落ちこぼれ魔剣使いの英雄譚 ~魔術が使えず無能の烙印を押されましたが、【魔術破壊】で世界最強へ成り上がる~

「お願いします」

 クラスの皆が立つ場所から、一段高くなった闘技台と呼ばれる台の上に乗り、俺は正面に聳えるゴーレムに向かい合う。

 そしてカスミを抜刀すると、両手でグッと握る。

 すると、闘技台の下から聞こえてくる囁くような声。

「剣……?」
「確か“刀”とかいう特殊なやつだったような……お守りか?」
「魔剣士じゃね? けど、魔剣士なんてそんな高度なことCクラス落ちが出来るか?」
「恰好だけじゃねえの」

 刀を構える少年。
 クラスの皆が俺に注目し、その疑問を口々に小声で話し合っている。

 それはそうだろう。この魔術の学び舎で、腰に剣をぶら下げている生徒は皆無だろうし。生徒たちからすれば、気になって仕方がないはずだ。

 だが、脳内では喚くような声。

『きー! ホロウの剣術見せてあげたいわねあいつらに!』

 ぷんぷん! と擬音が鳴りそうな程の金切り声。
 カスミが頬を膨らませ地団駄を踏んでいる映像が容易に浮かんでくる。

「あはは……まあまあ、ここ魔術学院だし……」

 場違いなのは重々承知の上だ。

「今は授業に集中しようよ」
『大人だねえ……』

 不貞腐れたようなカスミの声。

 相手は目の前のゴーレム。
 一発目の授業は、ゴーレムを的にした魔術の基礎訓練だ。

 途中入学と言うこともあり、俺とリゼッタがどこまでやれるかを見るらしい。

「よし、いいか?」

 ゴーレムの脇に立つ、ごわっとした髪をした無精ひげを生やした男――この授業の先生が、俺を見て言う。

「もう一度言うが、やり方はいたって簡単だ。お前たちの得意な魔術を使ってこのゴーレムを攻撃しろ。耐久はB相当。それなりの魔術を使わないと傷もつかない。中にはこの学年ですでにゴーレムの一部を抉るような生徒もいるが、Cクラスであるお前たちにそこまで求めてはいない」

 先生は肩を竦める。

「まあ、要するに肩の力を抜け。セレイ、手本を」
「はい」

 呼ばれて、俺の後ろに立っていた青髪の少女が一歩前へ出る。
 そして、持っている長い杖をゴーレムに向けると、一気に魔術を放つ。

「“アイスランス”!」

 瞬間、杖の前に現われた魔法陣から射出される、氷の槍。
 それはものすごいスピードでゴーレム目掛けて飛んでいく。

「おお……!」

 そして、ガン! と激しい音が鳴り、ゴーレムへと命中する。

「――よし。右腕破壊か。さすがCクラス主席」

 ゴーレムは、その右腕――正確には右肩から、抉るように破壊されていた。

「ありがとうございます」
「とまあ、彼女がCクラスでトップの魔術師だ。破壊力だけで言えば上のクラスにも引けを取らない。こんな感じで、お前たちの魔術を見せてくれ」

 先生はゴーレムに触れると、その右腕が一気に修復していく。

「凄いね」
『ゴーレムね……厄介なのよねえ、何度壊しても再生して立ち向かってくる。アンデッドなんかより、よっぽど厄介よ』
「なるほど……先生も一流ってことだね」
「準備はいいか?」

 先生が俺に向けて声をかける。

「は、はい!」
『がんばれ、ホロウ! 魔術なんかなくても魔術以上のことが出来ることを見せてやりなさい!』

 俺は静かに頷く。

 今まで通りだ。俺は魔術が使えない。
 魔力は俺にとっては毒で、魔術に嫌われている。

 けど、その憧れはまだ捨てられていない。
 
 それでも、俺は剣術を極めて、さらに上を目指すと決めたんだ。

 極めた剣術は、きっと魔術にも劣らない。

「ふぅ……」

 入試の時と同じ要領で。
 あのゴーレムを、この位置から切り伏せる……!

 距離にして約30メートル。

「行きます……!」

 俺はカスミを構え、体を捻るようにして後ろに引く。
 そして、体を一気に回転させ、刀を振りぬく。

「――“飛翔一閃”!!」
「!」

 瞬間、一気に吹き抜ける風。
 生徒たちも先生も、その風圧に思わず顔を腕で覆う。

 ヒュン――。

 と、何かの駆け抜ける音。
 そして、俺がカスミを鞘にしまう金属音が鳴り響く。

「……ん? 何か今したか?」
「動いてないような……てか素振りしただけのような……」
「えっと、何が――」

 瞬間、ゴーレムはその胴体を斜めに真っ二つに切断され、滑り落ちてきた上半身がドシン!! っと爆音を立てて地面へと落ちる。

「…………」
「「え?」」

 その光景に、全員が唖然としていた。
 理解できないものを見たとき、人は固まってしまうようだ。

「剣技……いや、え、魔術?」

 先生は目を見開き、興味深そうに自分のゴーレムの切断面を見る。

「飛ぶ斬撃……? え、いや風魔術か? なんだ……? ん?」

 完全に混乱し、頭にはてなが浮かび上がっている。

「刀を媒介とした風魔術……? 薙ぎ払いのスイングに魔術を乗せて威力を増したのか? 石弓の要領? ――いや、わからん!」
「えっと、どうですかね?」
「えっ!? あ、いや……ああ、ありがとう。よくわかったよ……」

 先生は頭をガシガシと掻きながら、困惑気味にゴーレムを再生させる。

 周りの生徒達も、ポカンと口を開け、今見た光景を必死に理解しようとしていた。

「ま、まあ風魔術か」
「だな」
「け、けどあれだけの破壊力ってAクラス以上なんじゃ……」
「……切れ味が鋭いだけだろ、別に破壊というわけじゃ……」

 口々に語る言葉は、先ほどよりも自信なさげだ。
 それを聞き、カスミは満足げに胸を張っている。

「ごほん、えーっと、次はリゼッタだな」
「は、はい!」
「がんばって」

 言うと、リゼッタは微笑み小さく頷く。

「つ、次はアーステラ帝国の皇女か。一体どんな魔術を使うのか」
「気を取り直して、お手並み拝見といこう」
「さすがに剣を使うとかいうのじゃなさそうだ」

 リゼッタは杖を構える。

「いつでもどうぞ」
「はい!」

 リゼッタは目を瞑り、静かに集中する。
 俺と違い、望んでこの魔術学院に入学してきたんだ。緊張は想像以上だろう。

 リゼッタは静かに「よし」と呟くと、パッと顔を上げる。
 そして、杖をゴーレムへ向けて掲げる。

 目の前には魔法陣が現れる。

「おい、あれ……ファイアボールの魔法陣じゃ」
「初級魔術か……。アーステラ帝国の皇女はいったいどんな魔術を使うかと思ったが……」
「普通だね。というか、ファイアボールじゃゴーレムは無理だろ……」

