『ホロウ、いけそう?』
「うん、大丈夫」

 汗をぬぐい、カスミの問いに頷く。
 思った以上に陰は自由自在に形を変えるようだ。地面に広がるだけではなく、リディアの思い通りに動く。

 不意打ちを受ければ、いくら俺が魔術を破壊できると言ったって溶かされてしまう。つまり、戦える可能性が高いのは……。

「剣での接近戦……かな。さっきはあの影が良く分からなかったから予想外だったけど、今度は行けるはず……!」
『だね。ホロウに剣で勝てる奴なんていないんだから! やっつけちゃいましょう! あんな魔剣、私の足元にも及ばないんだから!』

 カスミが腰に手を当て、ふふんと踏ん反り返っている姿が目に浮かぶ。
 俺は刀をこつんと額に軽く当てると、ふぅーっと息を整え、刀を正面に構える。

 重要なのはスピードだ。一気に間合いに入って、すぐに勝負を決める。

「行くよ……!」

 俺は一気に地面を蹴る。
 グンとスピードが上がり、影に触れないよう注意しながらまっすぐリディアへの最短距離を駆け抜ける。

 それを見たリディアは、あらと口角を上げる。

「懲りずにまた真っすぐ向かってくるのね。あなたの性格かしら。面白いけれど……芸が無いわね」

 そう言って、リディアはゆっくりと手を上げると、まっすぐにこちらを指さす。

 すると、地面に広がっていた影が細くしなやかに伸び、まるで鞭のように無数にホロウに襲い掛かる。

 鞭の包囲網。速度を緩めれば、一気に持っていかれる。

「ここまでたどり着けるかしら」
「当然!」

 更に姿勢を低くし、そこから一段速度を上げる。
 左右左、軽快にステップを踏み、襲い来る影の鞭をギリギリのところで避ける。

 影の鞭はそのままホロウを通り越して反対側の地面へと叩き付けられ、ジュワっと地面を溶かす。

 影の鞭が俺を捉える前に、一気に包囲網を抜ける!

「速いわね。けど、これならどう」

 リディアが、クイっと指を上げる。

 すると、リディアの後方に漆黒の槍が浮かび上がり、まるで投擲のようにその影が射出される。

「“腐蝕の墜槍”」

 その槍は禍々しいオーラを携え、まっすぐにこちらの眉間を狙い飛翔してくる。

 さすがに避けるのは間に合わない。このままだと、串刺しにされ一気に内側から溶かされる。――けど。

「効かないよ、俺には……ッ!」

 息を止め、一気に刀を振り、飛んでくる槍を次々に切り捨てる。
 この程度の飛翔体、カスミと修行したかつての剣豪の斬撃の足元にも及ばない。

 槍はガラスのように砕け、その魔術を根本から破壊する。

「魔断……! 少し厄介すぎるわね、その力。魔剣の力をこうもあっさりと」

 リディアは魔剣を構える。
 どうやら正面から迎え撃つようだ。

 だが、剣での戦いは俺の独壇場。

『ホロウは剣聖にも張り合った俺の剣技の持ち主よ、舐めてんじゃないわよ!』

 威勢のいいカスミの声が脳内に響く。
 そう、俺は剣術では負けられない。いや、負ける訳がない!

「ふっ!!」

 俺は駆け抜けた勢いそのまま、クロスして引いた左腕を、思い切り振りぬく。

「ぐっ! 馬鹿力!」

 リディアはその魔剣で何とか俺の刀を受け止めるが、刀身はちがちと震え、その美しい顔が歪んでいる。

『思った通り、所詮魔術師よ! 一気に決めちゃいましょう!』
「ああ!」

 俺は一気にラッシュを仕掛ける。
 刀の刃が弾ける音が、淡々と響く。 

「くっ……!」

 リディアは必死に俺の刀を弾く。だが、完全に防戦一方。俺の力に耐えきれていない。このまま押し切れる!

