「ふぁあ……おはよう……」

 俺はベッドで身体を起こすと、横に眠っている黒髪の少女――カスミに話しかける。四年前から姿の変わらない、魔剣の少女。

「んんん……もうちょっと……」

 カスミは呆けた顔でむにゃむにゃとしながら、ぐりぐりと頭を俺の脇腹の方へと押し付けてくる。

「……ったく。今日は訓練の日なんだから、朝から忙しいんだぞ」
「うぅ……」

 俺はさっさとベッドから這い出ると、勢いよくカーテンを開ける。

「うぐえっ」

 陽の光に、カスミは思わず布団を頭まで被り奇声を上げる。

「起きろっての、まったく」
「わかった起きるよ……」

 そう言い、カスミはもぞもぞと布団から脱する。

 俺のおさがりのシャツを着て、白い脚を無造作に放り出しながらカスミは身体を起こす。

 四年も一緒に居ればもう家族みたいなもので、当初はドギマギしてしまっていたカスミの美少女っぷりだったが、今では一緒に寝ても何ら邪な感情は湧いてこなくなっていた。

 既に起き上がって着替えている俺の後ろで、カスミはまだ瞼をごしごしと擦って眠そうにしている。

 まったく……何が魔剣のうちの一振りだ。
 少し威厳があるような雰囲気だったのは最初の一か月くらいで、気が付けばあっという間にカスミはただの女友達のようにフランクな感じになっていた。

 まあ、いつまでもご主人様! みたいな感じでいられても困るから俺としては別にいいんだが……魔剣としてそれはどうなんだ。

 あの頃俺よりほんの少し高かった背も、今や完全に俺の方が追い越している。

「――うし、ほら、もう行くから」

 俺はそう言って、カスミの方に手を差し出す。

「ふぁああ……わかった。まあ鞘の中で寝てるよ」
「はいはい」

 カスミは俺の手を握り返す。
 すると、あっという間に刀へと姿を変える。

 俺はそれを真っ黒な鞘へとしまい込むと、いつものように腰にぶら下げる。

「うっし、じゃあ今日も張り切っていくか!」
「ホロウ、ふぁいとー……」

 それっきり、カスミの言葉は途絶えた。

◇ ◇ ◇

「フッ……フッ……!!」

 俺は木剣を握り、次々と攻撃を繰り出す。

「うっ…………ぐっ……!!」

 セーラ先生は俺の間髪入れない連撃に完全に後手に回っている。

 ただひたすらに俺の剣を受けるのみで、全く反撃の糸口が掴めていない。

 訓練場に響き渡る、剣戟の音。真剣ではなく木剣の弾き合う芯に響く純朴な音は、余計に俺を高揚させる。

「くっ…………はぁ!!」

 先生はすんでのところで俺の一太刀を受け流し、俺の右肩を目掛けて剣を振り下ろす。

 俺はそれを先読みし、剣を絡めるようにしたから巻き込むと、ぐるっと回転させそのまま先生の剣を巻き取り、はるか上空へと弾き飛ばす。

「な――!!」

 俺は武器の無くなったセーラ先生の首元へと、容易く切っ先を向ける。

 そこで先生は両手を上げる。

「……やれやれ、降参よ」
「――ふぅ。ありがとうございました」

 そう言い、俺は剣を下ろすと一歩下がる。

「いやあ、本当強くなったねホロウ君」

 先生はしみじみとした顔で感慨深そうに言う。

「はは、セーラ先生のおかげだよ」
「いや、それはどうだか……」

 少し気まずそうにセーラ先生は頬をかく。

 その先生の視線は、俺の腰にぶら下がったカスミに向けられる。

「それ、刀でしょう?」
「はい」
「どこで手に入れたかは知らないけれど、その刀を持つようになってから君は一気に強くなっていったよ。私の知らない太刀筋、構え、戦闘の組み立て……訓練のはずなのに、私が学ばせてもらっているくらいだ」
「あはは……それは言い過ぎですよ」

