落ちこぼれ魔剣使いの英雄譚 ~魔術が使えず無能の烙印を押されましたが、【魔術破壊】で世界最強へ成り上がる~

『ホロウ、いけそう?』
「うん、大丈夫」

 汗をぬぐい、カスミの問いに頷く。
 思った以上に陰は自由自在に形を変えるようだ。地面に広がるだけではなく、リディアの思い通りに動く。

 不意打ちを受ければ、いくら俺が魔術を破壊できると言ったって溶かされてしまう。つまり、戦える可能性が高いのは……。

「剣での接近戦……かな。さっきはあの影が良く分からなかったから予想外だったけど、今度は行けるはず……!」
『だね。ホロウに剣で勝てる奴なんていないんだから! やっつけちゃいましょう! あんな魔剣、私の足元にも及ばないんだから!』

 カスミが腰に手を当て、ふふんと踏ん反り返っている姿が目に浮かぶ。
 俺は刀をこつんと額に軽く当てると、ふぅーっと息を整え、刀を正面に構える。

 重要なのはスピードだ。一気に間合いに入って、すぐに勝負を決める。

「行くよ……!」

 俺は一気に地面を蹴る。
 グンとスピードが上がり、影に触れないよう注意しながらまっすぐリディアへの最短距離を駆け抜ける。

 それを見たリディアは、あらと口角を上げる。

「懲りずにまた真っすぐ向かってくるのね。あなたの性格かしら。面白いけれど……芸が無いわね」

 そう言って、リディアはゆっくりと手を上げると、まっすぐにこちらを指さす。

 すると、地面に広がっていた影が細くしなやかに伸び、まるで鞭のように無数にホロウに襲い掛かる。

 鞭の包囲網。速度を緩めれば、一気に持っていかれる。

「ここまでたどり着けるかしら」
「当然!」

 更に姿勢を低くし、そこから一段速度を上げる。
 左右左、軽快にステップを踏み、襲い来る影の鞭をギリギリのところで避ける。

 影の鞭はそのままホロウを通り越して反対側の地面へと叩き付けられ、ジュワっと地面を溶かす。

 影の鞭が俺を捉える前に、一気に包囲網を抜ける!

「速いわね。けど、これならどう」

 リディアが、クイっと指を上げる。

 すると、リディアの後方に漆黒の槍が浮かび上がり、まるで投擲のようにその影が射出される。

「“腐蝕の墜槍”」

 その槍は禍々しいオーラを携え、まっすぐにこちらの眉間を狙い飛翔してくる。

 さすがに避けるのは間に合わない。このままだと、串刺しにされ一気に内側から溶かされる。――けど。

「効かないよ、俺には……ッ!」

 息を止め、一気に刀を振り、飛んでくる槍を次々に切り捨てる。
 この程度の飛翔体、カスミと修行したかつての剣豪の斬撃の足元にも及ばない。

 槍はガラスのように砕け、その魔術を根本から破壊する。

「魔断……! 少し厄介すぎるわね、その力。魔剣の力をこうもあっさりと」

 リディアは魔剣を構える。
 どうやら正面から迎え撃つようだ。

 だが、剣での戦いは俺の独壇場。

『ホロウは剣聖にも張り合った俺の剣技の持ち主よ、舐めてんじゃないわよ!』

 威勢のいいカスミの声が脳内に響く。
 そう、俺は剣術では負けられない。いや、負ける訳がない!

「ふっ!!」

 俺は駆け抜けた勢いそのまま、クロスして引いた左腕を、思い切り振りぬく。

「ぐっ! 馬鹿力!」

 リディアはその魔剣で何とか俺の刀を受け止めるが、刀身はちがちと震え、その美しい顔が歪んでいる。

『思った通り、所詮魔術師よ! 一気に決めちゃいましょう!』
「ああ!」

 俺は一気にラッシュを仕掛ける。
 刀の刃が弾ける音が、淡々と響く。 

「くっ……!」

 リディアは必死に俺の刀を弾く。だが、完全に防戦一方。俺の力に耐えきれていない。このまま押し切れる!

 魔剣の“腐蝕”という力に頼ってきた魔剣士だ、俺の技についてこられる訳がない。

「このまま一気に……リーズ達の仇だ!」
『ホロウ……』
「くっ……やるわ……ねっ!! だけど、ここからが私よ……!」

 瞬間、リディアの背後から影が襲い掛かる。
 それは、影の大波。
 まるで津波のように、それはリディアごと俺を飲み込む。

「んがっ……!?」
『ホロウ!!』

 影……! マズイ、溶かされる! まさか自分事入れるなんて……!

 身体がフワッと浮かび上がり、まるで水中のようだ。
 セシリアの水牢(ウォータージェイル)を思い出す。
 だが、声は出る。

 両手をばたつかせるが、掴まれるものは何もない。

 視界は真っ暗で、何も判別できない。
 何とか身体が溶け切る前にここを――。
 
「あれ……?」

 溶けない? なんで……まさか、この影、溶かすも溶かさないも自由自在ってことか?

 すると影の外、どこかから声が聞こえる。

「ふふ、やっと捉えたわ。ようこそ“影の中”へ」
「……!」
「貴方はこれからじっくりと溶かして、貴方の力を観察させて貰うわ」

 リディアの恍惚とした表情が目に浮かぶ、ふふふという笑い声。
 恐らく、これがリディアの魔剣の奥義だ。

『溶かす溶かすって、かなり狂った女ね』
「……リディア、狙いはなんなんだ。あなたは何者なんだ!」

 すると、声が帰ってくる。

「私は魔王教団幹部。魔剣は必ず回収するわ」
「魔王……教団……?」

 聞いたことも無い名前だ。
 魔王……。

 すると、意識の波長が一気に脳に流れ込んでくる。

『……魔王!?』
「ぐっ!?」

 これは、カスミ……!?

「ど、どうしたの!?」
『な……にか――思い出しそうな……』

 カスミの感情が、直接伝わってくる。
 それを感じているだけで、俺の心まで持っていかれそうな、深い悲しみが。

 何かに反応して、カスミの心が乱れているんだ。

「……大丈夫、カスミ大丈夫だよ」

 俺は、ぎゅっと刀を握る。
 優しく、撫でるように。

 すると、少しずつカスミの感情の波が落ち着いてくる。

「大丈夫?」
『……ご、ごめんホロウ。大丈夫。ありがとう』

 カスミの声が、いつのものように聞こえてくる。
 どうやら落ち着いたようだ。

「カスミ、一体何が……」
『ちょっと……ね。それにしても、魔王だなんて。そうね、六百年……それだけ経てば、そういう話もあるわよね。だから私は、あそこで……』
 
 六百年と言えば、カスミが封印されていた期間だ。

『――けど、話は後よ。それより、今はあの女を!』
「ああ……!」

 疑問は、あの人を捕まえて問いただせばいい。
 今は、勝つことだけを考える。

 俺は周囲に意識を向ける。
 この影の中、光は0。感じ取れるのは、音だけ。

 すると、肌がピリッと痺れる。

「ふふふ、まずは軽く表皮から。刀が溶けないように、ゆっくりとギリギリを攻めて溶かしてあげる。早く殺して欲しくなるくらいにね」

 溶かすレベルも変幻自在か。
 長居はマズイ……!

