最初に気付いたのは刺されるって意外と痛くないという真実であり。
次に気付いたのはそれが勘違いだったと言うこと。

飛びかかってきた男はそのままピクリとも動かず、不思議に思ってよくみると、男の手にはナイフなんてなかったし、覆い被さったまま男は白目を向いて気絶していた。

何が起こったのか確認するため今度は当たりを見回すと、通路に子供の拳程度の大きさの石ころが数個、男の持っていたナイフと一緒に転がっている。

もはや誰が助けてくれたのかなど考えるまでもなく、ルードたちがいるボックス席へと目を向けると、ボレアスは得意げにこちらに手を振っていた。

本当、頼りになる奴である。


「フリークッ‼︎‼︎ 大丈夫‼︎?」

そんなことを考えていると、覆い被さった男が放り投げられ、代わりにセレナが僕の上に覆い被さる。

「あ、あぁうん……大した事ないよ」

「動いちゃだめ‼︎ 上着を脱いで、傷を見るから‼︎」

「え、あ、ちょっそこは‼︎? ワインが……」

「‼︎? む、胸にこんなに血が‼︎? やだ、だめフリーク‼︎ 死んじゃだめ‼︎ 私が、私が絶対に助けてあげるから……今、回復魔法をかけてあげるからね」

「あの、いやセレナ……これは」

そういうとセレナは慌ててワインのシミができた部分に高位の回復魔法をかける。
神々しい癒しの光が僕を包むが、当然無傷なので光はあっさりと消えてしまう。

「なんで…、何で回復魔法が効かないの‼︎?」

気が動転しているのか、セレナは目に涙を浮かべながら何度も回復魔法をかける。
その度に癒しの光はいい加減にしろと言わんばかりに僕の体をひと撫ですると消えていく。

「いや、その……セレナ、あの、もう大丈夫だから」

「諦めちゃだめフリーク‼︎ 大丈夫だから‼︎ 絶対、絶対私が助けてあげるから‼︎ 諦めるなんて言わないで‼︎」

「いや、そうじゃなくて……セレナ、これ血じゃなくて……ワインだから」

「だから‼︎そんな簡単に諦めちゃ…………………ワイン?」

「うん……さっきこぼしちゃって」

ポカンと一瞬セレナは惚けたような表情を見せ、ぺたぺたとワインのシミになった部分を何度か触ると。

今度はセレナの顔がワイン色に染まった。

「……ま」

「ま?」

「紛らわしい‼︎‼︎」

世界最難関ダンジョンを制覇した冒険者の、安堵と恥ずかしさと怒りとその他諸々が詰まった渾身の平手打ち。

自分の耳元から響く乾いた音と同時に、僕の世界は真っ黒に染まるのであった。



目を覚ますとそこは病院のベッドの上であり。
体を起こすとしゃくしゃくと椅子に座ってボレアスがリンゴを食べていた。」

「お、ようやくお目覚めですね? どうですかい調子は?」

「ほっぺたに違和感があるぐらいで特に異常はないかな」

「そりゃよかった。しかしせっかく暴漢から助けてやったのに、護衛に病院送りにされるたぁ、あんたもついてないですねぇフリーク」

あぁそうか……確か暗殺者に刺されかけて、勘違いしたセレナに平手打ちされたんだっけ。

頬を触ってみると回復魔法をかけてくれたのだろう。 腫れもなければ痛みもなかった。

「……オークションは?」

「騒ぎにはなりましたが、ルードの旦那とメルトラが機転を効かせてくれましてね。無事に終了しました。もちろん大盛況で終わりましたんで、安心してください。ちなみにお金はベッドの横です」

ボレアスに言われるまま隣を見ると、そこには僕ぐらいならすっぽりとおさまってしまいそうな金属製の箱があり、中を覗いてみるとそこにはびっしりと金の延棒が収まっていた。

「すっごい……」

「混じり気なし、真鍮の混ざった金貨とは違う、ドワーフの技術で抽出した純金だそうです。
貨幣価値に換算するとピッタシ金貨一億枚分の価値だそうで」

途方もない数字に僕は一瞬目眩を覚える。

「一億、途方もなさすぎて感想が浮かばないよ」

「無理もありませんね。想定されてた金額の大体三倍ぐらいの値段が飛び出しちまったんですから……見せたかったですよ、貴族の面々が全員、鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してるところ」

