「まだ奥があったのか……」
そう呟きながら、俺は松明を片手にダンジョンの壁に手を滑らせながら奥へ奥へと進んでいく。
今まではダンジョンの手前の方で訓練をしていたが、ここ数日どんどん調子が上がり、俺はとうとうダンジョンの最奥にたどり着いた。
魔物の数がそれほど多くは無く、規模としては小規模なダンジョンだったお陰ではあるが、我ながらよくやった方だと思う。
きっと認識阻害の魔術が掛かっていたくらいだから、このダンジョンの防衛機構としての魔物はそれほど多くなかったのだろう。
そして今日、俺はダンジョンの最奥の部屋で、さらに奥へと続く道を見つけた。
そこは少し細い道になっており、細く長く続いていた。
しかも、その奥からは不思議な魔力の反応が漂ってきていた。
もしかすると、何かあるのかもしれない――。
好奇心に突き動かされ、俺は松明を片手にその道を突き進んだ。
じめっとした空気が、肌にまとわりつく。
シーンと静まり返った空気の中、奥から漂ってくる魔力は今まで感じたどの魔力よりも異質で、そして濃密だった。
しかし、不思議と恐怖心は無かった。
ともすれば、何か呼ばれているような、そんな不思議な感覚さえあった。
しばらく無心に進み、丁度曲がり角を曲がったところで、突如開けた空間に出る。
そこはまるで何かの儀式を行うためのような不思議な空間だった。
「ここは……――」
ガランとした空間に、俺の声が木霊する。
と、その時。
俺の高鳴っていた心臓が一瞬にして止まり、目を見開く。
「なっ……んだこれ……!?」
俺の視線の先には、四角い石古びた石像。
その石像の前に、一人の少女が神々しく輝く光の鎖に縛られ、ぐったりと項垂れていたのだ。
なんでこんなところに人が?
死んでるのか?
という当然の疑問の前に、俺はただただ"美しい"と感じていた。
光の鎖に包まれ、ぼろい布切れを纏った一人の少女。
黒い艶やかな長髪と、露わになった真っ白い四肢。
両腕を縛られ、まるで囚人の様に捕らえられた少女。
茫然としたまま吸い寄せられるようにそれに近づき、俺はそっとその頬に触れる。
――冷たい。
死体……なら腐っているはずだが、不思議なことに傷一つない。
生きているにしては冷たいが、死んでいるにしては綺麗すぎる。
なんだこれは……。
しばらくその姿に目を奪われていると、不意に――
『――――――』
頭の中にノイズが走り、一瞬にして我に返る。
「な、なんだ……!?」
俺は咄嗟に頭を抑える。
何かに侵入されたような……。
『待っていた……六百年間、ずっとこの地で……』
「!?」
女の声が、突如として脳内に響く。
俺は突然の声に慌てて周囲を見回す。
「だ、誰だ!? どこから声が……魔術か!?」
しかし、どこにも人の姿は見えない。気配もない。
あるのは、動かない縛られた少女の身体だけ。
『私からあふれ出た霞の魔力……そこから顕現したダンジョンは見つけるのが困難だったはず。良くこの地を見つけ――』
「だ、誰だ……!! 姿を見せろ!」
俺はしまっていた剣を構える。
姿はないのに、確かに頭の中に声が響いてくる。
不思議な感覚だ。まるで自分の身体が二つの意識で奪い合いをしているような、奇妙な感覚。
『私は動けない身。束の間の交流を持つというのも――』
「だから、この声はどこから――」
『長らくここで縛られ、さすがの私も――――』
「あぁぁもう!! だから、あんた誰だってんだよ! 頭の中でキンキン喋ってないでまず姿を見せてくれ!」
『きゃっ!!』
甲高い悲鳴が脳内に響く。
きゃ……?
少しの沈黙の後、気まずそうに女の声が聞こえる。
『……ご、ごめんなさい。あ、あの、あんまり大声出さないで……』
その声は、恥ずかしそうにオドオドした様子で声を潜める。
まるで俺の大声に怖くなったかのような……。びっくりさせちゃったのか……?
「え、えっと…………」
『ご、ごめんなさい……人の声を聞くのは……すごい久しぶりだから……。特に男の人の声はちょっと……びっくりするというか……』
な、なるほど……。
コミュニケーションの取り方がバグって一方的に話してたのか。
「あーっと、ゴホン。と、とにかく……一旦質問させてよ。あんたは誰なんだ? どこに居るんだ?」
『……あなたの目の前よ』
目の前……?
俺はそのまま視線を上げる。
しかしそこには何もない。あるのは、鎖に縛られた少女だけ。
少女……だけ……。
「え……まさか……?」
『そうよ、そのまさかよ』
「まじかよ……」
声の主は、目の前に縛られた黒髪の少女。
いやいや、理解が追い付かないんだが……。
これも魔術……なのか?
「えっと、六百年て言ってたけど……」
『そうよ、私は六百年間、ここで人が来るのをずっと待っていた』
「は……はは。訳わかんねえや。魔術ってすげえ……じゃああんた生きてるのか?」
『生きている――と言えなくもないわ』
「なんか煮え切らないな」
『私は"封印"されているの。仮死状態みたいなものね』
「あぁ、確かに。光の鎖みたいのに縛られてるけど……それが封印ってやつか」
とその瞬間、頭の中に声にならない声が上がる。
「――っつう!! な、なんだ急に!?」
『あなた……鎖が見えるの!?』
「? あぁ、まあ見えるけど……」
『奇跡だわ……。もしかして、貴方……封印を解けるんじゃ……』
「解けるかも」
『まあ無理よね……。あの自称大魔術師……オルデバロンの奴が何重にもかけた多重封印だし。何百年も待ってたのに突然そんな簡単に――――て、え? と、解けるって言った?』
俺は頷く。
ポカーンという擬音が聞こえてきそうな沈黙。
「多分解けるよ。俺、こう見えて魔術なら何でも壊せるんだ。凄いだろ」
俺は得意げに胸を張る。俺の唯一誇れるものだ。
『魔術ならなんでも……まさか……』
「? 出来ると思うけど……」
『……それが本当なら、あなたなら可能かもしれない。――だとしたらあなた……そう、そういうこと』
黒髪の少女、頭の中に響く声は、少しの沈黙の後再び声を発する。
『――私は霞』
「カスミ……変わった名前だな」
『この世界に存在する九本の魔剣。その一振りよ』
「……え?」
俺はその少女――カスミの突拍子もない発言に思わずアホみたいな声を漏らす。
「ちょ、ちょっと待て。剣……? 剣って言った?」
『ええ。私は九本の魔剣のうちの一振り。妖刀【霞】』
「混乱してきた。え、つまり、剣だけど人間の姿をしてる……ってこと?」
『私は特別仕様なの。まあ、人間の姿に成れる剣だと思ってくれればいいわ』
そんなこともあるんだろうか……。
まあ魔術の世界は奥が深いからなあ。そういうことがあってもおかしくない……のか? くそ、魔術の知識が乏しすぎてわからない。
でも、この子が嘘を言っているようには聞こえないし……。
「まあいいや。君は剣なんだね。妖刀……」
『そう。もしあなたが私の封印を解除できるのなら、私はあなたの剣になるわ。私のことを好きに使ってくれて構わない』
「え、俺の剣にしていいの?」
『もちろん。私はあなたに服従するわ。それにこの封印を解けるのなら、あなたにはその資格がある』
「資格……。でも俺そこまでまだ強くないけど……そんな妖刀なんて大それたものもらってもいいのかな」
『封印から助けてもらうんだもの、あなたは紛れもなく私の恩人になる。それに、封印を解除できる人間が弱いなんて到底思えないわ』
なるほど。理屈は何となくわかる。
『それに、私は名だたる剣豪によって扱われてきた妖刀。私の身体に蓄積された剣術で、あなたを鍛え上げることもできるわ。そうすれば、あなたはより強くなれる』
「名だたる剣豪の……剣術……!? まじで!?」
『……あなたには、妖刀よりも剣術の方が琴線に触れるみたいね』
少し可笑しそうに、少女は初めてクスクスと笑い声を上げる。
「い、いいだろ。俺のこの特異体質のせいで魔術が使えないんだ。剣術を磨くしかない……。もし過去の剣豪の技が身に着けられるなら、これ以上のことはないよ!」
『なるほど。やはり、あなたなら私を預けられそう。封印が解除された暁には、あなたの剣――刀になると誓うわ』
俺の剣……剣豪の剣技……!!
俺は身体が震えるのを感じる。
恐怖じゃない。これから俺は更に高みへ……剣術の頂へ登れるかもしれないという興奮に、武者震いが止まらなかったのだ。
「――よし、じゃあ俺があんたの……カスミの封印を解いてやる!」
俺は目をキラキラと輝かせ、ずんずんとカスミの身体へと近づいていく。
近くから改めてみると、やはり美しい。
俺は手に持った剣を上段で構えると、光の鎖へと狙いを定める。
『ありがとう。あなたなら――』
「あなたじゃない」
『?』
「俺は――――ホロウ・ヴァーミリアだ……ッ!!」
俺は力任せに、ワクワクと希望を乗せてその剣を振り下ろす。
光の鎖に触れた剣は、その魔力の流れを断ち切る。
――パリンッ!!
