それから俺は、テナーのパート練習にのめりこんだ。
 筋トレ、呼吸法、発声練習。楽譜の暗記。燈子先輩からどんなエネルギーが来ても、振り落とされないように、自分の体を鍛えた。
 音がうまく拾えないところはリーダーに助けてもらって何度も練習したり、帰り道に翔太から歌詞の意味を聞いたり。他のパートの部員とも仲良くなって、自主練習にまぜてもらえるようになった。
 そして全体練習でも、とにかく燈子先輩の左手に体を預けた。
 隣の翔太と、後ろのリーダーがめちゃくちゃうまくて、歌えば歌うほど、どちらの声かわからない。それぐらい、翔太とリーダーの声はピッタリあっていた。
 俺と、もう一人のテナーの1年は最初こそ音を出すのに精一杯だったが、徐々に慣れて二人の声に合わせられるようになったし、他のパートの声も聴けるようになってきた。
 それから…俺は以前のように一人でカラオケに行っても、ハモリがいないとつまらないと感じるようになったのだ。
 燈子先輩なら、ここはどう歌わせるだろう。歌詞の意味は…作者の気持ちは…。
 全ての歌に燈子先輩の指揮が重なる。
 それに呼応するように、燈子先輩も4人をテナーとして認めて、正確に視線を合わせて指揮を飛ばしてくるようになった。

 7月に入ると、3年の先輩のピアノ伴奏もつくようになって練習はさらに加速した。
 俺と翔太は、梅雨の晴れ間を見つけては河原で補習した。
 隣で歌う翔太の圧はとにかくすごい。
 翔太が高校受験で視力を落としたのは事実だが、実際にはそれほど悪くはなく、ただ指揮台に立つ燈子先輩の姿を明確に捉えたいという熱望だけで入部翌日にメガネを買ったそうだ。翔太の、燈子先輩への憧憬は留まるところを知らないが、今の俺は、その熱望がだんだん肌身に染みて理解できるようになってきたことに驚く。
 燈子先輩にこっちを見てほしくて、声を聴いてほしくて、俺はひたすら練習したし、燈子先輩の声を聴かせてほしくて、毎日練習に通った。

 同時に…俺しか歌わないボーカルなんて、いつの間にか興味がなくなっていた。