 懲りずに、生徒たちの嫌な会話が聞こえてくる。
 それに腹を立て、カスミが声を上げる。

『やっちゃいなさい、リゼッタ! あの試験の時の力見せるのよ!』
「聞こえてないから……」

 周りの声など全く気にもしない集中力で、リゼッタは魔術を発動する。

「――“ファイアボール”!!」

「ほら、やっぱ――――」

 刹那、目の前に現れたのは球と呼ぶにはあまりに大きすぎる炎の塊。
 一瞬にして火口に居るかのように周囲の気温が跳ね上がる。

 吹き抜ける熱風。周囲を照らす炎。ちりちりと皮膚が焼けるような鋭い痛み。

「太陽……?」

「いっけええええ!」

 その炎の塊を、リゼッタは思い切りゴーレムへと投げつける。
 が、しかし。

「――あぁ!?」

 そのコントロールは相変わらずで、ゴーレムを逸れて遠く何もない地面へと激突する。

 地面へと叩き付けられた炎の塊。
 その爆音と、吹き抜ける熱風。

 あまりの現象に、ゴーレムが無事かどうかなどもはや誰一人気にしていなかった。

「す、すみません……まったく傷をつけられませんでした……」

 リゼッタはしょぼんとした顔で俯く。

「いやいや、凄い魔術だったよ」
「そ、そうでしょうか?」
「うん!」

 俺はリゼッタの肩をポンと叩く。
 こんな威力の魔術、あの剣聖以来だよ。

 ファイアボールの落下地点は、爆発があったかのように大きなクレーターが出来上がっていた。

 それを見て、先生は少し考えた後、顎髭をじょりじょりと擦りながら言う。

「あー……ごほん。ゴーレムは無傷だが、まあ、なんだ…………お前達、何者?」
「鬼人クエンか……」

 俺は談話室のソファに座り、ため息とともにそう独り言を漏らす。

『ぷぷぷ……笑っちゃうね』

 カスミは相変わらず楽しそうに笑っている。

 とはいえ、俺は笑ってばかりもいられない。
 ヴァレンタインさんの頼みだからとこの学院に来たけど、クエン兄さんはまだ在学中だ。どこかで会うことになってしまうかもしれない。

『いいじゃない、別に。会ったら一発ぶっとばしてやりなさいよ』
「いやいや、それはさすがに……」
「どうしたのよ、変な顔して」

 と、セシリアが俺の様子を見て声をかけてくる。

「あ、えっと、まあちょっと」
「?」
「それより、リゼッタは?」
「あぁ、今着替えてるから、すぐ来るわよ」

 そう言いながら、セシリアは後ろの階段を指さす。

「そっか」
「ねえ、どうだったのよ、授業は」
「授業?」
「なんだか噂になっていたわよ、とんでもない生徒が来たって」
「あぁ、だとしたらリゼッタのことかな」

 俺は、今日の授業で起こったことをセシリアに掻い摘んで説明する。

 するとセシリアは、あぁ~と納得いった様子でポンと手を叩く。

「確かに、あの子魔術の大きさ桁違いだからね、そりゃ大騒ぎになるわね」
「うん。本当凄いよ。この一か月でちゃんと魔術を学んだら、きっとリゼッタは凄い魔術師になるだろうね」
「そうね。負けてられないわ……!」

 セシリアは闘志を燃やす。

 そしてしばらくして、着替えを終えたリゼッタが談話室へとやってくる。

「遅くなりました」

 リゼッタはぺこりと頭を下げる。

「大丈夫よ。――さて、今なら人はいないし、例の話詳しく聞かせて貰おうかしら」
「はい」

 リゼッタは俺達の正面に座る。

 例の話。それは、この学院に来るときにヴァレンタインさんから聞かされたリゼッタの体質の話だ。

 アーステラ帝国の皇女であるという前に、そもそもリゼッタには狙われる可能性のある体質が秘められているのだ。

「一応俺たちはリゼッタの警護を任されている訳だからね、どんな連中がリゼッタを狙ってくるか頭に入れておかないと」
「そうですね。すみません、共有が遅くなって」

 そして、リゼッタは俺達の顔を見て、ゆっくりと語り始める。

「――竜というものをご存じでしょうか?」
「竜? そうね、良く聞くわ。高位の冒険者の中には竜狩りの称号を持つ人もいるわよね。私は直接は見たことないけど」
「俺もないなあ。とてつもなく強いってことだけは知ってるけど」

 すると、脳内でカスミが語りだす。

『竜ねえ……あいつら強いのよね。一体一体生命力が半端なくて、剣術で倒すのは一苦労なのよ』
『あはは……過去の思い出ね』
「それで、竜がどうかしたの?」

 リゼッタは、はいと頷く。

「実は、私――竜の巫女なんです」
「「竜の巫女?」」

 初めて聞く言葉に、俺達はポカンとはてなを頭に浮かべる。

「私達一族は、代々竜の巫女としてその血を引き継いでいるんです」
「一族で……」

 リゼッタは頷く。

「私の母も竜の巫女です」
「竜の巫女っていうのは、何なの?」
「竜は狂暴な生き物です。その力は非常に強く、人間は一たまりもない。けれど、竜血と呼ばれる血を持つ巫女だけは、その竜と対話することが出来る……それが、竜の巫女です」
「竜と……対話……!?」

 それって、竜と話せるってことか?
 ということは、竜と仲良く出来る?

「まあ、本当に話せる訳じゃないんですけど」

 とリゼッタは苦笑いする。

「竜に懐かれやすい、と言い換えると良いかもしれません。竜を味方につけることが出来る、ということがどれだけの力になるかは想像できますよね」
「…………」

 確かに、人間よりはるかに強い竜を手なずけることが出来るのならば、その力は絶大だ。

 もし竜の大軍を率いて攻め込めば、一網打尽だろう。

 その力の強大さに、俺達は思わず息を飲む。

「ですから、この血はいろいろな人に狙われているんです。本当はちゃんと三年間学びたかったんですが、一か月という短い間の短期留学という形を取らざるを得なかったのは、これが理由です」
「なるほど……」
「これは、想像以上ね。いろんな人が狙っていそうね」

 セシリアも、険しい表情をしている。

「でも、ここは魔術学院だ。リゼッタが外で狙われるほどの強大な敵はここに入れないだろうし、敵は絞れるね」

 リゼッタは頷く。

「ですので……申し訳ありません、ご迷惑をおかけしますが……」
「ううん、俺は全然大丈夫だよ。元からリゼッタを守るのは仕事の内だし、それに、俺達もう友達だろ?」
「友達……」