「あがいても無駄よ。それは影の牢獄。いくらあなたの力があろうとも、それだけの体積を持つ影から脱出できるかしら?」

 きっと絶対的に自信のある魔剣の魔術なんだ。それだけ強固な牢獄。
 だけど、これは魔術。魔術空間なんだ。

 たとえ体積が大きかろうが、それが一つの魔術であるならば斬れない道理はない。それは、剣聖との戦いで実証済みだ。

 俺は一度カスミを鞘にしまうと、腰を落とし、身体を捻る。

「ふぅー……」

 息を吐き、グッと力を入れる。
 そして、高速で刀を引き抜く。

 瞬間、加速した刀が閃光を放つ。
 縦横無尽に広がる剣閃。

 そして次の瞬間。
 影の牢獄は、バラバラと砕け散り身体が外に飛び出る。

「ぷはぁ! よし、脱出!」

 さすがのリディアも、唖然とした顔で顔を引きつらせている。

「……なんでもありかしら、その力」
「呆れたわ……。あの質量の魔術ですら破壊してしまうのね」

 リディアは今回ばかりはさすがに驚いたのか、その張り付いたような美人の顔に、興奮以外の感情が見える。

「それが魔剣ではなくあなたの力……ふふ、ふふふ。危険すぎる力だわ。()()()()()にとって、大きな障害となり得る」

 私達……つまり、さっき零した魔王教団だ。

『そうみたいね。そして、その目的は恐らく魔剣集め』

 だけど、魔剣なんて集めて何を……ただのコレクターじゃないでしょ、この攻撃性は。

「貴方、魔剣の真の意味を知っている?」

 突然の質問に、俺は眉をひそめる。
 魔剣の意味とはなんだろうか。

「わかるか?」
『さあ……私の意味……私――』

 瞬間、ザザッ! と何かが脳を駆け抜ける。

「!」

 それは、カスミから伝わるイメージ。
 カスミの頭の中のノイズ。

『な、なんだろう……何か、大事なことを……思い出しそうな……』
「だ、大丈夫?」
『う、うん。それより、あの女に集中しないと』

 俺は改めてリディアに向き直る。

「俺は魔剣の意味なんてわからない。けど、カスミが居てくれればそれでいいんだ。俺は、カスミと一緒に強くなる」
「それが叶えばいいわね。魔剣は、この世界を終わらせる力。私達が、そのすべてを手に入れる」

 そう言いながら、リディアは両手を合わせる。
 魔剣はひとりでに浮き、リディアの前に止まる。

「面白い子だと思ったから捕えようと思ったけど、辞めたわ。やっぱりここで溶かし切る。貴方を殺してその魔剣、貰うわよ」
『ホロウ、来るよ!』
「あぁ……次の大技で勝負する気だ……!」

「さあ、終わりにしましょう……!」

 リディアの周りに散っていた影が、魔剣に集まっていく。
 それは、まるで刀身を伸ばすように天高く伸びていく。触手のように広がり、それぞれが意思を持つかのようにうねうねと動く。

 その先に触れた壁や天井は、ジュウウウ! という激しい音を立て、急速に溶けていく。

 今までの比ではない腐食の威力。当たるだけで、恐らく即死。

「綺麗さっぱり溶かしてあげる」

 瞬間、リディアは微笑みながら刀を振り下ろす。

「くるぞ!!」
『やっちゃえホロウ!』

 その影は、物凄い勢いで周囲を溶かし、俺目掛けて襲い掛かる。
 目の前には暗い影が落ち、天井すらもうほとんど見えない。

 広範囲に及ぶ影の圧、加えてそれぞれの触手が別の軌道を取り鞭のように襲い掛かかる。

 不可避の攻撃だ。だが。

「避けれないなら」
『壊せばいい!』

 俺は無我夢中で刀を振り、襲い掛かる影をひたすらに切り続ける。

「うおおおおおお!!!!」

 連続する破壊音。目の前を覆っていた影は次々と刀に触れた瞬間にガラスを割ったように砕け散る。

 そして、最後に一気に刀を振り上げ影を切り裂いた時、古びた天井が視界に現われる。

「……呆れた、魔術なら見境ないって訳。とんだプレイボーイね」

 リディアは僅かに歪んだ顔で静かに笑う。

『今!』

 その隙を逃さず、一気に距離を詰める。
 迫る俺を察して、リディアも魔剣を構え直す。

「まだよ……まだ。私は魔王教団幹部、リディア。魔剣は必ず頂くわ……!」

 リディアは狂気に満ちた顔で、俺の振り下ろす刀を弾く。
 そして、一転一気に攻めの姿勢を取る。

「私にその内側を見せて頂戴!」

 激しい攻めの連続。
 しかし、俺はそれを軽々といなす。

「あははは!! どうしたのかしら! 守ってばかりじゃ勝てないわよ!」

 リディアが腐食の影を使った攻撃をしてくる気配はなかった。
 ただ純粋な剣技。

 俺にさっきの技を壊され、もう余力が残っていないのだろう。

 だが、純粋な剣技は一番俺が得意とするところだ。魔剣に、魔術に頼ってきた人間に負ける訳がない。負ける訳にはいかない……!

「はあああ!!」
「!?」

 振り下ろされた刀を、一気に力で押し返す。

 リディアの身体は後ろへ仰け反り、一気にバランスを崩す。

「くっ……!」

 その隙を逃さず、一気に畳みかける。
 魔剣が交差し、ギチギチと音が響く。

 リディアの顔は相変わらず不気味な笑みを浮かべているが、額から垂れる汗がその焦燥感を現していた。

「腐食の……リディア……!」

 こいつは、リーズたちの仇だ。
 あの影に飲まれ、そして溶けて行ってしまった。もう、生きてはいない。

 こいつさえいなければ、きっと今頃ジェネラルオークの討伐を祝って、いつもの酒場で祝勝会が開かれていたはずだ。

 そしていつも通りリーズは調子に乗って自分がいかに優れていたかを語り、それにシアがそんな訳ないでしょまったくと呆れ顔でツッコミ、そしてオッズがまあまあとリーズの成果をフォローするんだ。

 そして、俺なんかを凄い奴だと認めてくれて、その剣の凄さをみんなして自分のことの様に語ってくれて……俺は照れちゃって黙るんだけど、代わりにカスミが自分のことの様に胸を張るんだ。

