「そうか」
俺は照れくさくて俯いた。
「おい、朝から仲がいいな」
そう言ってニヤッと口角を上げて笑ったのは最上だった。
「最上先生、おはよう」
「おう」
「大我、朝から真由香にキスでもしてたのか」
「あ、いや、その……」
俺は図星をつかれてしどろもどろになった。
「えっ、朝からキスしてたのか」
「そうなの、いきなり入ってきて情熱的なキスしてくれたんだよ」
「おい、真由香」
俺は最上には知られたくなかったが、もう後の祭りだった。
「へえ、そうなんだ、大我らしくないな」
「そんなことはないよ、俺は真由香の気持ちをちゃんと受け止めなくちゃって思っただけだ」
「良かったな、真由香」
「うん」
「もう、外来始まるぞ、大我、早く行け」
俺は最上に追い立てられるように病室を後にした。
いよいよ、真由香の手術の日がやってきた。
仕事も手につかない状態で、時間だけが過ぎていった。
手術が終わる予定時刻に、最上から連絡が入った。
「真由香の手術は無事終了したよ、しばらく様子を見ないといけないが、とりあえず安心だな」
「ありがとう、最上、世話かけたな」
真由香は少しずつ回復に向かっていた。
そんなある日、思いもよらぬ出来事が起きた。
真由香は車椅子でトイレにいけるまで回復していた。
私はトイレに行った帰り、ナースステーションを通りかかった時、看護師さんの話し声を耳にした。
ナースステーション横のドアがほんの少し開いており、そこから聞こえてきたのは「やっぱり癌だったんですってね、まだ二十歳なのに、もう手遅れで、何も出来ないままインオペしたって、最上先生の腕をもっても不可能なことはあるのね」と……
信じられなかった。身体の力が抜けて、私はすぐに病室に向かった。
嘘、私、癌?
最上先生の嘘つき、助けられない命はないって言ってたのに、嘘つき。
私は布団をかぶって泣いた。
その日の夕方、手術後の診察に最上先生が私の病室を訪れた。
「真由香、どうだ」
私は布団をかぶって答えなかった。
「あれ、ご機嫌斜めなのか、大我はまたキスしてくれなくなったのかな」
「最上先生なんて大っ嫌い」
私は布団の中から叫んだ。
「おい、俺に対して怒ってるのか、それはないぜ、俺は真由香の担当医だぞ」
「最上先生と話したくない、出て行って」
私は布団の中でワンワン泣いた。
「そうかよ、勝手にしろ」
最上先生は病室を出て行った。
誰も悪くない、最上先生は私の病気を一生懸命に治そうとしてくれたのに、ひどいことを言っちゃった。
それから外来も終わり、病院内は静かになった。
そんな時、外来を終えた俺は最上の元を訪れた。
「どうだ、真由香の様子は……」
「分かんねえけど、俺、すっかり嫌われた」
俺は最上の言ってることが理解出来ずにいた。
「大っ嫌い、出て行ってって言われた」
「真由香はどうしたんだろうな」
「分かんねえ、お前が様子見てこいよ」
俺は真由香の病室に向かった。
「真由香、まだ傷口痛むか」
真由香は俺の方に向きを変えて、泣きながら抱きついてきた。
「どうした、寂しかったのか」
肩を震わせてひくひく泣きじゃくっていた。
「あのね、最上先生にひどいこと言っちゃったの」
「何を言ったんだ」
「大嫌いって」
「なんでそんなこと言ったんだ」
「あのね……」
真由香は急に黙った。
駄目、もしかして大我はまだ知らないかも、私が癌だって知ったら落ち込んじゃう。
そんな可哀想なこと出来ないよ。
私は涙を拭って、笑顔を作った。
「なんでもない、ちょっとおへそが曲がっちゃったの」
「そうか、じゃあ、後で謝るんだな」
「うん」
それからたわいもない話をして大我は病室を後にした。
俺は真由香は何かを隠していると察した。