 リゼッタは目を丸くする。

「そう……ですね。私達、もう友達でした」
「だから、セシリアを助けるのは当然だよ」
「! ありがとうございます……!」
「きっと、俺達みたいに敵も誰かを雇って内部に侵入させている……あるいは生徒を懐柔して操って攻撃してくることも考えられる。なるべく一か月の間は俺かセシリアのどっちかは着いていたほうがいいかもね」
「賛成。まあ、クラスが同じホロウの方が動きやすそうね。私は女子しか入れないところとか、そういうところを気を付けるわ」
「お二人とも……! 私、お二人に出会えてよかったです!」

 リゼッタは感激して、俺達の手をグッと握る。

「任せてよ。ただの剣士で頼りないかも知れないけど、一緒に乗り切ろう!」

 こうして、リゼッタの護衛は始まった。
「魔術には地水火風の四属性があり、またそれとの相克である――」

「杖とは、魔術師の命! 最近は杖を使わないで魔術を使うことがかっこよいと思っているひよっこも要るが、私に言わせれば愚の骨頂! 今日は、自分にあった杖の選び方と――」

「薬学は魔術に通ずる。古代では、魔術と薬学は同一視され、薬学もまた魔術の一部とされていたのだ。現代では薬学は独自の発展をとげ、魔術とは袂を別つ形になったが――」

「さあ、アン・ドゥ・トロワ! リズム良く体を動かして!! 魔術を使うにはまず健康な肉体が大事よ! 魔術師は病弱で貧弱なんていうのは昔の話! 戦える魔術師こそ、現代の最先端よ!」

 ――と、さまざまな授業が繰り広げられた。

 どれもが魔術に関する深い知識や技術、考え方や歴史を教えてくれて、今まで自分が知っていた魔術とはいかに狭いものだったかを再確認した。

 俺とリゼッタは常に授業を一緒に受けていた。

 リゼッタは目を輝かせながらすべての授業を真面目に受け、着実に知識を身に着けていっていた。

 一方のカスミは、「もう知ってるし」とかいって刀の姿でそのまま大抵寝てるけど。

 そうして目まぐるしい毎日が過ぎて行き、気が付けば入学から4日が経っていた。
 ここまで来ると学院にも慣れてきて、俺達は次の授業の教室へと向かい渡り廊下を渡る。

「今日は人型なんですね、カスミさん」
「ええ! たまには外歩きたいからね〜。ここなら人が居なそうだし、居ても誰かなんてわからないわよ!」

 そういって、カスミは鼻歌混じりに大きく手足を振って歩く。

「不思議ですね、カスミさんが魔剣だなんて」
「これでもすごい奴なんだよ、カスミは」
「これでもってなによ!」

 カスミはプンプンと頬を膨らませ俺の脇腹を突く。

 竜の巫女の話を聞いた後、俺はカスミを紹介した。
 なんとなくフェアじゃない気がしたからだ。本当は言わないほうが安全にいられるんだろうけど、少なくともそれが誠意だと思った。

「えーっと、次って薬草学ですよね?」
「そうだね。マンドラゴラの捌き方だったかな」
「マンドラゴラ……」

 リゼッタはごくりと唾を飲み込む。
 確かに、マンドラゴラはその声を聞くと死ぬとかいう恐ろしい植物だ。その恐怖は分からないではない。

「ちょっと怖いよね」
「はい……。私、興味があり過ぎて前マンドラゴラをお城に取り寄せたことがあって……」
「えっ」

 なんという行動力だ……。

「その時、耳栓が甘くて失神したことがありまして……ちょっと嫌な思いでというか」
「本当凄いね、リゼッタ……」
「本当に好きなんだね、魔術が」
「いえいえ、周りに魔術が無さ過ぎて、飢えていただけです。いい思い出ですけど」

 リゼッタは楽しそうにふふふと笑う。

「それでいえば、私の――」

 瞬間、バリン!! という爆音と共に渡り廊下のガラスが割れる。

「!?」

 それを聞いて俺はすぐさま右手をカスミの方に伸ばす。

「カスミ!!!」
「もち!」

 カスミは俺の手を握る。
 するとカスミの体が光に包まれ、すーっと俺の手に収まって行き、そして刀の形をとる。

 俺はそのままカスミを腰の位置で構えると、居合の要領で飛翔体が射程圏内に来るのを待つ。

「きゃあああ!」

 遅れて、リゼッタは急な襲撃に叫び声を上げる。

「今——!!」

 俺の振り抜いた刀は、飛翔体を的確に捉える。

『奇襲……!』
『この感触……魔術だ……!』

 俺の刀が触れたそれは、魔術破壊が発動し、バシュン! と音をたて霧散していく。
 そしてその魔術が解けた後、俺の刃は飛翔体のコアに触れ、そのまま一刀両断する。

「な、なんですか!?」
「大丈夫、リゼッタ!?」

 俺の問いに、リゼッタは必死に頷く。

「気をつけて、まだ狙ってるかも」
「……」

 俺は刀を構えたまま、攻撃のあった方向を警戒する。

 しかし、それ以上の追撃はなかった。
 様子見というところだろうか。

 渡り廊下のガラスは粉々に割れ、床にはガラス片が散らばっている。

『ホロウ、さっきのは?』
「なんだろう……魔術っぽくはあったけど……」

 俺は床をキョロキョロと見回す。
 すると、何かが地面に落ちていた。位置的にも、さっき俺が刀で切り裂いた場所だ。

 しゃがんでそれを拾い上げる。

「……羽?」
『何かしら。どこかで見たことあるような……』
「フライドラゴンですね」

 それを見たリゼッタが、俺の持つものを覗き込み言う。

「フライドラゴン?」
「はい。竜種ですが、その中でも虫に近い種類です。高速で移動し、敵を翻弄します」
「なるほど……」
「こんなところに生息している生き物ではないんですけど……。本来は高山地帯に生息する竜です」

 生息域を外れた竜種からの襲撃……。

『偶然ではないわね』
「フライドラゴンのようなタイプだと、味方に出来ないのか? ほら、あの……竜の巫女の力で」

 いいえ、とリゼッタは否定する。

「本来はそのはずなんです。ただ、私はまだ力を完全に制御できなくて……。ある程度ならしが必要なんです。フライドラゴンみたいなタイプだったら、しっかりと認識した上でなら可能なはずなんですが……」
「……ということは、これは”威力偵察”みたいなものなのかな」
『そう考えるのが妥当ね』
「だよね」

