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 五月の連休明け、上原さんは無事に数学の課題プリントを終わらせたらしく、僕の出番はなかった。
 カレンダーの関係で中旬と呼べる時期になってようやく美術の授業が復活した。
 突き抜けるような晴天、もう夏空だった。
 気温も三十度を超えている。
 昼休み、僕は学校を出て団地へ行き、前と同じ場所にイーゼルを組み立てて下絵を描いた。
 さらさらっと描き上げて下塗りをしようとパレットに絵の具を出す。
 と、そのときだった。
 ――おーい!
 ん?
 ――おーい!
 呼んでる?
 学校の方で誰かが叫んでいるような気がして顔を向けると、もう一度聞こえてきた。
「おーい! ここ!」
 道路を挟んで百メートルくらい離れた北校舎だ。
 屋上に突き出た階段室の上で誰かがこっちに手を振っている。
 ……あれ?
 上原さん?
 僕が手を振り返すと、入道雲に負けないくらい空に向かって手を伸ばしながら、ぴょんぴょん跳びはねる。
「やっほー! テーツーヤー!」
 ちょ、そんな大声で名前呼ばないでよ。
 ていうか、うちの学校、屋上に上がるのは禁止されてるはずなんだけど。
 でも、彼女にはそんなこと関係ないらしい。
 青い空を背景に手を振りながら、全身がヨットの帆みたいに右になびき、左に翻り、本当にそのままどこかへ行ってしまいそうな勢いで何度も何度も飛び跳ねている。
 なんてきれいな空なんだろう。
 空がこんなに広いなんて知らなかった。
 果てしない青空の下で、君の姿は一つの点のようなのに世界の輝きは全部そこから放たれている。
 絵なんて描いてる場合じゃないや。
 青空なんてまぶしいだけだと思ってた。
 ――空よりもまぶしい君を知るまでは。