すうっと息を吸ってから、ポロン……と鍵盤を叩く。とたんにピアノの世界に引き込まれるような感覚に、春花は胸を震わせた。
普段のレッスン時の「春花先生」とは違う、ピアニスト山名春花がそこにはいた。
「すごい、山名さんってこんなにピアノ上手いんだ!」
「やっぱり先生ってすごいのねぇ」
感嘆のざわめきが起こる中、葉月が静に耳打ちする。
「最近山名さんの顔色がいいと思っていたんだけど、きっとあなたのおかげなのね。あなたと一緒にいるからとても幸せそう」
「それならよかったです。でも俺の方が春花と一緒にいて幸せなんです。店長さん、これからも春花をよろしくお願いします」
「こちらこそ。山名さんには期待してるのよ。というわけで、山名さんの次はピアニスト桐谷静が一曲披露していただけるかしら。一曲でも二曲でも、飽きるまで弾いてもらって構わないんだけど」
「なかなかハードですね」
「ふふっ、商売上手って言ってほしいわね」
葉月は不適に笑い、静は苦笑する。とても雰囲気のいい店舗なのはやはり店長の葉月のリーダーシップの賜物で、そんなところで働いている春花に以前「辞めたら」などと軽はずみに口にしてしまったことを、静は改めて反省した。