 俺は改めて落ち着き、ゆっくりと深呼吸する。

 威力偵察と仮定すると、なんのために?
 リゼッタがどの程度竜を手なづけられるか、確認しに来たのだろうか。

「リゼッタ、フライドラゴンは普通の人でも操れるのか?」
「そうですね、フライドラゴンくらいの小型のタイプ、例えばワイバーンくらいまでなら、普通の人でも自分の方が上だと理解させたら言うことを聞くようになりますよ。彼らは忠誠心が強いですから。だからこそ、大型の竜をも手懐けられる竜の巫女の力は貴重なんです」
「なるほどね。と言うことは、このフライドラゴンは誰かが送り込んだとしても不思議じゃないわけか」

 しかし、考えても今のところはわからない。
 ただ、確実にこの学院にリゼッタを狙う人がいるということは確定した。
 これまで以上に警戒を強めないと。

「へえ、何かと思えば。珍しい気配がしたと思ったけど、フライドラゴンまで現れるとは」
「!」
 突如として俺達の前に現われたのは、ローブを羽織り、フードを被った女性だった。履いているショートパンツから真っ白な脚が伸びている。

 この魔術学院にはどこか似つかわしくない姿だ。

 まだ編入してからそんなに長く経っていないが、それでもこのような人は見たことが無かった。

 まさか、リゼッタを狙う犯人? いや、そんな威力偵察をしていおいていきなり自分が出てくるなんて思えない……。だとしても、こんなタイミングで

 すると、女性は被っていたフードを外す。

 フードから飛び出してきたのは、紺色の襟足の長い髪。
 肌は陶器のように真っ白で、真っ赤な瞳がこちらを見つめている。
 可愛いよりもカッコいいと思わせるような女性だった。

「あなたは……」
「ふんふんふんふん…………面白い。フライドラゴンは久々に見たよ」

 そう言いながら、女性は俺達に見向きもせずに地面に落ちたフライドラゴンを拾い上げて興味深げに眺めている。

「あ、あの……」
「ふむふむ……牙は貰っていこう。あとは、鱗と臓器……ああもう全部もらってくか」

 だめだ、なんだかフライドラゴンに完全に興味が持っていかれている。

 俺は更に大きめの声で言う。

「あの!」
「ん?」

 俺の問いかけに、ようやく女性は反応する。

 そして俺達を見ると、あぁあぁと大きく頷く。

「わかってる、わかってるって。君たちあれだろう、竜の巫女とその騎士」
「!」

 俺達のことを知っている……?
 おかしい、確かにリゼッタが竜の巫女だということは周知の事実だけど、俺がリゼッタを護衛するために来たということは伏せられているはずだけど……。

「大丈夫、私も怪しいものじゃない。ほら、あれだ……なあ、カスミ」
「「!?」」

 瞬間、俺の手の中で刀となっていたカスミがボンっ! と人型に戻る。
 
「えっ……え!? この匂い……ていうか、え!?」

 カスミは唖然とした顔でその女性を見つめている。
 顔から足、顔、足……そして、最後には胸に。

「ちょ、ちょっと待って……え……!?」

 カスミの頭の上にははてなが浮かび上がっている。
 というか、カスミが人前で刀から人型に戻るなんて。もしかして知り合い?

 ということは――

「え、まさか……《《彼女》》がネルフェトラス!?」
「ネルフェトラス? いやいや、今はルシカと名乗っているよ」

 ルシカは銀の髪をファサっと靡かせる。
 確かに、言われてみればカスミが描いた人相書きのような顔に見えなくもない。しかし、瞳の色は赤ではない。

「あぁ。目はちょっと薬品で色を変えてる」
「ちょっと、ネル!! あんた、男だったじゃない!! 何よその可愛い恰好!」
「ん? あぁ、君が寝てからもうずいぶん経つ。そりゃあ性別も変わるさ」

 ルシカはくっくっくと笑う。

 何というか……これは凄い。まさか、性別まで変わってしまうなんて。これが吸血種か。

「それにカスミ。今は私はルシカだ。ネルと呼ぶのは遠慮してもらおうかな」
「ええ、ごめんなさい……けど……ほええ……」

 カスミはルシカの回りをグルグルと回りながら、髪をいじったり、ほっぺたを突いてみたり、とにかく興味深げにべたべたと触る。

「美少女だ……」
「良い趣味だろう? それより、私の方が驚きだよ」

 ルシカはカスミを見る。

「大体どれくらいか……六百年くらいか? まあ私にとって時間はさほど重要じゃない。それよりもだ、《《どうやって出た》》?」

 ルシカは訝し気にカスミを見る。

「オルデバロンの奴の封印があったろ? あれは時が来るまで解除されない代物だったはずだ。私が知る限り、まだその時ではないが……」
「それはね、ほら!」

 カスミはガシっと俺の腕を掴む。

「ホロウのお陰だよ! ね?」
「! えっと……」
「ふうん……彼が?」

 ルシカは俺をじっと見ると、そっと俺の腕に触れる。
 瞬間、ぴくりと目を細める。

「なるほど、あの血筋か」
「?」

 ルシカは一人納得し、改めて床に転がったフライドラゴンの死体を拾い上げ、鞄の中にしまいこむ。

「私を訪ねてきた意味が何となく見えてきた。懐かしい気配がすると思ったけど、君だとはさすがの私も思ってなかったよ。竜の巫女の話も聞いていたし、なるほど、繋がっていた訳だ。ということは、目的は何もその子の護衛だけじゃないだろ?」
「はい、実はルシカさんにお願いがあって……」

 ルシカはすべて集め終わると、立ち上がる。

「話は私の研究室で聞こう。さあ、行こうか」
「いや……」
「?」

 ルシカは首をかしげる。

「どうした、折角の再会だ。私とカスミには積もる話もある」
「いやその、この後授業があるので。ね、リゼッタ」
「えっ! いや、その……まあ、私は受けたいですけど、い、いいんですかせっかく会えたのに」
「当然だよ、俺は確かにルシカさんを探してたけど、今はリゼッタの護衛なんだからさ」

 その会話に、ルシカは面食らう。

「…………面白い。いいさ、また夜に連絡するよ」

 こうして、俺達はとうとう探していたルシカと出会ったのだった。
 一通りの授業をこなし、深夜俺たちは寮をこっそりと抜け出した。

 深夜の外出は許可がない限りは禁止されているが、まあ今日くらい大丈夫だろう。

 深夜の闇に染まった学院を影を伝うように走り、屋根の上に上がって目的地を目指す。

 本校舎から離れたところにある研究棟。
 研究棟では教師や学院が囲っている魔術師たちが日夜研究をしており、各人それぞれに研究室が割り当てられている。

 そんな研究室の一つに、俺は足を踏み入れた。

◇ ◇ ◇

「なるほどなるほど……”魔術破壊”と”魔力過敏体質”か」

 ルシカは一通り俺とカスミが出会ってからの話を聞き、話を咀嚼するようにうんうんと何度か頷く。

 ルシカの研究室は広いが、部屋の至る所に魔術的な道具が並んでいる。
 ホルマリン漬けされた魔物の部位や、薬草、巨大な釜に鏡、杖や水晶……とにかくなんでも並んでいた。

