学校一の美少女がオタク系Vtuberをやっているのは、彼女の絵師(ママ)になった僕だけが知っている

 僕のような陰キャオタクにとって、学校生活は苦痛以外の何者でもない。

 特に、見たくもない陽キャ・リア充共の姿を強制的に見させられる朝と夕方の「登下校イベント」は地獄だ。

 やつらはまるで自分たちが世界の中心であるかのように振る舞っているくせに、中身のないスカスカのテンプレートみたいな会話しかしてない。

 昨日観たドラマがつまらなかったとか、お目当ての女の子にLINEを既読スルーされたとか、今度の土曜日に恋人と映画を観に行くとか。

 ああ、実にくだらない。

 そんな話をして、一体何が楽しいんだろうか。

 というか、こんなクソみたいな強制参加イベント一体誰が作ったんだ。これがゲームだったら、速攻でクソゲー認定されるぞ。

 そもそも、登下校という行為自体が非効率的で時間の無駄だ。

 僕の家から高校まで片道徒歩30分。

 1日1時間、ひと月で約23時間。丸一日無駄にしている。

 実家にいる父はテレワークとかいう制度を使って自宅で仕事をしているらしいし、授業もリモートでやるべきじゃないだろうか。

 もしそうなったら、この無駄な時間を使ってイラストを描きまくれるのに。

「──それでね、この前ラムりんと買い物に行ったときなんだけど」

 そんなふうに毎度のように早朝の強制クソイベントを呪いながら校門をくぐったとき、前を歩く女子たちの話し声が聞こえてきた。

「ま〜た『清野さんのファンなんです』って男が声をかけてきてさ」

 清野さん。

 その名前に反応した僕は、顔を上げて女子たちを見た。

 もしかしてと思ったけど、やっぱり僕のクラスの陽キャ女子たちだった。

 喋っている背が小さい女の子が乗富みどり。

 その右隣にいる、ちょっとギャルっぽい女の子が三星夏恋。

 そして──乗富の左にいる「ラムりん」と呼ばれた女の子が、学校一の美女と名高い清野《きよの》有朱《ありす》だ。

 どうやら清野が街で男にナンパされたという話をしているらしい。

 まったくもって、陽キャ共のつまらん話だ。

 そんなクソみたいな話に興味は無いし、「昨日の件」があったので清野とは顔を合わせたくなかった。

 だから、できるだけ近づきたくなかったんだけど、わざとらしく距離を取るのもなんだか負けたみたいで癪なので、気配を消したまますぐ後ろを歩くことにした。

「まぁ、私もファンなら仕方ないなって思ったの。でもその男、『これから一緒にカラオケ行かない?』とか言い出してさ。おいおい、お前ファンのくせにライン越えるんかいって思うじゃん? だから、あたしがラムりんの代わりに優しく断ろうと思ったわけ。したらラムりん、その男を自分でバッサリ斬り捨てちゃってさ」

「え? マ?」

 ギャル三星の驚いたような声。

「ラムりん、チョクで言っちゃったの?」

「そ。塩対応で一蹴よ」

「ちょっとみどり、言いがかりはやめてよ」

 おっとりとした清野の声が乗富たちの会話に割って入る。

「全然塩対応じゃなかったから。私はちゃんと優しい言葉で断ったでしょ」

「あ〜はいはい。確かに優しかったよ、口調だけはね。でも、『どこのどなたか知らないですけど、あなたには興味のかけらもないので、声をかけてこないでもらえます?』って、優しく言ったところで意味ないでしょ」

「意味なくない。だってマネージャの蒲田さんから言われてるのは『嫌だと思ったら角が立たないようにはっきりと断って』だもん。私の言葉に角は無かった」

「角は無いって、や、たしかに見た目は丸い感じするけど、どう考えても鉄球レベルじゃん。ナンパ野郎を撃退したいなら、投げつけるの生卵レベルで十分だから」

「……」

 突然訪れる静寂。

 どうしたんだろうと思ってちらっと清野を見たら、首をかしげていた。

「……どゆこと?」

「いや、まんまの意味だけど?」

「ていうか、みどりってさっきから『斬り捨てた』とか『鉄球投げた』とか何を言ってるの? 私は誰も斬ってないし、鉄球も投げてないよ? 初対面の人にそんなことしたら、怒られるじゃん」

「は?」

「え?」

 ほわほわほわ〜。

 後ろから聞いていてもわかるくらいに、清野からふわっとした空気が溢れ出している。

 初対面であろうとなかろうと、そんなことしたら怒られるどころか捕まっちゃうと思うけど。

 いや、ツッコミどころはそこじゃないんだけどさ。

「てか、斬ったとか投げたとかどうでもいいけど」

 そんな清野の天然っぷりを見かねてか、三星が尋ねる。

「リアルにラムりんの事務所的に大丈夫なの? 推しにそんな対応されたらファン辞めますレベルだと思うけど」

「大丈夫。声をかけてきた男の人、すっごく感激してたから」

「え、推しに塩対応されたのに喜んでたの? 何それ怖い」

 ドン引きした三星に、乗富が補足する。

「それがさ〜、その男『俺、清野さんに話しかけられたっ!』って喜んでたんだよね」

「あ〜、なるほど色眼鏡で見られちゃった系か。さすが芸能人だわ。何を言ってもポジティブに受け取られるって、無敵じゃん」

 ケラケラと笑う三星。清野は乗富に「ほら、喜んでたんだから、どう考えても神対応じゃない」とドヤ顔をするが、呆れたような目を向けられていた。

 三星が口にした「芸能人」という表現は、誇張でもなんでもない。

 日本人とイギリス人のハーフである清野は高校生活の傍ら、モデルや女優といった芸能活動をしている文字通りの芸能人なのだ。

 僕が調べた情報では、清野は中学時代に女性ファッション誌のオーディションに応募し、グランプリのひとりに選出されたらしい。

 それから雑誌やファッションショーにモデルとして出演し、近々テレビドラマにも出演するとか。

 実際、清野にはファンが多いし、学校でも彼女とお近づきになりたいと考える男子が、あの手この手で声をかけている。

 その度に、天然系切り返し術で一蹴しているみたいだけど。

「……というか、どうでも良いだろそんなクソ情報」

 つい、ボソッとひとりごちてしまった。

 一応言っておくけど、ネットで清野ことを調べたのは彼女に興味があるとか、そういう下心があったからではない。

 これは「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」というやつなのだ。

 戦いにおいて、敵を知ることはとても重要なこと。

 そう。陽キャどもの総大将的存在である清野とは、いつか拳で語り合わなければならない。それが僕のアイデンティティを確立するために必要なことで、避けては通れない必定の流れで──。

「……あ」

 などど厨二っぽいことを悶々と考えながら昇降口に入ったとき、清野が僕のほうを振り向いた。

 ばっちりと目が合ってしまった瞬間、ドキッと僕の心臓が跳ねる。

 そんな僕を見て清野はかすかに頬を緩めると、ぱっと正面を向いた。

「……あ〜ゴメン、私ちょっとトイレ。みどりたちは先に教室行ってて?」

「りょ〜」

 乗富たちは教室に向かい、清野はトイレがある逆方向に消えた。

 それを見てホッと胸をなでおろす。

 ああ、よかった。

 一瞬目が合ったように思えたのは気のせいだったのか。

 またあいつに絡まれたら大変なことになる。

 昨日の出来事を思い出して軽く身震いをしてしまった僕は、気を取り直して靴を履き替えようとしたのだが──。

「どっじゃ〜ん」

 妙な効果音と共に、清野が下駄箱の裏から現れた。両手を広げて肩をすくめた外国人の「分からない」ジェスチャーっぽいポーズで。

「……」

 僕は靴を片手に固まってしまった。

 改めて間近で見ると、清野はとてつもない美人だと思った。

 色白の肌。

 すっと通った鼻筋。

 少し垂れ気味の大きな宝石のような目。

 スカートから伸びるすらりと伸びた白い足。

 そして、軽くウエーブがかった黒く長い髪は、鏡のようにつやめき輝いている。

 着ているのは代わり映えのしない学校指定のブレザーのはずなのに、一流デザイナーが仕上げた衣装のように思えてしまう。

 それも、清野の日本人離れした雰囲気が為せる技か。

「……あの〜、東小薗《ひがしこぞの》くん? できれば何か反応して欲しいんだけど」

 無反応の僕を見て恥ずかしくなったのか、清野が少しだけ頬を赤く染めた。

 僕はハッと我に返る。

「あ……ごごご、ごめん。ええっと、お、おおお、おはよう」

「うん、おはよ」

 清野がススッと僕のすぐ横にきて、ひょいと顔を覗き込んでくる。

 彼女の絹のような綺麗な髪が、サラッと肩から一房、落ちた。

「今日は早いんだね」

「そ、そうだね。き、きき、昨日は夜ふかししてないから」

「知ってる。だって、東小薗くんのツイッターに新作上がってなかったもん」

「……っ!?」

 危うく下履きを落としそうになってしまった。

 まさか清野、僕のツイッターを見てるのか!?

 てか、どうやって調べた!?

 まさか、情報を金で買ったとか!?

 芸能人の清野ならあり得そうだから怖い。

「それで、新しいイラストはいつ上げる予定なの?」

「え? た、多分、明日くらい……かな」

「じゃあ今日の昼休みもマルチメディア室で描くんだ?」

「そ、そそ、そのつもり、だけど」

「そっか。イラスト上げたら教えてね」

「は、はい」

 ふと、周囲からの視線を感じた。

 他のクラスの女子たちが好奇の眼差しを僕たちに向けていた。

 そういう反応をされて当然だろう。

 方や芸能活動をしている学校のアイドル。方や中学生と間違われるくらいに背が小さく、存在感も皆無の陰キャオタクなのだ。

 人前で僕なんかと話していたら、清野の価値が下がってしまう。

 清野は僕の宿敵だが、そんなことで彼女を貶めるのは本望ではない。

 陽キャの女王たる清野を正面きって倒してこそ、僕の未来があるのだ。

 僕は努めて「清野が声をかけてきたのは日直の業務連絡です」的な空気を放ちながら、ササッと上履きに履き替えて足早に立ち去ることにした。

 しかし、清野は僕の動きを読んでいたかのようにぴったりと横に付いてきていた。

 流石にギョッと目を見張ってしまった。

「な、なな、何? まだ何か用……なの?」

「ん? 用事っていうか、ちょっと東小薗くんとお話したくて」

「おっ、お話? ぼぼ、僕と?」

「そ」

 清野はそっと僕の耳元に顔を近づける。

「……私、やっぱり東小薗くんにシて欲しいんだよね」

「ぶふぉ」

 その含みのあるセリフを耳元で囁かれた瞬間、キモい声で吹き出してしまった。
 清野は別にやましいことをしようと僕に持ちかけているわけではない。

 それはよくわかっているのだけれど──つい変な想像をしてしまう。

 言っておくが、僕は何も悪くない。

 女の子に耳元で「シて欲しい」だなんて言われて、エッチな想像をしないほうがどうかしてる。

「あれ? どうかした?」

 清野が囁くように尋ねてくる。

 彼女を直視できなかった僕は、視線をさまよわせながら答えた。

「あ、ええと……シ、シて欲しいって……昨日僕にお願いしてきた『あの件』のこと……だよね?」

「え? そうだけど?」

 きょとんとした顔で僕を見る清野。

 しかし、すぐに何かに気づいて次第に頬をほころばせていく。

「あ〜、もしかしてエッチな想像しちゃった?」

「……っ!? そっ、そそそそ、そんなこと、考えてない……っ!」

「そう? でも、顔真っ赤だよ?」

 クスクスと肩を震わせる清野。

 こ、こいつ……っ! まさか僕を辱めるためにワザと意味深発言をしたんじゃないだろうな!?

