清菜がつばきに接触してきたことは誰にも話してはいない。
彼女に会いに行く前に京に相談しようかと思っていたが、なかなか言い出せずに今日を迎えてしまった。
「緊張しているのか」
廊下で思索に耽っていると背後から京の声がして振り返る。
彼がすぐそばにいたことも分からないほどに西園寺家のことで頭が一杯だった。
つばきは直ぐに首を横に振り、否定した。
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」
彼のために仕立て上げられたであろう濃紺のスーツはとてもよく似合っていた。
着物姿も好きだったが、洋装も好きだった。
「表情は硬いようだが」
「久しぶりですので全く緊張していないかと言われれば…緊張はしますがでも京様がいるので大丈夫です」
そう言うと京は嬉しそうに笑う。
「心配ない。西園寺家にはお前を妻として迎えることを伝えに行く。それから清菜の件もな」
はい、と頷くと京はつばきの手を握った。その手を強く握り返す。
この手のぬくもりがあれば前に進めるとそう思った。
……―
…
西園寺家に到着する。
傍から見れば若い夫婦に見えるだろうか。つばきは京と自分が釣り合う関係だとは思っていない。だが、誰よりも彼を愛している。
洋館の前でドアをノックする。ドアの隙間から使用人が顔を出す。
「あぁ!一条様ですね、少しお待ちください」
30代後半ほどの女性が京を視界に入れるとそう言って一度ドアが閉まる。
久しぶりの西園寺家の訪問に鼓動が速くなっていくのがわかる。
「一条様、どうぞ」
その使用人はつばきが西園寺家に住んでいた頃から住み込みで働いている。
だから京に続くようにして後ろを歩くつばきを見ると嫌なものを見たとでもいうように顔を顰めた。
この家でつばきはそういう存在なのだ。清菜だけがつばきに酷い扱いをしていたわけではない。
客間に通される。客間の茶色い革製のソファに腰を下ろす。
薄橙色の着物に京からもらった簪で髪をまとめ、軽く化粧をしている。この家にいた時と比べ随分と健康的になったと思った。
今日、自分たちの前に現れるのはおそらく清菜の父親と母親だろう。清菜も同席するとは思っているがどうかわからない。
彼女には借金の件についても詳細を訊かねばいけない。
京にもいずれは話さねばならないことだとは思っているが、京のことだ、きっと自分がすべて支払うというのだろう。それは関係のない京へ迷惑をかけるのは違うと思っている。
飲み物が運ばれてきてから数分、ドアが開いた。
京もつばきも立ち上がった。
そこには洋装姿の清菜の母と父、それから着物姿の清菜が軽く会釈をしながら室内に入ってくる。
「初めまして。今日はお時間いただきありがとうございます。一条京と申します」
「いえ、一条家の長男である一条京様からわざわざ足を運んでくださりありがとうございます。それに、つばきさんも久しぶりね」
軽くウェーブを掛けたセミロングの髪をハーフアップした清菜の母親がそう言ってつばきに目をやる。
にこやかに見えるが、その目は笑ってはいない。
「今日ここへ来たのは正式につばきを一条家の人間に、言い換えれば私の妻として迎えるため、西園寺家の皆様へ挨拶に参りました」
清菜が下唇を噛むのが分かった。淡々とそう言った京に清菜の母も父も驚いているようだ。
夜伽として一条家に雇われていると聞いていたのだろう。事実そうではあったが、今は違う。
「まぁ、本来であれば彼女は既に“西園寺家”の人間ではないに等しいのでわざわざ挨拶に…というのも違うかと思いましたが」
「そ、それは…そんなことはございません!つばきさんは立派な西園寺家の人間ですわ。ねぇ。あなた」
「あぁ、そうだな。つばきさんは両親を亡くして不運な環境にいたがここで清菜と一緒に生活をしていたから」
清菜の父がそう言ったのを京は嘲笑した。場が凍り付くのが分かった。
「一緒に生活?私が彼女を初めて見たとき、ひどくやせ細り、体にはあざが多数あった。それだけではない、彼女を既に村へ隔離し、いないものとして扱っていたと認識しているが」
「京様、私はもう大丈夫です」
つばきが制すると京はつばきの手をそっと握る。
「今日は西園寺家との絶縁のためにここに来た。直に一条家を継ぎ、当主となることも決定している。その際に彼女は俺の妻にする」