甲高い音を響かせ、カスミを縛り付けていた光の鎖は、空気中へと金色の粉をまき散らしながら消えて行った。
「大丈夫か?」
俺はそっとカスミに手を伸ばす。
か細い腕を掴み、手のひらを握って立たせる。
さっきまで冷たかったその身体に、急速に熱が戻って行く。
俺はその事実に、安堵の溜息を漏らす。
良かった、ちゃんと生きていた。
「うん。ありがと……」
透き通るような、少し高い声。
さっきまで脳内に響いていた声が、今はその声帯が震え俺の鼓膜を揺らす。
黒髪がサラサラと長く伸び、前髪の隙間から、ブルーの輝く瞳が覗く。
すらっとした体型で身長は俺より数センチ高い程度だが、胸はそれなりに主張が激しい。
刀の年齢(?)は分からないが、見た目の年齢は十四、五歳と言ったところだろうか。少なくとも十代のような見た目だ。着ているボロ布が所々穴が開き、魅力的な素肌が覗き見える。
カスミは少し震えながら、身体を左右に揺らす。
自分の身体の状態を確かめるように、手をにぎにぎと繰り返したり、頬を引っ張ってみたり、ペタペタと裸足で地面を踏みしめてみたり。
まるで幼女の様に、ゆらゆらと落ち着きのない姿を見せている。
「うん……うん……。動きは問題ないみたい」
カスミは繰り返し頷く。
そうしてようやく、パッと顔を上げて俺を見る。
カスミはすっと右手を差し出し、俺の手を握る。
「ありがとう、えーっと……ホロウ。私を封印から解放してくれて」
「あ、あぁ。えっと、気にしなくていいよ……うん」
俺は少し照れ臭くて反対の手で頬を掻く。
カスミはじっと俺の目を覗き込んでくる。
吸い込まれそうな、そんな感覚。
「――私はあなたの刀として。ホロウ……あなたに付き従うわ。私はあなたの剣。あなたを私の所有者として認めるわ」
「俺が……所有者……」
カスミはコクリと頷く。
「手、握ってて」
そう言い、カスミは俺の右手にさらに力を入れる。
俺はそれにこたえるように握り返す。
すると、俺の右が触れていたはずの柔らかい感触が一気に硬くなる。
人間とは思えない、無機質な感触。
目の前の黒髪の少女が、まるで溶けるかのように姿を変え、次の瞬間――俺の手には一振りの刀が握られていた。
「……えっ?」
はっ……まじ……?
本当に、剣……!?
『剣だけど、これは刀よ。東方の島国で作られた、片刃の剣』
「うわ、さっきみたいに声が頭に」
『今のはさっきと少し違うけどね。私が所有者として認めた相手は、声に出さなくても意識が通じあうの。まあ、私が刀の姿の時だけだけど』
なるほど……認めてくれた、ってことか。
『そうよ。嫌だった?』
「そんなことないよ。俺自分の剣なんて与えられたことなかったし……これだって勝手に倉庫から引っ張り出してきただけだし。兄さん達みたいに何かを買い与えてもらったこととかないから……めっちゃ嬉しいよ!」
『……ならよかった』
「それに、剣豪の剣術を学べるんだろ!? あーめっちゃワクワクするなあ」
俺は居てもたってもいられず、うずうずとしながらカスミを上下に振る。
――っと、これ、刀……何だよな。
俺はまじまじとカスミを眺める。
先ほどカスミを見た時と同じような、不思議な魅力を感じる。
吸い込まれそうな不思議な輝きを放つ刀身。
これが妖刀……。
『じゃあ一旦戻るね』
そう言った次の瞬間、俺の手に握られていた刀は溶けるように崩壊し、あっという間に元の人間の姿に戻る。
まあ、刀なんだからどっちかと言えば刀の方が元の姿な気もするけど。
「ふぅ。こんな感じ。これからよろしくね? 私を解放してくれた恩は絶対に返すから! ご主人様!」
俺はそのご主人様という呼び方に、思わずむせ返る。
「ゲホッゲホ!」
「だ、大丈夫!?」
「あ、あぁ……お、おい頼むからご主人様は止めてくれ」
俺の答えに、カスミは首をかしげて唇を尖らせる。
「うーん、じゃあ何て呼べば……」
「ホロウでいいよ、ホロウで。名前で呼んでくれればそれでいいから」
「そう? わかった。じゃあホロウ、これからよろしくね。私はカスミでいいよ」
カスミは満面の笑みでそう返事をする。
それは完全な美少女で、まるで刀だなんて思えないような、そんな人間らしい表情だった。
「あぁ。よろしくな、カスミ」
「うん!」
こうして俺は、ダンジョンの奥で出会った不思議な魔剣――妖刀【霞】を手に入れたのだった。
「ふぁあ……おはよう……」
俺はベッドで身体を起こすと、横に眠っている黒髪の少女――カスミに話しかける。四年前から姿の変わらない、魔剣の少女。
「んんん……もうちょっと……」
カスミは呆けた顔でむにゃむにゃとしながら、ぐりぐりと頭を俺の脇腹の方へと押し付けてくる。
「……ったく。今日は訓練の日なんだから、朝から忙しいんだぞ」
「うぅ……」
俺はさっさとベッドから這い出ると、勢いよくカーテンを開ける。
「うぐえっ」
陽の光に、カスミは思わず布団を頭まで被り奇声を上げる。
「起きろっての、まったく」
「わかった起きるよ……」
そう言い、カスミはもぞもぞと布団から脱する。
俺のおさがりのシャツを着て、白い脚を無造作に放り出しながらカスミは身体を起こす。
四年も一緒に居ればもう家族みたいなもので、当初はドギマギしてしまっていたカスミの美少女っぷりだったが、今では一緒に寝ても何ら邪な感情は湧いてこなくなっていた。
既に起き上がって着替えている俺の後ろで、カスミはまだ瞼をごしごしと擦って眠そうにしている。
まったく……何が魔剣のうちの一振りだ。
少し威厳があるような雰囲気だったのは最初の一か月くらいで、気が付けばあっという間にカスミはただの女友達のようにフランクな感じになっていた。
まあ、いつまでもご主人様! みたいな感じでいられても困るから俺としては別にいいんだが……魔剣としてそれはどうなんだ。
あの頃俺よりほんの少し高かった背も、今や完全に俺の方が追い越している。
「――うし、ほら、もう行くから」
俺はそう言って、カスミの方に手を差し出す。
「ふぁああ……わかった。まあ鞘の中で寝てるよ」
「はいはい」
カスミは俺の手を握り返す。
すると、あっという間に刀へと姿を変える。
俺はそれを真っ黒な鞘へとしまい込むと、いつものように腰にぶら下げる。
「うっし、じゃあ今日も張り切っていくか!」
「ホロウ、ふぁいとー……」
それっきり、カスミの言葉は途絶えた。
◇ ◇ ◇
「フッ……フッ……!!」
俺は木剣を握り、次々と攻撃を繰り出す。
「うっ…………ぐっ……!!」
セーラ先生は俺の間髪入れない連撃に完全に後手に回っている。
ただひたすらに俺の剣を受けるのみで、全く反撃の糸口が掴めていない。
訓練場に響き渡る、剣戟の音。真剣ではなく木剣の弾き合う芯に響く純朴な音は、余計に俺を高揚させる。
「くっ…………はぁ!!」
先生はすんでのところで俺の一太刀を受け流し、俺の右肩を目掛けて剣を振り下ろす。
俺はそれを先読みし、剣を絡めるようにしたから巻き込むと、ぐるっと回転させそのまま先生の剣を巻き取り、はるか上空へと弾き飛ばす。
「な――!!」
俺は武器の無くなったセーラ先生の首元へと、容易く切っ先を向ける。
そこで先生は両手を上げる。
「……やれやれ、降参よ」
「――ふぅ。ありがとうございました」
そう言い、俺は剣を下ろすと一歩下がる。
「いやあ、本当強くなったねホロウ君」
先生はしみじみとした顔で感慨深そうに言う。
「はは、セーラ先生のおかげだよ」
「いや、それはどうだか……」
少し気まずそうにセーラ先生は頬をかく。
その先生の視線は、俺の腰にぶら下がったカスミに向けられる。
「それ、刀でしょう?」
「はい」
「どこで手に入れたかは知らないけれど、その刀を持つようになってから君は一気に強くなっていったよ。私の知らない太刀筋、構え、戦闘の組み立て……訓練のはずなのに、私が学ばせてもらっているくらいだ」
「あはは……それは言い過ぎですよ」
とんでもない、と先生は断言する。
まったく、この人もアラン兄さんと同じでもの好きな人だ。
この家で全く立場のない俺に、ここまで良くしてくれる。
アラン兄さんに聞いたところ、俺に剣術の修行を続けさせてくれるよう父さんに頼みこんでくれたのはセーラ先生だったという。
魔術が全くできない俺に、剣術という才能を見出してくれたセーラ先生。そして、こうして俺が対人で訓練できているのも、先生のおかげだ。
「いやいや、言い過ぎじゃないよ。十歳の頃だったかな? あの頃でさえ君の勝率は三割を超えていた。それが今や……私が勝てる試合はほぼゼロだ。やれやれ、とんでもない成長だよ。師匠の面目丸つぶれさ。こう見えても私って、元魔剣士として王都では有名だったんだよ?」
セーラ先生はしょんぼりとした顔で言う。
「あはは、もちろん先生が強いのはわかってるよ。戦っていればわかるさ」
「やれやれ……。リグルド様も、ホロウ君の剣術の凄さをわかってくれれば良いものを。確かに魔術全盛の時代、魔術の力は絶大だが、ホロウ君ほどの腕前であれば相手が魔術師だとしても勝てる可能性は決して0じゃないのに」
0じゃない。