 くそっ! 天然のくせに猪口才なことを!

「でも真面目な話、昨日言ったことは本気なんだよ。真剣に東小薗くんにやってほしいって思ってる。だって、こんなこと東小薗くんにしか頼めないもん」

「……」

 そこに関しては納得してしまった。

 確かに、清野の「あの秘密」が世間に広まってしまえば、芸能人・清野有朱のブランドが著しく傷ついてしまうかもしれない。

 まぁ、僕からしてみれば許容範囲だとは思うのだけれど、世間がどう反応するかはわからないし、変なことで炎上してしまうこともある。

 とはいえ、二つ返事で了承することなんてできないけどさ。

「だから東小薗くん……改めて、お願いします」

 深々と頭を下げる清野。

 そんな彼女に「できるわけがない」の言葉をぶつけようとしたが──。

「……でっ、でっ、できる……だけ善処……します」

 無理でした。

 こういうときにはっきりと断れないのが、小心者・東小薗《ひがしこぞの》聡《さとし》という人間なのだ。

 でも、よくよく考えると「善処します」という返事は、良かったかもしれない。

 善処の結果として「なんとか頑張ってみたけど、やっぱり受けられないわ〜」ということもあり得るのだから。

「……え? ゼンショ? どゆこと?」

 しかし、清野は理解できなかったらしい。

 まさかこいつ、善処の意味を知らないのか?

「あ、えと……き、期待に答えられるように前向きに検討しますって意味で……」

「え、ホント? ありがとう!」

 清野が嬉しそうににっこりと微笑む。

 心臓をわしづかみされたような感じがした。

 こいつは自分の可愛さが周りに与える影響を理解していないふしがある。

 そんな童貞を殺しかねないヤバい笑顔を向けられたら、寿命が10年くらい縮んでしまうだろ。

「ねぇねぇ、東小薗くん」

 そんな僕の心境を察することなく、清野が続ける。

「それで、描いてもらうキャラだけど、どんな見た目がいいかな? 私は『もぐらたゃ』みたいなケモミミは必須だと思うんだけど、どう? 『族長』みたいな淫魔でもいいけど『君パン』の『かすみたん』みたいな清楚な見た目も捨てがたいよね」

 目を爛々と輝かせながら、マシンガンのようにまくしたてる清野。

 というか、なんで意気揚々と話を進めているんだ。

 さっきの「ホント? ありがとう!」の時点で、勘違いされてそうな反応だな〜とは思ったけど、やっぱり「善処する」の意味を理解してないだろこいつ。

 一応説明すると、「もぐらたゃ」と「族長」いうのは、Youtubeで活躍しているバーチャルYoutuber……いわゆる「Vtuber」の名前だ。

 特に「もぐらちゃん」こと「猫田もぐら」は今年のYoutubeスーパーチャット世界ランキングで2位を取るくらいの大人気Vtuberだ。

 ちなみにもぐらちゃんは僕の最推しVtuberで、彼女が活動を始めたばかりの頃からずっと追いかけている。

 そして「君パン」というのは、最近ネットのオタク界隈で話題になっている深夜アニメ「君のパンツの色を当てさせて」のことだ。

 作画、キャラ、世界観、物語と、全てが神がかっているまさに神アニメ。

 深夜枠ということもあって少々過激な表現があるのも評価できる。

 何を隠そう、僕も君パンは今季アニメで一番推していて、毎週欠かさずチェックしている。

 というか、清野の口から「もぐらちゃん」や「君パン」の名前が出てくるのが、未だに信じられない。

「き、清野さんって、本当に君パンが好きなんだね」

「うん、大好き……なんだけど、今朝は寝坊しちゃって昨日放送された第5話を3回しか観れなかったんだよね。ガチファンなら5回は見るのが普通でしょ?」

「え? あ、そ、そう……だね」

 勢いに乗せられて肯定してしまったが、僕は1回しか観てない。

 清野を見ていると、ひょっとして僕はにわかファンなのだろうかと不安になる。

 教室に近づき、クラスメイトたちの姿もちらほらと目に付き始めた。

 これ以上、清野と一緒にいると変な目で見られてしまうかもしれない。

「じゃ、じゃあ、僕はちょっとトイレに行ってくるから……」

「うん、わかった。じゃあ後で……って、そうだ。今日、一緒に帰らない?」

「ほえっ!?」

「だってほら、昨日の君パンとか、東小薗くんに描いてもらうキャラのこととか話したいし」

「あ、そ……今日は……ちょっと……用事が……」

 というのは嘘で、実際は何の予定もない。

「あ〜、そっか。残念。用事があるなら仕方ないね。また今度一緒に帰ろ?」

「……は、はい」

「それじゃあ、先に教室行ってるね」

 清野はまるで聖女のような慈しみが溢れる笑顔を浮かべ、手をひらひらと振る。

 僕は颯爽と歩いていく清野の背中を見て、現実味がないと思った。

 学校一の美少女と名高い芸能人・清野と、キングオブ陰キャの僕がまさかこんな関係になるなんて。

 実はオタクな清野は、周囲にナイショでVtuber活動をしようとしている。


 そして──そのことを知っているのは、彼女に「絵師《ママ》になって欲しい」と頼まれた僕だけなのだ。
 僕が通っている「私立天津(あまつ)高校」は100年の歴史がある学校だが、伝統を大事にしつつも最新の教育機器を多数導入している。

 例えば各教室には大型ディスプレイとネットワーク環境が完備されているし、中央館にある「マルチメディア室」には、超高性能パソコンが設置されている。

 さらに、そのパソコンにはプロが使うようなアプリがインストールされているからすごい。

 画像編集アプリに映像編集アプリ。おまけに音楽制作用のDTMアプリまで。

 そのどれもが個人で使おうとすれば月々数千円はかかってしまうものばかりだ。

 そんなアプリを一体何の授業で使うんだと首をかしげてしまうけれど、「マルチメディア室利用申請書」を提出するだけで自由で使えるのだから、創作者として使わない手はない。

 というわけで僕は、昼休みになるとマルチメディア室にやってきて、趣味のイラスト制作に没頭する日々を送っている。

「……はぁ」

 昼休みのマルチメディア室に、僕の重〜い溜息が浮かんだ。

 パソコンの画面には、描きかけのVtuber「猫田もぐら」の二次創作イラストが表示されている。

 中学校の頃から趣味で描いている二次創作イラストだが、描き始めたきっかけは姉の存在だった。

 5つ年上の姉は、ソシャゲのイラストやラノベの挿絵なんかを描いているプロのイラストレーターなのだ。

 そんな姉に影響され、定期的に大好きなアニメキャラやVtuberのイラストを描いてツイッターにアップしている──のだけれど。

「……はぁ」

 本日、2回目のため息。

 今日はなんだかモチベーションが上がらなかった。

 その原因は明白だ。

 昨日の放課後に続き、今朝も絡んできた清野のせいだ。

 清野《きよの》有朱《ありす》。

 フルネーム、清野有朱ラムリー。

 有朱がミドルネームで、仲のいい友人からは「ラムりん」と呼ばれている学校のアイドル。

 クソ。なにがラムりんだ。

 アニメキャラみたいな名前をしやがって。

 それだけで腹ただしいのに、顔もアニメキャラみたいに可愛いときてる。

 さらに実はアニメ・ゲーム好きのオタクだったなんて……存在が最強すぎるだろ。

「あっ! もぐらたゃだ!」

「……っ!?」

 突然背後から声がして、危うく椅子から転げ落ちそうになってしまった。

 慌てて振り向いた僕の目に写ったのは、ゆるふわウエーブヘアに、おっとりとした目の女子生徒。

「き、清野……さん!?」

 僕の後ろからパソコンを覗き込んでいたのは、清野だった。

 この女、またしても僕の聖域たる昼休みのマルチメディア室に土足で踏み込んできやがったのか。

「もしかして、これが朝に『明日くらいに上げる』って言ってたイラスト!?」

「え、あう、そ、そう……だけど」

「ヤバい! もぐらたゃを描いてたんだ! ブチ上がる! 控えめに言って最高すぎるんですけどっ! きゃたわんでつらみあるっ!」

 きゃわた……? え? なんだって?

「東小薗くんって、やっぱり神絵師じゃん! 可愛すぎてヤバいし、国家権力で取り締まる必要があるくらい大事件! こんな絵が描ける神絵師が近くにいたなんてホントありえない! というか、なんでこんな最高のイラスト描けるの? もしかして本物の神!? 神なの!? ねぇ、どこに課金すればいい!?」

「……」

 大興奮の清野を前に、返す言葉を失ってしまった。

 こんなハイテンション腐女子っぽい清野を見たことがある人間なんて、この世界に
何人いるのだろうか。もしかすると彼女の親友である乗富や三星ですら見たことがないのでは。

 モデルをやっている芸能人の素顔を知っているというのは、なんとなく優越感があるけど……実に猫に小判感がハンパない。

 そういう素顔は陰キャオタクの僕じゃなく、陽キャ男子たちに見せてあげたほうがいいんじゃないでしょうか。

 ──とはいえ、だ。

 正直、僕のイラストを見て、こんなに喜んでくれるのは嬉しい。

 イラストを描くのは好きだけど苦労がないわけじゃないし、描いてて良かったなってしみじみと思う。

「……いやいや、待て待て」

 僕は何をバカ正直に喜んでるんだ。

 相手は僕の聖域に勝手に入ってきた「侵入者」なんだぞ。

 ちょっと可愛くてオタク属性だからって、特別扱いする必要はない。

 こいつは万死に値する怨敵!