「ははは、それは残念だ……でもそれだけの金額がポンと出てくるってことは、やっぱり僕の絵は王様の手に渡ったの?」

「まぁ……その、そんなところですね。そんでこっちが、王子様の影武者をやってもらった報酬です。一億の金塊に比べりゃ見劣りしますがね」

ボレアスから手渡されたのは拳大ほどの皮袋で、中を開くと金貨ではなく赤や青に輝く宝石が詰め込まれていた。
どれもこれもとんでもない大きさだ。

ちなみに、これを落札したのがアキナとルードが雇った人間であり、オークション自体が迷宮地図の美術館を開くための話題作りの出来レースであったことを知るのは……相当後の話である。

「……随分多いけど、こんなにいいの?」

「うちのリーダーが平手かました慰謝料と、ルードの旦那に別件で頼んだ依頼の報酬も一緒に詰めてあるんで、問題ありませんよ」

「ルードたちに依頼? どんな?」

そういえば姿が見えないなと思っていたけれど、ルードが冒険者として依頼を、しかもこれだけの仕事を終えた直後に受けるなんて珍しい。


「王子様を王城まで送り届けるって仕事です。本当は俺が王子を王城までお連れする手筈だったんですが、ルードの旦那に『身の安全を保証するって言ったなら最後まで責任持て』って怒られちまいましてね。あの暗殺者が顔を見たあんたを殺しに来ないとも限らないんで、俺がこうしてお前の護衛をしてるってわけです」

「暗殺者の人って、僕に覆い被さったまま気絶してた人だよね……あの人捕まえられなかったの?」

いくらセレナの気が動転していたからとはいえ、メルトラもボレアスもいるあの状況で、しかも気絶までしていたのに逃げられるとは思えないのだが……。

僕は思わず首を傾げると、ボレアスは少し困ったような表情をしてため息をつく。

「えぇ、確かに一旦は捕まえましたよ? そんでもって騎士団詰所に連行して、オークション終わった後にコッテリ絞ってやろうと尋問室にぶち込んでたんですがね。いざ尋問しようと戻ってみたら、煙のように消えちまってやがりました……騎士団の中にきっと仲間がいたんでしょうね。油断してましたよ」

「騎士団って……ボレアスの今の仲間だよね? 仲間の人が裏切るの?」

「まぁ、ね。王宮なんてそんな場所ですよ……みんなヘラヘラ笑いながら、腹ん中じゃお互いどうやって相手を潰そうか策を巡らせてる」

「……なんだか、怖い場所だね」

「もう慣れちまいましたよ……美味い飯が出てくる分、迷宮より小指一つ分程度マシですからね」

「そっか……そういえばセレナは?」

「合わす顔がない、だそうで。今は王子暗殺を謀りがった下手人を鬼の形相で追跡中です」

「そうなんだ……残念だなオークションの後、二人で食事をするはずだったんだけど」

「まぁそこの埋め合わせは考えてありますよフリーク……俺もその相談をするために残ったようなもんですしねぇ」

「埋め合わせ?」

「えぇ。実はまた頼みたいことがありまして」

「頼み? 難しい話だったら、ルードと相談しないと……」

「いやいや、難しい話じゃありませんからルードの旦那を待つ必要はねーですよ。ただそうですね、依頼を受けてくれれば、いつでも王城にいられる……セレナに会えるようにしてやれますよ?」

セレナに会える……という言葉に僕は少し気を引かれるが。
条件という言葉にルードの言葉が思い起こされる。

どこか不敵な笑みを浮かべているところや、何となく答えを急がせるような物言いだったこともあるのだろう。

────……また、利用されて捨てられるだけ。

そんな言葉が僕の中で木霊し、僕は返答を一瞬躊躇するが。



だけど……。


「わかった。信じるよボレアス……それで依頼って?」

だけどそれでも、セレナにあえるなら僕はボレアスに利用されてもいいなんて思ってしまっていた。