剣術のみの戦いで先生との勝率をほぼ10割としていて、さらに先生自身も学ぶことの方が多いと断言している状態で、それでもなお、先生の口から出てくる俺の魔術師に対する勝率は、0ではないというレベル。
それだけ、魔術と言うのは強大な力なのだ。
――だが、俺には魔術を破壊する術がある。
これまで見せることは無かったが、きっとそれがあれば、0ではないなんて言えないはずだ。
「はは、先生。そんなこと聞かれたら父さんにクビにされちゃうよ」
「おっとそれはおっかない。……まあでも私はホロウ君の力は大きく買っているよ。何か力に成れそうなことがあれば、言ってね」
「ありがとうございます」
こうして恒例の剣術の訓練は終わった。
その後、二時間ほどの魔術の訓練。
もちろん、発動しようとすれば吐き気のオンパレード。
相変わらず目に涙を溜め、気持ち悪さに耐えながら訓練をやり遂げる。
まあ、やり遂げたと言っても、魔術は一ミリも発動することはなく、ただただ魔術が発動するかもしれないから死にそうでも試し続ける、という拷問みたいなものだが。
この訓練にはカスミも「え、死にたいのホロウ? 無理に続けたら本当に死んじゃうよ?」と心配してくれたが、セーラ先生の立場もある。俺はそれでも、なんとかその訓練に耐え続けていた。
そんなこんなで訓練も終わり、午後には森へ行ってカスミと剣術の修行。
妖刀を構え、カスミの声に耳を傾ける。
声に従って型をなぞり、空想の強敵と刃を交える。
カスミから教えられる剣術は、先生から教えてもらう戦い方とは全く違っていた。
刀を使った特殊な戦い方。
不思議な構えや、残身の意識、抜刀術、フェイントを用いた下からの攻撃――などなど、とにかく剣術が強くなりたい俺には目から鱗の知識だった。
しかも、実際にかつてカスミを扱った剣豪が使っていた技だ。実戦での性能はお墨付き。現にいくつか先生で試した技は、見事に全部上手く決まった。
『ホロウも様になってきたね』
「そうだろ? カスミの使用者だからな、俺も早く歴代の剣豪達に追いつかないと」
『その意気その意気。ホロウは本当に筋がいいからね。きっと凄い剣豪になれるよ』
そう言ってカスミは笑う。
そうして夜――。
俺は夕食を食べに食堂へと向かう。
食堂には、兄二人が王都に行ってから全く口を開くことの無くなった父が一人。
俺のことはもうないものとして扱っているようだ。
現に俺に付き従う従者は一人もいない。朝は自分で起き、自分で着替え、そして自分で一日のスケジュールを把握して行動するのだ。
だが、今日は違った。
「おっと少し遅くなってすみません。荷物を整理していたらこんな時間に」
「すみません父さん。ただいま戻りました!」
そう、ついさっき王都から一時帰ってきたアラン兄さんとクエン兄さんの存在だ。
アラン兄さんは今や王都の魔術学院を優秀な成績で卒業し、王都で魔術師として騎士団で働いていた。そして次男であるクエン兄さんは、入れ替わるように現在リグレイス魔術学院で魔術を学んでいる。
二人の一時帰宅に、父さんは久しぶりに僅かに口元を綻ばせる。
「気にするな。久しぶりの家族での夕食だ。いろいろ話を聞かせて貰おうじゃないか」
「「はい!」」
そう言って、二人は席へとつく。
アラン兄さんはチラッと俺の方を見ると、ニコっとはにかんで見せる。
よかった、アラン兄さんは相変わらずだ。
久しぶりの会話のある夕食の席。少し昔に戻ったような、なんとも変な感覚だ。
そんな時だった。
不意に、父さんが俺の方へ向き口を開いたのは。
「ホロウ」
「は、はい……?」
名前を呼ばれたのはいつぶりだろうか。もうはるか遠い記憶だ。
「……いい機会だ。お前ももう十四歳。兄たちは立派に魔術師として成長していた頃だ」
「…………」
なんだろうか、別に今更俺もそうなれと言うつもりもないだろうに。
「セーラが言うには、剣術の腕は確かなものだそうじゃないか」
「……え、えぇ。多少腕に覚えはあります」
まさか父さんが剣術の話をするなんて。
だが、俺はそこで褒められるなどと微塵も思っていなかった。とすれば、この後にくる言葉は当然俺を突き落すものであるに違いない。
「そうか。そんなに剣に自信があるならば――――明日クエンと戦え」
「――は……え!?」
「父さん!?」
俺の困惑と同時に、アラン兄さんも思わず席から腰を上げ声を張り上げる。
一方で、隣に座るクエン兄さんは腕を組み、余裕な笑みで俺の方を見ている。
「ホロウ。お前のような家畜を、いつまでも養っていられるほどこの俺は優しくない。金だけかかりろくに役に立たない家畜など意味がない。魔術を使えない人間は家畜だ。そう教えてきたな?」
「はい……」
「だが、セーラが言うにはお前の剣術ならば魔術にも多少は対抗できるかもしれないそうじゃないか。だったら、いい機会だ。もしお前が魔術を使うクエンに勝てるのならば、今後もこの家で面倒を見てやろう。剣術の師も付けてやる」
おいおいおい……。
「だがもし負ければ、早々にこの家から出ていけ」
「なっ!」
アラン兄さんの顔が険しくなる。
「ただの能無しとして野垂れ死ぬか、多少剣の使える家畜として飼われ続けるか。家畜と言えど、使い道があるならば使ってやる。その剣で証明して見せろ……ホロウ」
「いいねえ、父さん! 俺に任せてくれて感謝するぜ、学院からわざわざ戻ってきたかいがあった! ホロウ、家畜であるてめえに引導を渡せる機会を待ってたんだ!」
「クエン!! 弟に向かってそんな――」
「父さんの言う事だ、何か俺が間違ってるか? これがヴァーミリア家というものだろ?」
クエンはギロリとアラン兄さんを睨みつける。
「それとこれとは――」
「決定事項だ」
父さんの低い厳格な声が、場を完全に沈める。
歯をギリギリと噛みしめ、拳を握るアラン兄さん。
そして、愉快そうにヘラヘラと笑みを浮かべるクエン兄さん。
こいつら…………剣術を、俺を舐めやがって。
「わかりました。その戦い…………受けて立ちますよ」
俺が勝てる何て、父さんもクエン兄さんも微塵も思っちゃいない。
俺のことを心配してくれているアラン兄さんだって、二人と違う感情とはいえそう思っている。
――だったら、やってやるよ。俺が特訓してきた剣術がどんなものか、見せてやる。
「ホロウ!」
「はっは! そうこなくっちゃ! 家畜だからって加減しねえぜ俺は!」
こうして、俺とクエン兄さんの戦いが決定した。
俺の未来を賭けた戦いが。
「あんな親父ぶった斬ればいいのよ!!」
カスミは部屋に戻るなり人型に戻り、バンバンとベッドの上で暴れ回った。
カスミはこの家に来てからというもの、この家については散々悪態をついていた。俺が虐げられるたびにこうして怒りを露わにしている。
まあ、今や諦観し始めている俺の代わりに怒ってくれるのはありがたいことだけどな。
「いや、さすがに斬ったらまずいだろ。ムカつくけど」
「出て行けっていうのよ!? ――そうだ、いっそのこと斬り捨てて、ホロウがこの家の当主に……」
と、カスミは悪い顔でくっくっくと笑みを浮かべる。
おいおい、冗談でも発言が怖いぞ……。
それに俺は当主の座に興味はない。こんな家こっちから願い下げだ。
「落ち着けよカスミ。確かにイライラするけどよ、遅かれ早かれこうなってたさ」
「もう……」
カスミは少し拗ねた様子で唇を尖らせる。
だが、実際問題。
魔術師との実戦……今まで俺がやろうと思っても出来なかったことだ。ある意味いい機会ではある。
剣豪の剣技を学び、魔術を斬れる術がある。
スペックだけを見ればきっといい勝負が出来るはずなのだ。だが、俺には決定的に実戦経験がない。セーラとは剣同士だったし。
勝敗はやってみなければわからない。
仮にもクエン兄さんは性格は置いといて、戦闘センスは周囲からもかなり評価されている人物だ。
アラン兄さんも一目置いている。学院でもかなりの好成績だと聞くし、弱いと言うことはないだろう。
「それにさ、いずれこの家は出ていこうと思ってたんだ。たとえ負けたとしても、ちょっと予定が早まるだけさ」
「そうだけど……負けて出てくとか絶対私嫌なんだけど」
カスミがじとーっとした目で俺を見る。
「そりゃもちろん俺もさ。負ける気は毛頭ない。俺の成長はカスミが一番よくわかってるだろ?」
ちょっとツンツンとしていたカスミの顔が、僅かに柔らかくなる。
「……はぁ、でも私はそんな条件がどうとかより、ホロウが家畜だのなんだの好きかって言われてぞんざいに扱われているのが腹立ってるんだけど」
カスミは三角座りした膝の間から、上目遣いで俺を見つめる。
「はは、ありがとな。カスミが味方でいてくれるだけ俺は嬉しいよ」
とその時、コンコンと部屋のノックがなる。
誰だ……この部屋に来る奴なんてこの家にはいないが――てことはアラン兄さんか。
「カスミ」
カスミは俺の返事にすぐさま頷くと、すっと刀へと切り替わる。
俺はカスミを鞘に戻し、ドアへと近づいていくと、そっと開ける。
そこには、予想通りアラン兄さんが立っていた。
「アラン兄さん」
「ホロウ……」
アラン兄さんは、明らかに焦っていた。
そりゃそうだろう、帰ってきてそうそうこんな事態だなんて想定外にも程がある。