 そら、辛辣な言葉で斬りつけて泣かせてやれ!

「あ、あの……何か用……ですか?」

 ──とかかっこよく心の中で言ってはみたものの、口に出してを言えるわけがないので、精一杯視線で威嚇した。

「え?」

 清野はキョトンとした顔をする。

「何って、もちろん東小薗くんが描いてくれる私のVtuberキャラの打ち合わせだけど?」

 今度はこっちがキョトンとする番だった。

 僕がVtuberキャラを描く?

 そんなこと、言ったっけ。

「ほら、今朝、昇降口で話したときに言ってたでしょ? ゼンショがどうとか」

「ゼンショ……あ」

 そこでようやく思い出した。

 清野に天然で「善処」を過大解釈されたことに。

「か、か、描くとは言ってないから! けけけ、検討するって言ったんだよ!」

「……あっ、ごめんね」

 清野はっと何かに気づき、小さく頭を下げた。

 それを見て、僕はホッと胸をなでおろす。

 ああ、良かった。ようやくわかってくれたか。

 これで僕の昼休みの安寧秩序は守られる。

 そう思ったのだが──。

「打ち合わせとか言ったけど、主な目的は東小薗くんの神イラストを生で見て心を浄化したいと思ったからなんだよね。えへへ、バレちゃったかな?」

 バレちゃったかな? じゃねぇよ。人の話を聞け。

 というか、「心の浄化」とかオタクみたいなことを言うんじゃない……と思ったけど、清野はオタクだった。

 未だに信じられないけど。

「はぁ〜……」

 描きかけのもぐらちゃんが映っているモニタを見て、本当に幸せそうに恍惚とした表情をする清野。

「でも、こんな可愛いもぐらたゃを拝めるなんて、みどりの『お昼ごはんの唐揚げおすそ分け攻撃』に負けなくてよかったな〜。幸せの奔流に流されそう。はぅう……最も高い……」

「……」

 つい、その横顔に釘付けになってしまった。

 なんか清野が僕のイラストを見て、エロい顔してる。

 悔しいけど……たまらん。これだけでご飯3杯はいけそうだ。

 しかし──と、そんな清野のエロい横顔を見て改めて思う。

 なんで僕なんだろう?

 どうして何の接点もなかった僕なんかに、Vtuberキャラのイラストをお願いしてきたのだろうか。

 それに──どうして芸能人の清野がVtuberをやる必要なんてあるのか。

 僕はこうなってしまった経緯に思いを馳せる。

 元を辿れば、昨日、僕と清野が日直だったことがすべての始まりだった。

 そのせいで、清野は昼休みに僕がいるマルチメディア室にやってきたのだ。

 日直は特別教室の鍵を管理することになっている。それで清野は、5時限目の化学の授業で使う化学室の鍵を僕が持っていると思って探していたらしい。

 僕はクラスに友人と呼べる相手がいない。だから、昼休みに僕がどこで何をしているのかを知っているクラスメイトは皆無だ。

 それで清野が担任の増山先生に僕の居場所を知らないかと尋ねたところ、マルチメディア室の利用申請書があった……というわけだ。

 本当に最悪だった。

 いつかは誰かに僕がイラストを描いているところを見られるだろうとは覚悟していた。だけど、まさか「君パン」の藤堂かすみ、通称「かすみたん」を描いていたときに見られてしまうなんて。

 君パンは今季の覇権アニメとして名が挙がっているが、その要因のひとつとして挙げられているのが過激描写……つまり「エロ」だ。

 その過激っぷりからテレビではモザイクがかけられていて、モザイク無しバージョンが観られるサブスク型の動画配信サービスにファンが殺到しているらしい。

 そんな過激な君パンの二次創作イラストなのだから、もちろんエロい。

 案の定、マルチメディア室に現れた清野は僕の絵を見た瞬間、氷みたいに固まってしまった。

 あ、これは死んだなと思った。

 このことをきっかけに、乗富をはじめとする陽キャ女子メンたちの中に「東小薗が昼休みにエロい絵を描いてハァハァしていた」なんて噂が広まり、陰湿ないじめを受けることになるんだと確信した。

 だけど──はっと我に返った清野は、予想だにしなかった言葉を口にした。

「ちょっと待って、それ、君パンのかすみたんだよね!? 東小薗くんが描いたの!? 嘘でしょ!? 東小薗くんって、絵が描けるの!?」

 清野が僕の名前を知っていることに驚いたが、それよりもイラストを見てドン引くどころか目を爛々と輝かせていたことにビビった。

「え、え、え!? 待って待って、普通にメチャうまいんだけど! てか、かすみたん!? なんで学校のパソコンにかすみたんがいるの!? 無理無理! 心臓が破裂するレベルで可愛いっ! けしからん! これはけしからん案件ですよ! はわぁああああっ!?」

 テンションが上がりすぎて、もはや悲鳴に近い奇声を発し始める始末。

 一方の僕は、目の前で一体何が起きているのか理解不能だった。

 こういうとき、一般的な陽キャが返すべき言葉の模範解答は「うわっ、こんなとこ
ろでひとりでそんなもの描いてたんだ。キモっ(笑)」じゃないのか。

 何から何までイミフすぎる。

「……ねぇ、東小薗くん」

 とにかく、清野に妙な反応をされて困惑した僕だったが、更に放たれた彼女の言葉でとどめを刺されることになる。

「ちょっとお願いがあるんだけど」

「は? え? お、お願い?」

「うん。あのね、ちゃんとお金は払うからさ……私のママになってくれない?」

「…………はい?」

 つい、素っ頓狂な声で聞き返してしまった。

 しかし、僕はすぐに理解する。

 ああ、これはきっとお金を介する大人の関係(詳しくないけど、多分ママ活的なもの)を申し込まれたのだと。
「……そういえば、昨日は変なことを言ってゴメンね。いきなり『ママになって』だなんて言われたら混乱しちゃうよね」

 昼休みのマルチメディア室。

 ようやく僕が描いたもぐらちゃんへの興奮がおさまった清野は、昨日のことを思い出して少し恥ずかしそうに笑った。

 僕は慌ててかぶりをふる。

「い、いや、ぼぼ、僕もごめん。その、いきなり逃げたりしちゃって……」

 つい僕も頭を下げてしまった。

 昨日、清野にママ活的なものを申し込まれたと思った僕だったが、話を聞けば「ママ」というのはVtuberの絵師のことを指していたことがわかった。

 Vtuber界では、キャラのイラストや3Dモデルを作った制作者に感謝と敬意を込めて「絵師《ママ》」と呼ぶことがあるのだ。

 つまり、昨日清野はママ活を申し込んできたのではなく「自分のVtuberのキャラを作ってくれ」と頼んできたのだ。

 まぁ、それがわかったところで意味不明だったので、「いや、無理です」と答えて脱兎のごとく逃げてしまったんだけど。

「ううん、平気。私って説明下手だから、うまく意味が伝わらなかったかもだし。昨日言った『ママ』っていうのは、Vtuberの絵師とか製作者のことでね」

「そ、それはわかってる。だって、僕もVtuber好きだし……」

「あ……そっか。そうだよね。すっごく可愛いもぐらたゃを描いてるもんね。東小薗くんのもぐらたゃ、ラブみが深くてつらい」

 にんまりと笑顔を覗かせる清野。

 うっ、眩しくて直視できない。

「あ、あの……そもそもだけど、なんで僕なの?」

「……え?」

「ぼ、僕にイラストをお願いする意味がわからない。だって、清野さんがお願いすれば、描いてくれる人なんて他にもたくさんいるだろうし」

 清野は僕と違って交友関係も広いし、なんたって芸能人なのだ。やろうと思えば、姉のようなプロのイラストレーターにお願いすることもできるはず。

「ん〜……」

 清野は指を顎に添えて少し考え、あっけらかんとした表情で言う。

「簡単に言えば、一目惚れかな?」

「ひっ、一目……っ!?」

「そう。昨日見た東小薗くんのかすみたん、ほんと激カワだったし、原作への愛も溢れてた。だから、東小薗くんならわかってくれるかなって思ったんだ」

「わ、わかる? ……って、何を?」

「私がかすみたんへ向ける、惜しみない愛だよ。私、Vtuberになってかすみたんへの愛をぶちまけたいんだ」

 清野がキリッとした真面目顔で続ける。

「私ね、最初はかすみたんって酷い女だと思ってたの。だって、主人公のヒロくんに対して『どうしようもないクズね』とか言ったりしてたし。でも、実はヒロくんに対してどう接していいか解らないだけだったのが2話の放課後シーンで判明するでしょ? あそこで『あっ、かすみたんエモい』って思って、それからかすみたん推しになったんだよね。それで神回の3話が来るじゃん? 『私のパンツの色を当ててみてよ』のシーン、あそこは笑ったよね。でも、あれはかすみたんなりの精一杯の歩み寄りだってわかって、泣いちゃったんだ」

「……」

 聞いたこともないくらいの超絶早口でまくしたてる清野。

 なんだそれは。

 そんなこと──痛いほどわかるじゃないかっ!

 そう! それがかすみたんの素晴らしさなのだ!

 素直になりたいけど、素直になりきれないもどかしさ。

 ツンデレのギャップ萌え。

 応援したくなる純粋さ。

 それが藤堂かすみという激萌えキャラクターなのだ!

