そのまま翔太にも、燈子先輩にも会わない週末が過ぎた。
 燈子先輩の(俺にとっては)突然の引退宣言から、翔太の言葉、燈子先輩の言葉。情報量が多すぎて、頭を整理するための週末だと言っても過言ではなかった。

“興味がない”。
 2日間、俺の脳内を占め続けた言葉。“薄っぺらい”よりも遥かに協力で、耐えがたく、そして俺自身にはどうすることも出来ない事象だった。
 俺の薄っぺらいはまあ、俺がちゃんと色々考えて頑張れば、どうにか挽回できるかもしれない。
 でも、燈子先輩は…歌うことが、好きでも嫌いでもない。興味がない…。

「指揮を振ってるときが、一番素直な燈子先輩だからだよ」

 この前、翔太から言われた言葉が蘇る。
 自分が歌うことに何らの価値も見出していない燈子先輩にとって、「透明感のある力強いソプラノ」は、ただの無色透明であり、棒立ちであり、孤独でしかなかった。それは、俺が何かを頑張ったところで、ひとつも影響力を持ち得ない。

 …翔太は、今の話を、どこまで知っていたんだろう。
 全部聞いたうえで、“トウコの川”を受け継ぐつもりなんだろうか。
 以前、帰り道でした雑談を思い出す。
「なぁ翔太。お前も音大とか行くのか?」
「へ?? 行かないよ。僕は工学部に進んで流体力学の研究をするんだ」
 コウガクブ。リュウタイリキガク。は??
「なんでもうそんな細かく決まってんだよ。俺は部活でさえ、こないだ決まったばっかりなのに」
「あはは、知らないよー。達樹は軽音大でもいけば~?」
 イヤミで返されて俺はむくれたが、今考えれば到底、翔太にぶつけるレベルではない鬱憤だ。笑って流してくれただけ翔太は大人で、もしかしたら、日頃の何気ない発言が積み重なって、俺は元々薄っぺらいやつだと思われていたのかもしれない。
 そういうとこだぞ、俺…。
 要するに、翔太は音楽と全然違う道に行くということだ。これはこれで、翔太がどこかで出会って心酔した道だろう。でも、合唱サークルの有無はしっかり検討内容に含めるらしい。俺の薄さはともかく、牧野翔太はどこまでも、俺より先に進んでいる。

 俺は…。

 燈子先輩の歌が聴きたい。燈子先輩と歌いたい。今のところ、どんなに心の声に耳を傾けようとも──むしろ、傾ければ傾けるほど──俺の心からの願望はそれしか出てこなかった。
 でも…先輩は歌わない。興味がない。
 指揮が終わった後の、東高合唱部なんか、見ていない。
(なんで…俺を合唱の世界に引き込んだくせに、すまし顔で去っていっちゃうんだ…)

 見ていない。

 そうか…。

 寝たのか寝ていないのか、食べたのか食べていないのか、週末の記憶が定かでないまま、迎えた月曜の朝。
 いつも通りの支度をして、自転車に跨った頃には、俺のやるべきことは決まっていた。
(学校についたら…まず翔太に話しに行こう)
 俺はそう決意していた。
 翔太が、俺の提案を受け入れてくれるかどうかはわからない。
 俺だってさっき、日の出と同時ぐらいに思い付いたばかりの新案だ。うまくいく保証もないし、第一、翔太の求めるレベルに俺が到底及んでいないことぐらい、俺自身が一番良く解っている。
 それでも…。
(…いや)
 翔太に実際断られるまで、あれこれ考えるのはよそう。まずは話す約束からだ。俺をスタートラインに乗せよう。
 橋の手前の交差点が赤になったのを好機と見た俺は、一度自転車を脇に止め、翔太に連絡を取るべく携帯を取り出し…
「あれ?」
…たところで、交差点の向こう、橋の入り口に立っている翔太本人を認知した。
「…翔太?」
「おはよう、達樹…」
 信号が変わるのを待って駆け寄ると、翔太はばつが悪そうに軽く俯く。
「風邪、大丈夫か?」
「…うん。この前は、ごめん」
「え、いや、俺こそ変な煽り方して…ごめんな。そうだ俺、ちょうど今翔太に」
「達樹っ!」
 翔太は俯いていた顔を不意に上げ、俺の言葉を遮る。
 俺はその目に、練習で燈子先輩を見る目と同じ強さを見て取った。
「達樹、あのさ」
 …ああ。
「僕、ずっと考えてたんだけど」
翔太は、いつだってそうだ。
「達樹にさ」
 いつだって、俺の遥か前にいて、
「テナーの…」
 俺がついさっき漸く辿り着いたような答えに、もっと前から到達してる。
 俺は、既に察していたその言葉を、翔太の口から聴きたい。初めてそう思えていた。
「テナーのパートリーダー、やってもらいたいんだっ」
「…翔太」
 そうだよな。
 きっと翔太は、自分が燈子先輩の後を継ぐって決めた時点で既に、俺にテナーを任せるつもりでいたんだろう。
「ごめん、達樹…勝手に期待して、勝手に裏切られたと思って、あんな言い方…本当に、本当にごめん…でも…」