いつもは俺に不満をストレートにぶつけてくるのに、今日の真由香は違っていた。
それからしばらく平穏な日々が流れた。
でも、真由香は少しずつ、心のバランスが取れなくなり、ふらっと屋上へ上がって行った。
病室にいない真由香を最上は必死に探した。
俺にも連絡が入り、外来を他の先生に任せて病院中をくまなく探した。
「大我、真由香は屋上にいた」
「えっ」
最上からの連絡で、屋上に急いだ。
「真由香、どうした、危ないからこっちに来い」
俺が屋上に駆けつけた時、思いもよらない状態になっていた。
真由香は病院の屋上の柵を乗り越えていた。
その真由香に必死に声をかけていたのが最上だった。
俺は訳が分からず、でも真由香が危険な状態だということだけはわかり、真由香に近づいた。
「来ないで、それ以上近づいたら飛び降りるから」
「何を言ってるんだ、ちゃんと説明してくれ、真由香」
俺は真由香の言葉に一歩たりとも足が動かなかった。
俺と真由香が話している隙に、最上が真由香に近づいた。
「最上先生もそれ以上近づかないで」
最上もその場に立ち止まった。
最上は真由香に言葉をかけた。
「真由香、お前死にたいのか」
「そんなことないよ、でも私は癌なんでしょ?どうせ死ぬんでしょ」
「誰がそんなこと言ったんだ」
俺は真由香の癌だという言葉に心臓が止まるような驚きを感じた。
「だって、看護師さん達が話していたもん、二十歳の患者さん、癌なんだって、最上先生も打ち手なくてインオペしたって」
「お前その患者が自分だと思ったのか」
最上はふっと笑い、呆れた表情を見せた。
「だって、他にいるの?」
「ああ、俺の医者としての人生で初めて手の施しようもない患者だった」
「私じゃない?」
「バーカ、お前はどんどん良くなるよ」
「本当?」
「当たり前だろ、俺の患者で何人も助からない患者がいたら、俺は医者を辞める」
真由香は安心したように手から力が抜けて、バランスを崩し、落ちそうになった。
「きゃっ」
最上は咄嗟に真由香の手を掴み、内側に引き寄せた。
しかし、足が外れて宙ぶらりんの体勢になった。
「助けて」
最上は体勢が悪かったため、上半身が柵の外側に落ちた。
「大我、俺を引き上げてくれ」
「分かった」
「せーの」
俺は最上を必死に引き上げた。
「大我、俺は大丈夫だから、真由香を抱き上げてくれ」
「ああ」
俺は真由香を抱き上げた。
真由香は恐怖とショックで泣き出した。
俺は真由香をギュッと抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と声をかけた。
最上は起き上がり「ばかやろう、命を粗末にするな」と真由香に対して怒鳴った。
「真由香は自分が癌かもしれないと気が動転したんだ」
「お前は本当に甘いな、俺はどんな理由があっても命を粗末にするやつは許せないんだ」
「ああ、分かってる、俺だってこれでも医者だからな、お前と同じ気持ちだよ」
最上の気持ちは痛いほどによくわかる。
「でも良かった、真由香、病室に戻ろう」
最上は真由香に対して、一言言った。
「いいか、よく聞け、お前は癌じゃない、死のうなんて思うな、分かったな」
「うん、最上先生、ごめんなさい」
俺と真由香は病室へ向かった。
しばらくして真由香は退院することが決まった。
「世話になった、最上ありがとう」
「最上先生、ありがとうございました」
「絶対無理するな、何かあったらすぐに大我に言うんだぞ」
「うん」
俺と真由香はマンションに向かった。
「大我、ずっと一緒だよね」
「ああ、ずっと一緒だ」
この日の夜、俺と真由香ははじめて身体を重ねた。
「大好きよ、大我」
「俺も真由香が大好きだ」
朝まで真由香を抱きしめて離さなかった。
END