 クソっ。悔しいけど、認めざるを得ない。

 薄々感じてはいたけど、やはりこいつは人気取りの「ファッションオタク」じゃなく、沼にハマった正真正銘のオタクだ。

「それでね、東小薗くんに描いてもらいたいキャラなんだけど、やっぱりかすみたんみたいなちょいエロの清楚キャラもいいかなって思って──」

「ちょ、ちょっと待って」

「……あ、かすみたんっぽいのを描くのはやっぱりファンとして無理かな? でも、その意見もわかりみ強い」

「い、いや、そういうんじゃなくて、な、何ていうか……ど、どうして清野さんはVtuberになりたいって思ってるの?」

「……どうして? やりたい理由ってこと?」

「そ、そう。だって、清野さんはモデルとかやってるし、普通に顔出ししても平気なんじゃ?」

 むしろ顔出しのほうが良いまである。

 なにせ清野はモデルもやっていて近々テレビドラマにも出演する、まごうことなき芸能人なのだ。

 ありのままの自分を語れる「強い人間」が、キャラをかぶって配信する必要なんてないと思うのだけど。

「ん〜、顔出しは無理かな……」

 清野はとても残念そうに眉根を寄せる。

「だってそういうの、マネージャの蒲田さんから禁止されてるし」

「き、禁止? ネット活動は禁止ってこと?」

「ネット活動じゃなくて、オタク系の発言がNGなんだ。事務所の意向で清楚で淑やかなイメージで売り出してるからね」

 清楚で淑やかなイメージ。

 つまり、清野の見た目から受ける印象でキャラ付けしてるってことか。

 確かにそういうキャラで売り出すのであれば、オタクというイメージはマイナスになるかもしれない。

「まぁ、清楚キャラを演じるのは仕事として割り切ってるからいいんだけど、好きなものを好きって言えないのってストレスじゃない? だから、顔を隠して自分をさらけ出せる場所が欲しかったんだ」

「顔を隠して……自分をさらけ出せる……」

「そうそう。それに、自分が可愛いキャラクターになれるってのも最高だし」

 意外だと思った。それは僕がイラストを描いてツイッターにアップしている理由と同じだったからだ。

 姉の影響で絵を描き始めたけど、プロの姉に「イラストを描いている」なんて言えないし、実家にいる両親にも話していない。

 好きなものを好きだと語れるのは、陽キャのような批評をものともしない「強い人間」だけなのだ。

 僕のような陰キャオタクは、好きなものを語る勇気も資格もない。

 だけど、顔を隠せるネットの世界なら好きなものを好きだと堂々と言うことができた。

 そして──僕の好きなものを見て、「自分も好きだよ」と言ってくれる人を見つけることもできた。

 清野は言う。

「どんな形であっても、たとえ少数だったとしても、自分の好きなことに共感してくれる人がいるってわかったら、なんだか救われたって感じがしない?」

「する」

 つい即答してしまった。

「あ、いや……」

「……東小薗くんならそう言ってくれるって思ってた」

 清野は嬉しそうに笑ってから、もぐらちゃんが映っているモニタに視線を送る。

「でも、私はイラストなんて描けないし、パソコンのこともよくわからない。だからイラストも描けてパソコンにも詳しそうな東小薗くんに手伝って欲しいなって思ったんだ。あ、もちろん私も一緒にやるし、ちゃんとお礼はするよ? だからさ、東小薗くん」

