1990年代初頭。
「バブルはもう弾けた」なんて、大人たちはみんな悲観していた。

 だが、景気なんて無縁なものがある。
 いつの世も、経済や科学の発展に切っても切れない文化があると、僕は勝手に思っている。

 小学3年生ぐらいの時に、とある言葉が目に入った。

 僕は友達の家で夕方に放送される再放送のアニメを、新聞紙のラテ欄で確認しようとする。
「今やってんのはワイドショーばっかだね」
 当時、お昼は全てのテレビ局が、ワイドショーばかり放送していて、子供の僕からしたら、つまらなかった。

 大体、一つの事件というか、ネタで、二時間ぐらい同じ映像、話題を司会者やコメンテーターが議論する。
 酷い時は、その一つ情報で3カ月ぐらい追っかけまわす。

 しかし、その日のラテ欄はなにかが違った。

『3時の時間。ヘアー解禁!!!』
『お昼ですよ。ついに日本もヘアー解禁、写真集情報を最新でお届け!』
『午後のワイドショー。ヘアーブーム到来! まさかのあの女優も?』

 僕と友達はお互い見つめあって、「なにこれ?」と尋ね合う。

 ヘアー、直訳すれば、毛とか髪の毛とか。

 おバカな小学生だったけど、それぐらいはなんとなく理解できていた。

 ふと、興味を持った僕たちは、テレビをつけてみる。

『スタジオの皆さん、大変です……ついにっ! 日本にヘアーが解禁されました!』
 息を荒くして現場を走り出すリポーター。
『ハァハァ……この、ハァハァ。書店で、あの女優さんの写真集が販売されるそうです! これは事件です!』

 映像を見ただけでは、僕は意味がわからなかった。
 友達も同様で、
「味噌村くん。意味わかる?」
「わかんない。おばさんに聞いてみようか」
「それがいいね!」

 急遽、友達のお母さんに質問してみることになった。

「おばさん。ヘアー解禁ってなあに?」
 洗濯物を畳んでいたおばさんは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「はぁ!? あんたたち、どこで覚えたの!?」
 急に怒り出したので、僕も友達も驚く。
「え、今。テレビでやってて……」
「さっさとチャンネル変えなさい!」

 言われて、変えてみるが、どの番組も同じ話題ばかり。

「おばさんは大人だから知っているの?」
 僕の問いに答えてくれることはなく、叱られてしまう。
「そんなの知りません! 帰って自分のお母さんに聞きなさい!」
「わ、わかった」
 なんでこんなに怒るんだろう。

 帰宅して、僕はキッチンに立つお母さんへと疑問をぶつける。
「お母さん。ヘアー解禁ってなあに? なにが解禁されるの?」
 うちの母は冷静に教えてくれた。
 律儀にメモ用紙で、イラストで描きながら。
「こうこうで、今まで規制されてたのよ。だから、みんな大騒ぎしてるということよ。ただ、あなたは子供だから買っちゃダメよ」
 そこでようやく、僕はヘアー解禁の意味が理解できた。
 しかし、ここで一つの疑問が残る。

「きせい? されてたのはわかったよ。でもさ、なんでそれぐらいで、大人は騒ぐの?」
「え……」
 絶句する母。
「だって、ただの毛じゃん。髪の毛と同じ毛でしょ。上か下かの違いじゃん。おっぱい見たいとか、お尻見たいとかなら、なんとなくわかるんだけどさ。どうして、毛を見たいの?」
「そ、それは……」
「ねぇ、どうして? わき毛だって剃る人多いのに、なんでそれをわざわざ写真集にするの? なんで?」
「……」
 母はそれ以上答えてくれなかった。

 僕は冷めた目で、連日の報道を見ていた。
(なんで大人は、毛を見たがるのだろう)