「妻…それは、ご両親は何と?爵位を継ぐというのは結婚相手も影響するでしょう?」
「それは問題ない。つばきは俺の妻になる。それだけは変わらない。それよりも、屋敷内で少し前に騒動があった。見知らぬ男が事実ではないことを書いた紙をばら撒いた。ようやくその男を見つけた。彼が言うには頼まれた、と。そしてそれを頼んだ相手は西園寺清菜だということも吐いた。最初はなかなか渋って言おうとはしなかったが、詰めたらすべて話した。もちろん、そのほかにも証拠はある。西園寺清菜が実行した男へ何度か接触している証拠もある」
「そんなことっ…、清菜、していないわよね?」
「していないわ!冗談はやめて頂戴」
「冗談なんかじゃない」
京はそう言って鞄の中から数センチほどの厚みのある紙をテーブルに置く。清菜がみるみるうちに顔を赤くさせる。
おそらくその男も金を貰っていたのだろうが、京が接触となると西園寺家と一条家…どうみても格が違う。
見なくとも分かったのだろう、それらを手にしない清菜の両親は俯いた。
これは憶測でしかないがつばきの緋色の呪われた目については、賢い人たちだから“その目で見られたものは死ぬ”ということが嘘だというのは気づいていたのかもしれない。
だが、つばきやその母親を良く思っていなかった彼らがそれらを口実に酷い虐めを繰り返していたのではないか。
「それから…色々と調べていたがつばきの母にも父親にも借金はないようだ」
え、と声を漏らして京を見上げる。
「お前が何か物思いに耽っているのは知っていた。別に信用していないわけではないが、心配で外出する際には護衛をつけていた。だから清菜と会っていたことは知っていた。会話の内容も知っている」
「申し訳ございません…その、隠していたわけではなくて、」
「大丈夫だ。お前のことだ、俺に心配かけないようにとしていたんだろう」
京は清菜を睨みつける。その目は怒気を孕んでいた。清菜が屋敷を出てすぐに接触してきたせいで狼狽していたつばきは護衛に尾行されていたことに全く気が付かなかった。
「嘘をつばきに吹き込むのはやめろ。もうあなたたちとは関わり合うことはない。つばきを元々はいないものとして扱っていたのだから今更関係はないだろうが…。一条家としてもあなたたちに関わるつもりは今後一切ない。つばきに今後近づくことも禁じる」
京は強くそう言い放った。
清菜の顔色は先ほどとは打って変わって真っ青になっている。
京が立ち上がる。
それにつられるようにしてつばきも立ち上がった。
京と西園寺家を後にしてすぐにつばきは口を開いた。
「京様…ありがとうございます」
まさかここまで西園寺家に言い切るとは思わなかったが、本当に嬉しかった。京は自分の人生を掛けて自分を守ってくれていると思った。
自分の母に借金があるといわれていたがそうではなかったことに安堵しながら京と肩を並べて歩く。
京と一緒だと自分が強くなっていくことを実感する。
「えっと…清菜さんのこと黙っていてすみませんでした」
「いいんだ。西園寺家に挨拶に行くまでは彼女がつばきに接触することは想定していたから」
「そうなんですか」
あぁ、と言った京はいつも以上に優しい目をしていた。
「でも大丈夫だ。もう護衛をつける予定は無い」
翔と会う約束をしているため、護衛がついていればつばきにとっては都合が悪い。
翔と会っていたことを知られるとその理由を話さねばならない。
既に辺りは夕陽に包まれている。
京の手はずっとつばきの手を握っている。
温かくそして優しいその手を絶対に離したくない。絶対に京の未来を変える。
今日は翔と会う約束をしていた。
女中たちにも休日があるように、つばきにも完全な休日があった。
京はつばきに“女中ではないのだから好きな時に出かけたり休んだりしていい”というがそうはいかない。
他の女中たちと同じように休みをもらう方がいい。つばきの意思を尊重して今は女中たちと同じようにしている。
そして今日は翔と会う約束をしていた。
「あれ?どこか行くの?」
二階からちょうど準備を終えて階段を下りていると雪が足を止めそう訊いた。
「うん、ちょっと気分転換に出かけてくる」
「そうなんだ~せっかくだから買い物とかしてきたら?つばきちゃん、物欲とかないの?」
