「カイル、目線こっち! もうちょいアンニュイな感じで。そうそう! いいね!」
都内某所。撮影スタジオにカメラマンの声が響き渡る。こんな大きなスタジオで、大勢に囲まれて写真撮影をするのは初めてのことだ。お偉方も見に来るから気合入れろよ、と撮影前、小柴に言われた。小柴は俺のマネージャーであり、兄貴のようでもある。一回り以上歳が離れているからだろう。こんな弱小事務所じゃなく、もっと活躍できそうな大手へ移ればいいのに、何故かずっと留まっている。社長は内心ありがたいだろうが、時々彼の将来が心配になる。
「他人の将来を心配してる場合か? お前、デビューして何年になる?」
そんな話をすると、小柴は呆れたように、決まってそう言った。
デビュー、というのが正確にどの時点を意味するのか、俺にはよくわからない。この業界に足を踏み入れたのは、七歳の時だった。両親が、地元の児童劇団に俺を入れたのが始まりだ。初めは嫌で仕方なかった。大きな鏡の前で踊る自分を見た時、あまりの恥ずかしさに逃げだしたこともある。
十歳の時、子役の一人として小さな舞台に上がった。それまであんなに恥ずかしいと思っていたのに、大勢の観客の前で役を演じると、不思議な高揚感があった。本当の自分を消して、役になりきる。それがとても気持ち良く感じた。
中学に上がる頃、偶然舞台を観に来ていた今の事務所の社長にスカウトされた。社長の大らかな人柄にも惹かれ、俺は児童劇団を退団すると彼の事務所へ移った。十三歳の時だった。小柴は(当時は小柴さんと呼んでいたが)その当時から俺の一番近くにいて、面倒を見てくれた。そこからかれこれ六年、俺は十九歳になってもまだ、鳴かず飛ばずの自称・俳優止まりなのだった。
「お疲れ。良かったよ」
撮影が終わり、楽屋で着替えていると小柴が入って来た。きっといろんな人たちのところへ挨拶をしに行っていたのだろう。その手には大量の名刺がある。
返事をする代わりに、俺はペットボトルの水を一口飲むと小柴を睨んだ。
「何だ、お前まだ怒ってんのか?」
呆れた顔をしながら小柴が椅子に腰を下ろす。
「……当たり前だ!」
俺は、怒っていた。勝手に撮影の仕事を入れられたことをじゃない。
先週、リオと約束をしていた。朝六時に高校の校門前。必ず行くと約束した。
でも、俺は行くことができなかった。
「そんな怒るなよ。勝手に動画をアップしたのは悪かったけどさ、彼女の顔はちゃんと隠したし。それに、結果的に仕事に繋がったんだから良かったじゃないか」
七月二十日。俺は小柴と数人のスタッフと共に、通っていた高校を訪れた。目的は、イメージ動画の撮影。都内でもいろいろと撮影してみたものの、小柴曰くどれも表情が硬くて自然じゃなかった。もっと、自然な表情を引き出したい。そんなスタッフたちの思惑で、俺は渋々地元へ帰ってきた。学校側の許可を取って、かつての学び舎での撮影会は始まった。
「構えるだろうから、お前にわからないように隠れて撮影するよ」
そう言われた俺は、一人で学校中を歩いた。久しぶりに袖を通した制服はまだサイズがぴったりで、「高校生でも全然イケるぞ」と小柴は笑った。グラウンドや廊下、音楽室に図書館、屋上。最後に、三年の時に使っていた教室へ向かった。自分の席は確か、あそこだったか。記憶を頼りに席に座ると、窓から心地よい風が吹いてきた。小柴たちは一体、どこに隠れて、どうやって撮影しているのだろうか? まるで気配が無い。確かにこれなら、自然な表情が撮れるかもしれないな――。そんなことを思いながら、俺は机に突っ伏して目を閉じた。
そうしていると、懐かしい日々が蘇ってくるようだった。俺は、いつまで経っても売れない自分が不甲斐なくて、次第に学校をさぼるようになっていた。芸能活動をしていることは、友人にも言わなかった。ちっとも活躍していないことがバレてしまうのが、怖かったからだ。この町は良い場所には違いないが、何でも筒抜けになってしまうのは、やっぱり嫌だ。子供の頃から、俺は周囲の声に怯えていた。知らなくてもいいことまで、知ってしまいたくなかった。
どのくらいの時間、そうしていたのだろう。
何かの物音で、俺は目を覚ました。小柴たちが入ってきたのかと思い顔を上げると、目の前には知らない女の子の顔があった。
ぼんやりしながら彼女の顔を見た。スタッフが用意した女生徒役、だろうか?