俺のことをいつも必要以上に心配してくれるアラン兄さんのことだ、いつも以上に心配なんだろう。
「どうしたの、アラン兄さん」
「……さっきの父さんの話さ」
アラン兄さんの顔は、普段より険しい。
「あぁ。まさかクエン兄さんと戦うことになるとはね。確かに剣術の腕は磨いてきたけどさ。まあ魔術師にどこまで通用するか楽しみではあるよ」
「楽しみって……ホロウお前いいのか? 負けたら家を追い出されるんだぞ?」
「まあ、この家での生活に別に未練はないし……いずれ出る予定だったからそっちは気にしてないよ。それにほら、別に負けると決まった訳じゃ――」
「魔術師に勝てる訳がないだろ!!」
そこで初めて、アラン兄さんが声を荒げる。
握りしめた手が、僅かに震えている。
「アラン兄さん……?」
「魔術と剣術だぞ……! 下手したら、怪我だけじゃすまない……! いや、相手はあのクエンだ、手加減なんて絶対するつもりはないぞ……!」
まあ確かに、手加減はしないだろうってのは同意だ。
「それなのに父さんは何を考えているんだ……負けたら追い出す? まだ十四の子供が、一人で追い出されて生きていけると思ってるのか!?」
アラン兄さんの怒りは、どうやら魔術の強さという常識を知らない俺へのもの(もちろん心配しているが故だが)だったが、その怒りはそもそもこんなことをさせようとしている父さんへと向いていた。
少しの沈黙のあと、アラン兄さんは頭を軽く抱え、深くため息をつく。
「……悪い、熱くなった」
「いや……アラン兄さんの言いたいことはわかるよ」
この魔術全盛の時代で、魔術を使わないで戦闘に勝つというのがどれほど無謀なことなのか、それはサミエル先生から嫌と言う程聞かされている。父さんにも家畜だとずっと蔑まれてたしな。
普段俺の剣術が凄いと褒めてくれるアラン兄さんがわざわざ俺に現実を突き付けるようなことを言ったんだ。本当に俺を心配してくれているんだ。
それに、ただの貴族のボンボンが突然一人追い出されて何かできる何て普通は思わないだろう。それも、この時代では圧倒的に不利な魔術の使えない身体で。
「もう一度直談判してくる。……まあ望み薄だろうが。絶対にホロウを見捨てさせはしない」
そう言って、アラン兄さんは部屋を後にした。
「いいお兄さんね、相変わらず」
人型に戻ったカスミが頷きながら言う。
「まあな。父さんと違ってきっといい当主になるよ。非魔術師への差別もないし。だから、それまでは着実に成長していってもらわないと。俺なんて構ってないでさ」
俺はそう言い、ふぅっと溜息をつく。
クエン兄さんとの戦いは、たとえアラン兄さんの直談判があったとしても避けられないだろう。勝てば残り、負ければ追い出される。
どうするか、俺の心は決まっていた。
だがそれとは別に、純粋に魔術師と戦えることが楽しみでもあった。これは否定できない事実だ。
その俺の顔を、カスミが覗き込んでくる。
「あ、なんか楽しそうな顔してる」
「バレたか。実は結構楽しみなんだよ。この家のこととか追い出されるとか正直どうだもいい。俺はただ、カスミから学んだ剣術が魔術にどれだけ対抗できるのか、それが楽しみで仕方がない」
「いいねぇ~。私も、あのムカつく親父とクエンの奴が度肝抜かれる姿を見たいわ」
「ははは! 任せておけよ、期待に応えてやるさ」
翌日。
結局アラン兄さんの直談判は取り付く島もなく却下されたようで、予定通り朝から俺達は訓練場に集められた。
俺が訓練場に到着すると、すでに全員が集まっていた。
「ほ、本気ですか!?」
驚きの声を上げるセーラ先生。
どうやら、これから行われる戦いは寝耳に水だったようだ。
「安心しろ。お前はアランとクエンの魔術教育に多大な貢献をしてくれた。仕事はなくなるがしっかりと新たな仕事や住まいの手配はしてやる」
「そうではなく……本気でホロウ君を……!? 剣術と魔術ですよ!? 勝負にならないことくらいあなたが一番よくわかっているでしょう……ホロウ君をクエン君に殺させる気ですか!?」
その言葉に、父さんは何も言わず睨みつけるようにセーラを見る。
「…………本気なんですね」
「当たり前だ。さっさと始めるぞ、揃ったようだ」
全員の視線が、俺に注がれる。
『人気者だね、ホロウ』
「皮肉か?」
『ふふ、あのクソおやじの鼻っ柱をへし折ってやりましょ』
「それには賛成だ」
「ホロウ君……」
セーラ先生は、ものすごい同情をするような目で俺を見てくる。
まあそりゃそうだろうな。魔術師に対しての勝率は0ではない、程度の評価なんだ。クエン兄さん相手に勝てるわけがないと思っているんだろう。
だが、今日の俺の目的は勝ち負けじゃない。
ただ一流の魔術師に対して俺の剣術がどこまで通用するか、それが試してみたいだけなんだ。
「安心してよ、先生。この剣でどれだけやれるか楽しみなんだから」
「君は…………怪我だけはどうか」
セーラ先生はそっと俺の頭を撫でる。
すると、パンパンと父さんは手を叩く。
「さっさと始めるぞ。クエン、準備はいいか?」
「もちろん、絶好調さ! 学院で学んでさらにパワーアップした魔術をお見せしますよ!」
「それは楽しみだ。遠慮はいらない。ヴァーミリア家の一員として相応しい戦いを見せてみろ」
「はい!」
クエンはニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべ俺の方を見る。
まるで獲物を与えられた犬だな。
クエンはそのまま訓練場の中央に立つ。まるで成果発表会かのように、負けるなど微塵も思っていない、堂々とした立ち居振る舞い。白い魔術戦闘服に身を包み、それに青い髪が映える。
「クエン兄さん」
「くっくっく、良く逃げなかったなあ、ホロウ。魔術の恐ろしさを知らない訳じゃあるまいに」
「まあね。クエン兄さんも剣術の恐ろしさを知らないだろ? 教えてあげるよ、いつものお礼にさ」
クエンの額が、ピクリと動く。
「……ほう、言うようになったな、家畜の分際で。魔術を使う者を人間と呼ぶんだ。九年前のあの日、お前は家畜に成り下がった。本来なら言葉を交わすことすらおこがましいが、何故かお前に優しいアラン兄さんに免じてこうして話してやってるんだ。もう少し畏まったらどうだ? 尻尾振って首を垂れるなら、重症くらいで済ませてやるぞ」
「面白いことを言うね、クエン兄さん。学院にいって話術でも磨いてきたの?」
「あぁ……!?」
その俺の言葉に、クエンの顔が邪悪に歪む。
「随分舐めた口効くようになったじゃねえか家畜」
「別にクエン兄さんに家畜呼ばわりされるなんてもう慣れっこさ。今更気にならないね。ただ、多少の恨みはもしかしたら剣術に乗っかるかもしれない。だから……死にたくなかったら防御に徹した方がいいよ」
「――ぜってえ殺す」
『私達の初陣には持ってこいだ! かましてやろう、ホロウ!』
「当然!」
「それでは、私が闘いを取り仕切らせてもらうわ。二人とも、準備はいい?」
俺とクエンはお互い先生に頷く。
「――それでは、始め!」
その声を合図に、戦いの幕が切って落とされた。
「さあこい、クエン兄さん……いや、魔術師!」
俺は刀を抜かず、腰を落として刀にそって手を添える。
「何の真似だ、家畜。この期に及んで命乞いをする気になったか? まあ今更助ける気は毛頭ないが」
「まあ見てなって。いつでもかかってきていいよ。これが俺の剣術だ」
「……そうか。随分と殺して欲しいみたいだなぁぁ!!」
そう言い、クエンは右手を前にかざす。
瞬間、魔力が一気に練り上げられるのを感じる。
クエンの手の前に魔法陣が浮かび上がる。
あれは――火属性の魔法陣……! クエンの適性属性!
「焼け死ね! "火球"!」
展開された魔法陣から、直径二メートル級の火球が射出される。
轟轟と炎の燃え上がる音が弾ける。
一気に気温が上がり、俺の肌がチリチリと熱くなる。
「なっ……クエン! ホロウを殺す気か!?」
「くっくっく!! 父さんからはそう聞いてるぜ!!」
加減のない、特大の火球。
先生でさえこの規模の火球は出せないだろう。
腐っても魔術師としての才能はずば抜けているか。
『感心してないでいくわよ』
あぁ、わかってるさ。
俺はその火球が放たれるコンマ数秒前、火球の方へと自ら動き出していた。
それはまるで火球へと突撃するかのような、低空姿勢での突進。
「なっ、自滅する気か!?」
アラン兄さんが俺の予想外の動きに慌てるが、俺には視えている。
「ははぁ! 炎に錯乱するとはまさに家畜! 相応しい死に際だぜ!!」
迫りくる巨大な影を正面から迎える。
クエンの想いとは裏腹に、俺はすんでのところで火球の軌道下を掻い潜る。
放たれた火球が俺の頭上スレスレを、熱気を上げながら通過する。
綺麗にすれ違った俺は、そのまま魔術発動直後のクエンに詰め寄る。
「ははは! 丸焦げだ――――あぁ!?」
予想に反し、火球を掻い潜ってきた俺の姿にクエンは思わずアホな声を上げる。
無意識か、そんな避けられ詰められる経験がないのか、僅かにクエンの足が後方へと退く。
「な、何故この威力の火球を前に踏み込める!?」
まずは挨拶代わりの一発――!