 そんな平和な、いつものようなクエストの後のお疲れ様が待っているはずだった。
 なのに、こいつにすべて壊された。

「お前の……お前のせいで!!!」
『ホ、ホロウ落ち着いて! 別に捕らえるだけでも――』

 もう終わりだという感覚が、誤魔化していた怒りを表面に引きずり出す。

 力のこもった刃が、魔剣ごとリディアを地面に引き倒す。

「ッ!」

 魔剣はリディアの手を離れ、遠くへと転がっていく。

 俺はそのまま、刀をリディアの顔の横へと差し向ける。
 完璧に勝負は決した。それを理解したリディアは、ふふふと笑う。

「ふふ……いい顔ね。その顔、悪くないわ。私が見て着た顔とは違うけれど……その憎悪に焼かれた瞳。私が溶かされてしまいそう」
「黙れ……お前は、許すわけにはいかない!」
「そうでしょうね」

 リディアは短くため息をつく。
 その顔に焦りや緊張はない。すべてを受け入れている顔だ。

「――殺しなさい。覚悟は出来ているわ。むしろ、最後の楽しみだったの。今まで溶けていくみんなのことが羨ましくて。やっと私の番なのね。お願い、一思いにやるのもいいけれど、じっくりお腹の辺りから……」

 そう言って、リディアは自分の腹の辺りを擦る。

「狂ってるよ、お前……」
「お互い様よ、魔断の剣士」

 これで、リーズのたちの仇を打てるんだ。
 それに、これから出てしまうはずだった犠牲者も出なくなる。

 俺は、刀を静かに掲げる。
 このまま振り下ろせば、やれる。

「…………」

 しかし、その一太刀が振れない。
 俺が、殺す? この人を?

 想像しただけで、急激な喉の渇きが訪れる。
 動悸が激しい。

「どうしたの、やらないのかしら」
「う、うるさい! 今お前を……!」
『ホロウ……!』

 やるんだ、リーズたちのために!!

「う、うわああああああ!!!」

 そして、目を瞑り一思いに刀を振り下ろす。

 ――カキン!!!

 響いたのは、乾いた音。

「――ッ!?」

 その刀は、リディアの横の地面へと振り落されていた。
 そしてリディアは、その表情を百八十度変える。その顔に、笑いはもうない。

「つまらない男。覚悟もないのに剣を握るなんて、下らないわ」
「お、俺は――」

「じゃあまたね」

 瞬間、リディアの背後、横たわる地面から影が一気にあふれ出す。

「まだ力が!?」
『逃げられるわ!』
「バイバイ、臆病者のホロウ。次会ったら殺すわ、今度は全力で」
「ま、まて! おい!」

 しかし、リディアはそのまま影に包まれると、何もなかったかのように消え去った。

 ホロウは一人残されたその部屋で、ただただ唖然と佇む。

 何もできなかった。残されたのは自分の身体のみ。
 リーズたちの遺体もない。

 ただ、仲間を殺されて逃げられただけだ。
 この場には、何も残っていなかった。
「リ、リーズさん達が……」

 キルルカさんが、その表情を曇らせる。
 きっと冒険者をしている以上、死というのはそんなに珍しいものではないはずだ。

 だが、キルルカさんは自分のことの様に悲しんでいた。

「リーズさんたちはホロウ君の良き理解者だったわ。このまま一人で過酷な道を進んでいくのかしらとホロウ君を心配していたけれど、彼らと出会って……。彼らとならきっともっと上手くやっていけると私も凄く嬉しかったんだけど……」
「ごめんなさい……」
「あっ、ホロウ君が謝る必要は全くないわ!」

 キルルカさんは慌てて否定する。

「冒険者よ、こういうことがあるのは日常なの。自分のせいだなんて思わないで」

 リーズにも同じことを言われた。
 けれど今の俺には、決してそんな風には思えなかった。

 後ろに立つカスミが、握った拳にそっと手を添える。

「けど、リーズ達をやったのは、魔物や迷宮じゃなくて……切り裂き魔だ」
「ええ。今騎士達が捜索してくれているわ。もともと被害者は多くて捜査はしていたから、今回の件で捜査が更に進展するとは思えないけれど……」

 逃がしてしまったのは本当に痛手だった。
 あそこで捕まえられたのは俺しかいなかったのに。

 怒りで殺意が湧いて、結局怖気づいて何もできなかった。

「切り裂き魔も基本的には武器を持つ冒険者を狙っていたわ。リーズさん達がホロウ君のせいで狙われた訳じゃない。気を落とし過ぎないでね。今は無理だろうけど、時間が解決してくれるわ。ね?」
「…………」

 そうして、キルルカさんやカレンさんたちに慰められ、俺は宿屋へと戻った。
 殆ど気力も残っておらず、慰められた言葉の中身まではまったく覚えていなかった。

 薄暗い部屋の中、倒れこむようにベッドに飛び込む。
 シーンとした部屋の中、また一人になってしまったという実感が込み上げてくる。

「ホロウ……」
「…………」

 カスミが、そっと横に腰を下ろす。
 そして、俺の手を握る。

「今日は寝ましょう。ホロウは頑張ったよ」

 そう言って、カスミが額にキスをする。
 俺はそのまま目を瞑った。

◇ ◇ ◇

 結局寝れず、夜にカスミを置いて宿を抜け出していつもの酒場、不夜城へと気付いたら足を運んでいた。

 相変わらず中からは賑やかな喧噪が聞こえてくる。

 しかし、もうそこにいつもの皆はいない。

 中に入ることも出来ず、そのまま素通りしてただただ夜道を歩く。

 少し行ったところにベンチがあり、そこに腰かける。
 無力感と虚しさが込み上げてくる。

 後悔ばかりだ。人を守れるくらい強くなりたかった。魔術が使えなくてもそれが出来ると証明したかった。

 しかし結果は、もしかすると、あのパーティに入っていたのが俺じゃなくてちゃんとした魔術師だったら――

「それは違うよホロウ。間違っちゃ駄目」
「カスミ……」

 暗闇からカスミの声が聞こえる。
 どうやらこっそりついてきていたようだ。宿屋で目を開けたときには隣でグースカ寝ていたくせに。

「違うって言うけど……実際俺がもっと早くジェネラルオークを倒せていれば、リーズ達が戦う前に間に合ってたかもしれない」
「それはホロウの代わりに魔術師が入っていたとしても変わらないことだよ。結果論よ」
「けど……」
「リーズ達もホロウのことを凄いと言ってくれてた。彼らのことを信じられないの?」
「それは……」

 カスミは、じっとこちらを見てくる。

「けど、あの女――リディアは、魔剣を狙っていた。俺が……俺がリーズ達に近づかなければ、きっと巻き込まれることも無かった」
「あの女はその前から武器を持っている人間に勝負を仕掛けて殺していたわ。今回たまたまホロウの情報を得た後だったから狙われただけで、あの女から狙われる可能性はいつだってあったわ」

