「剣はどこで学んだんだ?」
「……」
「得意な魔法は? 俺は……」
「少し黙って」
「お、おう……」
受験生同士、スキンシップを図ろうとしたのだけど、一蹴されてしまう。
うーん、取り付く島もない。
放っておくしかないかな?
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「うん?」
「諦めたらいけないと思います」
こちらの心を読んだかのように、エリゼがそう言う。
「どうして……」
「お兄ちゃんの考えていることくらい、なんとなくですけどわかります。私は、お兄ちゃんの妹なんですから」
「……エリゼ……」
「大丈夫です。きっと、アリーシャちゃんと仲良くなれます。だから、諦めないでほしいです」
「……そうだな」
苦笑しつつ、エリゼの頭を撫でる。
ダメなら諦める。
試験の間だけの関係だから、あえて仲良くなる必要もない。
そんなことを考えていたけれど……
エリゼの言葉で考えを改めた。
一期一会という言葉もある。
それに、アリーシャに興味もある。
できる限り、仲良くできるようにやってみるか。
……とはいえ、なかなか仲良くなることができない。
なにかきっかけがあればいいんだけど、今のところチャンスはゼロだ。
どうしたものか?
考えつつ、ダンジョンの攻略を進める。
「また出てきたわね」
階層を進むに連れて、魔物との遭遇頻度が高くなってきた。
だいたい、十分に一戦の割合だろうか?
魔物の強さは大したことないけど、なかなか厄介だ。
うまくやらないと休憩を挟むことができず、連戦を強いられてしまう。
下手をしたらそのまま脱落……なんてこともあるだろう。
よく考えられた試験だ。
個々の力だけじゃなくて、パーティーの連携が試されている。
俺達はそれほど問題はない。
「火炎槍<ファイアランス>!」
俺の魔法が魔物を炭にした。
その間に、アリーシャが横から襲ってきた魔物を剣で斬る。
うん。
仲はぎくしゃくしているが、戦闘の連携は問題ない。
わりとうまくやれている方だ。
……ただ、これ以上の強敵が出てきたら少し危ないかな?
「終わりね」
「……」
「お兄ちゃん?」
アリーシャは剣を鞘に戻すが、俺は周囲の警戒を続ける。
そんな俺を見て、エリゼが小首を傾げた。
「なんか嫌な気配がするな」
「もしかして、まだ魔物が?」
「……見当たらないけど?」
アリーシャは周囲を見てから、呆れた様子で言う。
「勘みたいなものだからな。確証があるわけじゃない」
「なによそれ」
「とにかく警戒を……っ!? 上だ!」
「え?」
天井に毒々しい色のスライムが張り付いていた。
こちらが攻撃するよりも先に、青い霧を吹き出してきた。
毒か!?
「逃げ……」
警告は遅く、俺達は青い霧に飲み込まれてしまう。
――――――――――
「……あれ?」
身構えること少し。
一向に体に異常が起きることはなくて、なんてことはない。
毒だと思ったが、違ったのだろうか?
「うぅ……」
「エリゼ!?」
エリゼが苦しそうにしているのが見えた。
慌てて駆けより、抱き起こす。
「大丈夫か? エリゼ!」
「……お兄、ちゃん?」
エリゼがそっと目を開いた。
よかった、意識が戻ったみたいだ。
「痛いところはあるか? 気持ち悪いとか、そういうのは?」
「えっと……大丈夫だと思います」
そう言いつつも、エリゼの顔色はすごく悪い。
「ただ……すごく嫌な夢を見ていました」
「嫌な夢?」
「はい。その……昔にあった、ちょっと嫌な夢です。なんで、こんな時に……?」
エリゼの話に心当たりがあった。
スライムが放った青い霧は、幻覚を見せる類のものだったかもしれない。
対象のトラウマを引き起こすようなもので、そうして精神的にダメージを与える。
そう考えれば納得だ。
俺は……
トラウマっていうほどトラウマがないからな。
だから、大したことはなかったんだろう。
「そうだ。アリーシャは……」
「……やめて」
ふと、今にも泣きそうな声が聞こえてきた。
アリーシャだ。
うつろな目をして、涙を流している。
「やめてやめてやめて……やめてぇえええええっ!!!」
「アリーシャちゃん!?」
「待て、エリゼ!」