「ふっ!!」
身体を捻り、刀を鞘の中で加速させる。
引き抜いた刀は、目にも止まらぬ速さで半月状の軌跡を描く。
「――――」
セーラ先生も、刀を受けたクエンも、そして父さんさえも――。
この場にいる誰もが、俺の動きが全く目で追えず唖然とした表情を浮かべている。
「なに……が――」
瞬間、クエンの胸元が引き裂かれ、露わになった胸元からじわっと血が滲み出る。
「ぐっ……こ……れは……!?」
それに気づき、クエンは慌てて後ずさりする。
額には汗が滲んでいる。
だが、その引きを俺は見逃さない。
さらに追撃するように二の太刀、三の太刀を加える。
「ぐぉ……ぉ……ウ……"土壁"……!!」
一瞬にして魔法陣が浮かび上がり、俺とクエンを引き裂くように一枚の土の壁が地面からせりあがる。
二属適合者――魔術界でも稀に見る、二属性に愛された魔術師。
クエンは火だけでなく、土属性魔術までも多彩に操ることができる。
だが――。
「俺には関係ねえ! 視えてるぜ、クエン兄さん!」
俺の特異体質が、その魔術の根底を見抜く。
派手な破壊もなく、大げさな爆発もない。
ただあっさりと。
魔力の結び目を解く特異な攻撃が、土の壁をいともたやすく元の土塊へと返す。
「なにっ!?」
クエンの顔は、予想以上の恐怖がにじみ出ていた。
安全圏から放たれる高威力の魔術。それは攻防一体の攻撃となり、近距離での戦闘など起こるはずもなかった。
だが今、俺の刃はクエンに肉薄していた。
首元まで迫る殺気。魔術を出しても意にも介さず突っ込んでくる、狂戦士が如き姿。
クエンの額に溢れ出る汗と、僅かに震える手が恐怖を物語っていた。
初めて感じる、死の予感。
「あれ、予想外だった? まさか俺じゃあクエン兄さんに傷一つ付けられないとでも思ってた?」
「…………ッ」
クエンは自分の胸元に触れながら、ごくりと息を飲む。
「こ、この俺の魔術が……たかが剣術如き……たかが家畜ごときに……!!」
わなわなと怒りに震えるが、もはや最初の威勢はない。
俺は肩を竦める。
「致命傷を負わないと理解できない感じ?」
「――!」
「す、すごい……すごいぞホロウ!!」
遠巻きに眺めるアラン兄さんは、目を輝かせて声を上げる。
その隣で父さんは表情を変えない――しかし、僅かにその眼の奥が揺れているのを俺は感じ取っていた。
初めて見る、父さんの動揺。
「ホロウ、お前は遂に剣術を――――」
「何をやってる、クエン!!」
父さんの喝が飛ぶ。
「油断何かするからそんなことになるんだ。気合いを入れろ! 家畜にいいようにされてどうする!! たかが剣術……魔術も使えない家畜だ! 俺は貴様をそんな風に育てた覚えはない!」
相変わらずの家畜呼ばわりご苦労様です。
クエンはその声に、必死にコクコクと頷く。
『嫌だ嫌だ、ホロウの力をまともに見ようとしないなんて上に立つ者として失格ね。もう決まりだ』
カスミの声が冷たい。
「そ、そうだ……俺はただ油断してただけだ……! あの家畜だぞ? 何かの間違いに決まっている……! この俺は、ヴァーミリア家が次男、クエン・ヴァーミリア! この俺が負ける訳がないんだ……訳がないんだあああ!!」
自分を奮い立たせるように、クエンは声を張り上げる。
「かかってこい、クエン!!」
「ほざけぇ! 魔術師こそが最強なんだ!!」
「魔術師が最強? はっ、そんな常識……俺がひっくり返してやる! これは最初の一歩だ。お前たちは精々、俺が成り上がってく姿を指くわえて下から眺めてるんだな!!」
「ふざ……ふざけるなああ!! ここで死ね、家畜がああ!!」
クエンが多重の魔法陣を展開する。
同時に三種類以上の魔術を発動――確かに、魔術師としては才能の塊だろう。
だが――。
「俺の剣の前じゃ無意味だ」
俺は鍛え上げた脚力で一気に詰め寄り、掲げた刀を高速で二度振り切る。
刹那。
クエンが展開した魔法陣が、全て音を立てて壊れる。
「は――――はぁ……?」
本来有り得ない事態に、クエンの思考が追い付かない。
「な、な……に……が……」
「終わりだ」
「ぐぅ……! うわああああ!! し、死にたくない……!! やめ、やめてくれ……ホ、ホロウ! きょ、兄弟だろ!? こ、殺すなんて冗談さ……!」
半べそをかきながら、醜い顔で慌てて逃げ出そうと地面に尻もちを付き、後ずさりながら懇願する。
あぁ、こんな顔みたくもない。
俺はニッコリと、クエンに向かって微笑む。
「は……はは……!」
――と、次の瞬間。
クエンの眼前に魔法陣が浮かび上がる。
「す、隙だらけだぜ、クソ野郎がああ!! 俺様が負ける訳ないん――――」
しかし。
魔術の発動の予兆を感じ取った俺はそれに騙されることなく、一振りで魔法陣を破壊する。
俺はそのまま切り上げた刀を切り返し、クエンの身体の右斜め上から思い切り振りぬく。
「ぎゃああああああ!!!」
クエンは無様な声を上げ、その場に倒れこむ。
静寂が訪れる。誰も想像だにしなかった光景に、一言も発せないでいた。
ここに、クエンとの決着がついた。
「だ、大丈夫!?」
先生が倒れこんだクエンの元へと駆け寄る。
俺はそれを横目にしながら、カスミを鞘へと戻す。
「背中を斬られたんだ、相当な深手…………あれ、傷がない……?」
先生は不思議そうにクエンの背中を探るが、打撲以外の怪我が見当たらないようだった。
「あぁ、それ峰打ちだよ。刃の方では斬ってないから安心して」
「峰打ち……あの戦いの中でそこまで……」
「こんな勝負で死なれちゃ目覚め悪いしね」
と俺は笑う。
ま、クエンからすればここでサクッと俺に殺されて死ぬより、家畜に負けたという事実を背負って生きていく方が何倍も苦しいだろうからな。
これで少しせいせいした。
『いい性格してるね、ホロウ』
カスミに言われたくねえよ。
「ホロウ!」
駆け寄ってきたのは、アラン兄さんだ。
アラン兄さんはクエンをチラッと見て息を飲む。
「ホロウ……まさか剣術だけでここまで……正直僕は夢を見てるんじゃないかと……」
「いやいや、現実だって。頬つねろうか?」
「いや、それには及ばないが。……そうか。まさかホロウの剣術がこれほどの腕前になっているとは。剣術の才能がずば抜けているとは思っていたが、まさか魔術師相手に……。僕は王都でさえこんな剣術を扱う人を見た事がないよ」
アラン兄さんは、顎に手を当て考えこむように唸る。
その目は未だに信じられないと言う様子だ。
「確かに剣聖ヴェルティア様や他にも剣術のエキスパートは沢山いる……だが、魔術を使わないでとなると話は変わってくる。……それにしても、クエンは学生の中でもかなりの魔術師だ。まだ二年だがそう簡単にやられる奴じゃない。それを剣――刀だけで……」
アラン兄さんは、確かに俺の勝利を喜んではいるが、それよりも魔術に剣術で対抗するだけでなくまさに勝利してしまうとはと、そのことに驚きを隠せないようだ。
「――何をした」
父さんが、恨みの籠った声で背後から話しかけてくる。
「父さん」
その圧は相変わらずだが、この目は初めてだ。
困惑、怒り、憎悪…………様々な向けられたことのない感情が渦巻いている。
「クエンの魔術はそう簡単に破れるものではない。ましてただの剣術ごときで」
「これが俺の修行の成果ですよ、父さん。俺はもう家畜でもなんでもない、魔術師を倒せる一人前の剣士だ」
「…………」
父さんの顔は明らかに苛立っており、今にも激昂しそうな雰囲気だった。
しかし、俺はもう覚悟を決めていた。もう怖いものはない。
父さんは少し顔をピクピクと引きつらせた後、諦めたかのように深くため息をつく。
「……家畜との約束とはいえ、約束は約束だ。明日から剣術の師をつけてやる。せいぜい家畜としてこの家で生きるがいい」
「その必要はないよ」
「何?」
「俺はこの家を出ていく」
「何だと……!」
父さんの目が見開かれる。その顔は怒りで僅かに紅潮している。
あの鉄仮面が感情を顔に出すのは初めて見る。
思い通りにならないのがむかつくだろ?
