ポロン……と演奏が始まった。

普段聴いているCDの音源とは似て非なる重厚なグランドピアノの音。力強い音も繊細な音も、その音一つ一つを静が紡ぎ出していることに春花は鳥肌が立つほど体が震えた。

鍵盤を叩く音の響きのみならず弾いている動作までもが美しく、静も含めすべてが芸術作品のようで観る者を魅了して止まない。

これが、ピアニスト桐谷静の魅力なのだろう。

春花は余計なことを考える余裕もなくなって、じっと静の演奏を見つめていた。静の繰り出す音楽という優しい空間に身を委ねる。それはまるで海の中を漂う海月のように、ふわふわ、ふわふわ、と。

圧巻の演奏が終わり拍手喝采で幕が閉じた。

ホールの照明が灯りまわりの客がぞろぞろと出口に向かって歩き始めるも、春花はしばらく呆然としていた。演奏の余韻が体中に広がって感動に包まれる。

(すごかった……)

感動を胸に、春花も遅れてホールを出た。外はすっかり暗くなっている。

携帯電話の電源を入れて時間を確認し、最寄り駅まで歩き出したときだった。

「山名!」

突然背後から名前を呼ばれ、春花は振り向く。

「……桐谷、くん?」

息を切らしながらそこに立っていたのは、タキシードの上着を脱いだ軽装の桐谷静だった。