エリゼが慌てて駆け寄ろうとするが、それを手で制した。
アリーシャは剣の柄に手をかけていた。
錯乱しているようだから、下手をしたら攻撃されてしまう。
「俺に任せろ」
「お兄ちゃん、アリーシャちゃんを……!」
「わかっている、傷つけたりしないから」
妹の信頼を裏切ることはできないな。
幸いというか、アリーシャの状態に心当たりがある。
パニック状態に陥る、状態異常を受けたのだろう。
なら治療方法はある。
「解毒<クリア>!」
淡い光がアリーシャを包み込んだ。
ホタルのように優しく彼女を抱きしめて……そして、その瞳を正気に戻る。
「……あ……」
アリーシャの膝から力が抜けて、そのまま崩れ落ちる。
「アリーシャちゃん!」
「大丈夫か?」
慌てて駆け寄る。
見た感じ、怪我はない。
でも、見ただけでわからないだけで、重要な問題が隠されているかもしれない。
「アリーシャちゃん、大丈夫ですか? アリーシャちゃん!」
「……近くでそんなに叫ばないで」
アリーシャはふらふらしつつも、ゆっくりと立ち上がる。
ただ、すぐ壁に寄りかかってしまう。
「無理はしない方がいい。少し休もう」
「でも、試験が……」
「良いペースで攻略が進んでいたから、少しなら問題ないさ。それよりも、今はアリーシャの方が心配だ」
「……ごめんなさい」
そこは、ありがとう、と言ってほしかったのだけど……
まだそこまで心は許してもらっていないか。
「ほら、水」
「……」
アリーシャは無言で水筒を受け取り、それに口をつけた。
少し落ち着いたらしく、さきほどより表情が柔らかくなる。
「お兄ちゃん、アリーシャちゃんは大丈夫ですか……?」
「ああ、問題はないよ。ちょっとしたトラップに引っかかっただけだ」
「トラップ?」
「スライムが霧のようなものを吐き出していただろう? あれはたぶん、幻覚作用を見せるものなんだ。対象のトラウマを刺激するとか、そういう類の質の悪いものだ」
「あ、それで……」
エリゼは心当たりがある様子を見せた。
先程、意識を失っている間にトラウマを見せられていたのだろう。
「お兄ちゃんは大丈夫だったんですか?」
「まあ……なんとか」
前世を含めて、わりと好き勝手生きてきたから、トラウマになるようなことないんだよな。
ただ、ぼんやりとだけどエリゼの姿が見えた。
エリゼがいなくなるとか、そういう悪い幻覚を見せられた可能性もあったのかもしれない。
「ったく、悪質なトラップを用意するんだな」
試験とはいえ、少しやりすぎじゃないだろうか?
なんていうか、手慣れていない感じがするな。
学院の教師達に任せていたら、なんか、とんでもないことが起こりそうだった。
――――――――――
「大丈夫か?」
「……」
休憩中。
声をかけるものの、アリーシャの返事はない。
ぷくーっと、エリゼが頬を膨らませた。
「アリーシャちゃん、返事は大事ですよ」
「……そう」
「むう」
さっきよりも態度が頑なになっている。
さきほどの問題に触れてくれるな、とそう言っているかのようだ。
エリゼもそれを感じているから、踏み込んでいいか迷っているのだろう。
なので、
「アリーシャはどんなトラウマを見たんだ?」
俺が踏み込んでみることにした。
ギロリと睨まれるものの、大して怖くない。
前世には、もっと厄介で面倒な人がいたものだ。
そいつらと比べると、アリーシャなんてかわいいもの。
「あなた、図々しいとか言われない?」
「そんなことないよ」
「白々しいわね……話す必要が?」
「無理に聞くつもりはないけど……」
エリゼが気にしている。
それに……
「……気になるんだよ」
アリーシャは家族じゃない。
出会ったばかりで、大事な人というわけでもない。
でも……
目を離すことができないというか、ついつい気になってしまう。
エリゼの影響を受けているのかもしれない。
「……私は死神に魅入られているの」
迷うような間を挟んだ後、アリーシャはそう言った。
「それって、試験の前にも言ってたけど……」
「比喩じゃないわ。本当のことよ」
アリーシャは剣をこちらに差し出してきた。
綺麗な装飾が施されているが、やや過剰な気がした。
剣を軽く抜いてみると、ゾクリと背中に悪寒が走る。
なんだ、この感覚は……?