 とんでもない、と先生は断言する。

 まったく、この人もアラン兄さんと同じでもの好きな人だ。
 この家で全く立場のない俺に、ここまで良くしてくれる。

 アラン兄さんに聞いたところ、俺に剣術の修行を続けさせてくれるよう父さんに頼みこんでくれたのはセーラ先生だったという。

 魔術が全くできない俺に、剣術という才能を見出してくれたセーラ先生。そして、こうして俺が対人で訓練できているのも、先生のおかげだ。

「いやいや、言い過ぎじゃないよ。十歳の頃だったかな? あの頃でさえ君の勝率は三割を超えていた。それが今や……私が勝てる試合はほぼゼロだ。やれやれ、とんでもない成長だよ。師匠の面目丸つぶれさ。こう見えても私って、元魔剣士として王都では有名だったんだよ?」

 セーラ先生はしょんぼりとした顔で言う。

「あはは、もちろん先生が強いのはわかってるよ。戦っていればわかるさ」
「やれやれ……。リグルド様も、ホロウ君の剣術の凄さをわかってくれれば良いものを。確かに魔術全盛の時代、魔術の力は絶大だが、ホロウ君ほどの腕前であれば相手が魔術師だとしても勝てる可能性は決して0じゃないのに」

 0じゃない。
 剣術のみの戦いで先生との勝率をほぼ10割としていて、さらに先生自身も学ぶことの方が多いと断言している状態で、それでもなお、先生の口から出てくる俺の魔術師に対する勝率は、0ではないというレベル。

 それだけ、魔術と言うのは強大な力なのだ。

 ――だが、俺には魔術を破壊する術がある。
 これまで見せることは無かったが、きっとそれがあれば、0ではないなんて言えないはずだ。

「はは、先生。そんなこと聞かれたら父さんにクビにされちゃうよ」
「おっとそれはおっかない。……まあでも私はホロウ君の力は大きく買っているよ。何か力に成れそうなことがあれば、言ってね」
「ありがとうございます」

 こうして恒例の剣術の訓練は終わった。

 その後、二時間ほどの魔術の訓練。
 もちろん、発動しようとすれば吐き気のオンパレード。

 相変わらず目に涙を溜め、気持ち悪さに耐えながら訓練をやり遂げる。
 まあ、やり遂げたと言っても、魔術は一ミリも発動することはなく、ただただ魔術が発動するかもしれないから死にそうでも試し続ける、という拷問みたいなものだが。

 この訓練にはカスミも「え、死にたいのホロウ? 無理に続けたら本当に死んじゃうよ?」と心配してくれたが、セーラ先生の立場もある。俺はそれでも、なんとかその訓練に耐え続けていた。



 そんなこんなで訓練も終わり、午後には森へ行ってカスミと剣術の修行。

 妖刀を構え、カスミの声に耳を傾ける。
 声に従って型をなぞり、空想の強敵と刃を交える。

 カスミから教えられる剣術は、先生から教えてもらう戦い方とは全く違っていた。

 刀を使った特殊な戦い方。
 不思議な構えや、残身の意識、抜刀術、フェイントを用いた下からの攻撃――などなど、とにかく剣術が強くなりたい俺には目から鱗の知識だった。

 しかも、実際にかつてカスミを扱った剣豪が使っていた技だ。実戦での性能はお墨付き。現にいくつか先生で試した技は、見事に全部上手く決まった。

『ホロウも様になってきたね』
「そうだろ? カスミの使用者だからな、俺も早く歴代の剣豪達に追いつかないと」
『その意気その意気。ホロウは本当に筋がいいからね。きっと凄い剣豪になれるよ』

 そう言ってカスミは笑う。


 そうして夜――。

 俺は夕食を食べに食堂へと向かう。
 食堂には、兄二人が王都に行ってから全く口を開くことの無くなった父が一人。

 俺のことはもうないものとして扱っているようだ。
 現に俺に付き従う従者は一人もいない。朝は自分で起き、自分で着替え、そして自分で一日のスケジュールを把握して行動するのだ。

