「まだ奥があったのか……」

 そう呟きながら、俺は松明を片手にダンジョンの壁に手を滑らせながら奥へ奥へと進んでいく。

 今まではダンジョンの手前の方で訓練をしていたが、ここ数日どんどん調子が上がり、俺はとうとうダンジョンの最奥にたどり着いた。

 魔物の数がそれほど多くは無く、規模としては小規模なダンジョンだったお陰ではあるが、我ながらよくやった方だと思う。

 きっと認識阻害の魔術が掛かっていたくらいだから、このダンジョンの防衛機構としての魔物はそれほど多くなかったのだろう。

 そして今日、俺はダンジョンの最奥の部屋で、さらに奥へと続く道を見つけた。

 そこは少し細い道になっており、細く長く続いていた。
 しかも、その奥からは不思議な魔力の反応が漂ってきていた。

 もしかすると、何かあるのかもしれない――。

 好奇心に突き動かされ、俺は松明を片手にその道を突き進んだ。

 じめっとした空気が、肌にまとわりつく。
 シーンと静まり返った空気の中、奥から漂ってくる魔力は今まで感じたどの魔力よりも異質で、そして濃密だった。

 しかし、不思議と恐怖心は無かった。
 ともすれば、何か呼ばれているような、そんな不思議な感覚さえあった。

 しばらく無心に進み、丁度曲がり角を曲がったところで、突如開けた空間に出る。

 そこはまるで何かの儀式を行うためのような不思議な空間だった。

「ここは……――」

 ガランとした空間に、俺の声が木霊する。

 と、その時。
 俺の高鳴っていた心臓が一瞬にして止まり、目を見開く。

「なっ……んだこれ……!?」

 俺の視線の先には、四角い石古びた石像。
 その石像の前に、一人の少女が神々しく輝く光の鎖に縛られ、ぐったりと項垂れていたのだ。

 なんでこんなところに人が?
 死んでるのか?

 という当然の疑問の前に、俺はただただ"美しい"と感じていた。

 光の鎖に包まれ、ぼろい布切れを纏った一人の少女。
 黒い艶やかな長髪と、露わになった真っ白い四肢。

 両腕を縛られ、まるで囚人の様に捕らえられた少女。

 茫然としたまま吸い寄せられるようにそれに近づき、俺はそっとその頬に触れる。

 ――冷たい。

 死体……なら腐っているはずだが、不思議なことに傷一つない。
 生きているにしては冷たいが、死んでいるにしては綺麗すぎる。

 なんだこれは……。

 しばらくその姿に目を奪われていると、不意に――

『――――――』

 頭の中にノイズが走り、一瞬にして我に返る。

「な、なんだ……!?」

 俺は咄嗟に頭を抑える。
 何かに侵入されたような……。

『待っていた……六百年間、ずっとこの地で……』
「!?」

 女の声が、突如として脳内に響く。
 俺は突然の声に慌てて周囲を見回す。

「だ、誰だ!? どこから声が……魔術か!?」

 しかし、どこにも人の姿は見えない。気配もない。
 あるのは、動かない縛られた少女の身体だけ。

『私からあふれ出た霞の魔力……そこから顕現したダンジョンは見つけるのが困難だったはず。良くこの地を見つけ――』
「だ、誰だ……!! 姿を見せろ!」

 俺はしまっていた剣を構える。

 姿はないのに、確かに頭の中に声が響いてくる。
 不思議な感覚だ。まるで自分の身体が二つの意識で奪い合いをしているような、奇妙な感覚。

『私は動けない身。束の間の交流を持つというのも――』
「だから、この声はどこから――」
『長らくここで縛られ、さすがの私も――――』
「あぁぁもう!! だから、あんた誰だってんだよ! 頭の中でキンキン喋ってないでまず姿を見せてくれ!」
『きゃっ!!』

 甲高い悲鳴が脳内に響く。
 きゃ……?

 少しの沈黙の後、気まずそうに女の声が聞こえる。

『……ご、ごめんなさい。あ、あの、あんまり大声出さないで……』

 その声は、恥ずかしそうにオドオドした様子で声を潜める。
 まるで俺の大声に怖くなったかのような……。びっくりさせちゃったのか……?

「え、えっと…………」
『ご、ごめんなさい……人の声を聞くのは……すごい久しぶりだから……。特に男の人の声はちょっと……びっくりするというか……』

 な、なるほど……。
 コミュニケーションの取り方がバグって一方的に話してたのか。

「あーっと、ゴホン。と、とにかく……一旦質問させてよ。あんたは誰なんだ? どこに居るんだ?」
『……あなたの目の前よ』

 目の前……?
 俺はそのまま視線を上げる。

 しかしそこには何もない。あるのは、鎖に縛られた少女だけ。

 少女……だけ……。

「え……まさか……?」
『そうよ、そのまさかよ』
「まじかよ……」

 声の主は、目の前に縛られた黒髪の少女。

 いやいや、理解が追い付かないんだが……。
 これも魔術……なのか?

