「……んぅ……」

 ふと、小さな声がこぼれた。
 シャルロッテはぼんやりした意識の中、ゆっくりと目を開ける。

「……なに、ここ?」

 まず目に入ってきたのはボロボロの天井だ。
 雨漏りを繰り返しているらしく、一部は腐っている。

 木が腐った匂いと泥の匂い。
 シャルロッテは思わず眉をしかめてしまう。

「なに!?」

 視界の端でなにかが動いた。
 慌てて起き上がり、身構える。

「……なんだ、ネズミなのね」

 小動物の根城になっているみたいだ。
 ネズミ達は見知らぬ来訪者を警戒しているらしく、遠巻きにシャルロッテを観察している。

「わたくし、どうしてこのようなところに……」

 曖昧な記憶を掘り返して、今に至るまでを思い出す。

 いつものように授業が終わり、放課後が訪れた。
 その日、シャルロッテはフィアと一緒に放課後を過ごすことにした。
 色々とあって最近は一緒の時間を過ごせなかったから、その分、一緒に過ごそうと思ったのだ。

 街へ出て買い物をした。
 人気のカフェでパンケーキを食べた。
 そのままカフェでおしゃべりをして……

 気がつけば陽が暮れ始めていた。
 そろそろ寮に戻ろうと帰路を辿り、しかし、途中でローブで顔も隠した妙な男が現れた。

 ……そこでシャルロッテの記憶は途切れている。

「このわたくしとあろう者が誘拐された? ブリューナク家を継ぐ者として、なんて恥ずかしいことを……でも、それよりも」

 シャルロッテは慌てて室内を見た。
 フィアはいない。

 シャルロッテだけがさらわれたのか。
 あるいは、他の部屋に囚われているのか。

 シャルロッテは、前者の可能性を推すような楽観的な思考はしていない。
 フィアもさらわれたと考えるべき。
 そう判断して、思考を加速、鋭い表情に切り替えた。

「それにしても……」

 シャルロッテは自分の体を見た。

 寝ている間に傷つけられた様子はない。
 両手足を縛られるなど拘束されているわけでもない。

「なんなのですか、これ?」

 いつでも逃げてください、というような扱いにシャルロッテは困惑してしまう。

 間違いなく誘拐されたはずなのだけど、その後の扱いは雑だ。
 果たして、自分は本当に誘拐されたのだろうか?
 ついついそんな疑問を持ってしまう。

「ひとまず、フィアを探さないとですわ」

 シャルロッテは部屋を出ようとするが、

「あら?」

 ドアノブに手を伸ばすものの、なぜか回らない。
 錆びついていて動きが悪いわけではなくて、欠片も動かない。
 まるでドアノブ全体が接着剤で固定されているかのようだ。

「これは……」

 とある考えが思い浮かび、シャルロッテは苦い表情に。
 それから慌てた様子で窓の前に移動した。

 窓はボロボロで枠は朽ちている。
 ガラスも半分ほどが割れていて、外の景色がよく見えていた。

 ただ……隙間風は一切入ってこない。

 シャルロッテはそっと手を伸ばして……
 しかし、途中で手が止まる。
 止められてしまう。

 窓の手前に不可視の壁が展開されていた。
 その先に進むことはできない。

「結界、ですわね」

 学院の訓練場にある結界と似たようなものだろう。
 ただ、こちらは中の人間を逃さないことに特化している様子で、とにかく硬く、それでいて柔軟性がある。

 ボロボロの屋敷。
 手足を拘束されていない。
 そんな状況で放置されていたのは結界があるからだろう。

「ふふん、でも、これくらいの結界、ブチ壊してさしあげますわ!」

 しかし、シャルロッテは絶望なんてしない。

 目の前に壁があるのなら、粉砕する。
 それが彼女の流儀だ。

 シャルロッテは窓から離れて、部屋の中央に戻る。
 そして手の平を前に、魔力を収束させていく。

「火炎槍<ファイアランス>!」

 呪を紡ぐワードを力強く言い放つ。
 火の精霊に語りかけて、魔力を糧として対価をもらう。
 炎の槍が出現……するはずだった。

「え?」

 なにも起きない。
 シャルロッテの声が響くだけだ。

「魔法が……使えない?」