「この剣……すごく嫌な感じがします」
「見る目あるのね」
「どういう意味ですか?」
「その剣は、死神が宿っているの」
「死神……ですか?」
エリゼが剣を二度見する。
ただ、死神なんてものは出てこない。
「どういうことなんだ?」
「その剣には死神が宿っていた、時々だけど、あたしは体を勝手に使われるの」
「そんなことが……」
「その剣のせいで、あたしは一人になった。家族も友達も……みんな死んだ」
その時のことを思い返しているのか、アリーシャは血が出そうなほど拳を握りしめていた。
死神の真偽はわからない。
でも、彼女が嘘を吐いていないことは、その様子を見れば明らかだ。
「剣を手放すことは?」
「できないわ。呪われた装備、っていうのかしら? 捨てることは無理。壊そうとしたこともあったけど、無理だったわ」
「そっか」
「せめて制御できるようになりたいって、剣の腕を磨いたの。でも、うまくいかなくて……魔法学院に入学してさらに強くなれば、うまくいくんじゃないか、って」
「だから試験を?」
「そうよ」
力を求めるところは、俺と似ている気がした。
でも、彼女の場合は、根本にある想いはまったく違う。
生きていくため。
そして、誰も傷つけないようにするため。
アリーシャは、きっと、とても優しい女の子だ。
「あたしに関わる人はみんな死ぬ。親しい人も親しくない人も、みんな、みんな、みんな……ううん。死ぬというよりは私が殺すの」
「……」
「だから、あたしに関わらない方がいいわ」
拒絶の言葉を叩きつけられてしまう。
彼女は、きっと優しい心を持っている。
だからこそ、今の言葉は本心なのだろう。
俺達のことを傷つけたくない。
そう気にかけてくれているのだろう。
そんなアリーシャの優しさを感じたからこそ、俺はなにも言えない。
……ただ、エリゼは違った」
「アリーシャちゃんは、とても優しい人なんですね」
「……なにを言っているの? あたしは死神に魅入られているのよ? あたしの話、ちゃんと聞いていた?」
「聞いていましたよ? たくさんの不幸があったんですよね? それはとても辛いですよね……」
「だったら」
「でも、アリーシャちゃんが悪いなんてこと、絶対にありません」
きっぱりと断言してしまう。
アリーシャだけじゃなくて、俺も驚いてしまう。
「そんなわけ……!」
「あります」
言葉を途中で遮り、なおも強く主張する。
そんな話は認めてたまるものかと、エリゼは瞳に強い意思を宿していた。
「アリーシャちゃんなにもしていないじゃないですか。悪いのは、全部、死神です」
「そんな子供みたいな言い訳……」
「むしろ、アリーシャちゃんが、どうしてそこまで責任を負わないといけないのかわからないです。どう考えても事故じゃないですか。無理矢理させられているようなことなのに、そこまで責任を感じることはないと思います」
「……」
「でも、そこまで気にして、私達のことも気にかけてくれて……だから、アリーシャちゃんは優しい女の子なんです」
エリゼがにっこりと笑い、そんな結論を出した。
「……」
なにも言えなくなった様子で、アリーシャは視線を逸らす。
その顔には戸惑いの色が。
エリゼみたいな子は初めてなのだろう。
うん。俺も驚いている。
まさか、エリゼがこんなことを考えていたなんて……
それはエリゼの優しさ。
そういう心を持つことは、とても大事……なのかもしれない。
俺もまだ色々なことを勉強中だ。
こうして、妹に気付かされることも多い。
……まだまだ未熟だな。
「俺もエリゼの言葉を支持するよ」
「あなたまで……」
「で……ついでに言っておくと、パーティーの解散なんてしないからな?」
「う……」
予想が的中したらしく、アリーシャは小さくうめいた。
私と一緒にいない方がいい、と言い出すかと思ったけど、その通りだったらしい。
「でも、私は死神が……」
「なにかあれば、俺がなんとかしてみせる」
強く、ハッキリと。
己の意思を伝えるように言い切った。
「……あ……」
「トラブルが起きたとしても、どうにかする。いきなりは難しいだろうけど、少しでも俺を信じてくれないか?」
「それは……」
「あと、パーティーを解散したら不合格になる。合格するには、このまま一緒に行動しないと」
「……勝手にすれば」
突き放すようなことはせず。
アリーシャはそう言って、先を歩き出した。
素直になれないものの、ひとまずは受け入れてくれたということかな?
