「何でもありません…おやすみなさい」
「分かった。おやすみ。明日藤野伯爵にこちらへ来てもらう予定だからそれまで辛抱してくれ」
はい、と言って目を閉じる。しかし続きを言えばよかったのではと後悔をした。

―みのり様は本気で京様に恋をしているのですよ、と。

京がみのりを子供だからと本気にしないから…きっとみのりは自分をせめて女性として扱ってほしいとああやって駄々をこねているのだろう。
その行為自体が子供であると言っているようなものなのだが、彼女はそれをまだわかっていない。素直すぎるが故、京には真意が伝わっていない。


♢♢♢

「お、おはようございます…」
「あら、寝不足みたいね」
「…はい」
「ね、言ったでしょう?”大変だ”って」
みこはつばきが目の下にクマを作って厨房に現れたのを見てくすっと笑うとそう言った。

「それにしても京様も悪いのですよ。今はつばきさんもいるのだから力づくでも追い出すべきなんです」
「でもまだ子供ですし…」
「子供?もう15でしょう。自分で考えて行動できる年です。そして自分で考え行動するということには責任が伴う。それを分からせなければなりませんね」
トントンとリズムよくネギを刻みながらそう言うみこに「確かに…」と声を漏らすと、玄関先が何やら騒がしいことに気づく。
みこと二人で玄関へ向かうとそこには長身の若い男性とみのりが言い争っている。
「こんにちは、お久しぶりですね、宗一郎様」
「みこさん、お久しぶりです。すみません、妹がご迷惑を…」
そう言って眉を下げる男性はつばきへ顔を向ける。

「初めまして。みのりの兄です、宗一郎と申します」
「あ…初めまして。つばきと申します」

 咄嗟に挨拶をしたが、確かに顔つきがみのりと似ていた。
そして、中性的な顔立ちのみのりの兄は妙に色気のある男だと思った。
雰囲気は翔に似ている。

「つばきさんは京様の婚約者ですよ」
「そうなのですね、なるほど。そうだと思いました」

初めてだった。“そうだと思った”などと嬉しいことを言ってくれるような人は。
みのりはつばきを一瞥すると、ふんっと不貞腐れた様子で顔を背けた。
苦笑するつばきに宗一郎は「みのり!いい加減にしなさい」と窘める。

「今日連れて帰りますので」
「嫌よ!お父様にもお母様にも言ってきたでしょう?!絶対に帰らない」
「何を言っているのですか。一条家にご迷惑をかけていること、わからないのですか」
言葉遣いは丁寧だが、言葉の端々に怒りを感じる。
それは妹であるみのりにも伝わっているはずなのだが…彼女はそれを知っていても尚首を縦に振らない。帰らないの一点張りだ。

「どうしてそんなに帰りたくないんだ」
「だって!認めたくないの!京様が…結婚だなんて…しかもどんな素敵な女性かと思いきや…」

と言って落胆の目をするみのりにつばきは落ち込む。
出来れば京と釣り合うような女性になりたいと思っているが、華族にはわかるのだろう。
それらの“違い”が。