つばきはふっと笑って口元に手を添えた。
「物欲はないかな。一応京様からお給料をもらっているのだけど、本当は女中でもないし…もらうのもなって」
「だってつばきちゃんだって屋敷内の仕事手伝っているんだから!当たり前だよ~」
雪の陽気な声につばきの頬も緩む。
「雪ちゃんは長期のお休みいつ貰っているの?」
「それならちょうどつばきちゃんがここに来る前に貰ってたよ!」
「そうなんだ。ご実家に戻ったりするの?」
雪は一瞬顔色を曇らせた。しかしそれは一瞬で、すぐにいつもの雪に戻った。
口元に描かれた弧はそのままだ。
「うーん、今回は帰ってないよ。でもそのうち帰るかもしれない」
「そっか。じゃあ行ってきます」
「うん、楽しんでね!」
雪に見送られ、つばきは屋敷を出た。
日本橋に到着すると直ぐに翔を見つけた。
翔は京と同様、容姿がよく身長も高い。雰囲気も他とは違うため目立つのだ。
翔もつばきを見つけるとひらひらと手を振った。
小走りで駆け寄ると、何かにつまずいてしまった。地面に両手をついたが膝がジンと熱を帯びるような痛みを感じた。
直ぐに翔が駆け寄ってきた。膝を下り、つばきを支えるように肩に手をやる。
「大丈夫?つばきちゃん」
「大丈夫です、すみません」
直ぐに自力で立ち上がるが、翔は心配そうに眉尻を下げた。
せっかくの着物に汚れがついているようだ。
(京様に貰ったものなのに…)
「痛むところは?けがは?」
「多分大丈夫です!」
恐らく膝は怪我をしているだろうが大したことはない。それよりも早く翔へ聞き取りをしたかった。大丈夫だと言ってきかないつばきに観念したように「じゃあ店にでも入ろうか」と言った。
日本橋付近にはお洒落なお店が多い。そして人で賑わっている。
男性も女性も和服だったり洋服だったりとお洒落をしている人が目に入る。
最近は大き目のリボンをするのが女性の中では流行っているようで、つばきの自室にある引き出しにもある。それは以前京に買ってもらったものだ。
「いらっしゃいませ」
近場の喫茶店に入る。
店内は若い女性で賑わっていた。
「ねぇねぇ、あの人とても素敵ね」
「本当!かっこいいわぁ」
奥のテーブル席へ案内されるが、その間女性客の視線は全て翔へ向いていた。
コソコソと話しているつもりなのかもしれないが、つばきにまでしっかりとその声は届いている。
「何か食べてきた?軽食でも食べる?」
「いえ、紅茶だけで…」
「女の子って甘い物好きだよね?チョコレートとか食べない?」
「えっと…最近少し太りまして…なので、大丈夫です」
「そうなんだ?全然そんなふうには見えないよ」
頬杖をついて軽く笑う彼に続くようにして口角を上げた。
何とも柔らかい空気が流れる。最近は洋食が人気なようで、メニュー表にもオムライスやカレーライスなどが並ぶ。
翔が店員を呼び、紅茶を二つ注文した。
「京君には内緒なんだっけ?」
「そうです。すみませんが…内密でよろしくお願いします」
「別にいいけど、何を聞きたいの?」
つばきは背筋を伸ばし、咳ばらいをした。
「翔様は京様と幼少期からの友人であると伺っておりますが…その、京様の交友関係について深く知りたいのですが。仕事上のことなどはわからないかもしれませんが、それ以外で…」
「交友関係…?それって君の緋色の瞳と関係してるんだよね?」
「それは…詳細は話すことが出来ません。勝手なことを言っているのは承知です。申し訳ございません」
「うん、全然いいよ。ペラペラしゃべるわけにはいかないよね。つばきちゃんの緋色に光る瞳は呪われているっていうのは嘘だと仮定して。でも君の瞳には別の能力がある。それを周囲には隠している。いや…隠さなければならない。そしてその力と京君に何か関係があって僕に会いに来た」
「……」
ついつばきは無言になっていた。無言ということは肯定しているようなものなのに。
きっと翔は元々勘が鋭いのだろう。飄飄としているしニコニコと周囲を和ませる雰囲気を持っているが心の内が読めないところがたまに怖いと思うことがある。
「あくまでも僕の仮説だから気にしないで。京君の交友関係はそこまで深く知っているわけじゃないよ。女性関係はそこそこ派手だったからね」
「女性関係…」
思わずそう口にして顔をくしゃりと歪めていた。それをみた翔はクスクスと笑った。