 頭がこんがらがってくる。
 けど、自分が悪かったとでも思わないと、何もわからなくなる。

 何が悪かったのか。
 確かにカスミの言う通り、完全に俺が悪かったということはないんだと思う。けど、その一因になったのは間違いないんだ。

「リーズ達を巻き込んじゃったって思う気持ちもわかるけど、自分を否定していたらリーズ達にまた怒られちゃうよ?」
「それは……」

 そうだ、リーズはきっと俺のことを否定しない。だって、間違いなくあの瞬間俺たちはパーティだったんだ。

 誰かと一緒にいることの楽しさを教えてくれたのはリーズ達だ。
 ここで人を遠ざけてしまったら、俺はまたあの家にいたときのような人生に逆戻りだ。

 思い出すあの家での虐げられた日々。
 それが、剣を身に着けて、カスミと出会ったことでより前向きに生きていこうと思えるようになった。

 だとしたら、俺が生きていくこと。俺が前を向いて生きていくために必要なことはもう決まっている。

 ――強くなることだ。
 今よりもっと。

 自分の心を制御できなかった弱さ。自分の剣の弱さ。そして魔術が使えないと言ってカスミの魔剣としての力から目を逸らしてきた弱さ。

 自分の弱さが、全ての原因だ。

 強ければ、失うことはない。

「――ありがとうカスミ」
「きゅ、急にどうしたのよ」

 カスミは照れ臭そうに髪を耳に掛ける。

「おかげでちょっと冷静になれたよ」
「そう」
「俺もっと強くなるよ。自分が守りたいものを守れるように」
「ふふ、ちょっとはいい顔つきになったじゃない。それでこそ私のホロウだよ!」

 カスミはぐいぐいと俺の頬を突く。

「や、やめろよ」
「どこまでも一緒なんだからさ、一緒に強くなろうよ」
「うん、ありがとう」

 俺はそう誓ったのだった。
 リーズさん達のことは忘れない。そして、仇は絶対に取る。

◇ ◇ ◇

「聞いたわよ……。大丈夫、ホロウ?」

 翌日、セシリアが眉を八の字にしてそう声をかけてくる。
 冒険者の死というのは広まるのが早いようだ。

「うん、ちょっとは立ち直れた……かな」
「それならいいんだけれど。何か手伝えることがあったら言ってね? 同期のよしみよ」

 セシリアは優しい顔を見せる。
 本当に、俺はいい人達に恵まれた。周りにはいい人ばかりだ。

 セシリアもカスミが魔剣だと知っている。
 もしそれが知れ渡れば、セシリアも狙われてしまうかもしれない。そんなことは絶対にさせない。

 やはり、強くならなきゃ。
 魔王教団……その実態はわからないけど、奴らについても知る必要がある。

 カスミを狙っているんだ。リディアを逃がしてしまった以上、その情報はその教団内で広まってしまっているかもしれない。

 じっとカスミを見ていると、カスミはパスタを啜りながら不思議そうに首をかしげる。

 あの戦いの途中でカスミは何か変だった。
 カスミの記憶に何か鍵があるんだろうけど、あれ以来カスミに何か思い出せることはなかった。

「それじゃあ、本当に何かあったら言ってね。無理しない様にね」
「うん、ありがとう。セシリアも気を付けてね」

 そう言って、俺はセシリアと別れる。

「いい子だね、セシリア」
「ああ。巻き込めないよ、セシリアは」
「ねえ、ホロウ。一つ提案があるんだけど」
「何?」

 カスミは口元についた汚れをフキンで拭うと、じっとこちらを見る。

「強くなりたいなら、今のホロウにうってつけの人が居るんだけど」
「! それって……」

 カスミは周りに声が聞こえないように近づき、小声でこう告げる。

「ネルフェトラス――現存する最後の吸血種よ」
「戻ってたのか、リディア。相変わらず美しいな」

 鎧を着た青髪の男は、リディアの座る隣の椅子に腰かける。
 円卓に席は四つ、だが今は二人しか座って居ない。

「アドベルト……。貴方こそ珍しいわねここに顔を出すなんて」
「まあ、フェイド様が戻ってきているというからな、そりゃ一目見ないと」

 アドベルトは髭を擦りながら、ニヤニヤと顔を緩める。

「さすがフェイド様信者。気持ち悪いわよ」
「あらら、相変わらずツンツンしてるねえ。美人が台無しだぜ。……それより、どうだったんだ、例の魔剣は」
「…………」

 少し顔をしかめるリディアに、アドベルトはハハンとにやける。

「あの戦闘狂のリディアがねえ。殺人何かに精を出してるから本筋を見誤るんじゃねえか?」
 
 へらへらと笑うアドベルト。
 しかし、リディアは淡々としている。いつものことなのだ。

「で、一体どんな奴だったんだ? 仮にも“腐食”を負かすような奴だ、少し気になるな」
「剣技がかなりの物だったわ。魔術は使えないようだったけれど、それでもおつりがくるわ」
「剣技?」
 
 アドベルトは顔をしかめる。
 魔術全盛の時代、剣を売りにしている人間など限られている。

「この国で剣技って言ったら……ヴァレンタインか? それ以外あまり思いつかないな」
「違うわよ。ただ、剣聖に引き分けたと聞いたわ」
「はあ!?」

 アドベルトが身を乗り出す。
 この国で剣聖と引き分けたというのは、誰が聞いてもこういう反応をする。

「どんな化物だよ……」
「子供よ、まだね」
「……からかってんのか?」

 しかし、リディアはさあねと肩を竦める。

「あれは、私達の障害になるわよ」
「お前にそこまで言わせるか。俺が戦ったらどうなる?」

 アドベルトは眉を上げ、リディアの顔を覗き込む。

「……どうかしらね。私と戦うよりは、あなたとの方が相性が悪いかも」
「ふうん、あのリディアがそこまで素直に俺を認めるほどの奴か。気になるな」
「どうせあなたは魔剣に興味が無いでしょう。まったく」
「フェイド様の指示ならやぶさかじゃないさ」
「どうでしょうね。それで、他の二人は?」

 アドベルトは肩を竦める。

「まったく、あの盗賊はともかくおじいちゃんまで居ないのはどういうことかしら」
「それぞれ頑張ってんのさ、フェイド様の為にな。それに、フラフラと魔剣狩りしてるお前にはあいつらも言われたくないだろうさ。ここに来るも久しぶりだろ?」
「私はいいのよ。結果を出しているから」

