「これも憶測でしかないが…つばきが幸せになることを嫌がっている人物がいるのだろう。つばきは俺たちに迷惑がかかるとわかれば、今日のように屋敷を出ていくことは予想がつく。それが目的の可能性もあると思っている」
なるほど、というとみこは短く息を吐き
「とんだ腐った根性の持ち主がいるようで」
と言った。

「女中たちには呪われた目の件は“嘘”だと伝えてありますが…信じている女中たちもいるのも事実。つばきさんによそよそしい態度をする子もいるでしょう。そこは彼女が気にしないという態度でいなければ辛くなるだけ。毅然としてほしいものですが」
「大丈夫だ。つばきは強い女だ。初めて会った時にそう感じた」
「そうですか。では心配はありませんね」

ドアが閉まる音と同時に静寂に包まれる。が、京がつばきのいるベッドへ近づいてくる音がする。寝たふりをするつもりはなくとも、いつ目を開けたらいいのかタイミングを逃してしまった。みことの会話もつばきが寝ている前提で続けられているようだったから言い出せなかった。寝ているふりをして目をきつく閉じる。

「何も心配することはない、ここにいていい」
そう囁くように小声で言うとつばきの唇に温かい何かが重なった。唇だとわかるときには既にそれは離れている。
それから直ぐに京は寝室から出ていった。つばきは誰もいなくなった寝室でそっと自分の唇に触れた。

♢♢♢

目が覚めると隣に京の姿はなかった。
明るく部屋を照らす日差しが強い。窓の外から雀の鳴き声が聞こえる。
「京さま…、」
まずは京を探してすぐに謝罪と感謝を伝えねばと起き上がる。
長く伸びた髪を適当に結ってから長い廊下を小走りで進む。

「いけませんよ、廊下を走っては」
「みこさん、すみません。それから…昨日はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「謝罪はいいですよ。それよりも二度とこの屋敷から出ていこうなどと思わないように。京様が悲しみます」
「…はい、申し訳ございません」
「京様は書斎です。これから仕事へ向かわれるかと思います」
「分かりました。ありがとうございます」

綺麗な花柄の着物にいつもの前掛けをしたみこはまるで昨日の出来事などなかったかのようにそう言って去っていく。しかも忙しそうだ。
書斎の前で足を止めた。
深呼吸した後、「京様、失礼します。つばきです」と言った。
直ぐに「どうぞ」と声がした。
襖を開けるとスーツ姿の京が目の前に立っていた。
あ、と声を出しすぐに頭を下げた。