 長い間生きてきた吸血種だからこそこれだけのものが集まっているのだろうか。

「とりあえず、私の自己紹介からといこう。私の名はルシカ。カスミから聞いていると思うが、六百年以上前から生きている吸血種だ」
「吸血種……本当に実在していたんですね」
「ご覧の通り」

 ルシカは両手を広げて自分の体を見せつける。

「とはいっても、確かに君の言わんとしていることもわかる。私達は数が少ないからね。遭遇するなんて稀の稀さ」
「少ない?」

 あぁ、とルシカは言う。

「君たち人間は脆い。寿命も短く、生命体として不完全だ。歳と共に劣化し、やがて死に至る。だからこそ、積み上げたものを次の世代につなぎ、受け継いでいく。個々人ではなく、人類という一つの生命体として進化していく道を選んだということだ。一方で、私達吸血種は強い肉体と長い寿命を持つ。それ故に、受け継ぐ必要がなく一体一体が自己完結した、独立した存在なのさ」

 ルシカは淡々と語る。自分たち吸血種のことを。

「だから、私達が少ないのは当然のことなのさ。増える必要性がないからね。まあ私達のことはこれくらいでいいだろう。それより、君たちのことさ」
「はい、俺、もっと強くなりたくて」

 今より、もっと。
 俺の周りの人間を、誰一人失わなくても済むような、強い力を。

 もう、あの時のような経験は繰り返したくはない。

「なるほど。では結論だけ言おう。君が自由自在に様々な魔術を使いこなせる日は来ない。絶対に」
「!」

 きっぱりと言い切るその言葉に、俺はハッと息を呑む。
 憧れ続けた魔術。使えないとわかっていても耐えたあの屋敷での魔術訓練の日々。

 一縷の望みではあったが、それが今完全に絶たれてしまった。

「ちょ、ちょっとネル! そんな言い方……」

 カスミは心配そうな顔で俺を見て、ぎゅっと手を握る。

「ルシカだ。……早とちりするな。()()()()()といったんだ。現状では微塵も使えない魔術を、多少は使えるくらいにはなるかもしれない」
「えっ、じゃあ……!」
「あぁ。私の知恵があればな。いいか、私は本来は人間なんかにこんな親切に教えたり指導しない。だが、今回は馴染み深いカスミの相棒だから特別に言ってやってるんだ。カスミに感謝するんだな」
「うん! ありがとう、カスミ!」
「あはは、良かった良かった。で、ルシカ、実際にはどうやって?」

 魔力過敏体質により、俺は魔力を使うことは敵わない。
 確かにきっぱりと言い切られたときはそんな、と凹んだが、事実俺が魔術を使える未来はさっぱりと見えてこない。

「まずは君自信の体質を理解することからだ。君は、魔力過敏体質をどう思っている?」

  ルシカはコツコツと足音を立て、静かな研究室を歩きながら問う。

「え? えっと……魔力に対して敏感になっているってことですよね? 魔力を練ろうとしたら体調を崩したり、逆に魔力の反応なんかには敏感になったりしてるし」
「まあ、大枠合ってるな。では、魔術破壊は?」
「魔術破壊は……」

 しかし、ぱっとは答えが出てこない。
 今までしっかりとは考えてこなかったものだ。俺にはそれしか武器がないのだから、使うしかない。そうやってここまでやってきた。

 問われて初めて思う。一体、この力はなんなのだろうか。

「わからないか。いいだろう、特別に私が知っている範囲で教えてやる」

 ルシカはピタリと俺の前で足を止め、俺の心臓にそっと手を触れる。

「いいか、その力は――“魔術の否定”。つまりは、奇跡の否定。夢を見たものに現実を突きつける、あまりにも無慈悲な力さ」
「奇跡の否定……」

 ルシカは頷く。

「あぁ。私はその力を持った人間と、過去に会ったことがある。奇跡を否定する力……鳥から羽をもぎ取るに等しい力さ」
「ルシカ、悪いけどそれはなんとなくわかってるのよ。ホロウが魔術を斬れるのはわかりきってるし」

 カスミはルシカにいう。
 ルシカは、慌てるなとカスミをなだめる。

「本題はここから。その否定はどこで起こっているか。ズバリ、君の身体……体表と認識してくれてもいい」
「体表ですか?」
「正確な表現とは微妙に異なるが、君たちに魔術についての具体的な話をしても仕方ないだろうから、そう理解してくれていい。君が剣で魔術を切断できるのは、剣が君の体の延長と認識されているからさ。魔術でいうところの自己拡張や拡張領域と呼ばれるものだ。きっと、きみは素手でも同じようなことができる」

 確かに、小さい頃は剣だけでなく体で魔術を無効化したこともあった。クエン兄さんのいたずらとか。だが、切れるのはあくまで魔術だけ。魔術が付与された物体自体は攻撃を受けてしまうから、次第に魔術を破壊するときは剣を使うようになった。

「心当たりがありそうだね」
「はい」
「では、もう少し分解してみるとしよう。君が魔力に酔いを感じるのはどんなときだ? 普段生活しているときは感じないだろ?」
「そうですね、たしかに基本は魔術を使おうとしたときですね」
「だろうね。では、外から……例えば強力な魔術を目の当たりにした時は?」
「それは……」

 思い出される、数々の魔術師たちとの戦い。誰も彼も、強力な魔術を使ってきた。
 しかし、それによって俺の感覚が狂い、過敏な反応を示したことはなかった。

「ない……ですね」

 言われてみれば不思議なことだ。
 魔力に過敏であるならば、他人の魔術に反応してもおかしくないはずだが、それは今まで発生したことはなかった。誰もが感じられなかった魔力の反応……例えばカスミの封印されていた場所を見つけたりという経験はあるが、魔術を使うときのようなものは未だにない。

 するとルシカが指を鳴らす。

「つまりだ、君が魔力を過敏に感じるのは、魔術を発動しようと魔力を練り上げる瞬間。そこで君は魔術に拒否反応を示すわけだ。君の体表は本来は外からの奇跡を無効化するはずのものだ。しかし、体内での奇跡の発動によりその無効化のシステムが誤作動を起こしてしまう。その時、君は魔力過敏となるわけだ」

