エリゼの体を考えて、家の庭を散歩するだけに。

 家の庭だけでも、実のところけっこう広い。
 ストライン家は名門貴族なので、それ相応の屋敷と庭を持っている、というわけだ。

 その庭は広く、庭師によって手入れされた綺麗な花が飾られている。
 なので、庭だけだとしても散歩には困らない。

「えへへ」

 エリゼはごきげんな様子で、ふにゃっと笑う。

「どうしたんだ?」
「お兄ちゃんが隣にいるのがうれしくて」
「いつも一緒にいるじゃないか」
「ウソです。最近のお兄ちゃんは、一人で色々なことをしてて、あまりかまってくれないじゃないですか」

 ぷくー、とエリゼの頬がふくれた。

 ……言われてみると、訓練や勉強を優先しているな。

 俺の目的は、前世以上に強くなること。
 そして、今度こそ魔王を討ち果たすこと。

 そのために、妹と仲良くなる必要はないのだけど……

「むー」
「う……」

 どうにも、エリゼに勝てる気がしない。

 妹の願いを叶えてあげたいというか。
 笑顔にしてあげたいというか。
 よくわらないけれど、そんなことを考えてしまう。

「悪かったよ。これからは、もう少し一緒にいられるようにするから」
「本当ですか!?」
「ああ、本当だ。約束する」
「うれしいです。えへへ……お兄ちゃんと一緒♪ お兄ちゃんと一緒♪」

 なにこのかわいい生き物。

「お兄ちゃん? どうしたんですか?」
「……いや、なんでも」

 見惚れていた、なんて恥ずかしくて言えなかった。

「ちょっと、ぼーっとしてただけだよ」
「疲れたんですか? そろそろ、おうちに戻りますか?」
「いや、俺は大丈夫。それより、エリゼこそ疲れていないか? それと、退屈はしていないか?」
「いいえ、私も大丈夫ですよ。それに、お兄ちゃんとおしゃべりするのは楽しいですから。むしろ、うれしいです」

 にっこりと笑うエリゼは、野原に咲く花のようだ。
 その笑顔に癒やされるような感覚を抱くのだけど……

「……まあ、こういうのも悪くないか」
「お兄ちゃん?」
「なんでもない。それじゃあ、散歩の続きを……」
「レン、エリゼ」

 散歩に戻ろうとしたところで、第三者の声が飛んできた。

 振り返ると、姉のアラムが。
 こちらを睨みつつ、ツカツカと歩いてくる。

 途中で視線をエリゼに切り替える。
 その目は柔らかく、優しく、表情も穏やかだ。

「よかった。部屋にいないから心配したのよ?」
「お姉ちゃん……ごめんなさい、心配をかけて。お兄ちゃんと散歩をしていたんです」
「そう、散歩を」

 アラムは困った顔に。

「体を動かしたい気持ちはわかるわ。でも、この前、風邪を引いたばかりでしょう? 無理をしたら、再発してしまうわ。今日はおとなしく部屋で休んでいて」
「えっと……」
「エリゼ。私を困らせないでちょうだい」
「……はい」

 エリゼはしゅんと肩を落として、部屋に戻ろうとする。
 って、勝手に話を進められても困るんだけどな。

「アラム姉さん。俺は今、エリゼと散歩をしている最中なんですけど」

 一応目上なので、口調には気をつける。

「レン」

 アラムは蔑むような視線をこちらに向けた。

「男であるあなたが、この私に意見なんてしないでくれる? そんなことをして、タダで済むと思っているのかしら?」
「タダで済まないということは、お金がかかるんですか? いくらですか?」
「このっ……!」

 ちょっとからかっただけなのに、アラムは顔を赤くして怒った。
 うん。瞬間湯沸かし器かな?

「もう一度言いますが、エリゼは俺と散歩をしている最中なんです。アラム姉さんは邪魔をしないでくれますか?」
「……邪魔なんてしていないわ。エリゼのことを考えての発言よ」

 さすが貴族というべきか、すぐに落ち着きを取り戻した。

「エリゼは散歩を続けたいみたいですよ?」
「散歩なら、私が今度付き合うわ。今は、エリゼの体調が優先よ」
「それなら問題ありません。俺がちゃんと見ているので」
「ふん……男であるレンなんて、信用できないわね。どうせ、つまらない失敗をしてエリゼを危険に晒すんじゃない?」

 やれやれ、とため息をこぼしてしまいそうになる。

 女性だけが魔法を使うことができて、男性は能力を持たない。
 そんな世界なので、女尊男卑になりやすいところはあるが……

 ただ、アラムのように、ここまで苛烈なのは珍しい方だ。
 女尊男卑の世の中といっても、女性は意味もなく男性を下に見ることはない。
 むしろ、与えられた能力を世のため人のために使い、男性と共に手を取り合う……それが『良き女性』とされている。

 今のアラムは、男である、という理由で俺にきつく当たり、敵視して……
 良き女性からどんどん離れていっていた。

 エリゼが産まれる前……
 俺もアラムも小さい頃は、普通に仲の良い姉弟としてうまくやれていたと思うんだけど。
 どうしてこうなったのやら。

「エリゼ。あなたは、私とレン、どちらの言うことを聞くのかしら? 当然、私よね? 男であるレンの意見なんて、聞く必要はないわよね?」
「あぅ……お姉ちゃん、そういうことは……私、お兄ちゃんとお姉ちゃんに仲良くしてほしいです」
「それは……」

 アラムはなんともいえない微妙な顔に。

「ケンカはしないでください……私、部屋に戻りますね」

 エリゼが悲しそうにしながらも、アラムの言うとおりにしようとした。

 アラムは俺のことを嫌っているが、エリゼのことは溺愛している。
 俺もかわいいと思うくらいだから、その魅力にアラムもやられているのだろう。

 で……

 そんなかわいい妹が、男である俺を慕っているのが気に入らないらしい。
 アラムは、日々、俺に色々な嫌がらせをしている。
 今回の件も、俺とエリゼを引き離したいだけなのだろう。

 ただ、エリゼは優しい子だから、俺達の争いを望んでいない。
 そのため、素直に部屋へ戻ろうとしたのだけど……そうやって、シュンとした顔を見せられてしまうと放っておけない。

「アラム姉さん」
「なに? というか、あなたは不用意に外に出ないでちょうだい。ストライン家に無能の男がいるなんてこと、本当は隠しておきたいんだから。我が家の恥を世間に晒してしまうわ。それと、気軽に話しかけ……」
「睡眠<スリープ>」

 魔法を使い、アラムを眠らせた。
 アラムは地面の上に転がり、いびきをかきはじめる。

「これでよし」
「え? え?」
「エリゼ、散歩の続きをしよう」
「今、お兄ちゃんはなにを……? 魔法? でも、そんなことは……あれ?」

 エリゼは、地面で寝ているアラムと俺の顔を交互に見る。

「今のうちに行こう」
「で、でも……こんなことをしたら、後でお兄ちゃんが……」
「大丈夫だよ。なんとかなるさ」
「なんとか、って……」
「ほら、行くぞ」

 エリゼの手を引いた。

 エリゼは、最初は困惑するような顔をしていたのだけど……
 やがて、くすりと笑う。

「ふふっ……こんな時になんですけど、ちょっと楽しいです」
「エリゼは悪い子になったのかもな」
「私、悪い子になっちゃったんですか?」
「イヤか?」
「……いいえ。お兄ちゃんと一緒なら、うれしいです♪」

 エリゼが笑い、俺の隣に並ぶ。

 ……ふと、思う。
 この笑顔をずっと見ていたいな、って。