なら、それに応えてみせないと。
――――――――――
訓練用のダンジョンを探索することしばらく……
地下三階へ降りる階段を見つけた。
「けっこう順調だな。この調子なら、問題なく試験をクリアーできそうだ」
「呑気なことを……」
「アリーシャとエリゼがいるからな。死神はともかく、アリーシャの剣は頼りにしているよ」
「……ふん」
「お兄ちゃん、アリーシャちゃん。早く行きましょう」
アリーシャが地下三階に降りる。
俺達も後に続いた。
「ん?」
地下三階に降りたところで、妙な気配を感じた。
奥の方から強い魔物の気配を感じる。
以前戦ったドラゴンと似た感じだ。
ここはダンジョンだけど、あくまでも試験。
そこまで凶暴な魔物はいないと聞いているのだけど……
「エリゼ、アリーシャ。俺の後ろへ」
「え?」
「なによ」
「いいから、今は従ってくれ」
強い口調で言うと、二人は素直に俺の後ろへ。
二人を背中にかばい、いつでも魔法を唱えられるように構える。
そうして、少しの間、様子を見ていると……
「いやあああああっ!!!?」
奥から、たくさんの受験生達が駆けてきた。
皆、恐怖の表情を浮かべていて、一心不乱に『なにか』から逃げている。
「おい、どうしたんだ?」
……と、声をかけてみるものの、まともに答えてくれる人はいない。
逃げ出した受験生達は、そのまま地下二階へ移動してしまった。
「なんだ?」
「どうしたんでしょうね……?」
「この奥が最深部だから、証を守る魔物に恐れをなしたんじゃない?」
普通に考えると、アリーシャの推測が正解に近いと思う。
ただ、あそこまで怯えていたのが気になる。
それと、強力な魔物の気配……
なにかイレギュラーが発生しているのかもしれないな。
「これは……」
ほどなくして俺達も最深部にたどり着いて……
それを見た。
巨大な角と槍のように鋭い牙。
丸太よりも太い四肢は、筋肉の鎧のような体をしっかりと支えている。
猛牛にも似た姿を持つその魔物の名前は……ベヒーモス。
上級に分類される魔物で、並の冒険者が百人集まっても倒せないと言われている。
「グルァアアアアアッ!!!」
俺達をその視界に収めると、ベヒーモスは凶悪な咆哮を発した。
「空間歪曲場<ディメンションフィールド>!」
ベヒーモスの突進を防ぐべく、即座に魔法を発動した。
不可視の力場が形成されるが……
ギィンッ!!!
「ぐっ!?」
一瞬、ベヒーモスの動きが止まるものの……
不可視の力場はベヒーモスの馬鹿力に耐えきれず、そのまま押し切られた。
盾と一緒に吹き飛ばされてしまう。
「お兄ちゃん!?」
「大丈夫だ!」
さすがに、ベヒーモスの一撃を中級の魔法で防ぐことはできないか。
上級の魔法で対処しないといけないが……
でも、ここはダンジョンの中。
あまり派手な魔法を使うと、崩落して生き埋めになってしまうかもしれない。
わりと厄介な状況だ。
「うぅ……わ、私もがんばらないと」
エリゼは気丈に立ち向かおうとするが、その足は震えていた。
仕方ない。
というか、当たり前だ。
エリクサーを飲んで強靭な体と魔力を手に入れたものの、実戦経験は皆無だ。
いきなりこんな化け物と遭遇して、冷静でいられる方がおかしい。
一方のアリーシャは落ち着いていた。
焦りの表情は浮かべているものの、それほど取り乱すことなく、剣を抜いている。
さすが、というべきか。
先に語った通り、修羅場を何度も潜り抜けてきたのだろう。
ただ、まあ……それは喜ぶべきことじゃないけど。
「なんでベヒーモスが……! まさか、これも試験だっていうの?」
「いや、さすがにそれはないだろう」
これは、試験官も誤算のはず。
「たぶん、突然変異だろうな」
「突然変異?」
「今回の試験のために、ダンジョン内に無数の魔物が放たれた。でも、獲物となる人間はいないし、試験官によって守られている。そのせいで魔物同士の共食いが始まって……そんな過酷な生存競争を勝ち抜いて、進化した個体が現れたのかもしれない。こういう限られた空間だと、稀にだけど起きることだ」
「やけに詳しいのね?」
「まあ、色々と」
前世から積み重ねられてきた知識のおかげ、とは言えない。
「そんなことよりも、あいつをどうにかしないと」
「そうね。このままだと、あたし達は全滅ね」
「わ、私……がんばり、ますっ!」
二人はやる気だ。
アリーシャの剣はレベルが高く、エリゼも治癒魔法に優れている。
うまく立ち回れば、あるいは……
いや。
これは試験官にとってもイレギュラーなはず。
ここで無理をするよりは、二人の安全を最優先に考えた方がいい。
「二人共、ここは一旦……」
退くぞ。
そう言おうとした時、ベヒーモスが動いた。
「グルァッ!!!」
叫びつつ、火球を吐き出してきた。
って、火球!?