それも家畜だと思っていた奴がだ。
そして俺の発言に、アラン兄さんが声を荒げる。
「お、おいホロウ、何を言っているんだ!? 剣術の師を付けてくれるんだぞ、そんな折角追い出されなくて済むのに自分から出ていくって……何考えてるんだ!?」
「もともと決めてた事さ。この家に俺の居場所はない――というかこの家が嫌いだ」
「ホロウ!?」
「そりゃそうでしょ。それに、剣術の師がこようがいずれまたこういう事態になることは目に見えてるしね。父さんは根本的に魔術師ではない人間を嫌ってるからさ、幾らお互い歩み寄ったって無駄だよ。だったら、ここにいる意味なんてない。俺を縛り付けるだけの牢獄だ」
「でも、一人でどうやって……」
「俺にはこいつがあるから」
そう言って、俺は腰にぶら下げたカスミにトントンと拳で触れる。
「剣で生きていくか」
「あぁ」
「……下らん。剣術などで戦いが上手くいくものか。ただの家畜だ、一人になってもすぐに野垂れ死ぬだけだ」
「へえ、だったらそこで眠っているクエン兄さんはどうなんですか? たかが剣術師に敗れて気絶している魔術師なんて、家畜以下……ですか?」
父さんの顔が歪む。
「……口だけは達者になったようだな」
「出ていくのを邪魔するって言うなら」
俺はそっとカスミに手を触れる。
「真剣で相手しますけど?」
「…………」
その俺の動きに、父さんは僅かに身体を震わせゴクリと唾を飲む。
「――もういい、好きにしろ。別にこちらはお前を引き留める気はサラサラない。どこへでも行くといい」
そう言って父さんは俺に背を向け屋敷へと帰っていく。
その背中が余りに小さく見えて、俺は小さくガッツポーズをする。
これで清々した。
ようやく俺は自由になれる。剣術で生きて、成り上がってやる。
◇ ◇ ◇
「うっし、こんなもんか」
俺は小さな鞄に、必要なものをまとめる。
我ながら、自分の所有物がこんな小さな入れ物で事足りることに驚愕したが、まあこうして出ていくとなると身軽でいい。
俺は普段のラフな格好に、訓練の時に付ける胸当てと籠手を装着する。
「いよいよだね、ホロウ。私は嬉しいよ。あのクソ親父から離れられてさ」
そう言いながら、カスミは後ろから俺の首に腕を回しもたれ掛かる。
「予定より早まったけどな。それに、あの父さんの憔悴した顔見たか? はっ、いい気味だったよ。自分の信じた魔術を教え込んだ息子が、家畜呼ばわりしていた剣士にやられるんだ、さぞ悔しくて昨日は寝れなかっただろうな」
「ふふふ、ナイスホロウ! すかっとしたわ。完全にホロウにビビってたしね」
と、カスミはシシシと笑う。
「この家で清算すべき面倒ごとはすべて終わったという事ね」
「そうだな。ありがとな、カスミ。カスミのおかげだよ」
「ううん。ホロウの実力よ。これからは自分の好きなように生きていけるね、ホロウ」
「あぁ。だから、これからもよろしくなカスミ」
「こちらこそ、よろしくねマスター」
「……マスターは止めろ」
「ありゃ?」
家の正門前。
当然と言えば当然だが、父さんとクエンの姿は見えない。
「ホロウ君」
セーラ先生が寂しそうに俺を見る。
「先生。お世話になりました。先生に教わらなかったら、俺は今頃こんな胸を張って剣の道を進めなかったよ」
「よしてよ、全て君の努力だよ。君の実力にも気付けなかったしね。……まあ少しは私から吸収してくれていると嬉しいよ。まさか魔術に勝てる剣術とは……世界は広いわね」
そうしみじみとセーラ先生は頷く。
「私はもうこの家のお役御免となりそうだ」
「えっ、それって俺のせいじゃ……」
「はは、違うよ。ホロウ君がいなくなれば私の受け持つ生徒はこの家にいなくなるからね、いずれ私がここを卒業するのは決まってたことだ。それが少し早まっただけ」
セーラ先生は笑う。
「私はきっと王都でまた別の職に就くことになるだろうから、何かあったらいつでも訪ねてね。そして旅の話を聞かせて」
そう言って、セーラ先生は俺に握手を求める。
俺はそれを強く握り返す。
「ありがとうございます、先生。またいつか、会いましょう」
「えぇ。……それじゃあ。旅の無事を祈ってるよ」
そう言ってセーラ先生は踵を返し、屋敷へと帰っていく。
そして――。
「アラン兄さん」
「……まだ僕は心配だ。一人で生きていけるのか」
「まだそんな」
「そりゃそうさ、今までは僕が守らなきゃと思っていた弟がこんなにたくましく育っているんだ。……僕の過保護なやり方は間違っていたのかな」
「そんなことないよ。アラン兄さんのおかげでここまで挫けないで来れたんだ。本当助かったよ」
「ホロウ……」
アラン兄さんは眉を八の字にして俺を見る。
俺を心配しているときの顔だ。
「別に僕の家で良かったら一緒に暮らしても――」
「だめだめ、俺はそんなつもりはないよ。この剣術の力を試したいんだ。もっと冒険の出来る世界へ飛び出していかないと」
「そう言うだろうと思ったよ。お前は昔からなんでも挑戦したがる奴だったからな。目の前で魔術に勝てると言う事を見せつけられたんだ、今更反対はしないさ」
「ありがとう」
「元気でな、ホロウ。僕も王都に居る。困ったらいつでも訪ねて来いよ。僕達は兄弟だ、また必ず会おう」
そう言って、俺とアラン兄さんは軽くハグを交わす。
「――じゃあ、行ってくるね」
「気を付けてな。お前の名前が、王都まで聞こえてくるのを楽しみにしてるぞ」
そうして、俺は屋敷を出た。
俺を家畜と呼んだこの家。
牢獄の様に自由のない、息苦しい海の底のような、そんな仄暗い場所。
だが飼われていたことには変わりはない。そこから俺は自立するんだ。
追い出されたんじゃない。勝ち取って、自らの意思で出ていくんだ。
一人で……いや、カスミと一緒に、剣士として生きていく。
「楽しみだなあ、カスミ! 一暴れしてやろうぜ!」
『うん! がんばろうね、ホロウ!』
こうして俺は、ヴァーミリア家を追放――もとい、独り立ちしたのだった。
「やっぱり、なにをするにもまずリドウェルだよなあ」
俺は焚火で、さっき狩った角兎の肉を焼きながらカスミに言う。
「……んぐ。はむはむ」
カスミは一足先に焼けた角兎を頬張っている。
「おい……聞いてるか?」
「ん……ぷは、聞いてる聞いてる!」
絶対聞いてなかっただろ……食いしん坊かよ。
「なんだっけ?」
「だから、向かう先はリドウェルでいいだろ?」
「リドウェル……うん、いいと思うよ。この近くで一番大きい街だし、仕事もきっと見つかるよ」
「そうだよな。生きていくためには仕事は必須だし。どうせなら剣の鍛錬もできるようなところだといいけどな」
言いながら俺は焼けた肉を頬張る。
少し硬いが美味い。家で食べていた食事の方が何倍も豪華で貴重なものだったが、こうして自由に食べる食事の方が俺には美味しく感じる。あの頃のは正直ただの餌だった。今は食事をしてるって感じがする。
「そういえば、リドウェルって確か冒険者活動が活発なんだっけ?」
「あー噂だとそうらしいな。この国では比較的冒険者が多い街だったかな? ……そうか、冒険者って手もあるか。盲点だった。金も稼げるし、修行にもなる。現状の最有力候補かな」
「ふふ、私の知識も捨てたもんじゃないでしょ」
「ああ、ありがとな」
俺はカスミの頭を撫でる。
カスミは嬉しそうに目を細める。
……なんだかカスミがどんどん幼児化してる気がするが……気のせいだと思おう。
そんなこんなで食事も終わり、俺とカスミは同じ場所で木を背もたれにして眠る体制に入る。カスミの相変わらずのスタイルの良さ。綺麗な黒髪。まるで人間のような柔らかさ。幼児化してる気がするとはいえ、身体は同年代だ。
だが、もう一緒に寝ることも慣れた。
人間、いくら美人でも何年も一緒に寝ているとそういった感情も湧いてこないものらしい。
俺はぼろい布を肩までかける。
不思議だが、カスミは魔剣なのにも関わらず人間の姿で生活する方がいいらしい。
まあ、俺にはそこら辺は推し量れないところだ。封印されていた時も人型だったし、そこら辺が関係あるのかもしれないが。
などと考えているうちに、カスミの寝息が聞こえてきて、釣られて俺も眠くなる。
カスミとの訓練で、寝ている間も敵の殺気を察知することが出来るようになった。あの頃は何の役に立つんだと寝かせてくれないカスミにイライラしたが、こういう旅先では便利だな。感謝感謝。
そうして俺は眠りについた。
◇ ◇ ◇
二日後――。
俺達は街道沿いをひたすらにリドウェルに向けて歩く。
リドウェルまでは徒歩で五日程だから、このままいけば後二日程で到着する。
なかなかに遠い。
まあ、馬車にでも乗れば良かったんだが、如何せん俺の所持金は多くない。父さんからは当然もらえなかったし、アラン兄さんからはさすがに悪くてもらえなかった。結果、俺の溜めてきた小遣いが軍資金となる訳だが、家畜扱いの俺がお金をそんなにもらえる訳もなく、こうして徒歩を余儀なくされている。
「悪いな、カスミ。歩かせちまって」
「ううん、私はホロウと歩けて楽しいよ!」
「それはありがたいけど……別に刀に戻ってもいいんだぞ? 腰にぶら下げるだけだしそんな疲れないし」
しかし、カスミは俺の方を向くと満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫! あの家じゃずっと刀姿だったし、こんなにホロウと一緒に人型でいられることなんてなかったんだから。それに一緒で歩いてる方が冒険みたいで楽しいでしょ?」
「はは、まあ俺も頭の中で話しかけられるよりこうやって対面して話す方が表情も分かって楽しいからな。それでいいなら俺はそれでいいさ」
「うんうん。さあさあ、リドウェルを目指しましょ! この街道沿いに行けばすぐだよ!」
そう言い、カスミは楽しそうにスキップして進んでいく。
まったく、よっぽど楽しいんだな。
「あんまはしゃぎ過ぎると転ぶぞー」
「大丈夫だよー、転ばないよ! それよりホロウも早くいこう!」
そうしてしばらく楽しく歩いていると、立ち往生している馬車と遭遇する。
「困ったなあ……」
「魔術じゃ壊しちまうよなこれ」
「そうねえ……どうしようかしら」
一人の髭面の男と、その周りに二人の女性。
なんとも不釣り合いな光景だ。
「何かな?」
「何だろうな、故障か? ちょっと見てみるか」
俺たちはその馬車に近づいて話を聞いてみることにした。
「どうかしました?」
すると、髭の男が振り返る。
「おぉ、旅の人かな? 実は馬車の車輪が片方溝にハマっちまってな。男一人女二人じゃ持ち上がらなくて困ってたんだ」
見ると、確かに車輪が溝にずっぽりとはまっている。
これは持ち上げないと抜け出せない。
「魔術だと壊しちまうしよ……私は火属性だし、カレンは水だ、ちょっと持ち上げるには難しいだろ? それで困ってたんだ」
茶色い短髪の女性は、そう言ってはぁっと溜息をつく。
「じゃあ俺が持ち上げましょうか?」
「お、土か風属性の魔術師か?」
「いや、俺は魔術を使えないんだ」
すると、茶髪の女性は笑う。
「あっはっは! 無理無理! 魔術ならまだしも素手ってことだろ? 私らで無理だったんだ、君みたいな子供じゃ到底もちあがらないよ」