「そこ、私の席」
ちょっと怒ったように彼女は言った。彼女に促され、机の側面に貼られたネームシールを確認すると、そこには「大澤理央」と書かれてあった。そうか。俺の席じゃない。俺が卒業してからもう二年が経っている。ようやく頭がはっきりしてきた。それよりも。
俺は、彼女の名前に目を奪われた。「リオ」は、ポルトガル語で「川」を意味する言葉だ。ほら、また見つけてしまった――ポルトガルの欠片を。
都内某所。撮影スタジオにカメラマンの声が響き渡る。こんな大きなスタジオで、大勢に囲まれて写真撮影をするのは初めてのことだ。お偉方も見に来るから気合入れろよ、と撮影前、小柴に言われた。小柴は俺のマネージャーであり、兄貴のようでもある。一回り以上歳が離れているからだろう。こんな弱小事務所じゃなく、もっと活躍できそうな大手へ移ればいいのに、何故かずっと留まっている。社長は内心ありがたいだろうが、時々彼の将来が心配になる。
「他人の将来を心配してる場合か? お前、デビューして何年になる?」
そんな話をすると、小柴は呆れたように、決まってそう言った。
デビュー、というのが正確にどの時点を意味するのか、俺にはよくわからない。この業界に足を踏み入れたのは、七歳の時だった。両親が、地元の児童劇団に俺を入れたのが始まりだ。初めは嫌で仕方なかった。大きな鏡の前で踊る自分を見た時、あまりの恥ずかしさに逃げだしたこともある。
十歳の時、子役の一人として小さな舞台に上がった。それまであんなに恥ずかしいと思っていたのに、大勢の観客の前で役を演じると、不思議な高揚感があった。本当の自分を消して、役になりきる。それがとても気持ち良く感じた。
中学に上がる頃、偶然舞台を観に来ていた今の事務所の社長にスカウトされた。社長の大らかな人柄にも惹かれ、俺は児童劇団を退団すると彼の事務所へ移った。十三歳の時だった。小柴は(当時は小柴さんと呼んでいたが)その当時から俺の一番近くにいて、面倒を見てくれた。そこからかれこれ六年、俺は十九歳になってもまだ、鳴かず飛ばずの自称・俳優止まりなのだった。
「お疲れ。良かったよ」
撮影が終わり、楽屋で着替えていると小柴が入って来た。きっといろんな人たちのところへ挨拶をしに行っていたのだろう。その手には大量の名刺がある。
返事をする代わりに、俺はペットボトルの水を一口飲むと小柴を睨んだ。
「何だ、お前まだ怒ってんのか?」
呆れた顔をしながら小柴が椅子に腰を下ろす。
「……当たり前だ!」
俺は、怒っていた。勝手に撮影の仕事を入れられたことをじゃない。
先週、リオと約束をしていた。朝六時に高校の校門前。必ず行くと約束した。
でも、俺は行くことができなかった。
「そんな怒るなよ。勝手に動画をアップしたのは悪かったけどさ、彼女の顔はちゃんと隠したし。それに、結果的に仕事に繋がったんだから良かったじゃないか」
七月二十日。俺は小柴と数人のスタッフと共に、通っていた高校を訪れた。目的は、イメージ動画の撮影。都内でもいろいろと撮影してみたものの、小柴曰くどれも表情が硬くて自然じゃなかった。もっと、自然な表情を引き出したい。そんなスタッフたちの思惑で、俺は渋々地元へ帰ってきた。学校側の許可を取って、かつての学び舎での撮影会は始まった。
「構えるだろうから、お前にわからないように隠れて撮影するよ」
そう言われた俺は、一人で学校中を歩いた。久しぶりに袖を通した制服はまだサイズがぴったりで、「高校生でも全然イケるぞ」と小柴は笑った。グラウンドや廊下、音楽室に図書館、屋上。最後に、三年の時に使っていた教室へ向かった。自分の席は確か、あそこだったか。記憶を頼りに席に座ると、窓から心地よい風が吹いてきた。小柴たちは一体、どこに隠れて、どうやって撮影しているのだろうか? まるで気配が無い。確かにこれなら、自然な表情が撮れるかもしれないな――。そんなことを思いながら、俺は机に突っ伏して目を閉じた。
そうしていると、懐かしい日々が蘇ってくるようだった。俺は、いつまで経っても売れない自分が不甲斐なくて、次第に学校をさぼるようになっていた。芸能活動をしていることは、友人にも言わなかった。ちっとも活躍していないことがバレてしまうのが、怖かったからだ。この町は良い場所には違いないが、何でも筒抜けになってしまうのは、やっぱり嫌だ。子供の頃から、俺は周囲の声に怯えていた。知らなくてもいいことまで、知ってしまいたくなかった。
どのくらいの時間、そうしていたのだろう。
何かの物音で、俺は目を覚ました。小柴たちが入ってきたのかと思い顔を上げると、目の前には知らない女の子の顔があった。
ぼんやりしながら彼女の顔を見た。スタッフが用意した女生徒役、だろうか?
「そこ、私の席」
ちょっと怒ったように彼女は言った。彼女に促され、机の側面に貼られたネームシールを確認すると、そこには「大澤理央」と書かれてあった。そうか。俺の席じゃない。俺が卒業してからもう二年が経っている。ようやく頭がはっきりしてきた。それよりも。
俺は、彼女の名前に目を奪われた。「リオ」は、ポルトガル語で「川」を意味する言葉だ。ほら、また見つけてしまった――ポルトガルの欠片を。