 強気のリディアに、アドベルトはやれやれと肩を竦める。

 すると、奥の部屋から不意に足音がする。

 その音を聞き、二人は慌てて立ち上がると頭を下げる。
 反射的に染み付いた行動。それだけ、この奥から来る人物に二人は頭が上がらないのだ。

 遅れて、ゆっくりと奥から姿を現したのは仮面をつけた人物だった。

 不思議な雰囲気を纏っていた。
 決して体格が良い訳ではないのに、持っているオーラが、その存在感を際立たせている。

 空気が変わる、とはこのことを言うのだろう。

 仮面の男は円卓ではなく、少し離れた玉座のような椅子に座ると、脚を組む。
 漆黒の剣を傍らに置き、頬杖をつく。

 そして、一言。

「さて、魔王教団の会議を始めようか」
「この顔! 見おぼえない!?」

 カスミはドン! と男に詰め寄り(これが噂に聞く壁ドンか)、手に持った一枚の紙をその眼前に叩き付ける。

 男は降参しますと小さく両手を上げ、困ったように眉を垂らす。

「いやっ……えっと……ええ?」
「だーかーら! この顔! 見おぼえない!?」
「ひぃぃ」
「カスミ……それくらいにしてあげてよ」

 俺はやれやれと肩を竦め、体を押し付けるカスミの肩を掴んでグイっと引き戻す。
 男はやっと息が出来るという風に、ふぅっと大きく息を吐く。

「すみません……ちょっと人を探していて」
「あ、ああ、そういうことなら……。女の子に詰め寄られるのは初めてで困惑しちゃったよ」
「すみません……」

 カスミは、私は悪くないもんという風に、後ろで腕を組みぷくりと頬を膨らませている。

 王都に来てから一週間。
 俺達の人探しは、上手く行っているとはいいがたい状況だった。

 とりあえずカスミが持っている紙を受け取ると、俺は丁寧に男に見せる。

「この人なんですけど」
「どれどれ……」

 男は細い目をさらに細めて、じぃーっとその紙を見つめる。

 どんな結果が出るか、ごくりと唾を嚥下する。
 後ろではカスミが、興味津々にその様子を覗き込んでいる。

 そして、男はパッと顔を上げると。

「――あの、これ……」
「何か分かりましたか!?」

 男はポリポリと頭を掻くと、申し訳なさそうに小さな声で言う。

「ちょ、ちょっと……絵が……これって人間なんでしょうか……?」

「――――」

「どどどどど、どういうことよ!!!!」

 カスミは顔を真っ赤にして、手足を振り回して暴れるのだった。
 本日3回目の出来事である。

◇ ◇ ◇

「私の絵のどこが下手だって言うのよおおおお」

 カスミはおいおいと泣きながら、テーブルに顔を突っ伏す。

「まあまあ……結構味がある絵だと思うよ」
「本当に?」
「…………う、ん。本当だよ」
「それなら……いい」

 カスミはグスンと鼻をすすると、姿勢を元に戻す。

 決してうまいとは言えないカスミの絵。だが、これだけしか今手掛かりがないのだ。

「私がホロウが強くなりたいならって連れてきたのに、見つけられないんじゃ私のせいだよね」
「そんなことないよ」

 俺はポンポンとカスミの頭を撫でる。
 いつもはお姉ちゃんというかお母さんみたいな感じのカスミの、こういうちょっと幼い風な一面が見えると、なんだかカスミも可愛いところがあるなとほっこりする。

「それで、ネルフェトラスの手がかりだけど……あっ、今は違う名前なんだっけ」
「そう。手掛かりはこの私の描いた絵だけ」

 ネルフェトラス。
 六百年前、カスミと行動を共にしていたことがある、最後の吸血種。つまり、吸血鬼だ。

 吸血鬼は特殊な力を持ち、魔術師と違い、体内ではなく体外の魔力を使い魔術を使う。その技を身に付ければ、ホロウももしかするとその“魔力過敏体質”でも、魔術を使えるようになるかもしれない、というのがカスミの狙いだった。

 その提案を受けたとき、俺は快諾した。

 オーク討伐の功績のお陰で俺は一階級上がり、赤階級冒険者となった。
 リーズ達と引き換えに。

 だが、今はとてもじゃないが冒険者として上を目指すというモチベーションは持てなかった。
 それよりもまず、俺は強くならないといけない。今は少しでも可能性があるのなら、それに賭けたい。
 もう、仲間を失いたくないから。

 だから、俺達はこの王都「オルテウス」へとやってきたのだ。

「六百年前だから、今は名前変えてるんだったっけ」
「確証はないけど、多分そう。まったく……人に紛れて暮らしたいからって、あいつ名前を変えながら生きてるのよ。今は何て名前何だか」

 カスミは降参だーと言いながらベッドに仰向けに倒れこむ。

 カスミが最後に吸血鬼と会ったのがこの王都だったという。
 だから、こうして俺たちは王都へとやってきた。

 すぐに見つかるとは思っていなかったが、ここまでとは。
 ジェネラルオーク討伐の報酬が俺一人に渡されたことで、当面の生活費には困っていなかった。

 この少しいい宿も、カスミが「お金があるならいい暮らし! 使うの渋ってもリーズ達が喜ぶわけないじゃないでしょ」と言ってくれたから使っているものだ。

 だが、お金もいつまでもある訳じゃない。そろそろこの王都に根を張って、冒険者として働きながら吸血鬼を探すということも考えないといけない。

 けど、しばらくは一人で良い。仲間を守れないなら、仲間何て持つべきじゃないから。
 また仲間の命が掛かった場面で、俺はちゃんと()()()だろうか。
 あの場面を経験しても、まだこうして悩んでしまう。すべてはきっと、自分が弱いせいだ。

 その弱い自分を超えるためにも、今は少しでも強く。

 ――と一人じっと拳を見つめていると、後ろからぎゅっとカスミの腕がお腹に回ってくる。

「寝よっか、今日は」
「……」

 じっと見上げるカスミの瞳。
 その目には、大丈夫? という心配が籠っているのがハッキリとわかる。

 俺はふぅっと溜息をつくと、はいはいとカスミの腕を解く。

「だね、明日また頑張ろう」

 こうして、俺達は眠りについた。

◇ ◇ ◇

「――うっさいわね! これでも上手い方でしょうが!」

 きーっと怒るカスミを置いて、目の前の男は足早に去っていく。

 朝になったからと言って人相書きが分かりやすくなっているはずもなく、誰に見せてもあまりいい反応は得られなかった。

 確かにカスミの絵は下手だが、特徴はちゃんと書かれていた。
 白髪に赤い目。きっと見たことがある人ならああ、確かにこんなんかも、というくらいはわかるはずなのだ。

 つまり、本当にまだ吸血鬼を見たことのある人に当たっていないだけなのだ。

「はあ、まったく、記憶力がないやつばっかりなんだから」
「記憶力というか、パズルというか……」
「これだけ聞いて知らないとなると、今は王都に居ないのかなあ。けどあいつ、いっつも王都に巣食ってたし、今も王都だと思うんだけど――」

「ホロウ」

 不意に少女の声がして、俺は後ろを振り返る。
 するとそこには、青髪の見慣れた少女がたっていた。

「セ、セシリア……!」
 俺は思わず声を上ずらせる。

 セシリアが王都に居る何て思いもしなかったのだ。なんせ、セシリアとは一週間前にリドウェルで別ればかりなのだから。

 あの時は王都に行くという話もなかったのに、まさかこんなところで会うなんて。

 セシリアの登場に面食らっていると、セシリアは逆に落ち着いた様子で話し出す。

「ホロウ、カスミ久しぶりね。一週間ぶりくらいかしら?」
「そ、そうだね。まあ、久しぶりというほどじゃないけど……まさか王都に来てるなんて思わなかったよ。いつから?」
「二日前からよ」