「まあ物は試しと言う事で。こう見えても俺は魔術が使えない代わりに身体を鍛えててね。力には自信があるんだ」
「へえ、その武器……剣士って訳か。でもねえ、ぱっとみ細いし、出来るかあ? なあシオン」
茶色い短髪をした女性は、ニヤニヤと笑いながら後ろの長い金髪を無造作に結んだ女性に問いかける。
「そうねえ、気持ちは嬉しいけれど、僕みたいな子にはまだ早いかなあ」
「まあこんな私達みたいな美人の前で格好つけたい気持ちはわかるけどよ。気持ちだけでもありがたく――」
「まあまあ。それじゃ失礼して」
俺ははまっている車輪の方へ回ると、車輪を掴み、ぐっと力を入れる。
「せーーーのっ!!」
フンッ! と力を入れ、俺は全力で車輪を上に上げる。
「ほら、だから無理だ――って……」
ドシン! と音を立て、馬車は街道の方へと移動する。
はまっていた車輪も、見事に抜け出していた。
「ふぅ、どうっすか?」
「お……おぉぉぉ!!! ありがとう!! 本当困ってたんだ!」
髭の男は嬉しそうに言う。
「いえいえ」
「お、おいどうやったんだよ!? 魔術か!?」
「だから使えないって」
「素の力かよ……まじかよ、すげえな少年! びっくりしたぞ! その細い体のどこにそんな力あるんだよ!」
「うんうん! 力持ちだったんだねえ、凄い!」
美女二人に囲まれ、俺は少したじたじとしながら頬を掻く。
「い、いやあ、まあ……」
「何照れてるのホロウ。情けないわよ」
じとーっとした目で、カスミは俺を見る。
なんだその目は……。
「そうだ、二人ともどこへ向かってたんだ?」
「えっと、俺達はリドウェルに」
「おお、じゃあ丁度いいや! 一緒に来ないか? せっかく助けて貰ったんだ。なあ、おっさん!」
「まあそうだな。雇われてるお前らが決めるなと言いたいところだが、恩人だからな、乗せてってやってもいいぞ」
「へへ、だってよ。乗ってけよ!」
俺とカスミは顔を見合わせる。
馬車ならもう一日もしないうちにリドウェルにつくことができるし、何より楽だ。
これは渡りに船と言うやつだな。
「じゃあお願いしようかな」
「そうこなくっちゃ!」
こして俺たちは運よく馬車に乗せてもらう事が出来た。
おっさんの名前はモンド。リドウェルへ向かう商人らしい。
そして茶髪の粗暴な感じの女性がエレナで、金髪の女性がシオン。彼女たちは冒険者をやっていて、モンドが雇った護衛だそうだ。
エレナとシオンと話しながら、のんびりとした旅路。
「これが冒険者の証だ」
エレナはその豊満な胸の中からタグを取り出して見せる。鮮やかな蒼色をしたタグだ。
「蒼色?」
「そう、これは階級を表してんだ。つまり、私達は蒼階級の冒険者さ」
「階級か。冒険者って階級があるの?」
エレナはタグを胸にしまいながら言う。
「冒険者には階級ってのがあんのよ。えーっと、白、赤、蒼、紫……虹、銀、金、白金……だったかな。全部で八階級だな。で、私達は下から三番目の階級って訳。いわゆる中級者ってやつさ」
「へえ、中級者ってことはそれなりの実力者なのか」
「当然よ! まあ虹より上はかなり数が少ないけどなあ。憧れだよ」
「ふーん」
「あ、そうだ、ホロウも冒険者になったらどうだ? それだけ力が強かったら絶対活躍できる依頼あるぞ!」
「俺は剣士だ、戦いたい」
「はっは! 魔術師でさえ苦労する任務がいっぱいなんだぜ? 剣士で戦おうってのか! おもしれえ奴だな!」
とエレナは楽しそうに笑う。
しかし、俺の顔が本気だとわかると、エレナはニィっと口角を上げる。
「へえ、本気って感じ。いいね、そういうチャレンジ精神旺盛な奴は好きだぜ」
「ど、どうも。……まあでも確かに冒険者は悪くないね。一応冒険者として働こうかなとは考えてたんだ」
「おぉ、いいじゃねえか! なっちまえよ、少しなら手伝ってやるからよ!」
カレンは笑いながら、ばしばしと俺の背中を叩く。
「で、そっちの嬢ちゃんは――――」
ドンッ!!
「「「!?」」」
瞬間、激しい揺れが起こり馬車が一気に傾く。
俺たちは慣性にゆられ、ぐわんと身体が揺さぶられる。
「な、なんだ!?」
「掴まれ!! 振り落とされるぞ!」
言ってすぐ、馬車は大きく横転する。
俺たちは投げ出されないように必死に掴まる。
「うぉぉぉ、なんじゃあこりゃあ!!」
「くっ……!」
ズザザと馬車がすべり、積み荷が散乱する。
激しい衝撃の後、横転した馬車はゆっくりと停止する。
「いってえ……な、なんだ……? ――っと、悪い悪い!」
カレンの身体が俺に馬乗りの様に乗っかり、若干苦しい。
カレンはすぐさま俺の上から退ける。
「いや、大丈夫。……カスミは平気か?」
「いてて……うん」
カスミは少し頭を打ったのか渋い顔をしながら後頭部を擦っている。
事故か? 敵襲か……?
「おい、見ろあれ」
カレンに言われ前方を見る。
すると、俺達の進行方向には炎が燃え盛り、まるで壁のように立ちはだかっていた。
なるほど、馬が炎に驚いて急に曲がろうとしたせいで横転してしまったようだ。
だが、こんな道の真ん中で突然炎が発生する訳がない。
「火属性の魔術……自然発生な訳ないよね」
「つまり敵襲だ! シオン、迎え撃つぞ!」
「ええ!」
カレンとシオンは勢いよく馬車から飛び出す。
「俺も――」
「いや、ホロウはここに隠れてな! 私達の力、見せてやるよ!」
すると、正面横の茂みががさがさと揺れる。
そこから男たちが続々と姿を現す。
その数八人。
男たちは無言のままリーダーらしき先頭の人物が下す合図に合わせて、一斉に動き出す。
「カスミ」
「うん」
カスミは刀へと変形し、俺の手の中に滑り込む。
いつでも戦えるように。
まあとりあえず、あの二人の先輩冒険者の力を見てみるとしよう。
「う、うわあああ!!!」
いつの間にかモンドは男達に馬車から引き摺り下ろされており、縛り上げられていた。手に持ったナイフを首元に当てられ、身動きが取れなくなっている。
「おい、積み荷を寄越しな」
「や、やめろ……!」
「おっさんを放しな!! "火閃"!」
カレンが放った直線状の火属性魔術が、モンドを捉えている男の頬を掠る。
男の被っていてローブが吹き飛び、顔が露わになる。
「あぁ……? んだ、護衛か?」
男は気にも留めず、ただ疑問を口にする。
「そのまさかさ。私達が護衛してる馬車を襲うなんて運の尽きだぜ。――ってあんたその顔…………まさかバロン一家か」
「ほう、俺達を知ってるか」
「当然でしょ。バロン一家頭領、バロン・クオーツ。冒険者ギルドの賞金首じゃねえか。これはラッキー、任務報酬に加えて報奨金も手に入るとか」
すると、くっくっくとバロンは笑い声を上げる。
「はっ、何がおかしいんだよ」
「いやなに。そう言って多くの冒険者が死んでいったからな。またかと思ってな」
「言ってろ」
バロンは野獣のような眼光を光らせ、ニヤニヤと笑みをこぼし、顎髭をなぞる。
「にしても……よくみりゃお前ら二人なかなかの上玉じゃねえか。殺すのは惜しいな。……よし、気が変わった。女達を捕えろ」
「はっはぁ! いいんすか、お頭!」
盗賊たちは下卑た笑い声を上げる。
「たまには俺達にもご褒美ってのが必要だろ。それにしても――」
バロンはなめるようにカレンたちを見る。
「いいねえ。胸もデカい、顔もいい。なかなかにそそるぜ。さっさと服引ん剥いてお楽しみと行こうじゃねえか」
カレンは眉間に皺をよせ、べぇっと舌を出す。
「うげえ、気持ち悪……生憎、あんたみたいなおっさんに身体を許すようなバカじゃねえ。なあシオン!」
「当然ね。下品な輩は許しておかないわ」
「かっか……気が強いのもいいねえ。その強気な顔が恐怖と快楽に歪んでいくのが楽しいのよ。――やれ、てめえら! 久しぶりの女だ!」
「「うおおおお!!!」」
バロンの合図で、盗賊たちが一斉に襲い掛かる。
「指一本触れさせないよ!!」
魔術と魔術の激突。初めて見る魔術による集団戦闘。
火属性の魔術を使い、カレンは盗賊たちを翻弄して見せる。
シオンも杖術と水属性魔術を巧みに組み合わせ、カレンをサポートしていく。
あの人数相手に引けを取らない。
これが蒼階級の冒険者か。確かに戦い慣れているな。
「けっけっけ、粋がいいねえ。だが!!」
頭領のバロンは、真っすぐシオンへと向かう。
「きもい男はお断りよッ!」
シオンの水魔術が、バロンを押し流そうと放たれる。
――しかし。
「効かねえ!!」
瞬間、シオンの水が一瞬にして凍り付く。
「なッ!?」
放たれた水が凍り付き、そのままシオンの下半身を氷漬けにする。
「氷像の出来上がりだ。動くんじゃねえぞ!」
「シオン――――ッ、私も足が!? なんて範囲の氷魔術……!」
一瞬の隙を突いたバロンの氷属性魔術。
二人は一瞬にして行動の自由を奪われる。
「おらぁ!!」
身動きの取れないカレンに、バロンのパンチが炸裂する。
「うぅ……!!」
カレンの顔から鼻血が垂れ、カレンは涙目で顔を抑える。
「ち、畜生がぁ……!」
「おっと、こんなんで倒れるなよ? お楽しみはこれからだぜ」
バロンはカレンとシオンの髪を掴み、顔を上げさせる。
未だ鋭い眼光で、カレンはバロンを睨みつける。
「ほぅ、まだそんな気力があるか」
バロンはカレンの頬をぐいっと掴み、強引に引き寄せる。
「可愛いねえ。その反抗的な顔が余計にそそるぜ」
「うるぜぇ……!」
「おー怖い。じゃあそろそろその服をひん剥かせてもらおうかなあ!!」
完全に勝敗は決してしまった。
モンドは捕まり、カレンもシオンも拘束されてしまった。これ以上盗賊たちの好きにさせる訳にはいかに。
俺が行くしかない。
……だが、蒼階級の冒険者でも敵わない相手。
僅かな恐怖。
それも仕方がない。だって今まで俺はあの家で模擬試合しかしたことがない。命がけで戦ったことがないのだ。カスミのダンジョンで魔物とは幾度も戦ったが、悪意をもった人間というのは相手にしたことがない。
――と、頭の片隅で小さく思う。
だがそれよりも。
今まで培ってきた剣技が、命がけの戦いでどれだけ魔術師相手に通用するのか。それが知りたくて俺の身体はうずうずしていた。
『ホロウなら勝てるよ。私が保証する』
「――あぁ。行くぞ、カスミ! 修行の成果を見せる時だ……!」
バロンの手がカレンの服を引き裂こうとした瞬間。
俺は勢いよく馬車から飛び出す。
「ッ!?」
縦に振った刀は、バロウとカレンの間に割って入り、バロウは一瞬にして後方に飛びのく。
「な……ホロウ何で出てきた!?」
「ホロウ君!?」
まさか俺が出てくるとは思わず目を見開く二人。
自分たちが拘束されてこれから酷いことをされるかもしれないというところだったというのに、まだ俺のことを心配してくれるとは。
「あぁ……? まだ残ってる奴がいたのか」
バロウは楽しみを邪魔されて不機嫌な面で吐き捨てる。
「だめだホロウ! 剣術だけじゃこいつらには勝てない! いいから逃げろ!!」
「安心してよ。俺はこういうときの為に剣を磨いてきたんだ……!」
「げ、現実を見ろ!! 蒼階級の冒険者である私達でさえ歯が立たないんだ、冒険者でもない、ましてや魔術も使えないあんたが戦ったところで……!」
その言葉、何度も家で聞いてきた。
だけど、俺はもう家畜じゃない。
今こそ、俺の力を使う所だろう? そのために鍛えてきたんだ!
