「……そういえば、昨日は変なことを言ってゴメンね。いきなり『ママになって』だなんて言われたら混乱しちゃうよね」
昼休みのマルチメディア室。
ようやく僕が描いたもぐらちゃんへの興奮がおさまった清野は、昨日のことを思い出して少し恥ずかしそうに笑った。
僕は慌ててかぶりをふる。
「い、いや、ぼぼ、僕もごめん。その、いきなり逃げたりしちゃって……」
つい僕も頭を下げてしまった。
昨日、清野にママ活的なものを申し込まれたと思った僕だったが、話を聞けば「ママ」というのはVtuberの絵師のことを指していたことがわかった。
Vtuber界では、キャラのイラストや3Dモデルを作った制作者に感謝と敬意を込めて「絵師《ママ》」と呼ぶことがあるのだ。
つまり、昨日清野はママ活を申し込んできたのではなく「自分のVtuberのキャラを作ってくれ」と頼んできたのだ。
まぁ、それがわかったところで意味不明だったので、「いや、無理です」と答えて脱兎のごとく逃げてしまったんだけど。
「ううん、平気。私って説明下手だから、うまく意味が伝わらなかったかもだし。昨日言った『ママ』っていうのは、Vtuberの絵師とか製作者のことでね」
「そ、それはわかってる。だって、僕もVtuber好きだし……」
「あ……そっか。そうだよね。すっごく可愛いもぐらたゃを描いてるもんね。東小薗くんのもぐらたゃ、ラブみが深くてつらい」
にんまりと笑顔を覗かせる清野。
うっ、眩しくて直視できない。
「あ、あの……そもそもだけど、なんで僕なの?」
「……え?」
「ぼ、僕にイラストをお願いする意味がわからない。だって、清野さんがお願いすれば、描いてくれる人なんて他にもたくさんいるだろうし」
清野は僕と違って交友関係も広いし、なんたって芸能人なのだ。やろうと思えば、姉のようなプロのイラストレーターにお願いすることもできるはず。
「ん〜……」
清野は指を顎に添えて少し考え、あっけらかんとした表情で言う。
「簡単に言えば、一目惚れかな?」
「ひっ、一目……っ!?」
「そう。昨日見た東小薗くんのかすみたん、ほんと激カワだったし、原作への愛も溢れてた。だから、東小薗くんならわかってくれるかなって思ったんだ」
「わ、わかる? ……って、何を?」
「私がかすみたんへ向ける、惜しみない愛だよ。私、Vtuberになってかすみたんへの愛をぶちまけたいんだ」
清野がキリッとした真面目顔で続ける。
「私ね、最初はかすみたんって酷い女だと思ってたの。だって、主人公のヒロくんに対して『どうしようもないクズね』とか言ったりしてたし。でも、実はヒロくんに対してどう接していいか解らないだけだったのが2話の放課後シーンで判明するでしょ? あそこで『あっ、かすみたんエモい』って思って、それからかすみたん推しになったんだよね。それで神回の3話が来るじゃん? 『私のパンツの色を当ててみてよ』のシーン、あそこは笑ったよね。でも、あれはかすみたんなりの精一杯の歩み寄りだってわかって、泣いちゃったんだ」
「……」
聞いたこともないくらいの超絶早口でまくしたてる清野。
なんだそれは。
そんなこと──痛いほどわかるじゃないかっ!
そう! それがかすみたんの素晴らしさなのだ!
素直になりたいけど、素直になりきれないもどかしさ。
ツンデレのギャップ萌え。
応援したくなる純粋さ。
それが藤堂かすみという激萌えキャラクターなのだ!