 俺はさっと自分の胸に手を当てる。
 この中で、俺の魔術は自分の否定により牙を剥いているのか。

「魔術というものに生涯を捧げている私からすればそれは呪い、バットステータスさ。だが、時代によってはその力は、こう語られている――勇者の力と」
「勇者……!?」
「カスミ、覚えはないのかい?」
「私は……」

 カスミは頭を抑え、苦しそうに体を曲げる。

「カ、カスミ、大丈夫!?」
「う、うん……」

 カスミは険しい顔で、それでも笑顔を浮かべて頷く。
 それを興味深げにルシカは見つめて、つぶやく。

「封印の影響か……難儀だね。まあいい。とにかくだ、君の持つ力は強大で、そしてそれを無くすことはおそらく不可能だ。それは君の魂に刻まれた力だ」
「…………」

 わかっていたことではあった。だけど、やはりその事実に落胆してしまう。

 それにしても、勇者の力って……ヴァーミリア家に伝わる勇者伝説となにか関係あるんだろうか。あの壁画と……。

「だが、落ち込むのはまだ早い。内が駄目なら外だ」
「外……?」
「あぁ」

 内が駄目なら外……。
 俺が体内の魔力を発動しようとして、その魔力の起こりを察知して俺の体は誤作動を起こしている。

 だったら、体の中の魔力ではなく――。

「……体外の魔力を使用した魔術……?」

 ルシカはニヤリと笑う。

「ご明察。私たち吸血種は空気中に漂う魔素――マナをかき集めて魔術を行使している」
「まさか、俺もそれを使えれば……!?」
「その通り。君でも魔術を扱えるようになるだろう」
「本当に!? やった……ホロウ、やったね!」

 カスミは俺のもとに駆け寄ってくると、ギュッと抱きついてくる。
 現実感のない希望に、体がふわふわとしている。

 暗闇の中に、光が見えていた。

「ま、体の構造が違う以上私達レベルまで扱うのは無理だろうがね。体外と体内の魔力が干渉して、反発を起こすはずだ。扱える魔術はそれほど多くないだろう」
「それでも……! 俺には夢の様な話です!」

 まだまだ、俺は強くなれる……!

「カスミもいつまでも剣としてだけじゃ飽き飽きしてただろう。魔力を外から補充できるようになれば、魔剣の力も使えるようになるだろうさ」
「! そうだった! 私もこれでホロウの役に立てる!」

 カスミは嬉しそうに飛び跳ねる。

「明日から特訓をつけてやるよ」
「い、いいんですか!?」
「あぁ」
「なんで見ず知らずの俺のためにそんなこと……」
「言ったろ、カスミの相棒だからさ。この子にはまあ、いろいろ借りがあるからね」
「?」

 カスミは不思議そうに首を傾げる。
 カスミの消えている記憶の中での話なのだろうか。

「カスミは覚えてないだろうけどね。あとは……先代のその力の持ち主へのお礼ってところかね。一代後で悪いが、君への指導で私の胸のつかえを一つ取り除かせてもらうよ。こっちの都合で悪いがね」

 長い時を生きる吸血種。だからこそ、いろいろな経験をしてきたんだろう。その中で、きっと共にあったであろう先代の魔術破壊の力の持ち主。

 聞いてみたい気持ちがあったが、これ以上聞くのは野暮だと俺はぐっと言葉を飲み込む。
 そして、深々と頭を下げる。

「こちらこそ、願ってもないです! よろしくお願いします!」

 こうして、俺の魔術修行が始まった。
 俺はルシカさんの修行を受けることになった。
 不安はある。今まで駄目だった魔術が、本当に俺なんかに使えるようになるのだろうか。

 だが、カスミが信頼する人だ。きっと、なにか掴めるはずだ。
 体外の魔力……マナを利用した魔術の発動。そこに、俺が更に強くなるための鍵がある……!

 ルシカさんは腕を組み、トントンと腕を叩く。

「一ヶ月……正確にはもう三週間程しかない。オドと違い、マナの扱いは繊細でありかつ大胆という矛盾をはらむ。生半可な覚悟では上手く行かない。ほとんど私の修行は無為に終わるかもしれないが、全力は尽くそう」

 ルシカさんの言葉に、俺はお願いしますと頭を下げる。
 カスミともかつて一緒に行動していたこともあるわけだし、そして今もこの最高峰の魔術学院で魔術を教えている。信頼できる人だ。きっと大丈夫だろう。

 修行は大きく分けて三工程ある。
 認識、循環、発露……どれも今まで学んできた魔術(もちろん、使えなかったわけだけど)とは違う特殊な技能だ。ルシカさんが言うとおり簡単にはマスター出来ないだろう。だけど、俺はここで強くなるんだ……!

「体内魔力であるオドではなく、自然界のマナを認識する必要がある。それがいかに難しいかわるか?」
「なんとなく……。今まで人が発した魔力しか感じたことはないですから、それ以外の魔力となると、認識から改めないと」
「その通り。君が体を動かすとき、体がどういう姿勢か、どれほど力がかかっているかは感覚的に理解している。だが、一度体から離れれば途端にそれは掴めなくなる。マナと肉体の関係も同様。自分の体の周りに漂うマナを、自分自身のように知覚し操れるようにならなければ、それを魔術に応用するなど不可能というわけだ」
「…………」

 言うは易しとはこのことだ。
 いうなれば、目に見えない三本目の腕の感覚を掴めと言っているようなものだ。見えないのに、どうやって……。

「難しく考えることはない。ようは水の中と同じだ。周りに満たされていると認識できれば、理解は早い。それに、君は魔断の力を持つ。過敏な魔力への反応は何もオド――体内魔力にとどまらないはずさ。とりあえず今週はマナの感知に全集中しよう。これを」

 そういってルシカさんは俺に杖を渡す。
 古い木で作られた魔杖だ。古く、くすんでいるのにも関わらず、その存在感は持っただけで感じられる。

「それはサラドールの杖。大気中のマナを吸収し易いサラドールの木で出来た、かつての魔術師が使用していた特注の杖だ。修行の第一段階。まずは見える形でマナを認識するために、その杖にマナを貯める訓練からだ。見えないものを見えるように暴く。それが奇跡をなすための第一歩さ」
「第一歩……! がんばります!」
「がんばれホロウ! ホロウならできるよ!」

 カスミはグッと拳を握る。

「ああ……! いくぞ!」
「まあ、気長にね。すぐにできるもんでもないさ」

 俺はすべての神経をその杖に集中する。
 オドではない、マナを感じ取る……。

 大気中……俺の周囲を漂う魔力の素……。
 ルシカさんが言っていたように、俺が水の中に居るイメージで……。

 そっと目を閉じ、意識をさらに集中させる。

 体の中の魔力《オド》を感じる。だがこれじゃない。そこから更に外……この杖を俺の腕……いや、カスミだと思って、その周りに漂うマナを感じ取る。

 少し杖を左右に動かしてみる。瞬間、かすかに波を感じる。
 これは……! これを掴む!!

