どれくらい経った頃だろうか。ぼんやりとヘタりこんでいる春花の元に、静が息を切らしながらやってきたのは。
「山名」
名前を呼ばれて見上げれば、静が険しい顔で春花を覗き込む。
「事情はだいたい理解した。まずは荷物を持って俺のところに避難しよう。ここは今月で契約解除すればいい」
春花の腕を取って立ち上がらせようとするが、春花はフルフルと首を横に振る。
「でもそうしたら高志が住めなくなる」
「そんなの知ったことじゃないだろ?今月末で退去の旨を知らせておくだけで十分だ。山名が責任を感じることはない。むしろ乗っ取られてるんだから訴えても良いくらいだ」
「だけどこれは痴情のもつれというか」
「山名」
「夫婦喧嘩は犬をも食わないみたいな」
「山名」
「私がちゃんとしてなかったから」
静がいくら呼び掛けても、自暴自棄になっている春花は答えようとしない。静はすうっと息を吸い込むと凛とした声で名前を呼んだ。
「春花!」
その声に、まるで時が止まったかのように静寂が訪れる。春花は目をぱちくりさせながら恐る恐る静に視線を合わせると、静はふと表情を緩めてから柔らかく春花を自分の胸に引き寄せた。
「春花、落ち着け」
「う、ううっ……」
改めて名前を呼ばれ、春花の感情は大きく揺さぶられる。
「昨日連絡先を聞いておいてよかったよ。春花は俺が守るから」
静が抱きしめる腕の力が強まる。
暖かく包まれているうちに、春花の中にあった禍々しい感情がすっと落ち着いていくのがわかった。