クソっ。悔しいけど、認めざるを得ない。
薄々感じてはいたけど、やはりこいつは人気取りの「ファッションオタク」じゃなく、沼にハマった正真正銘のオタクだ。
「それでね、東小薗くんに描いてもらいたいキャラなんだけど、やっぱりかすみたんみたいなちょいエロの清楚キャラもいいかなって思って──」
「ちょ、ちょっと待って」
「……あ、かすみたんっぽいのを描くのはやっぱりファンとして無理かな? でも、その意見もわかりみ強い」
「い、いや、そういうんじゃなくて、な、何ていうか……ど、どうして清野さんはVtuberになりたいって思ってるの?」
「……どうして? やりたい理由ってこと?」
「そ、そう。だって、清野さんはモデルとかやってるし、普通に顔出ししても平気なんじゃ?」
むしろ顔出しのほうが良いまである。
なにせ清野はモデルもやっていて近々テレビドラマにも出演する、まごうことなき芸能人なのだ。
ありのままの自分を語れる「強い人間」が、キャラをかぶって配信する必要なんてないと思うのだけど。
「ん〜、顔出しは無理かな……」
清野はとても残念そうに眉根を寄せる。
「だってそういうの、マネージャの蒲田さんから禁止されてるし」
「き、禁止? ネット活動は禁止ってこと?」
「ネット活動じゃなくて、オタク系の発言がNGなんだ。事務所の意向で清楚で淑やかなイメージで売り出してるからね」
清楚で淑やかなイメージ。
つまり、清野の見た目から受ける印象でキャラ付けしてるってことか。
確かにそういうキャラで売り出すのであれば、オタクというイメージはマイナスになるかもしれない。
「まぁ、清楚キャラを演じるのは仕事として割り切ってるからいいんだけど、好きなものを好きって言えないのってストレスじゃない? だから、顔を隠して自分をさらけ出せる場所が欲しかったんだ」
「顔を隠して……自分をさらけ出せる……」
「そうそう。それに、自分が可愛いキャラクターになれるってのも最高だし」
意外だと思った。それは僕がイラストを描いてツイッターにアップしている理由と同じだったからだ。
姉の影響で絵を描き始めたけど、プロの姉に「イラストを描いている」なんて言えないし、実家にいる両親にも話していない。
好きなものを好きだと語れるのは、陽キャのような批評をものともしない「強い人間」だけなのだ。
僕のような陰キャオタクは、好きなものを語る勇気も資格もない。
だけど、顔を隠せるネットの世界なら好きなものを好きだと堂々と言うことができた。
そして──僕の好きなものを見て、「自分も好きだよ」と言ってくれる人を見つけることもできた。
清野は言う。
「どんな形であっても、たとえ少数だったとしても、自分の好きなことに共感してくれる人がいるってわかったら、なんだか救われたって感じがしない?」
「する」
つい即答してしまった。
「あ、いや……」
「……東小薗くんならそう言ってくれるって思ってた」
清野は嬉しそうに笑ってから、もぐらちゃんが映っているモニタに視線を送る。
「でも、私はイラストなんて描けないし、パソコンのこともよくわからない。だからイラストも描けてパソコンにも詳しそうな東小薗くんに手伝って欲しいなって思ったんだ。あ、もちろん私も一緒にやるし、ちゃんとお礼はするよ? だからさ、東小薗くん」
清野は姿勢を正して、深々と頭を下げる。
「お願いします。私のママになってください」
痛いほどの静寂が、マルチメディア室に広がる。
廊下の向こうから、生徒たちの笑い声がかすかに聞こえる。
正直なところ、葛藤していた。
清野は僕が嫌いな陽キャ・リア充の代表格だ。
好きなものを好きと言えるだけではなく、夢を掴んだ無敵で最強のボスキャラ。
──だけど、それは僕の思い過ごしだったのかもしれない。
彼女も僕と一緒で、好きなものを好きと言えない側の人間だった。
「……わかった」
だから僕は、はっきりと言った。
「オリジナルキャラは描いたことがないし、Vtuberのやり方とか詳しくないからうまくできるかわからないけど、頑張ってみる」
