翌日、練習には顔を出さずにおじいちゃんの待つ競輪場へと向かった。当然のように今日もついてきた秀人は、昨日のレースに興奮したのか、覚えたての言葉を使いながらおじいちゃんたちの予想座談会に参加していた。
――今日はどうするんだろう
座談会には参加しなかった私は、とりあえず今日のレース結果をぼんやり見ていた。
おじいちゃんいわく、競輪はギャンブルの中でも一番難しいものらしい。その理由は、直接人と人がぶつかり合う競技だから、そこには表に出ない複雑な人間模様がからみあい、より一層予想を難しくさせるからとのことだった。
その証拠に、一番人気で終わったレースは数えるほどしかなかった。中には、強い選手があっさり負けているレースもあり、競輪が個人の力ではなくラインの力に依存しているというのはのもわかってきた。
――役割を果たすなら、前で頑張るしかないんだよね
もれ聞こえてくる話に耳を傾けつつ、テレビに映る予想を確認する。嶋田さんのラインには、今日も格上選手がいることから、嶋田さんのラインに人気が集まっていた。
といっても、人気が集まっているのは嶋田さんの後ろの選手たちで、嶋田さんに人気があるかというと微妙な感じだった。
「千夏、始まるぞ」
ぼんやりしているところに、秀人が声をかけてくる。未成年は賭けることができないから観戦しかできないけど、既に秀人はおじいちゃんたちにも負けないくらいの勝負師の表情になっていた。
「おじいちゃん、今日は嶋田さんが先行するの?」
「おそらくな。後ろに格上選手がいる以上、昨日みたいな下手はできんからな」
じっと整列する選手たちを眺めたまま、おじいちゃんがぽつりと呟いた。その声に迷いがあるのはなんとなく伝わってきた。
号砲が鳴り、昨日と同じ光景が広がっていく。嶋田さんは昨日と違って真ん中の位置をキープしたまま、レースはゆっくりと動き始めた。
『嶋田、早く行け!』
鐘が鳴ると同時にわき上がる声援とヤジに、はらはらしながら嶋田さんを追いかける。ラインが目まぐるしく前後に入れ替わった後、嶋田さんが位置したのは最初と同じ真ん中だった。
残り一周となり、一気にスピードが上がるなか、なぜか冷めた空気が漂うのを感じた。周りを見ると、みんな嶋田さんに対するヤジを繰り返していて、とても地元選手を応援している気配はなかった。
そんな気だるい空気の中、結果的には前のラインを抜いていった嶋田さんが一着でゴールしていく。ただ、嶋田さんの後ろにいた選手は嶋田さんについていけなかったみたいで、三着以内には入っていなかった。
「おじいちゃん、嶋田さん勝ったんだよね?」
目の覚めるようなスピードで前を抜き去った嶋田さんに興奮したまま、おじいちゃんに結果を確認する。おじいちゃんはというと、嶋田さんが勝ったことに喜ぶどころか渋い顔を浮かべていた。
「勝つには勝ったが、最低なレースだった。自分だけが勝つという独りよがりのな」
吐き捨てるように口にしたおじいちゃんの言葉が、再び私の胸を抉ってきた。レースに出るからには勝つのを目標にしてもいいはずなのに、おじいちゃんだけでなく周りのみんなは嶋田さんの勝利を喜んでいなかった。
勝ったのにヤジられるという異様な光景に、私は気分が落ち着かなくなった。まるで私が独りよがりの走りをしてヤジられるような未来までもが、脳裏に浮かんできた。
「おじいちゃん、嶋田さんどうしてダメだったの?」
「ああ、今日のレースはどう考えても先行するべきだった。なのに、勝ちにこだわり過ぎて先行しなかったせいで、後ろの選手が勝ち上がれなかった。これは、ある意味で先行選手の身勝手な結果だから、非難されてもおかしくないんだ」
興ざめしていくお客さん同様、シラケた雰囲気のおじいちゃんがレースの展開を説明していく。今日のレースは、嶋田さんが先行してきっちりラインで勝ち上がってこそ、嶋田さんが役割を果たしたことになるとのことだった。
「まあ、嶋田の気持ちもわからんでもない。先行したら一着は難しくなるから、どうしても地元で一勝欲しいと考えたら、先行を避けるのも仕方がないからな」
おじいちゃんによれば、競輪では一番前を走るのが一番きついらしい。最後の半周近くになると、時速七十キロのスピードが出ていて、その風圧は台風並みになるという。
そんな苦しい中で一着目指すには、よほど脚に自信がないと難しいらしい。特に今日みたいに後ろの格上選手が勝つことを期待されたレースでは、最後に抜かれるのは目に見えていることだという。
だから、嶋田さんは先行せずに後ろからの勝負を選択した。もちろん勝つための戦法だから問題ないのだけど、結果的に後ろの格上選手を勝たせなかったことが、かえってマイナス評価にしかならなかったみたいだった。
「なんか、勝って文句言われるのってかわいそうだよ」
「まあな。だが、それだけラインというのは大切なことなんだ。ラインで勝ち上がってこそ、次につながるからな。チーム戦で個人プレイに走る奴は、結局負けるか勝っても先はないってことだ」
再び意味深な表情になったおじいちゃんが、私の顔を覗きこんで淡々と呟いた。
