しかし、みのりはぶんぶんと顔を横に振って「あ、ありえません!」と言った。
確かに傍から見ればつばきは女中にしか見えないだろう。
つばきから頼み込み、女中たちの仕事をさせてもらっているのだがそういう“訳”を他の人が知るわけがない。
それに華族というのは会った瞬間にわかる。一条家長男の結婚相手が華族ではないということはあり得ないことだ。だからこそみのりは驚いているのだろうし“ありえない”と発したのだろう。

「ありえないとは何だ。つばきに失礼だ」
「…だ、だって…!私の方が京様の婚約者に相応しいのです!」

泣きそうになりながら声を張り上げるみのりに京は呆れたように髪をかき上げる。

「お前はもう俺から卒業しろ。いつまでも兄のように甘えるな」
「…今日は絶対に泊まります!私家出してきたのです!」
「……家、出?」
つばきと京は顔を合わせほぼ同時にそのワードを口にしていた。
「そうです!お父様ったら私に結婚相手を紹介してきたのですよ!京様がいるというのに!」
「…親にはここに来ることを言っていないのか?」
「言っています!しばらく京様の家にいるって!」
「「……」」
真っ直ぐで純粋な恋心を京へ抱いているのだろう。
それを包み隠さず伝えることが出来るみのりを少し羨ましくも思った。

それはまだ幼いからという理由もあるかもしれないが、みのりは幾つになってもこういう性格なのではないかと思う。
しかし京はみのりを“子供”としか思っていない故、迫られても完全に拒絶することはないように思っていた。
今もなんだかんだとみのりがべったり京に体を寄せていてももう何も言っていない。
京からすれば“妹”のようなもので、妹が兄離れ出来ていないのだと思っているのだろう。
それが少しずつ積もっていく不安の塵の原因だ。

「…一日だけだぞ。明日になれば藤野伯爵に迎えに来てもらおう」
「嫌です!絶対に!」

結局いやだいやだと繰り返し、この日は泊まることになるのだが一日で終わらなそうだなと思っていた。
夕飯時も京から離れず風呂にまでついていこうとしたみのりにさすがに京が怒ってそれは阻止されたがつばきはずっと心配していた。

「…大人げないわ。相手は子供なのよ!」
自分に喝を入れ、風呂上がりの自分を姿見で確認しながら頷いた。
いつもであれば京と一緒に寝る予定なのだが
「まさか…ね、」
みのりが京と一緒に寝ると言い出さないか心配だった。寝室のドアを開けるとそこにみのりはいなかった。
「みのり様は…?」
「客用の和室に寝るように言った」
「そうだったのですね」

風呂にまで一緒に入ろうとしたみのりだったから絶対に一緒に寝ると言ってきかないと思っていたのだがそうではないらしい。意外だと思い、京の隣で目を閉じ寝ようとしたとき

「京様!絶対に嫌!!その女と離れて!!」

と大きな声を出してドアが開く。

驚きベッドの上から上半身を起こす。京もほぼ同時に体を起こしていた。
浴衣姿のみのりが枕をもって仁王立ちしている。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
そしてワンワンと声を上げ泣き始める。あまりに大きな声で泣くため、落ち着かせるため寝室にみのりを入れる。