「……ホント?」
「うん、清野さんのママになるよ」
「ありがとうっ! すごく嬉しいっ!」
まるで花が咲いたように、ぱぁっと清野の顔に笑顔が広がる。
「それでね! それでね!」
「……っ」
清野が前のめりになって顔を近づけてくる分、椅子ごと後ずさりしてしまった。
「ええっと……やっぱり東小薗くんに投げっぱなしじゃ悪いかなって思って、私もVtuberのこと、色々と調べてみたんだよ!」
「し、調べた……?」
少し驚いてしまった。
頼むだけじゃなくて自分でも調べるなんて、本気なんだな。
──と思ったが。
「そしたらね、やっぱりもぐらたゃが一番可愛いなって!」
「……いや、調べたって、それ?」
思わずツッコんでしまった。
どうせなら、やり方とか技術面を調べろよ。
昼休みのマルチメディア室。
ようやく僕が描いたもぐらちゃんへの興奮がおさまった清野は、昨日のことを思い出して少し恥ずかしそうに笑った。
僕は慌ててかぶりをふる。
「い、いや、ぼぼ、僕もごめん。その、いきなり逃げたりしちゃって……」
つい僕も頭を下げてしまった。
昨日、清野にママ活的なものを申し込まれたと思った僕だったが、話を聞けば「ママ」というのはVtuberの絵師のことを指していたことがわかった。
Vtuber界では、キャラのイラストや3Dモデルを作った制作者に感謝と敬意を込めて「絵師《ママ》」と呼ぶことがあるのだ。
つまり、昨日清野はママ活を申し込んできたのではなく「自分のVtuberのキャラを作ってくれ」と頼んできたのだ。
まぁ、それがわかったところで意味不明だったので、「いや、無理です」と答えて脱兎のごとく逃げてしまったんだけど。
「ううん、平気。私って説明下手だから、うまく意味が伝わらなかったかもだし。昨日言った『ママ』っていうのは、Vtuberの絵師とか製作者のことでね」
「そ、それはわかってる。だって、僕もVtuber好きだし……」
「あ……そっか。そうだよね。すっごく可愛いもぐらたゃを描いてるもんね。東小薗くんのもぐらたゃ、ラブみが深くてつらい」
にんまりと笑顔を覗かせる清野。
うっ、眩しくて直視できない。
「あ、あの……そもそもだけど、なんで僕なの?」
「……え?」
「ぼ、僕にイラストをお願いする意味がわからない。だって、清野さんがお願いすれば、描いてくれる人なんて他にもたくさんいるだろうし」
清野は僕と違って交友関係も広いし、なんたって芸能人なのだ。やろうと思えば、姉のようなプロのイラストレーターにお願いすることもできるはず。
「ん〜……」
清野は指を顎に添えて少し考え、あっけらかんとした表情で言う。
「簡単に言えば、一目惚れかな?」
「ひっ、一目……っ!?」
「そう。昨日見た東小薗くんのかすみたん、ほんと激カワだったし、原作への愛も溢れてた。だから、東小薗くんならわかってくれるかなって思ったんだ」
「わ、わかる? ……って、何を?」
「私がかすみたんへ向ける、惜しみない愛だよ。私、Vtuberになってかすみたんへの愛をぶちまけたいんだ」
清野がキリッとした真面目顔で続ける。
「私ね、最初はかすみたんって酷い女だと思ってたの。だって、主人公のヒロくんに対して『どうしようもないクズね』とか言ったりしてたし。でも、実はヒロくんに対してどう接していいか解らないだけだったのが2話の放課後シーンで判明するでしょ? あそこで『あっ、かすみたんエモい』って思って、それからかすみたん推しになったんだよね。それで神回の3話が来るじゃん? 『私のパンツの色を当ててみてよ』のシーン、あそこは笑ったよね。でも、あれはかすみたんなりの精一杯の歩み寄りだってわかって、泣いちゃったんだ」
「……」
聞いたこともないくらいの超絶早口でまくしたてる清野。
なんだそれは。
そんなこと──痛いほどわかるじゃないかっ!
そう! それがかすみたんの素晴らしさなのだ!
素直になりたいけど、素直になりきれないもどかしさ。
ツンデレのギャップ萌え。
応援したくなる純粋さ。
それが藤堂かすみという激萌えキャラクターなのだ!
