「おっハロ〜」

「……」

 昼休みのマルチメディア室。

 今日も静まり返った教室に女子の声が響いた。

 振り向いた僕の目に移ったのは、毎度毎度の清野の姿。

 3日連続のダイナミック入室。

 しかし、昨日よりも動揺していないのは、彼女の訪問に慣れてしまったからか。

 クソッ。こんなヤツの訪問に慣れるなんて屈辱すぎる。

「……な、何か用?」

「もしかして作業してるのかなって思って、来ちゃった」

 清野は肩をすくめて、テヘペロと小さく舌を出す。

 その仕草に、一瞬クラっとしてしまった。

 ああ畜生、いちいち可愛いな!

「そういえば東小薗くんって、昼休みが始まったらすぐにいなくなっちゃうけど、お昼ごはんはちゃんと食べてるの?」

「……まぁ」

 僕はポケットの中からカロリーメイトの箱を取り出す。

 それを見て、清野が驚いたような視線を向ける。

「もしかして東小薗くんって、アスリート?」

「……は?」

 なんでそうなる?

「だってアスリートってカロリーメイトを食べてるでしょ? みどりが食べてるのみたことあるし。だから東小薗くんもアスリートなのかなって」

 みどりって、乗富のことか。

 彼女はたしかバスケットボール部だったっけ。小柄なのにバスケ部なんだな〜と思ったけど、ポイントガードをやっていて、チームのエースとかなんとか。

 というか、どうでもいいけど、アスリートは補食としてカロリーメイトを食べてるけど、主食にしてるわけじゃないからな。

 いつも弁当を持参している僕が、今日はカロリーメイトで済ませているのは、できるだけ昼休みの時間をイラスト制作に使いたかったからだ。

 だけど、清野に説明するのが面倒なので壁に貼ってある「飲食禁止」の張り紙を指差した。

「……あ、なるほど」

 それを見て清野は納得してくれたらしい。

 一瞬、「いやいや、カロリーメイト食べてるじゃん」ってツッコミが来るかと身構えたが、そこには気づかなかったらしい。さすが天然。

 そんな清野の視線が、ふと僕の手元に落ちた。

「それって何?」

「あ、え、これ? ペ、ペンタブレット……」

「ペンタ……?」

「え、鉛筆を使ってるような感覚でイラストを描くための機械」

 ペンタブは板タブとも呼ばれているツールで、イラストを描くための必需品なのだ。

 ちなみにこの板タブは学校の備品じゃなく、僕が家から持ってきたものだ。

 携帯しやすい小型のタイプなのでこうして学校に持ち込んでいる。

「へぇ〜、そんな機械があるんだね。なんだかプロっぽい」

「べ、別にプロっぽくなんてない。このくらいのだったら誰でも持ってるし……プロならもっと良いやつ使ってるし……」

 本当は家で姉が使っているような液晶タブレットやタブレットPCを使いたいのだけれど、お金がない。

 さらに、あったとしてもイラストを描いていることは姉にナイショにしているので買うことができないのだ。

「でも、そのペンタコってやつを使ってるってことは、やっぱり作業してたんだよね?」

 ペンタコじゃなくて、ペンタブな。

 心の中でツッコんでから話を続ける。

「ま、まぁ、清野さんのキャラクターを進めようかなって……」

「えっ!? もうキャラデザインしてくれてるの!?」

「う、うん……」

 僕はこの数十分で描き下ろした線画を清野に見せる。

 アタリを元に簡単に描いた線画のラフ絵だ。

 ササッと描いた落書きみたいなものだけど、だいたいのイメージはわかる。

 それを見た瞬間、清野が感嘆の声を上げた。

「すごっ! 結構完成してる! てか、うまっ!」

「で、でも、これは破棄する予定だから……」

「……え? どうして? すごく可愛いのに」

