが手にとって構えた。

「総員、【銃士:狙撃】発動! 撃て!」

 ミレットさんの号令と共に、全員が銃で狙い撃った。

 正確(せいかく)無比(むひ)な斉射は容赦なくウイングスネークを穿(うが)ち、近くの砂浜へと落下していった。

「うん、うん。良いですわね。契約が続く限り強化の恩恵も与えられる、と」

「ええ、そういうわけです」

「だったら何も問題はないんじゃないかしら?」

 ミレットさんが不敵な笑みを浮かべた。

「強力な魔獣が出るということは水や植物、肉、いろんな資源があることの証拠ですわ。魔獣が倒せるならばなにも問題はない。このポンコツ船を修理しながら時間を稼げばいいだけのお話……ま、軟弱者にはそれもつらいかもしれませんけれど」

 その言葉に、マリアロンドさん……そして彼女が率いるレーア族全員の目つきが変わった。

「お前の判断は蛮勇というのだ。どんな魔獣が隠れているかもわからないのに硝煙(しょうえん)を撒き散らして、全員を危険に(さら)すつもりか」

「あら、問答がお好みかしら? あなたがお好みなのはこっちではなくて?」

 ミレットさんが銃を構えた。

 ふらつきもせずに長いマスケット銃を片手で構え、正確無比にマリアロンドさんの額に狙い定めている。

 だがマリアロンドさんも一切怯えることなく一歩一歩進み出る。

「……このっ!」

「どうした、撃たないのか」

 今度はミレットさんの方が表情を歪ませた。

 マリアロンドさんは怯むことなくミレットさんの目の前に立っている。あと数センチ距離を縮めれば、銃口がマリアロンドさんの額に触れるだろう。

 緊迫した状況がしばし続いた。

 誰もが微動だにしない中、しびれを切らしたのはミレットさんの方だった。

「蛮勇はあなたの方でしょうが!」

 怒りの声を上げて、銃口を鈍器のようにマリアロンドさんに打ちつけようとした。

 流石にミレットさんも引き金を引くつもりはなかったようだが、それでも鉄の塊で殴ることには変わらない。十分に威力のある攻撃だ。

 マリアロンドさんの額が割られるかと思った瞬間、奇妙なことが起きた。

「あだっ!?」

 ミレットさんが殴打した瞬間、なぜか殴られた方ではなく、殴られた方……ミレットさん自身が殴打されたように吹き飛ばされ、倒れた。

「きゅう……」

「お嬢様!? 気を確かに!」

「貴様、なにをした!」

 ミレットさんが昏倒(こんとう)して目を回している。ミレットさんの部下たちがすぐに駆け寄って介抱を始めたが、いったい何が起きたのかはわかっていない様子だった。

 目の前の出来事を理解しているのは僕、そしてマリアロンドさんであった。

「なるほど、やはりこうなるのか……」

 納得したようにマリアロンドさんが呟く。

「ええ。契約によってあなたたちの戦闘は禁じられています。攻撃をすれば攻撃をした人間に跳ね返った」

「少年。そういうことは早く説明しろ」

「ごめんなさい。でもよくわかりましたね……?」

「ここまで強化された以上は条件や代償がつくものだ。契約内容を思い出せば想像はつく」

「くっ……よくも……!」

 ミレットさんが立ち上がり、マリアロンドさんと僕を恨めしそうに見る。

「いや、なんか、ごめんなさい。ただこうでもしないとクラーケンに海の藻屑(もくず)にされていたと思うので、納得していただけると……」

「はぁ……。まあいいですわ。契約書に署名したのは確かにわたくし。認めるしかありませんわ。でもこれは永続的な契約ではなかったはずよね?」

「ええ、そうです」

「もう一度おさらいしてもらえる、王子様?」

「構いませんよ。サブスキル【停者:契約書召喚】」

 僕はスキルを発動させ、なにもない空間から一枚の紙を取り出した。

 これは契約した書面を呼び出すというスキルだ。改ざん不可能な状態で保管したものを呼び出すので、商売する上では非常に役立つスキルでもある。

「『レーア族、族長マリアロンド=レーア。バルディエ銃士団団長、ミレット=バルディエ。聖なる誓いの羊皮紙に調印したその時、契約の神が大いなる加護を与える。今まで燃やし焚べてきた憎悪と敵意と血を贄とし、それに倍する力を与えん。各々が郷里へ戻るその日までを契約期間とし、その間の調印者同士の戦闘行為の全てを禁ずる』……ということですね。詳しく解説していきましょうか。あ、レーア族の皆さんも、バルディエ銃士団の皆さんも関係あるので聞いてください。もうちょっと近寄って」