「えっと、六百年て言ってたけど……」
『そうよ、私は六百年間、ここで人が来るのをずっと待っていた』
「は……はは。訳わかんねえや。魔術ってすげえ……じゃああんた生きてるのか?」
『生きている――と言えなくもないわ』
「なんか煮え切らないな」
『私は"封印"されているの。仮死状態みたいなものね』
「あぁ、確かに。光の鎖みたいのに縛られてるけど……それが封印ってやつか」

 とその瞬間、頭の中に声にならない声が上がる。

「――っつう!! な、なんだ急に!?」
『あなた……鎖が見えるの!?』
「? あぁ、まあ見えるけど……」
『奇跡だわ……。もしかして、貴方……封印を解けるんじゃ……』
「解けるかも」
『まあ無理よね……。あの自称大魔術師……オルデバロンの奴が何重にもかけた多重封印だし。何百年も待ってたのに突然そんな簡単に――――て、え? と、解けるって言った?』

 俺は頷く。

 ポカーンという擬音が聞こえてきそうな沈黙。

「多分解けるよ。俺、こう見えて魔術なら何でも壊せるんだ。凄いだろ」

 俺は得意げに胸を張る。俺の唯一誇れるものだ。

『魔術ならなんでも……まさか……』
「? 出来ると思うけど……」
『……それが本当なら、あなたなら可能かもしれない。――だとしたらあなた……そう、そういうこと』

 黒髪の少女、頭の中に響く声は、少しの沈黙の後再び声を発する。

『――私は(かすみ)
「カスミ……変わった名前だな」
『この世界に存在する九本の魔剣。その一振りよ』
「……え?」

 俺はその少女――カスミの突拍子もない発言に思わずアホみたいな声を漏らす。

「ちょ、ちょっと待て。剣……? 剣って言った?」
『ええ。私は九本の魔剣のうちの一振り。妖刀【霞】』
「混乱してきた。え、つまり、剣だけど人間の姿をしてる……ってこと?」
『私は特別仕様なの。まあ、人間の姿に成れる剣だと思ってくれればいいわ』

 そんなこともあるんだろうか……。
 まあ魔術の世界は奥が深いからなあ。そういうことがあってもおかしくない……のか? くそ、魔術の知識が乏しすぎてわからない。

 でも、この子が嘘を言っているようには聞こえないし……。

「まあいいや。君は剣なんだね。妖刀……」
『そう。もしあなたが私の封印を解除できるのなら、私はあなたの剣になるわ。私のことを好きに使ってくれて構わない』
「え、俺の剣にしていいの?」
『もちろん。私はあなたに服従するわ。それにこの封印を解けるのなら、あなたにはその資格がある』
「資格……。でも俺そこまでまだ強くないけど……そんな妖刀なんて大それたものもらってもいいのかな」
『封印から助けてもらうんだもの、あなたは紛れもなく私の恩人になる。それに、封印を解除できる人間が弱いなんて到底思えないわ』

 なるほど。理屈は何となくわかる。

『それに、私は名だたる剣豪によって扱われてきた妖刀。私の身体に蓄積された剣術で、あなたを鍛え上げることもできるわ。そうすれば、あなたはより強くなれる』
「名だたる剣豪の……剣術……!? まじで!?」
『……あなたには、妖刀よりも剣術の方が琴線に触れるみたいね』

 少し可笑しそうに、少女は初めてクスクスと笑い声を上げる。

「い、いいだろ。俺のこの特異体質のせいで魔術が使えないんだ。剣術を磨くしかない……。もし過去の剣豪の技が身に着けられるなら、これ以上のことはないよ!」
『なるほど。やはり、あなたなら私を預けられそう。封印が解除された暁には、あなたの剣――刀になると誓うわ』

 俺の剣……剣豪の剣技……!!

 俺は身体が震えるのを感じる。
 恐怖じゃない。これから俺は更に高みへ……剣術の頂へ登れるかもしれないという興奮に、武者震いが止まらなかったのだ。

「――よし、じゃあ俺があんたの……カスミの封印を解いてやる!」

 俺は目をキラキラと輝かせ、ずんずんとカスミの身体へと近づいていく。

 近くから改めてみると、やはり美しい。

 俺は手に持った剣を上段で構えると、光の鎖へと狙いを定める。

『ありがとう。あなたなら――』
「あなたじゃない」
『?』
「俺は――――ホロウ・ヴァーミリアだ……ッ!!」

 俺は力任せに、ワクワクと希望を乗せてその剣を振り下ろす。

 光の鎖に触れた剣は、その魔力の流れを断ち切る。

 ――パリンッ!!

 甲高い音を響かせ、カスミを縛り付けていた光の鎖は、空気中へと金色の粉をまき散らしながら消えて行った。