 来たのは大分最近らしい。
 すると、カスミは机に突っ伏したまま、じーっとセシリアを見つめながら言う。

「へえ、王都に何しに来たの?」

 するとセシリアは頬を掻きながら。

「あー、ちょっと用があってね。話を聞きに来ていたの」
「ふーん、そうなんだ。忙しそうね」

 セシリアも王都で用事か。
 そういえばセシリアがどういう子なのか、そこまで深い話はしたことがなかった。王都に何らかの縁があるのだろうか。

「まあでも、元気そうで良かったよ。調子はどう?」
「ぼちぼちね。王都の冒険者ギルド覗いてきたけど、ちょっとレベルが高いわね」
「あぁ……俺達も行ったけど、みんなすごかったね」

 決してリドウェルがレベルが引くわけではない。
 ただ、王都は基本的に安全が保障されているため、近隣での任務というのはあまりない。だから、王都に居るような冒険者というのは雑用で小遣い稼ぎをするか、もっと強大な敵を倒すために居るかの二択なのだ。

 だから、リドウェルに比べて上位階級の冒険者の数が圧倒的に多い。

「けど、やる気貰ったわ。私も負けてられないわ」

 そういうセシリアの顔はいつも通りだ。
 すると、セシリアはずいと俺の顔を覗き込む。

「逆にホロウは……ちょっとやつれた? ちゃんと食べないとだめよ」
「わ、わかってるよ。大丈夫だよ」

 俺は顔をまじまじと見られたのが恥ずかしくて咄嗟に顔を逸らす。
 それを、カスミがじとーっとした目で凝視している。

「本当に? それならいいんだけど……無理しないでね」
「あはは……お母さんみたいだな」
「なっ! い、いやそう言う訳じゃ……」

 と、セシリアも恥ずかしそうに髪をいじる。

「はいはい、楽しそうでいいわね」
「カ、カスミ……!」

 カスミは腕を組んでぷいとそっぽを向く。
 話に入れなかったのが寂しかったのだろうか。

「あ、そうだ。セシリアにも聞いておこうよ」
「あぁ、そうね。セシリア、これ」
「? なにかしら」

 カスミは持っていた紙をセシリアに渡す。

「私達人を探してるの」
「人探し?」

 カスミは頷く。
「その顔に見覚えない?」
「顔……」

 セシリアは顎に手を当てながら、受け取った紙をじーっと見つめる。

「王都に居ることは分かってるんだけどさ、全然見つからなくて」

 王都はただでさえ人口が多い。それに加え、そもそもカスミの記憶通りの特徴のまま生活しているかも怪しい。

 カスミが最後に見てから六百年。
 そんなに時間が経っているなら多少は外見に変化があってもおかしくはない。

 そもそも吸血鬼という物自体、俺はよくわかっていない。
 かつて実際に居た種族だという話は聞いたことがあるが、殆ど伝説上の存在だ。

 カスミ曰く、吸血鬼は不老で外見は二十代の姿から一切変わっていないはずだ、ということらしいけど。

「どうかしら?」

 言われて、セシリアは首をかしげながら。

「…………蛇?」
「ヒ・ト!! もう、そんな言うんなら返して!」

 と、カスミはキーっと髪を逆立て、セシリアから紙を奪い返そうとする。

「ま、まあカスミ落ち着いてよ!」

 俺は慌ててカスミの身体を抑え込む。

「ご、ごめんなさい! そんなつもりは……」

 セシリアは申し訳なさそうに眉を八の字にしている。
 そして改めて人相書きを見る。

「そ、そうね、理由はわからないけどこの人を探しているのね。わかった、もし見つけたら報告するわ。私もしばらくは王都に居る予定だし」
「本当!?」

 俺はまだ興奮しているカスミを抑えながら、キラキラとした目をセシリアに向ける。

「うん。王都に詳しそうな人にも聞いておくわ。助けになるといいけど」
「十分だよ、ありがとう!」
「同期のよしみだからね。持ちつ持たれつよ」

 そうして、セシリアはカスミ印の人相書きを懐にいれると、手を振って去って行った。

 まさか王都でセシリアに会うなんて。
 一体何の用で来ているかは気になるけど……あまり詮索しない方がいいかもしれない。お互いに、触れて欲しくないことはあるものだ。

 とにかく、セシリアも裏で探してくれるならありがたい。

「さて、カスミ」

 俺は立ち上がると、カスミの手を掴む。

「次の所に聞き込みに行こう! 早く見つけて強くならないと!」
「そうね、何としても見つけてやるんだから……! 私に恥をかかせて……あの吸血鬼め!」

 こうして俺たちは、ひたすらに王都中を聞き込みして回ったのだった。
「ふっ……! ふっ……!」

 早朝。
 太陽が徐々に地平線を超え、明りが街を照らすころ。

 カスミはまだベッドでおスヤスヤと眠っている。

 そんな中、俺は店で買った訓練用の木剣で一心不乱に素振りをする。
 通常の剣より重く、筋肉も鍛えられる優れものだ。

 汗を流しながら、ひたすらに振り続ける。王都に来てからの日課だった。

 吸血鬼に会い、そしてもっと強くなる。
 今よりもっと。だからこうして、毎日少しずつでも強く成ろうと努力している。

 小さい頃から一人で、途中からはカスミと行ってきた剣の基礎訓練は、意外と最近は疎かになっていた。

 冒険者になり、実戦的な剣での戦いが増えることでそっちまで手が及んでいなかったのだ。

 実戦訓練が一番の訓練だというのはそうだと思う。けど、こうして基礎に立ち返ってみると、剣筋に思わぬ癖がついていたり、感覚でやり始めていた動きがあったりと意外と新しい発見がある。