 僕はミレットさんとマリアロンドさんの仲間たちに手招きする。

 二グループとも僕に近づくが、グループ間は見えない壁があるかのように距離が空いている。ま、そうだよなと思いながら咳払いをして話を始めた。

「まず、僕の【調停者】のスキルは少々特殊な交渉系のスキルでして、【テイマー】のように魔獣を使役するとか、あるいは【軍師】や【将軍】というリーダー格が部下に力を与えるようなものとは違います。契約する人同士は基本的に対等なものです」

「聞いたことがありませんわね……」

「ええ。すでに廃れたスキルですので。まあこれを習得したおかげで親父殿から無駄なことをするなと怒られてしまい、奴隷となったわけですが……閑話(かんわ)休題(きゅうだい)

 僕の奴隷落ちの話をしたらなんだか同情的な目線が集まった。

 しまった、ちょっと滑った。

「おほん。【調停者】とは他者に加護や力を与えるクラス……ではありません」

「「え?」」

 二人が驚いて声を漏らした。

 そしてハモったことに気づいて複雑な表情をしている。

「契約書の後半こそが目的です。ていうか調停って言う言葉の意味そのものですね。調停とは第三者として紛争解決することを指します」

 二人の顔色が変わった。

「あくまで紛争解決の恩賞として加護が与えられたのです。契約を破棄すれば加護は即座に失われます。まあもっとも、契約の効果によって戦闘行為が禁じられてるので破棄は難しいわけですが」

「……なるほど。話はわかりましたわ。加護というよりは、和睦をするためのエサというわけですわね」

 ミレットさんが不機嫌を隠さずに毒づいた。

「ぶっちゃけた話、そうです」

「二つ質問がありますわ。この紙に調印したのは私とあの女だけのはずでしてよ。わたくしの部下があちらに喧嘩を売ったり、あるいは売られたりしたらどうなるかしら?」

 いい質問ですねと答えたいところだ。

「おそらくあなたたちの代理戦争とみなされ、同じ現象が起きるでしょう。族長、団長といった集団の長として調印してしまいましたから」

「契約の抜け道はない、ということですわね、はぁ」

「抜け道をいきなり探さないでくれると嬉しいんですが」

「契約内容を確かめるのは当然でしてよ。それよりも問題は……」

「契約終了の条件、だな」

 ミレットさんの言葉の続きを、マリアロンドさんが言った。

「ああ、これは故郷に帰るまでですが、もう一つ暗黙的な条件があります。代表者たる二人が生きていて初めて成立しますから、一方が死んだら破棄されるでしょう。ですが直接的な戦闘行為は禁じられていますし、他人に暗殺依頼を出したりしても反発ダメージがあると思ってください。暗殺依頼をした側だけが死ぬことは十分にありえるでしょう。逆に言えば殺される心配は減ります」

 僕の説明を聞いて、二人は額に手を当てて妙に重い表情を浮かべていた。

 そんなに相手をブッ殺したかったのかなと思ったが、そうでもなさそうだ。

「どうしました?」

「相手を攻撃できないことは理解した。だが故郷に帰る……というのが問題なのだ。オレたちレーア族は故郷を失っている。放浪の民なのだ」

「わたくしたちも同様、戦場を流れる傭兵団なの。別荘のようなものはあるけれど、この場所こそが故郷……という土地や場所はありませんわ」

 ミレットさんが深々と溜め息をつく。

 彼女たちもなかなか苦労の多い生活を送っているようだ。

「あー、そこは大丈夫ですよ。不可能な条件は契約できません。数年滞在しているような町や村、拠点やセーフハウスなど、『この航海を終えることができた』と思える場所に戻ることができれば契約終了となるはずです」

