「山名のピアノ、久しぶりに聴きたいな」
「恥ずかしいよ。桐谷くんとは雲泥の差なんだから」
「いいじゃん。ピアノの先生やってるんだろ?今度見学に行かせてよ」
「ええっ。うちの店に桐谷くんが来たら大騒ぎだよ」
「なんで?」
「なんでって、こんな有名なピアニストだもん。一曲弾いてほしいって皆が寄ってくるよ」
「別に構わないけど」
「ええっ本当に?」
「本当に」
「きっと店長が両手を挙げて喜ぶよ」
春花は、興奮して目をキラキラさせる葉月を想像して、一人クスクスと笑う。そんな春花に静は少し意地悪な笑みを浮かべた。
「その代わり、山名のピアノ聴かせてよ。それが条件だ」
「え、う、うん」
ドキドキしながら頷くと、静は携帯電話を手にする。
「じゃあ山名、連絡先交換しよう」
「あ、そうだね」
いそいそと春花も携帯電話を取り出し、二人は初めて連絡先を交換した。
高校生のとき、初めて携帯電話を持った春花。静も同様に携帯電話を持っていた。だが二人とも友達とやり取りするよりも、家への連絡手段としての要素の方が大きかった。
平日は毎日放課後に音楽室で過ごす。遅くまで二人でピアノを練習し、帰宅後にあえて連絡を取ろうとは思わなかった。
もちろん、卒業前に連絡先を交換したいとは思っていたが、お互いに聞く勇気も機会も逃したまま今に至っている。
あれからもう五年経っているのだ。お互いに社会での経験を積んで、ごく自然と連絡先の交換をすることができたことに静は安堵し、そして春花は胸をときめかせた。