 答えが見えてこないまま、数か月、経った。

 気がつけば、たくさんの芸能人が、写真集を販売。
 物凄い売れ行きを出したとか。

 夜にバラエティー番組を見ていても、ゲストに来たアイドルや女優さんが、
「脱いじゃいました」
 なんて告知するぐらい規制が緩い時代。
 僕は黙って見ていた。
 隣りで寝転がって、ゲラゲラ笑う兄貴が気になる。

 兄貴は高校生だったと思う。
(お兄ちゃんなら、毛に対してどう思うのだろう?)
 僕は好奇心から兄に自分の疑問をぶつけてみる。

「ねぇ、お兄ちゃん」
「ちっ……なんだ?」
「お兄ちゃんもヘアーって見たいの?」
 すると、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「てんめぇ……今度、俺の前でそんなこと言ったら、殺すぞっ!」
 反抗期だった兄にはNGワードだったみたいだが僕も負けない。
「怒らないでよ。お兄ちゃんもこういうの買いたいの?」
「し、知るか! てめぇ、もういっぺん言ったら、ブチ殺すからな!」
(なんで殺されなきゃいけないんだよ)

 仕方なく、僕は自分の疑問を解くのを諦めた。

 それから6年後。

 僕は確か、中学3年生ぐらいで、ブームはかなり衰退しつつあった。
 だが、たまにビッグネームの芸能人が、写真集を発売すると、特別番組やらワイドショーで、よく騒いでいた。
 大きくなった僕は、なんとなくだけど、大人たちがヘアーというものが大好きなのが、わかってきた。
 でも、未だに毛に対する熱意がわからないけど……。

 とある芸能人が、写真集を販売するということで、記者会見をやっていた。

 リビングでテレビを見ていたのは、僕と兄貴と、母の三人だったと思う。

 寝転がっていた兄は、もう成人していた。
 大学生だ。

「ヘヘッ。この子も出すのか……しかし、あれだよな。俺も●●のときは、当時写真集を買ったけどさ。今だったら買わないかな」
 ニヤニヤ笑いながら、マイクを持って会見する女性を見つめるその姿は、とてもいやらしい。
 母に向けた言葉だったのだろうが、僕は聞き逃さなかった。

 兄貴が言うには、当時、●●という、大物アイドルが写真集を出すと聞き、友達と盛り上がったらしく。
「なぁなぁ、みんなでよ。小銭集めて、本屋で買わないか?」
「いいな、それ」
 全員で300円ずつぐらい出して、一冊の写真集を購入したらしい。
 だが、ここで疑問が生まれる。
 兄たちは学生で未成年だ。
 18歳未満は購入不可能のはず。

 しかし、兄貴は生まれながら、老け顔だった為、友達が「味噌村なら買えるだろ」と提案し、見事写真集をゲットしたそうな。
 そして人気のない駐車場で、タバコをふかしながら、みんなでグルグル回しながら、穴が開くほど、見入ったらしい。
 写真集は一人の級友が自宅で厳重に保管していたそうだ。

 その一連の話を聞いて、僕は腹が立った。

「兄ちゃん! ちょっと待ってよ!」
「ど、どうしたんだよ。幸太郎」
「僕が昔、『写真集欲しいか』って聞いたら、怒ったじゃん! 裏では黙ってコソコソ買ってたんじゃん!」
「ば、バカっ。あの時、お前は小学生だったろ。今ならわかるだろが……」
 僕は怒りで震えが止まらなかった。
 殺すとかまで言われておいて、裏では推しのアイドルの写真集を非合法的に購入し、悦に入るなんて……。

「兄ちゃんは噓つきだ!」
「お前、なに熱くなってんだよ。そんなに見たいなら、お前も買えばいいじゃないか」
「別に見たくないよっ! 嘘つかれたのがムカつくんだよ! それに僕は中学生だから、買えないし買わないよ! 兄ちゃんみたいに老け顔じゃないしねっ!」
「幸太郎、お前な……」

 ということで、大人は平気で噓つくのだなと、僕は改めて学ぶことができた。

   了