 だが、今日は違った。

「おっと少し遅くなってすみません。荷物を整理していたらこんな時間に」
「すみません父さん。ただいま戻りました!」

 そう、ついさっき王都から一時帰ってきたアラン兄さんとクエン兄さんの存在だ。

 アラン兄さんは今や王都の魔術学院を優秀な成績で卒業し、王都で魔術師として騎士団で働いていた。そして次男であるクエン兄さんは、入れ替わるように現在リグレイス魔術学院で魔術を学んでいる。

 二人の一時帰宅に、父さんは久しぶりに僅かに口元を綻ばせる。

「気にするな。久しぶりの家族での夕食だ。いろいろ話を聞かせて貰おうじゃないか」
「「はい!」」

 そう言って、二人は席へとつく。
 アラン兄さんはチラッと俺の方を見ると、ニコっとはにかんで見せる。

 よかった、アラン兄さんは相変わらずだ。

 久しぶりの会話のある夕食の席。少し昔に戻ったような、なんとも変な感覚だ。

 そんな時だった。
 不意に、父さんが俺の方へ向き口を開いたのは。

「ホロウ」
「は、はい……?」

 名前を呼ばれたのはいつぶりだろうか。もうはるか遠い記憶だ。

「……いい機会だ。お前ももう十四歳。兄たちは立派に魔術師として成長していた頃だ」
「…………」

 なんだろうか、別に今更俺もそうなれと言うつもりもないだろうに。

「セーラが言うには、剣術の腕は確かなものだそうじゃないか」
「……え、えぇ。多少腕に覚えはあります」

 まさか父さんが剣術の話をするなんて。
 だが、俺はそこで褒められるなどと微塵も思っていなかった。とすれば、この後にくる言葉は当然俺を突き落すものであるに違いない。

「そうか。そんなに剣に自信があるならば――――明日クエンと戦え」
「――は……え!?」
「父さん!?」

 俺の困惑と同時に、アラン兄さんも思わず席から腰を上げ声を張り上げる。
 一方で、隣に座るクエン兄さんは腕を組み、余裕な笑みで俺の方を見ている。

「ホロウ。お前のような家畜を、いつまでも養っていられるほどこの俺は優しくない。金だけかかりろくに役に立たない家畜など意味がない。魔術を使えない人間は家畜だ。そう教えてきたな?」
「はい……」
「だが、セーラが言うにはお前の剣術ならば魔術にも多少は対抗できるかもしれないそうじゃないか。だったら、いい機会だ。もしお前が魔術を使うクエンに勝てるのならば、今後もこの家で面倒を見てやろう。剣術の師も付けてやる」

 おいおいおい……。

「だがもし負ければ、早々にこの家から出ていけ」
「なっ!」

 アラン兄さんの顔が険しくなる。

「ただの能無しとして野垂れ死ぬか、多少剣の使える家畜として飼われ続けるか。家畜と言えど、使い道があるならば使ってやる。その剣で証明して見せろ……ホロウ」
「いいねえ、父さん! 俺に任せてくれて感謝するぜ、学院からわざわざ戻ってきたかいがあった! ホロウ、家畜であるてめえに引導を渡せる機会を待ってたんだ!」
「クエン!! 弟に向かってそんな――」
「父さんの言う事だ、何か俺が間違ってるか? これがヴァーミリア家というものだろ?」

 クエンはギロリとアラン兄さんを睨みつける。

「それとこれとは――」
「決定事項だ」

 父さんの低い厳格な声が、場を完全に沈める。

 歯をギリギリと噛みしめ、拳を握るアラン兄さん。
 そして、愉快そうにヘラヘラと笑みを浮かべるクエン兄さん。

 こいつら…………剣術を、俺を舐めやがって。

「わかりました。その戦い…………受けて立ちますよ」

 俺が勝てる何て、父さんもクエン兄さんも微塵も思っちゃいない。
 俺のことを心配してくれているアラン兄さんだって、二人と違う感情とはいえそう思っている。

 ――だったら、やってやるよ。俺が特訓してきた剣術がどんなものか、見せてやる。

「ホロウ!」
「はっは! そうこなくっちゃ! 家畜だからって加減しねえぜ俺は!」

 こうして、俺とクエン兄さんの戦いが決定した。
 俺の未来を賭けた戦いが。