 清野は姿勢を正して、深々と頭を下げる。

「お願いします。私のママになってください」

 痛いほどの静寂が、マルチメディア室に広がる。

 廊下の向こうから、生徒たちの笑い声がかすかに聞こえる。

 正直なところ、葛藤していた。

 清野は僕が嫌いな陽キャ・リア充の代表格だ。

 好きなものを好きと言えるだけではなく、夢を掴んだ無敵で最強のボスキャラ。

 ──だけど、それは僕の思い過ごしだったのかもしれない。

 彼女も僕と一緒で、好きなものを好きと言えない側の人間だった。

「……わかった」

 だから僕は、はっきりと言った。

「オリジナルキャラは描いたことがないし、Vtuberのやり方とか詳しくないからうまくできるかわからないけど、頑張ってみる」

「……ホント?」

「うん、清野さんのママになるよ」

「ありがとうっ! すごく嬉しいっ!」

 まるで花が咲いたように、ぱぁっと清野の顔に笑顔が広がる。

「それでね! それでね!」

「……っ」

 清野が前のめりになって顔を近づけてくる分、椅子ごと後ずさりしてしまった。

「ええっと……やっぱり東小薗くんに投げっぱなしじゃ悪いかなって思って、私もVtuberのこと、色々と調べてみたんだよ!」

「し、調べた……?」

 少し驚いてしまった。

 頼むだけじゃなくて自分でも調べるなんて、本気なんだな。

 ──と思ったが。

「そしたらね、やっぱりもぐらたゃが一番可愛いなって!」

「……いや、調べたって、それ?」

 思わずツッコんでしまった。

 どうせなら、やり方とか技術面を調べろよ。
 僕の朝はパソコンを起動するところからはじまる。

 そこでやるのは、寝る前に描いたラフ画や塗りのチェック、完成したイラストをツイッターにアップするなどの軽作業だ。

 特にチェックは毎朝の重要な作業のひとつでもある。

 一晩寝かせることで新たに気づく部分は多いし、下塗りの塗り残しがあると後で面倒なことになるので頭が冴えている朝にやることにしている。

 そういうわけで、いつも朝6時に起きて7時までイラストをやって、そこから朝食を作ってササッと食べる。

 その後、着替えをして洗濯機を回して、8時に家を出て憂鬱になる登校イベントに参加する……というのが毎朝のルーティンだ。

 どうして僕が朝食を作ったり洗濯機を回したりするのかと言うと、一緒に住んでいる姉の(りん)とそういう約束をしたからだ。

 僕は今、実家の西東京を離れ、姉とふたり、都内で暮らしている。

 どうして姉と? と思う人も多いだろう。

 姉が住むマンションが学校から近かった、というのがもっともらしい理由だけど、一番の理由は別のところにある。

「……これでよし、っと」

 しっかりと「猫田もぐら」のタグが入っているか確認して、パソコンの画面に表示されているツイートするのボタンをクリックした。

 わずかな沈黙の後、ツイッターのタイムラインに、僕が描いた猫耳少女のイラストが表示される。

 昨日仕上げたVtuber「猫田もぐら」の二次創作イラストだ。

 ピンクのロングヘアー&猫耳の清楚な美少女。

 目尻が少し下がってちょっとほんわかとした雰囲気があるのは、彼女の性格をうまく表現しているデザインだと思う。

 うん、本当に可愛い。

 可愛いものを見るとパワーが湧いてくる。朝にもぐらちゃんの可愛さを吸収する「朝もぐ」は、日本国民の義務にするべきだと強く思う。

 そんなふうに彼女の可愛さを吸収してからパソコンを落とし、リビングへと向かった。

 姉が借りているマンションは無駄に広い。

 多分、家族で住むための部屋なんだと思う。部屋数は多いし、なによりキッチンがでかい。

 今日の朝ごはんは、ツナマヨエッグのトーストにするつもりだ。

 食パンの上にツナマヨであえたスーパーの千切りキャベツをのせて、半熟卵を落とす。

 それをふたり分用意して、トースターに入れようとしたところで携帯が鳴った。

 どうやら、さっきアップしたもぐらちゃんのイラストに「らぶりつ」がきたらしい。いいねとリツイートのダブル評価をしてくれたのは、「フレールマニア」さんだった。

 いつも僕のイラストに最初に反応してくれる、数少ない僕のファンのひとりだ。

「……ん〜、今日も愛弟のラブみを感じるわ」

 フレールマニアさんに心の中で感謝の意を伝えていると、姉がリビングに姿を現した。

 昨日と同じ、ノーブラキャミソール&パンツという超絶だらしない格好で。

 キャミソールの片方がずり落ちて、今にも胸が見えそうになっている。

 それを虚無の心で見る僕。

 弟の僕が言うのもアレだけど、姉は確実に美人の部類に入ると思う。スタイルは良いし、顔の造形も整っている。

 だけど、残念なことにそのすべてがこのだらしなさで相殺されている。

 そう。姉はだらしないのだ。

 それも普段の生活に影響が出る壊滅的なレベルで。

 僕が一緒に住みはじめて少しはマシになったけど、以前は想像を絶する酷さだった。洗濯物は一ヶ月近く放置されていたし、ベッドの上にまでゴミが散乱していた。

 おまけに「最後に口に物を入れたのは2日前」というのが普通で、部屋には冷蔵庫すらなかった。

 お金は持ってるのだから家政婦的な人を雇えばいいのにと思うけど、姉曰く、「そういう人を雇う作業も面倒臭い」らしい。

 だから両親は進学を機に僕を姉の元に送り込んだ、というわけだ。

 なんで僕が姉の介護をしないとけないんだと思うことはあるけれど、プロのイラストレーターである姉の神がかったイラストを間近で見ることができるのは、正直うれしい。

 まぁ、こんなふうにキモい下着姿を見させられるのは、家事をやること以上に苦痛極まりないけど。

 そんなだらしない格好の姉が実に残念そうに眉根を寄せる。

「あ〜……でも裸エプロンじゃないのは減点だな〜」

「弟の裸エプロンなんて誰が喜ぶんだよ」

「え? あたしだけど? サトりんの裸エプロンだなんてショタみ強いし、それだけでご飯3杯はいける自信、あります」

「やめろキモい」

 格好もキモいし、発言もキモい。

 というか、そのキャミソール、何日着てるんだよ。

「ずっと同じ格好してるけど、風呂入ったの?」

「は? 愚問すぎるんだけど。ちゃんと一昨日入ったし」

「毎日入れ」

「え、やだ。でも、サトリんが一緒に入ってくれるなら考えてもいいかな?」

「誰が入るか。あと、いつも言ってるけど、いくら家族とはいえ少しは恥じらいを持ってよ。その……下着とかさ」

「おけまる。……いやん、サトりんのエッチぃ」

「うん、恥じらいを持てっていうのは、そういう意味じゃない」

「あ、ちょい待ち。キヨっちから電話……あ、キヨっちおは〜」

 僕の指摘を華麗に無視して、スマホ片手にソファーに腰を降ろす姉。

 キヨっちというのは、出版社の編集さんだ。

 まだ朝の7時前なのに、編集さんも大変だな。

 こんな生活力皆無のウザい姉の対応をしなくちゃいけないなんて。

 姉は少しだけキヨっちさんと話して、すぐに電話を切った。

 そんな姉に何気なしに尋ねる。

「まだ忙しいんだ?」

「ん、まぁね。キヨっちのほうはさっき終わったけど、他のは締め切り重なっててさ。絶賛デスマーチ中」

 さすが売れっ子イラストレーターだ。

 姉は「RIN」の名前でソシャゲのイラストやラノベの挿絵、キャラクターデザインなどで活躍している神絵師だ。

 姉がイラストを担当したラノベはすべてアニメ化するほど人気があり、何を隠そう、彼女は僕が推しているVtuber猫田もぐらの絵師(ママ)でもある。

「……ママ、か」

 ふと、昨日のことを思い出す。

 成り行きで清野のVtuber活動を手伝うことになったけど、どんなキャラクターにすればいいんだろう。

 清野の好みに合わせて描いたほうが良いのか。

 それとも、僕の好みに合わせて描いてしまって良いのか。

 二次創作イラストは山程描いてきたけど、オリジナルデザインなんてやったことがないので全くわからない。なにかコツ的なものがあるのだろうか。

「あのさ、姉ちゃんがオリジナルのキャラを描くとき、何か注意してることってある?」

 トースターから焼き上がったツナマヨエッグトーストを取り出しつつ、尋ねてみた。

 しばらく何も返答がなかったので、また電話をしているのかと視線を向けたところ、姉が目をまん丸くしていた。

「……え。どしたのサトリん、急に」

「え?」

「イラストのことを聞いてくるなんて、珍しいじゃん」

「あ、いや、何ていうか……ちょっと気になったっていうか」

「もしかして、あたしに興味あり?」

「姉ちゃんには興味はないけど、姉ちゃんがやってる仕事には少し興味ある……かも」

「ふぅん?」

 訝しげに姉が目を細める。

 やばい。これは盛大に怪しまれたかもしれない。

 僕の部屋にあるパソコンやペンタブレットは姉から譲り受けたものだけど、僕がイラストを描いていることはヒミツにしているのだ。

 なにか言い訳をせねば……と焦ったけど、姉は仕方ないといった表情で説明してくれた。

「そうだねぇ。わかりやすいところから言えば、テーマとか要望からイメージを膨らませるってことかな。オリジナルって言っても、着想を得るヒントがないと難しいからね」

「え? 姉ちゃんでもイラスト描くのに難しいとかあるの?」

「そりゃああるよ。いきなり『自由に描いて』って振られても何を描いていいか悩むし、あたしの性癖全開の絵になっちゃうからね。や、それが良いって言う人もいるんだけど、プロの仕事としてそれはやっちゃダメな気がするんだよね。だから着想を得るための情報はとても大事」

 何かに縛られるよりも、自由を許されたほうが悩んでしまう……というのはわかる気がする。

 無限の組み合わせの中からひとつだけ選ぶというのは途方もなさすぎる。

 少し話は逸れるけど、僕は自由を売りにしているオープンワールドゲームが苦手だ。何でもできると言われても、何をすればいいか途方に暮れてしまう。

「着想を得る情報……かぁ」

「そ。荒れ狂う納期の海を無事に渡るためには、情報という羅針盤が必要なのだよ、愛弟子よ」

「……誰が愛弟子だ」

「てか、愛弟子ってやばい表現だよね。弟と子供を愛するってショタじゃん」

「そしてすぐそっちの方向に持ってくな」

「あ、やば。このままだと荒れ狂う波のせいであたしの船が沈没しそうだから仕事に戻るわ」

 姉はパッと立ち上がると足早にリビングを出ていく。

「ちょ、お姉ちゃん。仕事戻るって、朝ご飯はどうするの?」

「そこに置いといて。昼にでも食べるから」

 同時に姉の部屋のドアが閉まる音がした。

 それじゃ昼飯だろ……と心の中でツッコむ。まぁ、別に良いんだけどさ。

「しかし、着想ねぇ……」

 コーヒーをいれながら、考える。

 やっぱり僕の好みで描くよりも、清野をイメージしてデザインしたほうがよさそうだ。

 とはいえ、見た目から受ける清楚イメージをそのままキャラ化しても喜んではくれないだろう。なにせ、清野は清楚キャラを演じるのに疲れているからこそ、Vtuber活動をするのだ。

 大事なのは、清野の素顔。

 清野有朱ラムリーという人間の、本当の姿。

「……」

 ツナマヨエッグトーストにかぶりついて、しばし考える。

「……全然わからん」

 出てきた結論はそれだった。

 だって僕、清野のこと全く知らないし。

 ──あれ? これって、初手から詰んだんじゃね?
「おっハロ〜」

「……」

 昼休みのマルチメディア室。

 今日も静まり返った教室に女子の声が響いた。

 振り向いた僕の目に移ったのは、毎度毎度の清野の姿。

 3日連続のダイナミック入室。

 しかし、昨日よりも動揺していないのは、彼女の訪問に慣れてしまったからか。

 クソッ。こんなヤツの訪問に慣れるなんて屈辱すぎる。

「……な、何か用?」

「もしかして作業してるのかなって思って、来ちゃった」

 清野は肩をすくめて、テヘペロと小さく舌を出す。

 その仕草に、一瞬クラっとしてしまった。

 ああ畜生、いちいち可愛いな!

「そういえば東小薗くんって、昼休みが始まったらすぐにいなくなっちゃうけど、お昼ごはんはちゃんと食べてるの?」

「……まぁ」

 僕はポケットの中からカロリーメイトの箱を取り出す。

 それを見て、清野が驚いたような視線を向ける。

「もしかして東小薗くんって、アスリート?」

「……は?」

 なんでそうなる?