『その通りよ! 見せてやりましょう、私達の力を!』
「あぁ、害虫駆除の時間だ……!」
「はっ、剣術しか能がねえゴミが本当にいるとはな! その割りには威勢がいいじゃねえか。ホッグス、相手してやれ」
「俺でいいのか!」
「痛めつけるの好きだろ? ちょっとこのガキに思い知らせてやれ」
「くっくっく、きたきたきたああ!」
後ろから、金髪の青年がウキウキした様子で現れる。
「はっはあ! 殺しも女も楽しめるとは盗賊になって良かったぜ! さっさとてめえを嬲り殺して、その後はあの女達だ!」
「その言葉、殺される覚悟もある上で言ってるんだよな?」
「あぁ? ……あっはっは! いいぜいいぜ、殺せるもんならな! 魔術も使えないとかそこら辺のガキにも負けるぜ! いやあ、居る所には居るもんだなあ。良く生きてこれたもんだ」
「そうか、じゃあ遠慮は要らないな」
俺は剣の切っ先を盗賊へと向け、顔の横で構える。
「ひゅ~かっこいい! 構えは一丁前だなあ! じゃあ、いくぜえ……!」
金髪の男――ホッグスは両手を前に突き出す。
魔法陣が出現し、魔力の反応で光が溢れる。
「まずは動けなくしてからじっくり楽しませてもらうぜ! "雷撃”!!」
放たれる、白い電撃。
雷属性魔術、"雷撃"。食らえば一時的な痺れは防げないだろう。
だが、俺には関係ない。
瞬間、俺は一歩踏み込み刀を振り切ると、俺目掛けて放たれた雷撃を、一刀両断する。
俺の切り裂いた雷魔術は、バラバラに解けるとまるで静電気のようにバチバチと虚しくはじけ空へと消えていく。
「はっはっは! これが魔術だ! 剣で切ったところで魔術を止められる訳がないだろ!!」
自信満々な表情を浮かべるホッグス。
「体中が痺れて今にも倒れこみそうな――」
「"雷撃”か、いいなあ魔術使えて」
俺は平然とフンフンと軽く素振りして見せる。
「……は?」
ホッグスの顔が一瞬にして曇る。
「……? あ、あれ……? いやいやいや! 俺の"雷撃”をまともに食らっただろ!? ライガでさえしばらく痺れて動けないはずだぞ!?」
「斬った」
「は……はあ? 何を言ってる! 魔術を斬れるわけがないだろ!」
「おいホッグスなにやってる、さっさと攻撃しろ」
後ろの頭はイライラし始めたようで、腕を組み鋭い眼光をホッグスに向ける。
「しゃねえ、もう一発だ! "雷撃”!」
しかし、これも俺は眼前で軽々と斬り捨てる。
「えっと……え?」
カレンも、茫然と俺を見つめている。
「ま、また!? た……確かに魔術を放ったはず……な、何かおかしい……!! 俺は今確実に……こ、こいつ……! な、何かしたんだ! 魔術だ……魔術に違いない!! 騙された……! こいつ魔術師だ!!」
「何言ってやがる、そんなもん発動してなかっただろうが! ただの剣士だぞ、何慌ててやがる!」
「いや、だから……!! 俺の魔術が相殺され――――」
「あぁ、遅い。俺の幻想の剣豪はこんなスピードじゃなかった。わざわざお前の準備を待つ必要もないよな?」
瞬間、俺は一気にホッグスの間合いへと踏み込む。
自分の魔術を斬られたホッグスは、哀れなほど隙だらけだった。
「う、うわあああああ!!」
無造作に繰り出される魔法陣。
しかし、俺はそれを一薙ぎで切り捨てて見せる。
「な、なんだこいつ……お頭!! こいつ何かおかしい!!」
横一線、魔法陣を切り裂いた勢いをそのまま刃を下から上に向けて振りぬく。
ザシュッ!!
と、何かが斬れる音がする。
「はっ…………え?」
二つの物体が宙高く舞い上がりクルクルと回転する。
それは重力の縛られて落下を始め、ドスっと音を立てて地面に落ちる。
続いて、目の前を覆う程の赤い洪水。
「う……うぎゃあああああああ!!!」
ホッグスは叫び声を上げて地面に倒れこむ。
無造作に突き出していたはずの腕が、肘から先が綺麗になくなっている。
そこから溢れ出る血を必死に止めようと涙を零しながら自分の身体に押し付けている。
「!」
盗賊たちが、倒れこみ叫ぶホッグスではなく。
冷静に刀に付いた血を振り払う俺の方を見て固唾をのむ。
――人を斬った。
だが、心は落ち着いている。その理由は明確だ。こいつらが絶対的悪だからだ。
クエンとは違う、存在する価値のない者達。
要は、魔物と変わらない存在だ。
戦える。俺の剣術は、魔術を使った犯罪者集団にもまったく引けを取らない。それどころか――。
これなら、行ける。
「てめえ…………本当に剣術だけか……?」
俺はニヤリと笑う。
「剣術をなめていると痛い目見るよ。そいつみたいに」
「……チッ!」
バロンは、苛立った表情を浮かべ額に大筋を浮かべる。
しかし、さすがは頭領といったところだろうか。自分の怒りとは裏腹に、バロンは最も最適な答えを選択する。
「得体が知れねえ!! 油断はするな、このガキは何か使いやがる! なぶり殺しはやめだ、全員でこいつを速やかにぶち殺す!! いいなあ!?」
「「「うおおおお!!」」」
盗賊たちが、さっきまでのなめた態度を改め、バロンの一声で一斉に戦闘態勢へと移行する。
「――殺せ!!」
その言葉を合図に、盗賊たちは一斉に魔術を発動する。
風や火、水などの魔術攻撃が俺を襲う。
しかし、俺には発動の瞬間から魔力の流れが視えている。展開する魔法陣を的確に捉え、魔力の充填が早いものから破壊していく。
「なっ……!!」
「おいおいおい!! 魔法陣が破壊されるぞ!」
「はぁ!? そんなの魔術だろ!!」
「魔術でもそんなのできねえよ!!!」
阿鼻叫喚の盗賊たち。
お得意の魔術が使えず、完全に混乱状態だ。
俺はその最中を高速で駆けまわり、次々と切り裂いていく。
盗賊たちは成す術もなく倒れこんでいく。
「てめえら……舐められてんじゃあ――ねえ!!」
隙を見て放たれたバロンの氷属性魔術。
氷の棘が群れを成して俺に襲い掛かる。
さっき両腕を切断したホッグスや、倒れた他の仲間を巻き込んで凍らせることもお構いなしに、それは発動された。
広範囲に渡り地面が凍り、氷の山が迫る。
「甘い!」
俺は迫りくる氷の山を一振りで破壊する。
それに連鎖するように、地面を覆っていた氷も一気に崩壊していく。元は一つの魔術。先端を破壊すれば根元まで崩壊するのが道理だ。
俺は取り戻された地面を全力で走り、最短距離で一気にバロンへと詰め寄る。
「なっ……くそ、冗談だろちくしょう!!」
俺を見てすぐさまバロンは腰に差したナイフを抜く。
「ガキ相手なんざナイフで十分なんだよおお!!!」
何の策もなく、ただ俺に向けて突き出された一突き。
「そんな付け焼刃のナイフ、俺には効かないよ」
俺はそのナイフの切っ先を、軽く見切って見せる。
眼前でそれを首の動きだけで避け、一気にバロンに詰め寄る。
「ッ!?」
俺はそのまま頭領の身体を斜めに切り裂く。
「は、はえぇ……」
噴き出す鮮血。
バロンは唖然とした表情で膝から崩れ落ちていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
血が溢れる胸元を抑えながら、バロンは息を荒げる。
もうすでに、戦意も体力もない。
俺は刀をそっと鞘へとしまう。
カチンと音がした。