その言葉が、まるで私に言ってるように聞こえてきたせいで、私は下を向くしかなかった。
――今日はどうするんだろう
座談会には参加しなかった私は、とりあえず今日のレース結果をぼんやり見ていた。
おじいちゃんいわく、競輪はギャンブルの中でも一番難しいものらしい。その理由は、直接人と人がぶつかり合う競技だから、そこには表に出ない複雑な人間模様がからみあい、より一層予想を難しくさせるからとのことだった。
その証拠に、一番人気で終わったレースは数えるほどしかなかった。中には、強い選手があっさり負けているレースもあり、競輪が個人の力ではなくラインの力に依存しているというのはのもわかってきた。
――役割を果たすなら、前で頑張るしかないんだよね
もれ聞こえてくる話に耳を傾けつつ、テレビに映る予想を確認する。嶋田さんのラインには、今日も格上選手がいることから、嶋田さんのラインに人気が集まっていた。
といっても、人気が集まっているのは嶋田さんの後ろの選手たちで、嶋田さんに人気があるかというと微妙な感じだった。
「千夏、始まるぞ」
ぼんやりしているところに、秀人が声をかけてくる。未成年は賭けることができないから観戦しかできないけど、既に秀人はおじいちゃんたちにも負けないくらいの勝負師の表情になっていた。
「おじいちゃん、今日は嶋田さんが先行するの?」
「おそらくな。後ろに格上選手がいる以上、昨日みたいな下手はできんからな」
じっと整列する選手たちを眺めたまま、おじいちゃんがぽつりと呟いた。その声に迷いがあるのはなんとなく伝わってきた。
号砲が鳴り、昨日と同じ光景が広がっていく。嶋田さんは昨日と違って真ん中の位置をキープしたまま、レースはゆっくりと動き始めた。
『嶋田、早く行け!』
鐘が鳴ると同時にわき上がる声援とヤジに、はらはらしながら嶋田さんを追いかける。ラインが目まぐるしく前後に入れ替わった後、嶋田さんが位置したのは最初と同じ真ん中だった。
残り一周となり、一気にスピードが上がるなか、なぜか冷めた空気が漂うのを感じた。周りを見ると、みんな嶋田さんに対するヤジを繰り返していて、とても地元選手を応援している気配はなかった。
そんな気だるい空気の中、結果的には前のラインを抜いていった嶋田さんが一着でゴールしていく。ただ、嶋田さんの後ろにいた選手は嶋田さんについていけなかったみたいで、三着以内には入っていなかった。
「おじいちゃん、嶋田さん勝ったんだよね?」
目の覚めるようなスピードで前を抜き去った嶋田さんに興奮したまま、おじいちゃんに結果を確認する。おじいちゃんはというと、嶋田さんが勝ったことに喜ぶどころか渋い顔を浮かべていた。
「勝つには勝ったが、最低なレースだった。自分だけが勝つという独りよがりのな」
吐き捨てるように口にしたおじいちゃんの言葉が、再び私の胸を抉ってきた。レースに出るからには勝つのを目標にしてもいいはずなのに、おじいちゃんだけでなく周りのみんなは嶋田さんの勝利を喜んでいなかった。
勝ったのにヤジられるという異様な光景に、私は気分が落ち着かなくなった。まるで私が独りよがりの走りをしてヤジられるような未来までもが、脳裏に浮かんできた。
「おじいちゃん、嶋田さんどうしてダメだったの?」
「ああ、今日のレースはどう考えても先行するべきだった。なのに、勝ちにこだわり過ぎて先行しなかったせいで、後ろの選手が勝ち上がれなかった。これは、ある意味で先行選手の身勝手な結果だから、非難されてもおかしくないんだ」
興ざめしていくお客さん同様、シラケた雰囲気のおじいちゃんがレースの展開を説明していく。今日のレースは、嶋田さんが先行してきっちりラインで勝ち上がってこそ、嶋田さんが役割を果たしたことになるとのことだった。
「まあ、嶋田の気持ちもわからんでもない。先行したら一着は難しくなるから、どうしても地元で一勝欲しいと考えたら、先行を避けるのも仕方がないからな」
おじいちゃんによれば、競輪では一番前を走るのが一番きついらしい。最後の半周近くになると、時速七十キロのスピードが出ていて、その風圧は台風並みになるという。
そんな苦しい中で一着目指すには、よほど脚に自信がないと難しいらしい。特に今日みたいに後ろの格上選手が勝つことを期待されたレースでは、最後に抜かれるのは目に見えていることだという。
だから、嶋田さんは先行せずに後ろからの勝負を選択した。もちろん勝つための戦法だから問題ないのだけど、結果的に後ろの格上選手を勝たせなかったことが、かえってマイナス評価にしかならなかったみたいだった。
「なんか、勝って文句言われるのってかわいそうだよ」
「まあな。だが、それだけラインというのは大切なことなんだ。ラインで勝ち上がってこそ、次につながるからな。チーム戦で個人プレイに走る奴は、結局負けるか勝っても先はないってことだ」
再び意味深な表情になったおじいちゃんが、私の顔を覗きこんで淡々と呟いた。
その言葉が、まるで私に言ってるように聞こえてきたせいで、私は下を向くしかなかった。