「だってアスリートってカロリーメイトを食べてるでしょ? みどりが食べてるのみたことあるし。だから東小薗くんもアスリートなのかなって」

 みどりって、乗富のことか。

 彼女はたしかバスケットボール部だったっけ。小柄なのにバスケ部なんだな〜と思ったけど、ポイントガードをやっていて、チームのエースとかなんとか。

 というか、どうでもいいけど、アスリートは補食としてカロリーメイトを食べてるけど、主食にしてるわけじゃないからな。

 いつも弁当を持参している僕が、今日はカロリーメイトで済ませているのは、できるだけ昼休みの時間をイラスト制作に使いたかったからだ。

 だけど、清野に説明するのが面倒なので壁に貼ってある「飲食禁止」の張り紙を指差した。

「……あ、なるほど」

 それを見て清野は納得してくれたらしい。

 一瞬、「いやいや、カロリーメイト食べてるじゃん」ってツッコミが来るかと身構えたが、そこには気づかなかったらしい。さすが天然。

 そんな清野の視線が、ふと僕の手元に落ちた。

「それって何?」

「あ、え、これ? ペ、ペンタブレット……」

「ペンタ……?」

「え、鉛筆を使ってるような感覚でイラストを描くための機械」

 ペンタブは板タブとも呼ばれているツールで、イラストを描くための必需品なのだ。

 ちなみにこの板タブは学校の備品じゃなく、僕が家から持ってきたものだ。

 携帯しやすい小型のタイプなのでこうして学校に持ち込んでいる。

「へぇ〜、そんな機械があるんだね。なんだかプロっぽい」

「べ、別にプロっぽくなんてない。このくらいのだったら誰でも持ってるし……プロならもっと良いやつ使ってるし……」

 本当は家で姉が使っているような液晶タブレットやタブレットPCを使いたいのだけれど、お金がない。

 さらに、あったとしてもイラストを描いていることは姉にナイショにしているので買うことができないのだ。

「でも、そのペンタコってやつを使ってるってことは、やっぱり作業してたんだよね?」

 ペンタコじゃなくて、ペンタブな。

 心の中でツッコんでから話を続ける。

「ま、まぁ、清野さんのキャラクターを進めようかなって……」

「えっ!? もうキャラデザインしてくれてるの!?」

「う、うん……」

 僕はこの数十分で描き下ろした線画を清野に見せる。

 アタリを元に簡単に描いた線画のラフ絵だ。

 ササッと描いた落書きみたいなものだけど、だいたいのイメージはわかる。

 それを見た瞬間、清野が感嘆の声を上げた。

「すごっ! 結構完成してる! てか、うまっ!」

「で、でも、これは破棄する予定だから……」

「……え? どうして? すごく可愛いのに」

「この他にも2キャラ描いたんだけど、どこかで見たような感じになっちゃって。何ていうか、清野さんらしさがないというか……」

「私らしさ?」

「……あ、いや」

 つい「清野らしさ」とか、口に出してしまった。

 控えめに言って、キモすぎ発言だ。

「ら、らしさっていうのは変な意味じゃなくて……ええと、実は今朝、姉に相談したんだ。それで、そんなアドバイスをもらったっていうか……」

「お姉さん? 東小薗くんって、お姉さんがいるんだ?」

「う、うん。プロのイラストレーターをやってる」

「プロ!?」

 清野の目が爛々と輝く。

「それホントなの!? すっごいじゃん! お姉さんプロのイラストレーターなんだ! あ〜、なるほど〜! だからかぁ!」

「……え? だから?」

「お姉さんがプロのイラストレーターだから、東小薗くんも絵がうまいんだね」

「べ、別に関係ないよ。姉に教えてもらってるわけじゃないし……」

「あ、そうだ。東小薗くんが描いたっていう、別のキャラも見せてくれないかな?」

 次々と話が飛びまくる。なんなんだこいつは。

「まぁ、いいけど……」

 しかし特に断る理由もないので、僕は言われるがまま別の線画のデータを開いた。

「あっ、こっちもすごく可愛い……けど、東小薗くんが言う通り、ちょっと『族長』っぽいかな?」

 族長というのは、猫田もぐらと同じ事務所に所属しているVtuberだ。

 夜な夜な配信で男子リスナーの精力を吸い取っている褐色の「淫魔キャラ」という設定で、見た目は可愛いのに歯に衣着せぬ物言いがウケている。

 先日、清野から「族長みたいな淫魔キャラも良い」という意見を聞いていたし、清野の性格は族長に似ているのでそっちに寄せてもいいかなと思った。

 だけど、僕の中で淫魔キャライコール族長のイメージがデカすぎて、どうしても似た雰囲気になってしまう。

「ん〜、でも可愛いし、私は全然良いと思うけどなぁ……」

「ダ、ダメだよ。やっぱり誰かに似ているっていうのは避けたいんだ。せっかくオリジナルデザインにするんだし、これぞ清野さんっていうデザインにしないと」

 Vtuberのキャラデザインは、絵師にオーダーしなくても専用のサイトで購入することができる。

 既製品なので細かく調整することはできないけど、キャラクターにこだわらないのであれば買うのが一番手っ取り早く活動をはじめられる。

 でも、そういうサービスを利用せずに僕にお願いしてきたってことは、清野もデザインにはこだわりたいと思ったからだろう。

 だったら、少しでもその想いに答えてやらないと。

「……」

 ふと気づくと、清野がじっと僕を見ていた。

「な、何?」

「え? あ、いや……何ていうか、すごく真剣に考えてくれてたんだなって。ちょっと嬉しいな。えへへ」

「……っ」

 恥ずかしそうに笑う清野を見て、僕は地面に穴を掘って埋まりたい気分になってしまった。

 またやってしまった。

 さっきの「清野らしさ」発言に続いて、再びキモすぎ発言だ。

 それに、何を偉そうにキャラデザ論を語ってるんだ。 

 お前は趣味で二次イラストを描いてる、ド素人の趣味絵描きだろ。

 ああもう……死んでしまいたいくらいに死にたい。

「と、とにかく、キャラに『らしさ』が出てない原因はわかってるんだ。僕が清野さんのことを知らなすぎるから」

「え、そうなの?」

 清野は「意外だ」と言いたげだった。

「そ、そそ、そうだよ。だって数日前まで話したことすらなかったんだし。清野さんだって僕のこと、知らないでしょ?」

「……確かにそうだね。東小薗くんにお姉さんがいるってことも今知ったくらいだもんね」

「……」

 僕と清野の間に沈黙が流れる。

 何だか気まずい感じになってしまった。

 しかし、他人を知るって、どうやればいいんだろう。

 顔を見れば、大体の感情はわかる。

 体温を計れば、大体の体調はわかる。

 だけど、他人の中身を知るには何をすればいいのか。

「……あ、そうだ」

 清野がぽんと手を叩いた。

「ねぇ、東小薗くん。今日の放課後って空いてる?」

「え? 放課後? あ、空いてるけど……何?」

「じゃあ、一緒に帰らない?」

「……ヴォ」

 突然の提案に、一瞬で頭が真っ白になった。

「いっ、いい、一緒って、ききき、清野さんと?」

「そっ、そそ、そうだけど?」

「……っ」

 わざとらしく唇を尖らせて僕の口真似をする清野。

 こ、こいつ……っ! 馬鹿にしやがってっ!

 そんな仕草もめちゃくちゃ可愛いから腹が立つ!

「だってほら……この前は東小薗くんに用事があって一緒に帰られなかったじゃない?」

「……あ」

 しまった。つい正直に予定がないことを教えてしまった。

「あの、えっと……」

「まだ君パンのことも話してないし、それに、じっくりお話ししたら少しはわかるかなって。お互いのことさ?」

「……」

 清野が言っていることには一理ある。

 清野と話すことと言ったら、多分、アニメとか漫画とかVtuberとかゲームのことだろうけど、それでも清野らしさというものがわかるかもしれない。

 だとしたら、1回くらい一緒に帰ってみるべきか。

「……わ、わかった」

 これはイラストのためだと自分に念押しして承諾する。

 だけど、ひとつだけ腑に落ちない部分があった。

 清野が口にした「お互いのこと」というセリフだ。

 僕が清野のことを知りたいのはキャラデザのためだけど、どうして清野は僕のことを知りたがっているのか。

 こんな見た目も性格も最悪な僕のことを知ってどうするんだ?

 まさか、弱みを握ろうとしているのか?

「あ、そうだ」

 困惑する僕をよそに、清野がポケットからスマホを取り出す。

「まだ東小薗くんとLINEのID、交換してなかったよね?」

「ラ、LINE!? って、スマホ……の?」

「そ。LINEできればもっとお話できるし、交換しようよ」

「あ、う、お」

「えっ? もしかしてもう交換してた? あれっ?」

 慌ててスマホを確認しはじめる清野。

 いや、してるわけないだろ。

 僕たちは数日前にはじめて喋ったくらいなんだぞ。

「……あ、やっぱりしてなかった。てか、そうだよね。交換してたら毎日アニメとかVtuberのこと話してるもんね」

 清野が小さく舌を出しておどける。

 アニメとかVtuberの話? なんですかそれは。

 やめてください、そんな話を振られたら──めっちゃ語っちゃいそうだから!

「ねぇ、交換しようよ。ほらほら、東小薗くんもスマホ出して」

「……あ、え、はい」

 促されるままスマホを取り出してしまった。

 だが僕はIDの交換方法なんて知らない。

 一応スマホにはLINEは入れているが、登録している相手は業務連絡っぽいやりとりをしている姉や実家の両親くらいなのだ。

 操作方法に四苦八苦していると、清野が「ちょっと貸して」と僕のスマホを奪い、ササッとQRコードっぽいものを表示させた。

 そして僕のスマホに自分のスマホをかざす。

 一瞬「あ、いつも僕の顔に触れてるスマホが清野のスマホにくっついた」なんてキモいことを考えてしまった。

「これで良しっと。はい、スマホ返すね」

「……」

 受け取った僕は固まってしまった。

 トーク画面にこれみよがしに表示されている「ラム」の名前があった。

 図らずとも清野の連絡先をゲットしてしまった。

 喉から手がでるほど欲しいと思ってる男子が星の数ほどいるであろう、清野の個人情報を。

 こうして清野との連絡手段を手に入れてしまった僕は、彼女と一緒に下校イベントを進めることになった。
 清野から一緒に帰ろうと誘われて承諾したものの、正直メチャクチャ悩んだ。

 百歩譲って、相手が男子だったらまだいい。

 男同士であれば目立つこともないし、周囲から奇異の目で見られることもない。

 だが、相手は女子……それも陽キャの女王、清野有朱ラムリーなのだ。

 清野と一緒に下校するということは、つまり、彼女と一緒に学校を出て街中を歩くということだ。

 その光景は、きっと清野を知っている人間の目にも留まることになる。

 歩きながら清野と君パンのことやVtuberのことを話して、どこかのオシャレなカフェで軽くお茶をして、それから、別れ際に「今日は楽しかったね。また明日、学校でね」なんて、名残惜しそうに言われるのだ。

 ……まぁ、後半はかなり盛ったけど、概ね間違いではないハズ。

 なにせこれは、いわゆる「陽キャ・リア充限定の異性との下校イベント」ってやつなのだ。

 どうやら僕は、遭遇確率が小数点以下の激レアイベントのフラグを立ててしまったらしい。

 別に引きたくも体験したくもなかったイベントなのに。

 こういう話って、ソシャゲでもたまにあるよな。

 別に欲しくないキャラだけど、無料10連だからやってみるかと引いてみたところ、提供割合数パーセントの激レアSSRが2、3枚引けてしまうヤツ。

 というか、清野は僕なんかと一緒に下校して嫌な気分にならないのだろうか。

 こんな中学生みたいな陰キャ男子と連れ立って歩いていたら、秒で噂になってしまうかもしれないのに。

 もしかすると、「清野有朱に恋人発覚!?」みたいなタイトルでゴシップ誌にスッパ抜きされてしまうかもしれない。

 そんなことになったら、芸能人・清野有朱にとって手痛いダメージになる。

 結論。

 やっぱり一緒に帰るのはやめることにした。

 言っておくが、これは清野のためなのだ。決して「女子と一緒に帰る勇気がない」とかそんなヘナチョコな理由ではない。

 今週は掃除当番じゃなかったので、授業が終わった瞬間にササっと教室を出た。気配を消して教室を出るのは慣れているので、誰も僕の存在に気づいていない。

 よしよし。このまま行けば清野に見つかることなく学校を脱出できる。

 そんなふうにほくそ笑みながら、昇降口にたどり着いたとき──突然背後から誰かがぶつかってきた。

「おうおうおう」

 ヤンキーみたいな絡み方をしてきたのは、清野だった。

「おいてめー、このやろ、なんだやんのかー?」

 多分、彼女なりに威嚇しているんだと思う。

 だけど、何だろう。全然迫力がない。

「あ、あの……?」

「言っとくけどなー、私は怒ってんだかんなー」

「え?」

「だっておめー、ひとりで帰ろうとしてただろー。私との約束ブッチするつもりだっただろー」

「あ……う」

「いいかー? 理由を教えないと、ここでファイティングだぞー」

 ぺちぺちと握りこぶしを手のひらにぶつける清野。

 うん。やっぱり全然怖くない。

 怖くないけど可愛くて悶絶死しそうなので、正直に答える必要があるな。

「いや……何ていうか……僕と清野さんが一緒に帰ったら……目立つかなって」

「……え? なんで目立っちゃだめなの?」

 清野の口調が瞬時にヤンキー口調から元に戻った。

「そ、そりゃあ、清野さんは芸能人だし……僕みたいな陰キャと一緒にいたら、悪い噂が広がるし……困るだろ? そういうの」

「なるほど。そっか、ふむふむ……」

 清野が納得したように何度も頷く。

 わかってくれたかと思った矢先、清野は勢いよく右手を挙げた。

「はいっ! 私、清野有朱ラムリーは、今から東小薗聡くんと一緒に帰ります!」

「……ヴォ!?」

 思わず吹き出してしまった。

「ちょ、何を言ってる!?」

「コソコソするより、大々的に宣言しちゃったほうがいいかなって」

「そ、そんなことしたら清野さんに変な噂が立つだろ!」

「そんな噂、勝手に立たせときなよ、you」

「……え?」

 あっけらかんとした表情で、清野は続ける。

「だって、私がヒミツにしなくちゃいけないのはオタク活動だけだし。誰と一緒に帰ろうと周りに文句は言わせないよ?」

 何という強さだろう。

 自分の意思を貫ける強さというか、批判をものともしない強靭さというか。

 これが僕にはない、陽キャの強さか。

 この強さがあれば、さぞかし生きやすいんだろうな。

「だから東小薗くんは気にする必要なんてないから」

「き、気にするよ。清野さんは……強いから、そんなことが言えるんだ」

「……え? 強い? でも私、この前の体力テストの総合評価Eだったよ? 全然強くない。というか、なんで今そんな話になるの?」

 それはこっちのセリフだ。

 強いっていうのは身体的なことじゃなくて、存在の話だよ。

 というか、総合評価Eって僕より酷いじゃないか。全種目最低レベルじゃないと取れない評価だぞ、それ。

「とにかく、私は東小薗くんと一緒に帰りたいの」

「う、ぐ」

 真剣な眼差しで言われて、軽く悶絶してしまった。

 そこまで言われて逃げ出すのは、さすがに罪悪感がハンパない。

 それに、ここまま問答を繰り返すのも良くない気がする。清野のこんなセリフを彼女のファンに聞かれたら、夜道で後ろから刺されかねない。

「わ、わわ、わかったよ。い、い、一緒に帰るから……っ」

 周りに聞かれないように、できるだけそっと小声で返した。

「それでよし」

 清野は聖女もかくやといった雰囲気で、満足そうに微笑んだ。

「それじゃあ、早速、行こっか?」

「え、行く? って、どど、どこに?」

「学校が終わって行くところといえば、あそこしかないでしょ?」

 そして、清野は慈しみ溢れる聖女の顔から一変させ、それはそれは悪そうにニヤリと微笑むのだった。
 例えば、女子高生が行きたいと思う場所ランキングなるものがあるとして、トップにランクインするのは、間違いなく可愛い店とかおしゃれな場所だと思う。

 例えば、デパートにある可愛い服とかアクセサリーが売ってる店とか、小洒落たカフェがそれだ。そういう場所で写真を撮って、インスタグラムにアップしたりするのが普通だと思う。

 百歩譲って、ファストフードまで許そう。

 清野は芸能人とはいえ、まだ高校生なのでお金を湯水のように使えない可能性がある。だからお腹が空いてもポテトとドリンクで腹を満たすなんて庶民的な考えに至るかもしれない。

 それに、放課後の陽キャのたまり場といえばファストフード店が定番だ。

 だけど──僕が清野につれて来られたのは、駅前にある牛丼屋だった。

 牛丼。丼ぶりご飯の上に肉汁たっぷりの牛肉が載せられたアレ。

 別に牛丼屋を批判するわけじゃない。

 僕も牛丼屋は好きだし、よく食べている。

 だけど、芸能活動をやっているような女子高生が、放課後に牛丼屋に直行するか? 

