「山名さん、あの人知り合い?」
穏やかに過ごしていたある日の閉店時、店長の葉月が春花にそっと耳打ちした。
「え、誰ですか?」
「ほら、あそこ。さっきから店の前でスマホ触ってる男性。ちらちら店内伺ってるみたいなんだけど」
ショーケースの陰からそっと覗いた春花はその人物を見て一気に青ざめた。くらりと目眩さえ覚える。ドキンドキンと心臓が痛いほどに脈打ち、思わず胸元をぎゅっと押さえた。
見間違えるはずがない。春花の元彼の高志だ。高志が店の前で待っているのは明らかに春花であろう。
別れを告げアパートを追い出されてから高志とは連絡を取っていない。いや、正確には鬼のように着信はあったし、メッセージもひっきりなしに入っていた。着信拒否やブロック、そしてアパートの解約。モラハラ高志と決別するための手段は講じてきたつもりだった。
「店長すみません。えっと、私の……元彼です。あの……、ちょっと話をしてきます」
震えながら出入口に向かおうとする春花の腕を、葉月は慌てて引き寄せた。
「待って。元彼が何の様?もしかして付きまとわれてるの?」
「いえ、初めてです」
「変に近づくと危ないわよ」
「だけどきっと私に用があるんだと思います。あんまり良い別れ方、していないんです」
「だけど山名さん、震えているじゃない。私が引き付けておくから、今のうちに裏から帰りなさい。……あ、家もバレてる?よかったらうち来る?」
「いえ、最近引っ越したので、家はバレてないと思います」
「そう?それならいいけど。じゃあちょっと早いけど先に上がって。裏から出るのよ」
「本当にすみません」
「いいからいいから、ほら、早く。何かあったらすぐ電話するのよ」
「はい、ありがとうございます」
葉月は春花に何か指示するようなオーバーリアクションを高志に見せつけると、春花を裏口へ追いやった。