 感じ取った感覚を、更に集中して一気に巻き取るイメージ……!

「――これは……驚いた」

 瞬間、杖が僅かに光りだす。
 その光で、俺は目を開ける。

「飲み込みが早いようだ。前言撤回しよう。君なら三週間でマナを操れるようになるかもしれない」
 そうして、ルシカとホロウの特訓の日々は続いた。
 俺が特訓中はセシリアにリゼッタの警護を任せて、ひたすらに特訓に励む。

 昼は学院の授業、夜はルシカとの特訓。

 二足のわらじの学院生活。忙しいけど、充実した生活を送っていた。
 そんなある日。

「……また来てるよ。こっちまで危ないってのに」
「そりゃそうでしょ、あまり大きい声で言わないでよ聞こえるでしょ」
「悪い……」

 そんな声が、教室の端の方から聞こえてくる。

 その声を聞いて、リゼッタは申し訳無さそうに少し顔を俯ける。

「大丈夫、リゼッタ?」
「――ええ、大丈夫ですよ」

 リゼッタは金色の美しい前髪を耳にかけながら、笑みを浮かべる。

「さあ、授業です。今日も頑張りましょう」
「……あぁ」
『…………』

 リゼッタの噂はあっという間に広まった。
 ”竜の巫女”。アーステラ帝国の皇女がその血筋であることは以前から実しやかに囁かれていた都市伝説だった。

 しかし、ことの発端は生物学の授業だ。
 授業で使うレッサードラゴンは気性が荒く、毎年何人かは怪我人が出ることで有名だった。しかし、今年はそうはならなかった。

 なぜなら、リゼッタが居たからだ。

 檻から出た手乗りサイズのレッサードラゴンは、例年のように教室を飛び回り、その鋭いくちばしを持って生徒たちに襲いかかるものと思われた。

 しかし、空中を旋回した彼らは一目散にリゼッタの元へと集まってくると、まるで森で戯れる動物たちかのように、リゼッタの周りを元気よく飛び回ったのだった。

 それを見て、ほとんどの生徒がリゼッタの特性を理解した。

 それからは珍しいもの見たさで注目を浴びていたが、二度三度リゼッタを狙った襲撃があった。それによって怪我をした生徒も居た。

 そんなことが続き、次第にリゼッタは腫れ物のように扱われ始めた。

 近づくと巻き込まれる――と。
 そもそもドラゴンに好かれるという現象自体を忌み嫌うものも居たりして、正直今のリゼッタの立場は良いものではなかった。

 それでもこうしてリゼッタは気丈に振る舞っている。俺があまり首を突っ込む問題でもないのかもしれない。

「あれ、リゼッタは?」

 お昼、リゼッタの姿が見当たらず、俺は思わずそう口走る。
 しかし、それに答える回答は聞こえてこない。

『どこだろう、やっぱりちょっと授業いやになっちゃったとか……』
「そんな……探そう」
『そうね』

 俺たちは手分けして学院を探し回る。
 学院は広いが、俺たちが行けるところは限られている。リゼッタが行くところといえば、なんとなく察しはつく。

 訓練場を抜け、森へと入る。
 しばらく進むと、塔が見える。とある魔物の管理塔だ。
 竜の巫女の話を聞いていた学院が、リゼッタの力を見たいと最初に案内した場所だ。

 入り口には大柄な管理者のおじさんが立ってる。

「あの――」
「あぁ、護衛の。中にいるよ」
「ありがとうございます」

 どうやら当たりのようだ。
 中に入ると、檻の前に座る金髪の少女を見つける。

 少女は檻の近くに寄っており、その少女により掛かるように檻の中のドラゴンが近づいている。そうそうお目にかかれる光景ではないのだろう。

「リゼッタ」
「ホロウ! ……どうしたんですか?」

 リゼッタはムクリと身体を上げる。

「ここに居たんだ」
「ええ、この子が私に懐いてくれているので、良く来てるんですよ」

 グルル、と短く喉を鳴らすドラゴン。
 俺でもわかる。ドラゴンがこんな拾った猫みたいななつき方をするのは異常だと。これが竜の巫女の力だ。

 このドラゴンは大きさはそこまでではないが、きっとそれでもかなりの力がある。こんなドラゴンが、リゼッタの意思で何十、何百と従ったら、それはとてつもない力となる。

 俺はリゼッタの隣に座る。

「どうしたんですか、お昼終わっちゃいますよ」
「ちょっと話したくて。どう、学校は」
「楽しいですよ、学びたかった魔術の学校ですから!」

 まあ、あまりまだ上手くは言ってないですけど、とリゼッタは楽しそうに笑う。

「そうか」

 なんて言ったら良いか。
 けど、リゼッタは落ち込んでるかもしれない。俺が、せめて友達の俺が気にかけてあげないと、リゼッタは嫌な思い出だけを持って国に帰ってしまうかもしれない。それは嫌だ。

「ねえ、リゼッタ」
「はい?」
「最近その……いろいろ陰口が聞こえてきてるけど……大丈夫?」
「…………あぁ!」

 リゼッタはぽん! と手のひらに拳を打ち付け、「そのことでしたか!」と声を上げる。

「全然気にしてないですよ」
「あ、あれ? 本当に……?」
「はい!」

 リゼッタはケロッとした顔で、いつものような太陽のような笑顔を見せる。

 その顔は、嘘を言っているようには見えない。

「心配してくれたんですね」
「そ、そりゃそうだよ……!」

 リゼッタはふふっと楽しそうに笑う。

「ありがとうございます。嬉しいです。確かに陰口は気持ちが良いものではないですけど、覚悟してきたものですから」
「覚悟?」

 リゼッタは頷く。

「私は竜の巫女。ただでさえ隣国から来ている上に、厄介ごとの種まで持ち込もうとしているんです。いい顔して迎えてくれる人ばかりではないことはわかってました。自分本位な決断だったとも思ってます」
「リゼッタ……」
「ですが、それでも私は魔術を学んでみたかった。だから今私は幸せなんです。覚悟は出来てましたし、言われても仕方ないと思ってます」
「仕方なくないよ」
「ホロウは優しいですね。私は、私と一緒に居てくれるホロウ達が居てくれればそれで十分です!」