「あ、あの、ちょっと待って」

 もしかして店を間違えたのかと思った僕は、意気揚々と牛丼屋に入ろうとしていた清野を呼び止めた。

「ここ、牛丼屋だけど……」

「え? そうだよ?」

 それが何か? と首をかしげる清野。

 なるほど。

 どうやら間違いではなく、ここが目的地らしい。

「い、今から食べるの? 牛丼?」

「うん。学校終わってから、たまに来るんだよね。みどりと一緒だと、牛丼じゃなくてマックになっちゃうけど。牛丼屋入るのハズいとか言われてさ」

 でしょうね。いくら清野と一緒とはいえ、一緒に牛丼屋に入るのにためらう気持ちはわかる気がする。

「でも、ここの牛丼すごく美味しいんだよ? 知ってる?」

「そりゃあ、まぁ……」

 だって全国チェーン店だし。

 なんなら、週イチペースで食べてるし。

 でもまぁ、ちょっと驚いたけど、本人が食べたいというのなら別にいいか。丁度、僕も小腹が空いてきたしな。

 などと考えながら、清野と店の中に入る。

「……あ」

 しかし、店に入って早々に、僕は究極の二択を迫られることになった。

 カウンター席に行くべきか、テーブル席に行くべきか。

 テーブル席に行けば向かい合って座ることになり、僕が食べているところを清野に見られることになる。

 それは恥ずかしいので、できるなら避けたい。

 だけど、カウンター席に行けば肩を並べて座ることになる。椅子の感覚が狭いので、もしかすると肩が触れ合ってしまうかもしれない。

 それはそれで、やっぱり恥ずかしい。

 ぐぬぬ……これはどっちに行くのが正解なんだ!?

「テーブル席に行こ?」

「あ、うん」

 悩んでいた自分が馬鹿らしく思うくらいに、清野はあっさりとテーブル席をチョイスした。

 実に慣れている。

 これが陽キャ女王の余裕か。

 どうせどっかの男と一緒に来ることも多いんだろうな。ああ、いやだいやだ。これだから陽キャ・リア充は嫌になる。

 というか、そもそもだけど、なんで僕は清野と牛丼屋に入っているんだ?

 確か清野のことを知るために一緒に下校することになったハズだけど、こんなところで何がわかるというのか。

 清野が好きな牛丼のメニューとか?

 そんなものがわかっても、キャラデザに活かせる気が全くしないんだけど。

「東小薗くんは何にするの?」

 席に着いて早速メニューを手にした清野が尋ねてきた。

「え? あ、う、えと……4種チーズ牛丼……とか」

「あ、美味しそう。東小薗くんっぽいチョイスだね」

 ……おい、ちょっと待て。

 僕っぽいチョイスってどういう意味だ。

 チーズ牛丼を頼んでそうな顔とでも言いたいのか。

 お前、ここでファイティングするか?

 うまいんだから良いだろ別に。

「き、清野さんは決まってる?」

「あ〜、うん、そうだね」

「じゃあ、店員さん呼ぶよ?」

「あ、まって。えーと……うん。オッケー」

 清野がメニューをガン見しながら、指でオーケーサインを出した。

 そこまで真剣に悩まなくてもいいのに。

 どれを頼んでもそこそこ美味しいよ。多分。

 そんなことを考えながら、テーブルに設置されているはずの「呼び出しピンポン」を探したが、どこにもなかった。

 瞬間、嫌な汗が出てくる。

 この牛丼チェーン店には呼び出し用のピンポンがあるはずなのに、なぜ無い。駅前店に来るのははじめてだが、まさかピンポンが無いバージョンの店なのか?

 これはマズイことになった。

 カウンター席なら店員が気づいて注文を聞きに来るかもしれないが、生憎、僕たちがいるのはカウンターから少し離れたテーブル席なのだ。

 つまり、声を出して店員を呼ぶ必要がある。

 公衆の面前で大声を出すの? 僕が?

 声を張り上げるだけでも恥ずかしいのに、声が裏返ったらどうするんだ。

 頼む清野、お前が呼んでくれ──などと心の中で念じながらじっと清野の顔を見たが、そんな思いが伝わるわけはなく。

 というか、近くでマジマジと見ると清野の顔はすごくリアルだった。

 リアルという表現が適切ではないことはわかっているんだけど、すごくリアルなのだ。

 造形がしっかりしているというか、現実離れしてる整い方をしてるというか。

 まぁ、何ていうか、僕が関わってはいけないくらいに可愛い。

「……どしたの?」

「あ」

 気がついたら、清野がメニューの影から視線だけを僕に向けていた。

 僕は光の速さで目をそらす。

「べ、べべ、別に……何も」

「あ、わかった。私が食べたいやつを当てたいんでしょ?」

「……は?」

「わかる。そういう所から相手を知っていくのって、定番だよね」

 そうなの? 

 てか、一緒に下校することになった主旨、忘れてなかったのか。

 安心した!

「じゃあ、ここで東小薗くんにクイズです。私が食べたいメニューはな〜んだ?」

 清野はメニューの端から顔を覗かせるように、可愛らしく小首をかしげる。

「あ、え、え、えーっと……」

「制限時間は5秒です」

「早いな!?」

 せめて10秒くらいにしろよ……と心の中でツッコミながら、僕は頭をフル回転させる。

 女子がどんな牛丼を好むかなんて知らないけど、清野が牛丼屋を推してる理由ならなんとなくわかる。

 駅前には牛丼屋以外にもマックやミスドがあるけど、あえて牛丼屋をチョイスしているのは「がっつり食べたいから」だ。

 清野は発育が良い。

 背は高いし、その……胸も大きい。

 先日、ネットの情報を調べたところ、清野はDカップあるらしい。

 高校1年のくせに、実にけしからん大きさだ。

 その巨乳を維持する必要があるのだから、がっつり栄養を補給する必要があるのだろう。とするならば、頼むのはがっつりメニュー系だ。

「明太マヨ牛丼だろ」

「惜しい! 明太マヨ牛丼のギガ盛りでした〜」

「……」

 いやいや、ちょっと待て。

 量まで当てなくちゃダメなのかよ。なにそのルール。無理ゲーだろそれ。

 てか、食いすぎじゃないか?

 ギガ盛りって確か、大盛りの上だよな?

 流石にギガ盛りは栄養過多だと思うんだけど、モデルやってるのに体重とか気にしなくて大丈夫なのか?

「でも、ちょっとビックリした」

 清野がテーブルに頬杖を付いて、じっとこちらを見る。

 僕の視線は、自然と泳ぎまくる。

「ビ、ビックリって、なな、何が?」

「ギガ盛りは外れちゃったけど、メニューを当てられるなんて思わなかった。なんでわかったの?」

「え? あ、そ、その……どうして清野さんが牛丼屋を好きなのかって理由から推測したというか……」

「へぇ? なんで私は牛丼屋が好きだって思ったの?」

「がっつり食べたいから」

「おお、正解。じゃあ、どうしてがっつり食べたいんでしょうか?」

「……それは、ええと……む、胸……じゃなくて、腹が減りやすい……体質だから、とか……」

 頑張って言葉を濁すことに成功した。

 さすがに巨乳を維持するためとかキモいことは言えない。

「すごいすごい。よくわかったね。そうなんだよ。私ってすぐお腹が空いちゃってさ。お昼もママに作ってもらってるお弁当だけじゃ足りなくて、購買部でパンも買ってるんだよね」