 やはり基礎を疎かにしては強くなれない。初心に帰って、しっかり鍛える。

 そうして日課の素振りを終えると、俺は軽く汗を流し部屋に戻る。

「ふぅ~、疲れたあ」

 肩を軽く揉みながら部屋に入ると、気持ちよさそうに眠るカスミの姿が。

 相変わらず口を大きく開け、体を丸めるように眠っている。
 白い髪に太陽の光が煌めき、何とも言えない神秘的な雰囲気を纏っている。

 やっぱり魔剣だけはあるなあ、としみじみ思う。

 俺はさっさと着替えを済ませると、カスミの身体をゆする。

「ほら、もう朝だよカスミ」
「んん……もう無理……」
 
 寝ぼけて良く分からないことを口走りながら、カスミはむにゃむにゃと口を動かす。

「もう無理って、まだ何もしてないだろ?」
「んぐう……あれ、朝……?」
「ほら、いい天気だよ」

 カスミはごしごしと目元を擦りながら、ゆっくりと身体を起こす。
 ぼーっとしながらも、掠れた目で辺りを見回している。

「ほんとだ……」

 カスミはんん~と身体を伸ばす。
 どうやら目が覚めてきたらしい。

「さ、今日も吸血鬼探すんだろ? 朝ご飯食べに行こうよ」
「ふぁあ……だね。ホロウも朝からご苦労様」
「へへ、昔みたいだろ?」

 言うと、カスミは目を細めて笑う。

「そうね。明日からは私も付き合おうかな」
「起きれたらね」
「起きれるよ!」

 こうして今日もまた人探しが始まった。

 まずは腹ごしらえだと、近くの店で朝食をとる。

「んー、昨日は北の方で聞いて回ったから、今日は少し東側かな?」
「そうね、こっちの方は歓楽街とかだから、もしかすると知ってる人がいるかも」

 今日の捜索範囲を相談しながら、俺はパンに齧りつく。

「セシリアも探してくれるし、これなら効率もよさそうだね」
「そうだね、今日見つかるといいけど……」
「だね」

 と地図を眺めながらもう一口進めると――

「やっ、ここ座っても?」
「えっと――――」

 言われて後ろを振り返ると、そこには見慣れた人物が立っていた。
 昨日に似たシチュエーション。だが、それ以上の衝撃。

 綺麗な金の髪を他なびかせ、我が物顔でそこに立っていたのは、この国でも上位の力を持つ剣聖の称号を持つ男。

「ヴァ、ヴァレンタインさん……!?」
「やっ、元気そうだね、魔断の剣士――ホロウ君」

 ヴァレンタインはニコッと笑う。

 そうだ、王都と言えばヴァレンタインだ。
 最後に分かれたときも、確か王都で活動してることが多いって話していたっけ。

「ど、どうしたんですか、こんなところに」
「どうしたとは冷たいな。僕たちの中だろ?」

 そう言ってヴァレンタインはウィンクをする。
 そんな親密な仲になった覚えはないけど……でも、そう思ってもらえるのは悪い気はしない。

「王都は僕の庭だからね。水臭いじゃないか、人探しだろ? 僕を頼ってくれればいいのに」
「「!」」

 俺とカスミは目を合わせる。
 確かに、剣聖ほどの人物なら人探しも俺達がするより数倍効率が良さそうだ。

 けど、剣聖……それほど忙しいと思われる人物がわざわざ手伝いに来てくれたなんてあまり素直には思えない。

 これは何か裏があるんじゃなかろうかと、少しだけ警戒心が募る。

「はは、そんな警戒しなくても。言っただろ、僕は君に興味があるって」
「そういえばそんなこと言ってくれてましたっけ」
「いつか手合わせ、だろ? ――ここ座っても?」

 俺はどうぞと頷く。

「君は――確かカスミちゃんだったかな」
「そうだよ」
「…………なるほど。仲が良さそうだね」
「まあね!」

 ふふんとカスミは胸を張る。

「良いことだ。それで、ホロウ君の探し人だけど」

 言われて、俺はヴァレンタインにカスミの描いた人相書きを渡す。

 その様子を、カスミはじとーっとした目で眺める。
 もう何度も絵の微妙さに笑われてきたのだ、警戒心が高まっている。

 すると、ヴァレンタインはじっくりとその人相書きを見た後、うんと頷く。

「この絵だが」
「はい……」
「見たことあるな、彼」
「「えっ!?」」
「ほ、本当!?」

 カスミが目を輝かせて身を乗り出す。

 ヴァレンタインは人相書きに視線を落したまま、短く「あぁ」と頷く。

 俺とカスミは顔を見合わせる。

「そ、それで一体どこで……?」

 俺は恐る恐るヴァレンタインに問う。
 勝手な偏見だけど、ヴァレンタインはタダで情報を渡してくれるようなタイプには見えなかった。

 何か要求されるかもしれないが、俺が強くなるためだ。ここは致し方ない。

 カスミも神妙な面持ちで、じっとヴァレンタインを見る。

 ヴァレンタインは長い綺麗な金髪をかき上げると、俺とカスミを見る。

 一体何を要求されるのか――。

「彼は"ルシカ"。確かそう名乗っていたが、間違いないかい?」
「ルシカ……?」

 確かカスミの話だと、彼の名前はネルフェトラスだ。
 これは、別人のことを言っているのか……? いや、でも確かカスミは彼は名前を変えてるって……。

 すると、それを察してかカスミがこそっと俺に耳うちする。

「ルシカは何個か持ってる名前の一つよ」
「そうなんだ」

 今の名前はルシカ。
 彼が、俺を強くしてくれる人……吸血種。

「どうだい?」
「多分、ヴァレンタインさんが言っている人だと思います」
「それは良かった」
「ねえ、知ってるってだけじゃないでしょうね? ちゃんとあいつがどこにいるかまでも分かってるんでしょ?」

 カスミがじとーっとした目でヴァレンタインを見る。
 ヴァレンタインはその目を真っすぐに見返す。

「もちろんさ。中途半端な情報は渡す気はないよ。これでも剣聖だからね、顔はそれなりに広いんだ」
「凄いですね……。で、そのルシカさんは今どこに?」
「彼が君たちが探しまわっても見つからないのは当然のことさ」

 言いながら、ヴァレンタインは後ろに控える騎士の方に手を伸ばす。

 騎士は懐から丸まった紙を取り出すと、ヴァレンタインに渡す。

「ありがとう」

 ヴァレンタインはそれをテーブルの上に広げる。

「これって……地図?」
「あぁ、王都の地図だ。ここが今僕達が居る店だ」

 ヴァレンタインは街の南西区画にある密集したエリアを指す。

「そして、彼が居るのはここ」

 その指をそこから北西方向にずーっと動かした先。
 かなりの敷地面積を誇る建物の上で止まる。

「ここって……?」

 ヴァレンタインはニヤリと笑う。

「リグレイス魔術学院。この国を担う魔術師を育成する、有数の学び舎さ」
「リグレイス……!」

 兄さんたちが通っている魔術学院だ……!

 アラン兄さんはもう卒業して騎士になったけど、まだクエン兄さんが在学中のはず。

「魔術学院ねえ……確かにあいつならいてもおかしくないか」
「ルシカさんは今このリグレイス魔術学院で教鞭をとっている。知っての通り、魔術はその国の国力とイコールと言っていい。リグレイスは生徒の魔術の教育に加え、魔術研究も担っている聖域だ。だから、魔術学院の中は殆ど治外法権。私でさえ何重にも許可を取り付けないと中に入れない。完全寮制のうえ、教師も敷地内を出ることは殆どないのさ」
「だから見たことがある人がほとんどいなかったんだ……」

 閉ざされた魔術の学び舎。
 そりゃ、俺に縁何てある訳が無かった。魔術の使えない俺が。

 あの日憧れた魔術。俺には使うことは出来ないけど、それでもまだ魔術に対する憧れは胸の中に残っている。

「――あっ」

 と、そこであることに気が付く。

「あの、ヴァレンタインさんでさえ中に入れないなら、俺達がルシカさんに会うなんて無理なんじゃ……」
「そうだね、簡単にはいかないよ。会うならそれなりに正当な理由が居る。久しぶりに会いたいから、なんてのじゃ無理だろうね」
「そんな……」