京の交友関係について訊きに来たのに女性関係というワード一つで嫉妬するなど恥ずかしいことなのに。
「ごめんなさい。続けてください」
「ふふ、いいの?あまりにあからさまに嫌な顔するからさ。そんなに京君のこと好きなんだなって。可愛いね」
「あまり揶揄わないでください…」
熱のこもった頬に触れてそう言った。
「羨ましいなぁって」
「もう…」
ちょうど紅茶が運ばれてくる。ティーカップとティーポット、それぞれが私たちの目の前に置かれる。
既に紅茶のいい香りが鼻孔を刺激する。ティーカップに注がれる紅茶を上品に飲む翔はそれをそっと元の位置へ戻すと続きを話す。
「京君は華族だから僕と同じで結構社交界とかに呼ばれるしそういう意味では顔が広いんだ。だからすべての人を知ることは不可能だと思うよ。具体的にどういう人物が知りたいの?」
「それは…例えば、凄く親しい人とか逆に京様を良く思っていない人物とか…」
「親しいと言えば僕もそうだよ。幼馴染だし家同士が近いから。後はそうだな…僕が知る限りは華族かなぁ」
そういって数人の名前を言う彼につばきは急いでメモを取った。
「仕事関係はちょっとわからない。京君は貿易会社を営んでいるけれどそれだって一条家は全く絡んでいないからね。むしろ反対している立場だよ。あぁ、そっか。京君を良く思っていない人物と言えば、一番は一条環君かもね」
「環…あ、」
「会ったでしょ?パーティーに出席したなら」
はい、と頷いた。
脳裏に浮かぶのはあの冷たい視線を向ける京の弟だ。
あまり仲は良くないように思えたが、つばきに向けるあの目は完全に敵対心を宿していた。
「まぁあそこの家も色々あるんだよ。華族って特にしがらみも多いし家庭内でも殺伐としているからね。僕もよくわかるよ」
「そうなんですね…」
京へ恨みを持つ人物たちを教えてもらったが翔の主観ではあまり名前が出てこなかった。
翔が言うには家族同士や仕事関係ならば恨みはありそうだがそれ以外だと女性関係以外はわからないとのこと。
女性関係についてはあまり聞きたくはなかったが、“遊び相手”では沢山いたようだ。
だが、彼女らの名前までは知らないという。
知っているのは花梨くらいだと言っていた。花梨は家同士のこともあり、将来の結婚相手だと周囲は思っていたようだ。翔も同様だったという。
「今日はありがとうございました」
「いいえ、つばきちゃんと話せて楽しかったよ。せっかくだからお土産でも持たせてあげたいけど…京君に感付かれちゃうか」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です、京様は翔様の言う通り勘がいいので」
「そうだね、じゃあまた。あ、怪我したところちゃんと消毒するんだよ」
そう言って手を振る翔へ何度も頭を下げてこの日は帰宅した。
―帰宅後
帰宅してすぐに自分の部屋に行き、怪我をしたところを消毒した。
軽く擦りむいたようで赤黒い血が既にかたまりを作っていた。
怪我をしたといっても別に大した怪我ではない。このくらいの傷は“あの頃”に比べたら大したことはない。
水を濡らした布で軽く患部をふいて襦袢にも滲んでいた血も同様にして拭いてはみるが完全に綺麗になることはなかった。
仕方がないので洗濯をする際に良く洗ってみることにした。着物にまで血が移っていないことに安堵しながらつばきは少しの休憩を取った。
……―
…
京が就寝する時間までつばきは自分の部屋に籠り京と関わりのある人物の名前を書きだしていた。
「…まだ緋色の目で京様を見ることが出来ない…」
筆をおいてからもう一度深く息を吐きだした。
シンと静まり返る部屋でつばき自身の吐息だけが響く。
まだ京を緋色の目で見ることが出来ていない。その間にあの出来事が起こってしまう可能性もあるから焦燥感だけが募っていく。
つばきは京の寝室へ向かうために自室を後にした。
いつも通り、京の寝室の前に立ち声を掛けてから中に入る。
そしていつも通りに京がつばきを中に迎え入れる。
「待っていた。今日はいつもよりも遅いな」
「すみません、」
何かを見透かされているような気もしたが、だとしてもやらねばならぬことなのだ。
「いいんだ。それよりも今日は何をしていたんだ?俺も休みを取れたらつばきをどこかへ連れていってやれたのに」