「いつも昼休み始まるとダッシュで教室を飛び出してるけど、購買に行ってたのか」

「そうそう。そうなの」

 うんうんと頷く清野だったが、「ん?」と何かに気づいて頬を緩ませた。

「私が昼休みにガンダしてるの良く知ってるね。私のこと、見すぎじゃない?」

「……ヴォ」

 うごごごご。

 余計なことを言ってしまった。悶絶しすぎて死んでしまいそうだ。

「お昼といえば、東小薗くんは毎日カロリーメイトで済ませてるんだよね?」

「ま、毎日じゃない。弁当を作って持ってくることもある」

 夕食の残りとか、朝食を余計に作ったときだけだけど。

 そのときは、こっそりマルチメディア室で食べている。

「え? 作る?」

 清野が首をかしげた。

「もしかして自分でお弁当作ってるの?」

「うん。実は姉とふたり暮らしなんだ。だから、僕がいつも作ってる」

「えっ、ホントに!? すごいじゃん!」

「そっ、そ、そんなこと、ない」

「あるよ! だって、毎朝早起きしてご飯作るなんて私には無理だもん! 君パン観るだけでタイムオーバーだよ!?」

 ああ、確か清野は毎日5回君パン観てるんだっけ。

 君パンのために早起きしてるなら弁当くらい作れると思うけど。

 清野が感慨深そうに続ける。

「イラストもすごくうまいし、料理もできる……東小薗くんって、思ってたよりずっと大人だったんだね」

 その発言にドキッとしてしまった。

 大人だ……なんて言われるのははじめてだ。

 背は小さいし童顔なので、中学生と間違われることも多い。そんな僕を大人だなんて。

 つい口元がほころんでしまった。

 僕のことをわかってくれているみたいで、少しだけ嬉しかった。

「清野さんは……」

「ん?」

「あ、いや、なんでもない」

 僕は口から出かけていた言葉を飲み込んだ。

 ──清野は思ってたより、子供っぽかった。

 そんなキモいこと言えるわけがないし、失礼すぎるだろ。

 清野に「なになに? 何を言いかけたの? 言ってよ?」と詰め寄られてしまったので、僕は慌ててカウンターに立っていた店員を呼んだ。

 案の定、ひどく声が裏返って死にたくなった。

 クソ。全部清野のせいだ。
 清野の食欲は、本当にハンパなかった。

 僕が頼んだ並盛の「4種のチーズ牛丼」を食べ終わる前に、ギガ盛りの明太マヨ牛丼を食べ終わったのだ。

 メニューを確認したところ、ギガ盛りは並盛の3杯の量があるらしい。

 涼しい顔でペロッと平らげていたけど、そのスリムな体のどこに並盛の3倍のメシが入っているのか。

 さらに驚いたことに、「シメで唐揚げ頼もうかな?」とか言っていた。

 こいつの満腹中枢はどうなってるんだ。

 このままチンタラ食べてたら、清野のエンゲル係数がヤバいことになりそうだったので急いで牛丼を掻き込んで、お店を後にした。

 そんなに長い時間いた感じではなかったのだけど、外はすっかり暗くなっていた。僕は姉と二人暮らしなので門限はないけれど、清野は大丈夫なのだろうか。

「き、清野さんは時間とか大丈夫?」

「ん、そろそろ帰らないとだけど……もう一箇所行きたいところがあるんだよね。良いかな?」

「え? う、うん、僕は良いけど」

 でも、どこに行くんだろう。

 時間があまりないってことは、長居する場所じゃないと思うけど。

 変にドキドキしつつ、僕は清野の後を付いていく。

 やがて清野は、とある店の前で足を止めた。

「……ここって」

「そ、本屋」

 到着したのは、牛丼屋から5分ほど歩いた所にある小さな書店だった。

 僕もたまにこの書店に立ち寄ることがある。大きさの割に品揃えが良くて、大抵の書籍は取り扱っているのだ。

「私、本屋って大好きなんだよね。何ていうか……意外な出会いがあるからさ」

「……意外な出会い?」

「そ。たまに知らない面白そうな本とばったり出会えることがあるじゃない? 毎回ってわけじゃないけど、2、3回に1回くらいは胸キュンな出会いがあるから、つい行っちゃうんだよね」

 それはわかる気がする。

 僕もこの書店に立ち寄るときは、何か面白そうな本は無いか漠然と考えているときだ。

 漫画やラノベの新刊を買うときはネットを利用して、清野が言う「出会い」を求めてるときはリアルの書店を利用するようにしている。

 多分、清野も同じなのだろう。

 書店に入った僕たちの足は、自然と漫画コーナーに向かった。

 清野も漫画を読むんだ……と思ったけど、清野も僕と同じオタクだった。

「あ、これ、『ロデオン』の作者の新作じゃない?」

 清野が新刊コーナーに平積みされていた本を手に取った。

 ロデオンというのは、半年前にアニメ化もされたダークファンタジーの漫画で、グロテスクな表現も多く、男性を中心に人気を博している。

 なるほど。清野はそういう系もイケる口か。

「それ読んだよ。意外と良かった」

「ホント? どこが良かった?」

「え?」

「私にどこがエモキュンだったか、簡潔にプレゼンしてください。周りに迷惑になっちゃうから小声でね? はいどうぞ」

「……え? は? え?」

 いきなり無茶振りするな。そんなの急に答えられるわけ無いだろ。

 ……と思ったけど、ここで語れなければオタクとして失格な気がしてしまった。

 いいだろう。エモキュンなところをお前に教えてやる。

「ええと、その漫画は『主人公のリーマンが隣に住んでる女子高生とご飯を食べる』ってだけの『日常系』の漫画なんだけど、まず、本当にロデオンの作者が描いたのかって思うくらいに路線が違くて。ゆるい感じがすごく癒やされるんだ」

「ふむふむ……」

 真剣な眼差しで頷く清野。

 そんなふうに真面目に聞かれると、なんだか恥ずかしい。

「それで、一緒にご飯を食べる家族が欲しかった女子高生と、体を壊して食生活を見直さなければいけなかったリーマンの利害が一致して食卓を囲むことになるんだけど、お互いに一歩一歩あゆみ寄って行く感じが良くって」

「ほうほう」

「あと、絵はもちろん最高なんだけど、キャラクターも最高でね。とにかく全部が美しすぎて目が幸せになるっていうか」

「あ〜ね。それはなんとなくわかる。表紙の主人公のシコみがすでにやばいもん。この少し病んでる感じが推せる」

「……」

 清野の口から出た「シコみ」という言葉に、妙にドキドキとしてしまった。

「ありがとう東小薗くん。すごい面白そうだから買ってみる。読んだら私も感想言うね」

「……う、うん」

 安心した。どうやらプレゼンはうまくいったらしい。

 新刊コーナーに並んである本を眺めながら、清野が続けざまに尋ねてきた。

「東小薗くんって、本は読むほう?」

 僕は一瞬、返答をためらってしまった。

 本は読んでいることは読んでいるのだけれど、あまり一般女子が好まないものだったからだ。

 だけど、相手がオタクであることを思い出し、正直に答えることにした。

「漫画とかラノベとかは結構読んでるかな」

「へぇ、ラノベも読んでるんだ。今は何を読んでるの?」

「今読んでるのは──」

 そうして僕たちはラノベコーナーに行って、お互いに読んでいるラノベを推し合った。

 どうやら清野はラブコメが好きらしい。

 アニメ化された王道のラブコメから、WEB小説が書籍化したものまで幅広く読んでいた。清野に勧められたものの中で、いくつか面白そうな作品があったので僕も買うことにした。

 それらか僕たちは、雑誌コーナーに向かった。

「あ」

 清野が足を止め、雑誌を手に取った。

「どっじゃ〜ん」

 妙な効果音を添えて清野が見せてきたのは、とあるファッション誌の特集ページだった。

 そこに書かれていたのは「イケてる女子の部屋着特集」なるコーナーで、可愛い服を着た女性がこちらにほほえみかけている。

 なんだか見覚えがある顔だけど──。

「……あ、そ、それって」

「そ、私。だいぶ前に撮影したやつだけどね」

 随分と雰囲気が違うけど、そこに写っていたのは間違いなく清野だった。

 全面にファスナーがついている大きめのグレーのジップアップパーカー。その下にピンクのタンクトップシャツと、ショートパンツ。

 制服のときと違って、何ていうか……大人のオーラがやばい。

「どう?」

「ど、ど、どうって?」

「感想ちょうだい?」

 手を耳に当てて小首をかしげ、僕の返事を待つ清野。

 瞬間湯沸かし器のように顔が熱くなり、体中から汗が吹き出した。

「い……い、良いと思う……けど」

「……え、それだけ?」

「あ、う、ええと……そ、それだけ……じゃなくて」

「ん」

「か……かわ、可愛……い……です」

「えへへ、ありがとう」

 清野が少しだけ頬を赤く染めて満足そうに微笑む。一方の僕の顔は、きっと爆発するかと思うくらいに真っ赤になっているに違いない。

 クソォォッ! 何なんだこれは!

 本人を前に「可愛い」なんてアホみたいなセリフを! 

 完全に罰ゲームじゃないか!

 恥ずかしさで死にかけてしまった僕は、その羞恥心を紛らわすために清野に尋ねた。

「……そ、それ、買うの?」

「うん。こういう雑誌はあんまり買わないんだけど、自分が出てるときは買うようにしてるんだ」

「き、記念に?」

「ん〜、そういうんじゃなくて、チェックするためかな」

 清野はパラパラと雑誌をめくりながら続ける。

「もっとこういう撮られ方をすればよかったな〜って反省したり、一緒に撮影したモデルさんの写真を見て勉強したりとかさ。時間を置いて見返すといろいろと気づく事があるんだよね」

 ギョッとしてしまったのは、身に覚えがある話だったからだ。

 そんな僕を見て、清野が尋ねる。

「どうしたの?」

「あ、い、いや。イラストでも似たようなことがあるから驚いたっていうか……似てるなって」

「似てる?」

「う、うん。例えば、夜描いたイラストを朝見返すと、塗り残しとかデッサンが崩れているところとか見つけられるんだ。だから、そういうチェックは朝にやるようにしてる」

「そうなんだ。本当に似てるね。じゃあ、私たち、似た者同士ってことかな?」

「……」

 少し恥ずかしそうに微笑む清野。返す言葉をなくしてしまったのは、そんな彼女の仕草に悶絶したからというわけではない。

 はっきり言って意外だった。清野がそこまで本気でモデルという仕事に取り組んでいるとは思わなかった。

 てっきり優れた容姿に生まれたことにあぐらをかいて、適当にやっているんだろうと高をくくっていた。

 それが陽キャという「強い人間」として生まれた者の「特権」だと思っていた。

 だけど──違っていた。

 清野も僕と同じだった。

 改めて、清野という人間のことを何も知らなかったのだと痛感した。

「あ、あの……清野さんは、芸能人をやってるときの自分と、アニメとかゲームを語ってるときの自分、どっちが好きなの?」

 つい、そんなことを清野に尋ねてみた。

 彼女は悩む素振りも見せず即答する。

「どっちも好きかな」

「え?」

 つい、キョトンとしてしまった。

「意外だった?」

「う、うん。てっきり自分の素顔が出せる後者が好きなのかと思ってた」

「どっちも同じくらい好きだよ。だって、清楚キャラを演じてる自分も、アニメ語ってる自分も、どっちも大切な私だもん」

 その言葉に、はっと気付かされた気がした。

 芸能人の清野も、オタクの清野も自分自身。

 そこに優劣なんてなく、同じくらいに好き。

 僕には到底無理な考え方だけど……そう考えられるのが清野という人間なのか。

「どっちも、清野……か」

「そ。どっちも可愛いラムりんだよ」

 自分で可愛いとか言うなよ。

 いや、実際に可愛いんだけどさ。

 というか、普通の女子がそんな事を言ったら「何勘違いしてんだコイツ」ってなるけど、清野だとそう思わないからズルい。

 三星の言葉じゃないけど、マジで無敵だろ。

 やっぱりコイツは陽キャの女王で、僕とは相容れない人種。

 だけどと、僕は清野をチラリと見て思う。

 なんだか少しだけ、清野のことがわかった気がする。

 これなら──彼女らしいキャラクターが描けるかもしれない。