「この他にも2キャラ描いたんだけど、どこかで見たような感じになっちゃって。何ていうか、清野さんらしさがないというか……」

「私らしさ?」

「……あ、いや」

 つい「清野らしさ」とか、口に出してしまった。

 控えめに言って、キモすぎ発言だ。

「ら、らしさっていうのは変な意味じゃなくて……ええと、実は今朝、姉に相談したんだ。それで、そんなアドバイスをもらったっていうか……」

「お姉さん? 東小薗くんって、お姉さんがいるんだ?」

「う、うん。プロのイラストレーターをやってる」

「プロ!?」

 清野の目が爛々と輝く。

「それホントなの!? すっごいじゃん! お姉さんプロのイラストレーターなんだ! あ〜、なるほど〜! だからかぁ!」

「……え? だから?」

「お姉さんがプロのイラストレーターだから、東小薗くんも絵がうまいんだね」

「べ、別に関係ないよ。姉に教えてもらってるわけじゃないし……」

「あ、そうだ。東小薗くんが描いたっていう、別のキャラも見せてくれないかな?」

 次々と話が飛びまくる。なんなんだこいつは。

「まぁ、いいけど……」

 しかし特に断る理由もないので、僕は言われるがまま別の線画のデータを開いた。

「あっ、こっちもすごく可愛い……けど、東小薗くんが言う通り、ちょっと『族長』っぽいかな?」

 族長というのは、猫田もぐらと同じ事務所に所属しているVtuberだ。

 夜な夜な配信で男子リスナーの精力を吸い取っている褐色の「淫魔キャラ」という設定で、見た目は可愛いのに歯に衣着せぬ物言いがウケている。

 先日、清野から「族長みたいな淫魔キャラも良い」という意見を聞いていたし、清野の性格は族長に似ているのでそっちに寄せてもいいかなと思った。

 だけど、僕の中で淫魔キャライコール族長のイメージがデカすぎて、どうしても似た雰囲気になってしまう。

「ん〜、でも可愛いし、私は全然良いと思うけどなぁ……」

「ダ、ダメだよ。やっぱり誰かに似ているっていうのは避けたいんだ。せっかくオリジナルデザインにするんだし、これぞ清野さんっていうデザインにしないと」

 Vtuberのキャラデザインは、絵師にオーダーしなくても専用のサイトで購入することができる。

 既製品なので細かく調整することはできないけど、キャラクターにこだわらないのであれば買うのが一番手っ取り早く活動をはじめられる。

 でも、そういうサービスを利用せずに僕にお願いしてきたってことは、清野もデザインにはこだわりたいと思ったからだろう。

 だったら、少しでもその想いに答えてやらないと。

「……」

 ふと気づくと、清野がじっと僕を見ていた。

「な、何?」

「え? あ、いや……何ていうか、すごく真剣に考えてくれてたんだなって。ちょっと嬉しいな。えへへ」

「……っ」

 恥ずかしそうに笑う清野を見て、僕は地面に穴を掘って埋まりたい気分になってしまった。

 またやってしまった。

 さっきの「清野らしさ」発言に続いて、再びキモすぎ発言だ。

 それに、何を偉そうにキャラデザ論を語ってるんだ。 

 お前は趣味で二次イラストを描いてる、ド素人の趣味絵描きだろ。

 ああもう……死んでしまいたいくらいに死にたい。

「と、とにかく、キャラに『らしさ』が出てない原因はわかってるんだ。僕が清野さんのことを知らなすぎるから」

「え、そうなの?」

 清野は「意外だ」と言いたげだった。

「そ、そそ、そうだよ。だって数日前まで話したことすらなかったんだし。清野さんだって僕のこと、知らないでしょ?」

「……確かにそうだね。東小薗くんにお姉さんがいるってことも今知ったくらいだもんね」

「……」

 僕と清野の間に沈黙が流れる。

 何だか気まずい感じになってしまった。

 しかし、他人を知るって、どうやればいいんだろう。