つばきはかぶりを振り、そんなことはありませんと言った。
「いつも気を遣って色々と連れて行ってくれるではありませんか。十分です。今日は少し散歩をしておりました。素敵なお店があれば入ってみようと思っていたのですが、一人で入る勇気はないので」
これは本当のことだった。翔と会った帰りに素敵な店を発見したのだが寄らずに来た。
敷居が高いように思えてしまうのだ。次に来るときは京と一緒に、そう思っていたのだ。
そうか、と頬を緩める京はつばきを寝台に来るように促す。こくり頷き、いつまで経っても慣れない胸の鼓動を感じながらベッドの前に立つ。既に座っている京に手をさし出され、それを取る。すっと引き寄せられた。
「京様、」
「どうした」
「いえ、いつもドキドキしてしまって…どうしたら慣れてくれるのかなと思いまして」
体勢を崩しながらもすっぽりと京の腕の中にいた。男らしい無骨な手がつばきの後頭部を撫でる。
「慣れなくてもいい。そういうお前が可愛くて仕方がない」
「か、可愛い…」
京は見た目や雰囲気からは想像もつかないような甘い言葉をつばきにくれる。
その度に心拍数が上昇して上手く言葉を紡げないほどにドキドキするのだ。きっと、この胸の高鳴りは京に伝わっているだろう。
京はドキドキしないのだろうか、この胸の高鳴りが伝染してしまえばいいのにと思う。京があまりにも常に冷静で表情を変えないからそう思う。
京が自然な流れでつばきをベッドへ寝かせる。つばきの視界には広い天井と京が映る。シーツの上に広がる髪を愛おしそうに撫でる。
「あ、…っ、」
京の手が太ももを撫でたとき、その手が流れるように膝に触れる。
そこは今日、怪我をした箇所だった。
つばきの様子がいつもと違うことに気が付いたのか京が手を止め、目線をそこへ向けた。
「どうした、この傷は」
「それは今日転んでしまって。でも全然痛くはありません」
「今、一瞬顔を歪めただろう。すまない、気が付かなかった。見せてみろ、手当はしてないようだが」
京は直ぐにつばきの膝を立てる。
他に怪我がないのか見ているようだった。
大丈夫ですと何度も連呼しても京はそれを無視してつばきの体を調べる。
あざがないか、他に怪我はないか、険しい表情の京につばきも不安げな顔で京様と呼ぶ。
「本当に怪我はここだけか」
「本当です。躓いてしまって。ですが本当に大丈夫です。出血もすぐに止まっていたようですし、着物にも血はついていなかったので」
「着物なんてどうだっていいんだ。お前の怪我の方が大事だ。すぐに手当てしなかったのか」
「出かけていたので…帰宅してからになってしまいまして」
徐々に語尾が小さくなっていくのを自身でも自覚しながら、心配そうに隅々まで傷の有無を確認する京に少し過保護ではと思っていた。
「もう…大丈夫なのですが、京様少し…心配性…?な気が…」
京の動きがぴたりと止まった。
「その通りだな。お前のことになるといつもこうだ」
「え…それは、」
「そのままの意味だ。つばきのことになるといつもの自分ではなくなる。でもそんな自分も嫌いじゃないんだ」
京はそう言ってつばきの怪我をしていない方のふくらはぎに触れるとそのまま膝にキスをした。小さな声を漏らしたのも束の間、既に乱れている浴衣から覗く肌に唇を這わせる。
「ま…っ、待ってくだ、さい…」
「もうつばきの体に他に怪我はないことはわかったのだから待たなくていいだろう」
京は唇を太ももの内側に移動するとつばきのそこが小刻みに痙攣する。
唇から漏れ出る吐息も震えていた。
「はぁ、あ…っ…ぅ、」
上半身を起こしているのが辛くなると身を任せるようにして背をベッドに預けた。
浴衣の帯が外され、浴衣が肩を滑り落ち乱れた体のまま目を閉じた。
京に愛されていると実感する瞬間は何度もあった。
今もそうだ。こうやって長時間丁寧につばきに触れる。
でもたまにそれが意地悪に感じるときも同じくらいあるのだ。
「もうっ…、や、…はぁっ…」
「嫌には見えないのだが、」
足の指までピンと張り、ビクンと大きく体を反らせるとようやく京がつばきの腰を引き寄せる。
嗜虐的な視線を向けてくる京に焦点の合わない目を何とか向けると京の唇が弧を描く。
「愛している」
そう囁くとつばきもうんと深く頷いた。