京は黙ってこちらへ近づく。着流し姿の彼はいつもの雰囲気とはまるで違う怒気を孕んだ空気を纏っていた。
流石に雪も何かを感じたのだろう、「あ、じゃあ…私はこれで…」と去る。
置いていかないでよ!と心の中で叫ぶが届くわけがない。
京はつばきしか見ていないようだった。

「あ…京様、」
「どういうことだ。翔が来たのか」
「…はい、京様に会いに…でも京様がお仕事でいらっしゃらないとわかるとすぐに帰られました」
「先ほどの会話だとお前に会いに来たと言っていたが。あの簪も翔からなのか」
「…」

一歩後ずさる。

「それから、俺が帰宅してからのお前の様子がおかしい。みこに訊いたがみこも知らないと言っていた。翔と関係があるのか」

大きくかぶりを振る。しかし、京の手がつばきの細い手首を掴む。
あまりに強い力で握られたから顔を歪めていた。
「違います。翔様は本当に…京様に会いに…」
「簪は?」
「それは、…ごめんなさい。翔様から頂いたものです。なので今日が初めてお会いしたというわけではございません」



京はようやくつばきから手を離す。しかし、すぐにつばきを引き寄せた。すっぽりと京の胸の中に収まる。
彼はつばきの背中に手を回すと力強く抱きしめた。

「何故嘘をついた」
「…申し訳ございません。翔様は親切心から譲ってくださいました。ですがあまりに高価な簪でしたので、言うのが躊躇われました」
「それだけか」
「…はい、それだけです」

京は徐々につばきを抱きしめる力を弱める。そして、彼女の顔を覗き込むような体勢になるとそのまま顔を近づける。
しかし、つばきは咄嗟にそれを拒否していた。
京と視線が離れる。自ら顔を背けてしまっていた。無意識だった。
別にしたくてしてそうしたわけではない。
ただ、これ以上彼に触れられると言ってはならない言葉を発してしまいそうになるのだ。
好きだと、あなたを愛していると。
夜伽役としてこの屋敷に住まわせてもらっている以上、絶対に発してはならない言葉だ。