クソっ。悔しいけど、認めざるを得ない。
薄々感じてはいたけど、やはりこいつは人気取りの「ファッションオタク」じゃなく、沼にハマった正真正銘のオタクだ。
「それでね、東小薗くんに描いてもらいたいキャラなんだけど、やっぱりかすみたんみたいなちょいエロの清楚キャラもいいかなって思って──」
「ちょ、ちょっと待って」
「……あ、かすみたんっぽいのを描くのはやっぱりファンとして無理かな? でも、その意見もわかりみ強い」
「い、いや、そういうんじゃなくて、な、何ていうか……ど、どうして清野さんはVtuberになりたいって思ってるの?」
「……どうして? やりたい理由ってこと?」
「そ、そう。だって、清野さんはモデルとかやってるし、普通に顔出ししても平気なんじゃ?」
むしろ顔出しのほうが良いまである。
なにせ清野はモデルもやっていて近々テレビドラマにも出演する、まごうことなき芸能人なのだ。
ありのままの自分を語れる「強い人間」が、キャラをかぶって配信する必要なんてないと思うのだけど。
「ん〜、顔出しは無理かな……」
清野はとても残念そうに眉根を寄せる。
「だってそういうの、マネージャの蒲田さんから禁止されてるし」
「き、禁止? ネット活動は禁止ってこと?」
「ネット活動じゃなくて、オタク系の発言がNGなんだ。事務所の意向で清楚で淑やかなイメージで売り出してるからね」
清楚で淑やかなイメージ。
つまり、清野の見た目から受ける印象でキャラ付けしてるってことか。
確かにそういうキャラで売り出すのであれば、オタクというイメージはマイナスになるかもしれない。
「まぁ、清楚キャラを演じるのは仕事として割り切ってるからいいんだけど、好きなものを好きって言えないのってストレスじゃない? だから、顔を隠して自分をさらけ出せる場所が欲しかったんだ」
「顔を隠して……自分をさらけ出せる……」
「そうそう。それに、自分が可愛いキャラクターになれるってのも最高だし」
意外だと思った。それは僕がイラストを描いてツイッターにアップしている理由と同じだったからだ。
姉の影響で絵を描き始めたけど、プロの姉に「イラストを描いている」なんて言えないし、実家にいる両親にも話していない。
好きなものを好きだと語れるのは、陽キャのような批評をものともしない「強い人間」だけなのだ。
僕のような陰キャオタクは、好きなものを語る勇気も資格もない。
だけど、顔を隠せるネットの世界なら好きなものを好きだと堂々と言うことができた。
そして──僕の好きなものを見て、「自分も好きだよ」と言ってくれる人を見つけることもできた。
清野は言う。
「どんな形であっても、たとえ少数だったとしても、自分の好きなことに共感してくれる人がいるってわかったら、なんだか救われたって感じがしない?」
「する」
つい即答してしまった。
「あ、いや……」
「……東小薗くんならそう言ってくれるって思ってた」
清野は嬉しそうに笑ってから、もぐらちゃんが映っているモニタに視線を送る。
「でも、私はイラストなんて描けないし、パソコンのこともよくわからない。だからイラストも描けてパソコンにも詳しそうな東小薗くんに手伝って欲しいなって思ったんだ。あ、もちろん私も一緒にやるし、ちゃんとお礼はするよ? だからさ、東小薗くん」
清野は姿勢を正して、深々と頭を下げる。
「お願いします。私のママになってください」
痛いほどの静寂が、マルチメディア室に広がる。
廊下の向こうから、生徒たちの笑い声がかすかに聞こえる。
正直なところ、葛藤していた。
清野は僕が嫌いな陽キャ・リア充の代表格だ。
好きなものを好きと言えるだけではなく、夢を掴んだ無敵で最強のボスキャラ。
──だけど、それは僕の思い過ごしだったのかもしれない。
彼女も僕と一緒で、好きなものを好きと言えない側の人間だった。
「……わかった」
だから僕は、はっきりと言った。
「オリジナルキャラは描いたことがないし、Vtuberのやり方とか詳しくないからうまくできるかわからないけど、頑張ってみる」
「……ホント?」
「うん、清野さんのママになるよ」
「ありがとうっ! すごく嬉しいっ!」
まるで花が咲いたように、ぱぁっと清野の顔に笑顔が広がる。
「それでね! それでね!」
「……っ」
清野が前のめりになって顔を近づけてくる分、椅子ごと後ずさりしてしまった。
「ええっと……やっぱり東小薗くんに投げっぱなしじゃ悪いかなって思って、私もVtuberのこと、色々と調べてみたんだよ!」
「し、調べた……?」
少し驚いてしまった。
頼むだけじゃなくて自分でも調べるなんて、本気なんだな。
──と思ったが。
「そしたらね、やっぱりもぐらたゃが一番可愛いなって!」
「……いや、調べたって、それ?」
思わずツッコんでしまった。
どうせなら、やり方とか技術面を調べろよ。