 リゼッタはまた満面の笑みを見せる。
 どうやら、俺が思っている以上にリゼッタは強い少女だったみたいだ。そりゃそうだ、覚悟して、一人でこの国まで来てるんだから。

「はは、すごいよリゼッタは。女の子一人で他国なんて」
「ふふ、皇女ですから」
「俺たちはリゼッタの味方だからさ。いつでも頼ってよ」
「はい! 私も少しでも魔術を学んで帰れるようにがんばります!」
「俺もリゼッタのことばかり心配してられないな……」

 そうして、俺たちは二人で教室へと戻った。
 
◇ ◇ ◇

『うんうん、なるほどねえ。順調ではあるか』
「はい、もう期間もないですけど、今のところはリゼッタも無事です」

 俺はルシカの部屋で、ヴァレンタインとの定期連絡を行っていた。

『とはいえ、襲撃が何度かあった以上、警戒は続けてくれよ』
「もちろんです! リゼッタは俺が守ります」
『はは、頼もしいよ。こっちは結構いろいろ起こっている。各地で魔王教団が騒ぎを起こしてるんだ。今まで水面下だったのが、大分表に出てきている』
「魔王教団……」

 リーズたちの敵……あいつらだ。

『彼らの魔剣集めが加速しているらしい。王都の魔剣の守りも固めないといけないから、各地の守りが相対的に薄くなってしまう。君たちも気をつけてくれ。まあ、学院に彼らもようはないだろうが』
「ですね」
「いや、そんなことはない」

 不意に、後ろからルシカが話に割って入る。

「どういうことですか?」
「この学院にあると言っているんだ、魔剣が」
「!?」
「魔剣が……?」
「あぁ。あの塔が見えるか?」

 ルシカは窓から森の方を指差す。
 そこには、木々の中に紛れて一つの古びた塔が立っていた。

「あれはかなり強い結界が貼ってある宝物庫になっていてね。古今東西のさまざまな魔術的な物品が眠っている」
「その中に魔剣があるってこと……ですか?」
「そういうことだ。魔術学院に眠っているというのはそれほど広まっている話じゃないから、知っている者はそういないがな。昔から生きてる私くらいなものだ」

 この学院に魔剣が……。
 なんだろう、とてつもなく胸騒ぎが……。

『まずいな……そこの魔剣の守りはどうなっている?』
「ないさ。だって誰も知らないんだから」
『…………仕方ない、私が行こう。現物の確認が出来たら、守りを固める申請をする。明日向かうから、案内を頼んでいいかい、ホロウ』
「わかりました」

 魔王教団……あの腐食の剣士――リディアの組織……。
 魔剣が揃うと、世界が手に入るか……。

 空は曇り始めていた。何かが起こりそうな……そんな嫌な予感が拭えなかった。

「ホロウ……」

◇ ◇ ◇

「遅いなあ、ヴァレンタインさん」
「そうね、何やってるのかしら。こんなところで私達を待たせて!」

 早速学院の魔剣を見に来るヴァレンタインさんを出迎えるため、俺たちは正門まで来ていた。

 ここまで守衛の人がヴァレンタインさんを連れてくる手はずだ。
 堅牢なこの学院は、陸路ではまず侵入できないだろう。これだけセキュリティが硬い建物も稀だ。それだけ、この魔術学院というものに秘匿性が高いんだろうな。

「リゼッタとセシリアは食堂でしょ? あーあ、私もそっちにいればよかったかしら」

 カスミはふてくされるようにプンと頬をふくらませる。

「ごめんよ、カスミ。今からでも戻ってていいよ?」
「……冗談よ、もう! 私がホロウから離れる訳無いでしょ!」
「あはは……。それじゃ――」

 と、俺が振り返った瞬間。それは、俺の視界の片隅に捉えられた。

 一瞬目を疑う光景。だが、それは確実に現実だった。
 空一面を覆う、黒影。

「カスミ、あれ……!!」
「え?」
「あれは……ドラゴン!?」

 それは、曇天の空に浮かぶ、ドラゴン達の姿だった。その背には、誰かが乗っていた。魔術学院が催したイベント……などと、呑気なことを思っていられる光景ではなかった。そこにあるのは、明確な敵意だ。

 そのドラゴン達はそのまま学院の敷地内に侵入すると、魔術のようなものを放ち、学院に雷が落ちる。遅れて、爆発音。

「!?」
「雷……魔術!? うそ、何が起こってるの!?」

 遠くから悲鳴が聞こえてくる。
 ざわっと、体中の毛が逆立つ。

「襲われてる……!? まさか、魔剣を狙って!?」
「魔王教団!? 魔剣の在り処を嗅ぎつけたってこと!?」
「そうとしか考えられない! このタイミングで、まさか上空からやってくるなんて……!」

 俺は、すぐさま踵を返して走り出す。

「ホロウ!?」
「昨日ルシカさんが言っていた塔に向かおう!! 魔剣が危ない!」

◇ ◇ ◇
 
「魔王教団……バンザイ……」
「くっ!!」

 俺は剣を振り、目の前の騎士を切り倒す。
 そばには、小型のドラゴン。つまり、竜騎士だ。

「はあ、はあ……!」
『ホロウ、これって……』
「あぁ、やっぱり魔剣だ……!」

 空からは、次々と竜騎士達が乗り込んできていた。
 こいつらすべて、魔王教団……! まさかこれほど人数が多いなんて……!
 
「きゃあああああ」
「無理だ……逃げろおおおおお!!」
「うわあああ!」

 学院は阿鼻叫喚だった。みんなパニック状態だ。
 無理もない。こんな、突然わけも分からず襲われるなんて、普通考えられる訳がない。

「くそ、魔剣が……でも、生徒達も見捨てられない!」
「ホロウ……」

 くそ、どうすれば……魔剣が奴らの手に渡れば、この世界が……。

 すると、聞き慣れた声が響く。

「隊列を組め、馬鹿どもが! いいようにやられてどうする! 僕たちは誇り高きリグレイス魔術学院生だぞ!!」

 生徒たちを一括する声は、癖っ毛の上級生から聞こえてきた。
 二階のバルコニーから叫ぶ彼は、魔術で一人の竜騎士を地面に叩き落とす。

「クエン先輩……」
「クエンの言うとおりだ、戦うぞ!! 俺たちが団結すれば、こんな敵訳ない!」
「貴族を……魔術師を舐めるなよ、賊が!!」

 うおおおおお! と、生徒たちが団結していく。
 その光景に、俺は思わず高揚していた。

「クエン兄さん……!」
『あのポンコツ兄貴……意外とやるじゃない』
「あぁ……腐っても、僕の兄さんなんだから……!」

 俺の中の迷いは消えていた。

「行こう、カスミ。ここはクエン兄さんたちに任せて、魔剣がある塔へ……!」
『ええ!』