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 大切なこと、一番言いたいことは、後回しにすればするほど言えなくなる。
 ほんの一言でいい。
 ただ伝えればいいだけ。
 答えだって、ちゃんと分かってる。
 なのに、僕はそれからもずっと言えなかった。
 ――おい、テツヤ。
 おまえにいったい何が分かるんだ。
 恋なんかしたことないくせに。
 無理なんかするなよ。
 しても恥をかくだけだぞ。
 恥ずかしさ、怖さ、気まずさ、自分の中で負の感情がどんどん増幅されていく。
 教室で目が合うたびに前に踏み出そうとするけど、膝が震えてしまう。
 臆病な自分の心にぽっかりと穴が空いて、言おうとする言葉が渦を巻いて吸い込まれていく。
 一度あきらめてしまうと、ためらいが恐怖を呼び起こし、僕の弱さをあざ笑う。
 好きなんだろ。
 目と目が合ったあの瞬間が。
 あの微笑みが。
 でも、失いたくないんだ。
 手を伸ばした瞬間、崩れ落ちて消えてしまうのが怖いんだ。
 それが恋の距離ならば、僕にはあまりにも遠すぎる。
 いや、近すぎるんだ。
 だから手を出すことさえできず、僕は固まってしまうんだ。
 そんなふうに無駄に時間だけが過ぎていき、七月になってしまった。
 うちの学校は七月第一週に定期試験があって、中旬に文化祭が二日間、そして終業式で夏休みに突入という流れになっていた。
 でも、文化祭の日、上原さんは二日とも学校を休んでいた。
 先生からは家の都合らしいと簡単に説明があっただけだし、クラスのグループメッセージにも彼女からの連絡はなかった。
 僕らのクラスの出し物はありきたりな喫茶店で、彼女がいなくても運営に支障はなかったし、バスケ部のトラブルで急激に上原さんの立場が悪くなっていて、クラスでも孤立するようになっていたせいか、誰もそれ以上話題にする人もいなかった。
 喫茶店の看板を持って校内を歩き回って宣伝活動をするのが僕の仕事だった。
 居場所のない僕にとっては、ありがたい役目だった。
 一般客受付の横で割引券の付いたチラシを配り終えて戻ってきたら、以前、上原さんにコクっていた二年生の先輩がちょうど僕らの教室から出てきたところだった。
 僕も休憩しようと中に入りかけたら、話声が聞こえてきた。
「なんかさ、趣味悪くない?」
「なんであんなのがいいんだろうね」
 西口さんと井上さんだ。
「絶対先輩の方がいいよね。イケメンだし、頭も良いし」
「だよね。意味わかんない。せっかく会いに来てくれたのにさ」
 僕は看板を持ったままくるりと背中を向けて逃げ出してしまった。
 それは明らかに僕と上原さんのことだった。
 僕はほっとしていた。
 そうだよな。
 当たり前だよ。
 みんなそう思ってるんだよな。
 僕だけじゃなかったんだよ。
 釣り合うわけないと思ってた。
 似合わないって分かってた。
 何を勘違いしてんだよ。
 ちょっとおしゃべりしたくらいでカレシ気取りかよ。
 答えだって、分かってる……だってよ。
 これだから非モテボッチ陰キャ男子は困るんだよ。
 調子に乗って舞い上がって、恥をかきたくないなんて言い訳ばかりしてるくせに、自分から滑稽な道化役を買って出てることに気づきもしないんだ。
 そんなことをしているうちに、七月の授業も終わってしまい、結局、僕は夏休み前に絵を完成することができなかった。