「本当か!?」

「ええ」

「何だ、杞憂(きゆう)だったか。少年よ性格が悪いぞ」

 ばんばんとマリアロンドさんが背中を叩く。結構力が強くて痛いんですが。

 それに、実のところ問題はまだ解決していない。

「……うん? どうした?」

「えーと、告死島の説明がまだ不十分でしてね……。船長代理さん。ちょっとこの周辺海域や海流について説明してもらえますか?」

「名前で呼んでくれ。エリックだよ」

 僕は、レーア族の更に後ろの方に座っている船長代理、エリックさんを呼びかけた。彼はバツの悪そうな顔をしながら渋々前に出てくる。

「つーか、俺が説明しなきゃダメか?」

「僕が言うよりは専門家に任せた方が良いかと思いまして」

「くそう、あん時サボらずに仕事してりゃ良かった……」

 エリックさんが渋面(じゅうめん)を浮かべながら大きな溜め息をついた。

 そこは因果応報ということで諦めてほしい。それに、船長不在での航海も何とかやり遂げたのだから彼はすでに他の船員から船長として認められているのだ。今更毒づいたところで遅かった。

「ここ、告死島は魔獣が強い……ってのは、あんたらには問題にならねえだろう。だが他にも大事な問題が一つあってな。この島は海流が複雑で入ることも難しいが、出る方はもっと難しいんだ」

「難しい航海になるということか?」

 マリアロンドさんの問いかけに、エリックさんは気まずそうに首を横に振った。

「難しい、どころじゃねえ。普通の船じゃ不可能だ。海流に阻まれて戻るか、無理に突っ込んで船をぶち壊すかだ。あるいは、あのダブラの野郎が使役してたクラーケンを何十匹も使役して船を護送させるなら突破できる。普通の船で、普通に出ることができるのは夏至(げし)前後の三日と満月が被るタイミングの時だけだそうだ」

「いつよ、それ」

 ミレットさんがいらついた声を出す。

「今、航海士と一緒に計算してたんだよ。おいお前ら、出たか?」

 船員が砂浜に文字や数字を書いてうんうんと唸っている。

 面白そうだな、混ざろう。

「暦日を計算できるんですか?」

「そうだ。お前算術できるのか?」

「ええ。少しは。エーデル」

「めう」

 僕はエーデルを呼び出して、金の糸を少しばかり拝借した。

「【錬金術師:錬金】」

 そしてスキルで金の糸を白く軽いものに変質させて縦糸と横糸に分けて編み込んだ。

 羊皮紙ならぬ、羊毛紙だ。

 もっと正確に言えば紙ではなく生地なのだが、糸の性質を変化させて軽く、かつ、インクが乗りやすい性質に変化させているので質感はほぼ紙だ。

「す、すげえな」

「白い紙をどんどん作るので、使ってください。あと誰か計算式を教えてくれますか?」

 こうして僕らは、マリアロンドさんとミレットさんの苛ついた態度をスルーしながら計算を始めた。

 この世界には月が二つあるが、どのような周期で満月になるかは解明されている。そして夏至がいつになるかも当然わかっている。

 あとは地道な計算を続けていけば、夏至と満月が重なるタイミングが何年後なのかは分かるのだ。

「……これで間違いなさそうですね」

「そうだな」

 エリックさんと僕は、達成感と落胆を同時に感じていた。

「「いつ!?」」

 マリアロンドさんとミレットさんの詰問に、航海士はさっと目を伏せた。

 とばっちりが怖いのだろう。

 仕方ない、僕が言うか。死亡宣告じみていて気は進まないが。

「十三年後です」

 僕の言葉に、二人ともぽかんとした顔を浮かべた。

「……は?」

「今より十三年と二か月後の一週間の間だけはこの島周辺の海流の流れが変わり、この島を脱出することができます」

 こうして現状を理解していた船員たち以外の人々全てが、ようやく理解した。

 自分たちは、この島から出ることができないのだ、と。