 顔を見れば、大体の感情はわかる。

 体温を計れば、大体の体調はわかる。

 だけど、他人の中身を知るには何をすればいいのか。

「……あ、そうだ」

 清野がぽんと手を叩いた。

「ねぇ、東小薗くん。今日の放課後って空いてる?」

「え? 放課後? あ、空いてるけど……何?」

「じゃあ、一緒に帰らない?」

「……ヴォ」

 突然の提案に、一瞬で頭が真っ白になった。

「いっ、いい、一緒って、ききき、清野さんと?」

「そっ、そそ、そうだけど?」

「……っ」

 わざとらしく唇を尖らせて僕の口真似をする清野。

 こ、こいつ……っ! 馬鹿にしやがってっ!

 そんな仕草もめちゃくちゃ可愛いから腹が立つ!

「だってほら……この前は東小薗くんに用事があって一緒に帰られなかったじゃない?」

「……あ」

 しまった。つい正直に予定がないことを教えてしまった。

「あの、えっと……」

「まだ君パンのことも話してないし、それに、じっくりお話ししたら少しはわかるかなって。お互いのことさ?」

「……」

 清野が言っていることには一理ある。

 清野と話すことと言ったら、多分、アニメとか漫画とかVtuberとかゲームのことだろうけど、それでも清野らしさというものがわかるかもしれない。

 だとしたら、1回くらい一緒に帰ってみるべきか。

「……わ、わかった」

 これはイラストのためだと自分に念押しして承諾する。

 だけど、ひとつだけ腑に落ちない部分があった。

 清野が口にした「お互いのこと」というセリフだ。

 僕が清野のことを知りたいのはキャラデザのためだけど、どうして清野は僕のことを知りたがっているのか。

 こんな見た目も性格も最悪な僕のことを知ってどうするんだ?

 まさか、弱みを握ろうとしているのか?

「あ、そうだ」

 困惑する僕をよそに、清野がポケットからスマホを取り出す。

「まだ東小薗くんとLINEのID、交換してなかったよね?」

「ラ、LINE!? って、スマホ……の?」

「そ。LINEできればもっとお話できるし、交換しようよ」

「あ、う、お」

「えっ? もしかしてもう交換してた? あれっ?」

 慌ててスマホを確認しはじめる清野。

 いや、してるわけないだろ。

 僕たちは数日前にはじめて喋ったくらいなんだぞ。

「……あ、やっぱりしてなかった。てか、そうだよね。交換してたら毎日アニメとかVtuberのこと話してるもんね」

 清野が小さく舌を出しておどける。

 アニメとかVtuberの話? なんですかそれは。

 やめてください、そんな話を振られたら──めっちゃ語っちゃいそうだから!

「ねぇ、交換しようよ。ほらほら、東小薗くんもスマホ出して」

「……あ、え、はい」

 促されるままスマホを取り出してしまった。

 だが僕はIDの交換方法なんて知らない。

 一応スマホにはLINEは入れているが、登録している相手は業務連絡っぽいやりとりをしている姉や実家の両親くらいなのだ。

 操作方法に四苦八苦していると、清野が「ちょっと貸して」と僕のスマホを奪い、ササッとQRコードっぽいものを表示させた。

 そして僕のスマホに自分のスマホをかざす。

 一瞬「あ、いつも僕の顔に触れてるスマホが清野のスマホにくっついた」なんてキモいことを考えてしまった。

「これで良しっと。はい、スマホ返すね」

「……」

 受け取った僕は固まってしまった。

 トーク画面にこれみよがしに表示されている「ラム」の名前があった。

 図らずとも清野の連絡先をゲットしてしまった。

 喉から手がでるほど欲しいと思ってる男子が星の数ほどいるであろう、清野の個人情報を。

 こうして清野との連絡手段を手に入れてしまった僕は、彼女と一緒に下校イベントを進めることになった。