 目と鼻の先に居ることが分かった。なのに会うこともままならないなんて。
 カスミの知り合いだしすぐ会えると思っていたけど、そう簡単じゃないみたいだ。

「ねえ、それだけ、何て言わないわよね?」
「カスミ?」
「まだ何かあるんでしょ? だからここに来た。まさか、ホロウと雑談してちょっと人探しを手伝う為だけに姿を見せた、何てわけないわよね」

 カスミの何かを見透かすような視線を受け、それでもヴァレンタインはにこやかに笑みを浮かべる。

「嫌だな、僕がホロウ君に興味があるのは知ってるだろ? 気軽に会いに来ちゃいけないかい?」

 笑顔のヴァレンタインと、探るようにじっと見るカスミ。
 何だかほんの少しの緊張感が漂ったところで。

「――そういえば」

 と、ヴァレンタインが口を開く。

「リグレイスと言えば、今僕はそれについて問題を抱えていたんだ。偶然にも」
「ぐ、偶然って……」
「もしかしたら、君たちが学院に入る手助けになるかもしれない。聞いていくかい?」

 白々しいわね、とカスミはため息交じりに漏らす。

「もちろんです……!」
「良かった。あまり大きな声で言えない話でね。詳しくは僕の宿で。端的に言うと――とある人物の護衛をお願いしたい」
「それじゃあ、君に依頼したい内容を話させてもらうよ」
「は、はい」

 改めて依頼だと思うと、無意識に身体が少し緊張してしまう。
 あの剣聖からの依頼……カスミは胡散臭いわよというような態度で相変わらずじとーっとした目を向けているが、ヴァレンタインさんが俺を見込んで話してくれているんだ。少なくとも、信頼はしてくれているということだ。

 俺は静かにヴァレンタインさんの話に耳を傾ける。

「リグレイス魔術学院は国内有数の魔術学校だ。国外にも多くの魔術学校はあるけれど、その中でもトップクラスの教育機関だと言われている」
「聞いたことはあります」

 とはいえ、周りからの評価等いものは聞いたことがなかった。
 さすがアラン兄さんの通っていた魔術学校だ。やっぱりすごいんだ。

 ヴァレンタインは頷く。

「それで、白羽の矢が立った。この国の東に、アーステラ帝国があるだろ?」
「はい、確か海に面した海洋国家……だと」

 俺は頭にこの国の地図を思い浮かべながら答える。

「よく勉強しているね。そう、海のないこの国からすれば貴重な貿易相手国であり、最も強い同盟関係にある国だ」

 話の全ぼうが良く分からず、俺は僅かに首を傾げ、はあと気の抜けた声が漏れる。

「あはは、難しい話だったかな? ――よし、本題に入ろう。そんなわけで、まあ比較的向こうの国と我が国は交流が盛んでね。そこの第三皇女が、魔術が大層魔術にご興味があるみたいなんだ」
「皇女様ですか」
「あぁ。だが、アーステラ内には彼女の好奇心を満たす程の魔術教育機関がなくてね。そこで、リグレイスがご指名を受けたという訳さ」
「えっ……? えっと、それって」
「なるほどね。アーステラの皇女様が、リグレイス魔術学院に入りたいって言ってきたわけね。確かにアーステラは昔から皇族はかなり強力な魔術を使うことで有名だったけど……」

 と、カスミは一人納得しブツブツと何かを言っている。

「その通り。まあ、長期的な話ではなく、短期の交換留学という形だ。お互いに、皇女様をずっとこっちの国に置いて置くなんて危険は冒したくないだろうからね。それで、さっき話した魔術学院の話になる」
「確か、治外法権でしたっけ」
「そう。隣国の皇女が来るというのに、我々騎士の立ち入りすら許さないのがリグレイス魔術学院の凄いところさ。だというのに、皇女様の警護計画は剣聖であり騎士である私に一任されてしまっている」

 はあ、とヴァレンタインは深めのため息をつき、眉を下げて肩を竦める。

「学院関係者以外の立ち入りは厳禁だ。つまり、内部の協力者を得るか、あるいは外部から正当な理由で協力者を送り込むしかない。それも、僕が皇女を任せても良いと判断できるだけの強さを持った人間をだ」
「それは、剣聖のお眼鏡にかなう人なんてそうそう見つからないですよね」

 あはは、と俺は無邪気に笑う。

「…………」

 すると、ヴァレンタインが俺をニコニコした顔で見ているのに気が付く。

「えっと……え?」
「はあ……」

 カスミはやれやれと頭を振っている。

「これは結構厄介よ、ホロウ」
「カスミ?」
「――是非、皇女殿下の護衛を君に頼みたくてね」
「お、俺ですか!?」

 俺は思わずその場で立ち上がり、声を張り上げる。
 晴天の霹靂とはまさにこのことだ。

 そんな冗談――……いや、ヴァレンタインの表情からして、冗談とは思えない。

「…………」
「どうかな?」
「いや、どうと言われましても……」

 俺はカスミと顔を見合わせる。
 そもそも、俺は……。

「……俺、魔術使えないですよ?」
「大丈夫さ。入試の評価ポイントは多岐に渡るからね。僕の見立てだと、君は問題なく合格できるさ」
「はあ……」

 リグレイス魔術学院……憧れが無かったと言えば嘘になってしまう。アラン兄さんが学んだ学校。

「リグレイス……」
「どうかな?」

 俺はチラッとカスミを見る。
 カスミは、自信満々な顔でぐっと拳を握る。

「――わかりました。出来るだけやってみます。ルシカさんにも会う必要ありますし」
「よし、そうこなくっちゃ! そうと決まればいろいろと準備がある。すぐに行動に移ろう!」

 そう言って、ヴァレンタインはウキウキで席を立つ。

「もしかして、最初からこうする狙いで俺達に話しかけたんですか……? 最初から誰を探してるかも知っていたとか……」
「そんな訳ないじゃないか。偶然だよ、偶然」

 ヴァレンタインはハハハと楽しそうに笑う。
 何はともあれ、俺達の目的であるルシカさんは見つけられそうだ。

「がんばろうね、ホロウ!」
「うん……まずは合格しないとね」

◇ ◇ ◇

 ――数日後、リグレイス魔術学院。

 校舎から大分離れた場所に建てられた場所に俺は案内された。

「こちらで試験が行われますので、もう少々お待ちください」
「ありがとうございます」

 俺をここまで案内してくれた女性は軽くお辞儀をすると、外へと出て行く。

 その建物には天井がなく、闘技場の様に三百六十度の観客席が用意されていた。

 俺はその席から下の闘技場を見下ろす。
 等間隔に並ぶ的。

 あそこで試験が行われるのだろうか。

 すると、その手前。観客席の一番手前の所に一人の少女が立っているのが目に入る。

「あれって……」
『皇女様かしらね』

 腰のカスミが、そう答える。

 綺麗な金色の長い髪を、丁寧に編んだ美しい髪。
 遠目に見てもわかる綺麗な姿勢。スッとした立ち姿は、それだけで雰囲気を感じる。

 その姿に少し見惚れていると、不意に反対側から声が上がる。

「えー、受験生の皆さんは、下の闘技場に降りてきてください。試験を始めます」