 魔剣の“腐蝕”という力に頼ってきた魔剣士だ、俺の技についてこられる訳がない。

「このまま一気に……リーズ達の仇だ!」
『ホロウ……』
「くっ……やるわ……ねっ!! だけど、ここからが私よ……!」

 瞬間、リディアの背後から影が襲い掛かる。
 それは、影の大波。
 まるで津波のように、それはリディアごと俺を飲み込む。

「んがっ……!?」
『ホロウ!!』

 影……! マズイ、溶かされる! まさか自分事入れるなんて……!

 身体がフワッと浮かび上がり、まるで水中のようだ。
 セシリアの水牢(ウォータージェイル)を思い出す。
 だが、声は出る。

 両手をばたつかせるが、掴まれるものは何もない。

 視界は真っ暗で、何も判別できない。
 何とか身体が溶け切る前にここを――。
 
「あれ……?」

 溶けない? なんで……まさか、この影、溶かすも溶かさないも自由自在ってことか?

 すると影の外、どこかから声が聞こえる。

「ふふ、やっと捉えたわ。ようこそ“影の中”へ」
「……!」
「貴方はこれからじっくりと溶かして、貴方の力を観察させて貰うわ」

 リディアの恍惚とした表情が目に浮かぶ、ふふふという笑い声。
 恐らく、これがリディアの魔剣の奥義だ。

『溶かす溶かすって、かなり狂った女ね』
「……リディア、狙いはなんなんだ。あなたは何者なんだ!」

 すると、声が帰ってくる。

「私は魔王教団幹部。魔剣は必ず回収するわ」
「魔王……教団……?」

 聞いたことも無い名前だ。
 魔王……。

 すると、意識の波長が一気に脳に流れ込んでくる。

『……魔王!?』
「ぐっ!?」

 これは、カスミ……!?

「ど、どうしたの!?」
『な……にか――思い出しそうな……』

 カスミの感情が、直接伝わってくる。
 それを感じているだけで、俺の心まで持っていかれそうな、深い悲しみが。

 何かに反応して、カスミの心が乱れているんだ。

「……大丈夫、カスミ大丈夫だよ」

 俺は、ぎゅっと刀を握る。
 優しく、撫でるように。

 すると、少しずつカスミの感情の波が落ち着いてくる。

「大丈夫?」
『……ご、ごめんホロウ。大丈夫。ありがとう』

 カスミの声が、いつのものように聞こえてくる。
 どうやら落ち着いたようだ。

「カスミ、一体何が……」
『ちょっと……ね。それにしても、魔王だなんて。そうね、六百年……それだけ経てば、そういう話もあるわよね。だから私は、あそこで……』
 
 六百年と言えば、カスミが封印されていた期間だ。

『――けど、話は後よ。それより、今はあの女を!』
「ああ……!」

 疑問は、あの人を捕まえて問いただせばいい。
 今は、勝つことだけを考える。

 俺は周囲に意識を向ける。
 この影の中、光は0。感じ取れるのは、音だけ。

 すると、肌がピリッと痺れる。

「ふふふ、まずは軽く表皮から。刀が溶けないように、ゆっくりとギリギリを攻めて溶かしてあげる。早く殺して欲しくなるくらいにね」

 溶かすレベルも変幻自在か。
 長居はマズイ……!

「あがいても無駄よ。それは影の牢獄。いくらあなたの力があろうとも、それだけの体積を持つ影から脱出できるかしら?」

 きっと絶対的に自信のある魔剣の魔術なんだ。それだけ強固な牢獄。
 だけど、これは魔術。魔術空間なんだ。

 たとえ体積が大きかろうが、それが一つの魔術であるならば斬れない道理はない。それは、剣聖との戦いで実証済みだ。

 俺は一度カスミを鞘にしまうと、腰を落とし、身体を捻る。

「ふぅー……」

 息を吐き、グッと力を入れる。
 そして、高速で刀を引き抜く。

 瞬間、加速した刀が閃光を放つ。
 縦横無尽に広がる剣閃。

 そして次の瞬間。
 影の牢獄は、バラバラと砕け散り身体が外に飛び出る。

「ぷはぁ! よし、脱出!」

 さすがのリディアも、唖然とした顔で顔を引きつらせている。

「……なんでもありかしら、その力」