ベヒーモスはそんな行動パターンはないはずなのに……
この500年で、魔物も独自の進化を遂げた?
「このっ!」
アリーシャが剣を閃かせた。
火球を切り払い、エリゼを守る。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます、アリーシャちゃん」
「とにかく、退くわよ。あんな化け物、相手にしてられないわ」
「ああ、問題ない」
アリーシャに賛成だ。
あいつを倒さないと合格できないとか。
逃げ遅れた人がいるとか。
そういう事情がない限り、無理をしたくない。
なによりもエリゼの安全が第一だ。
妹に危害が及ぶ可能性が1パーセントでもあるのなら、迷わず撤退だ。
って……
俺、丸くなったのかな?
「俺が殿を務める。エリゼとアリーシャは、すぐに撤退を!」
「は、はいっ」
「わかったわ」
異論がないのは、俺を信頼してくれている証かな?
なら、がんばらないといけないな。
「空間歪曲場<ディメンションフィールド>!」
再び中級魔法を発動させて、ベヒーモスの突撃を止めた。
かなりの負荷がかかるものの、あらかじめこういうものか、と覚悟しておけば耐えられないことはない。
さっきは不意打ちだったから、少しびっくりしただけだ。
「今のうちに!」
エリゼとアリーシャが頷いて、上層へ続く階段に急ぐ。
しかし……
「ガァアアアッ!」
「な!? もう一体だって!?」
二人の行く手を遮るように、追加のベヒーモスが現れた。
くそ!
いくらなんでも、こんな事態は想定していないぞ。
「すぐに行く!」
ダンジョンの崩落なんか知ったことか。
いざとなれば二人を連れて、転移魔法で逃げればいい。
全力で目の前のベヒーモスを片付けようとして……
でも、間に合わない。
「ギュオオオンッ!」
二体目のベヒーモスが、その牙をエリゼに向ける。
「……あ……」
恐怖に震えるエリゼは動くことができない。
その体に凶悪な牙が迫り……
「もう二度と……させないわよっ!!!!!」
瞬間、アリーシャの剣が不気味な輝きを放った。
「アアアアアッ!!!」
アリーシャの叫び声と共に、剣から紅い光があふれた。
それは彼女の体にまとわりついて、幻影を浮かび上がらせる。
死神の幻影だ。
「あれは……」
「グッ……ウアァアアアアアッ!!!」
アリーシャは獣のように荒々しい瞳でベヒーモスを睨みつけた。
そして、床を蹴る。
加速。
加速。
加速。
風を超えた速度でベヒーモスの懐に潜り込む。
「フッ!」
剣を閃かせた。
その剣筋は恐ろしく速く、そして精密だ。
ベヒーモスは筋肉の鎧をまとっている。
鋼鉄よりも硬く、並の剣、並の技術では刃を通すことは叶わない。
しかし、アリーシャは違った。
筋と筋の間を正確に見極めて、そこに最大威力の剣を叩き込む。
要塞と呼ばれているはずのベヒーモスに傷がつく。
「グァアアアアアッ!!!」
怒るベヒーモスが前足を振るい、アリーシャを叩き潰そうとした。
でも、遅い。
アリーシャはすでにベヒーモスの背後に回り込んでいた。
ベヒーモスが後ろ足が切り裂かれた。
強靭な表皮を切り裂いて、肉を断っている。
だけど、それでも足りない。
丸太よりも太い足を切り飛ばすことはできない。
ただ、そのことはアリーシャも理解していたらしく……
「シャアアアアアッ!!!」
一回。
二回。
三回。
獣のように叫びつつ、立て続けに刃を叩き込んでいく。
嵐のように激しい猛攻だ。
同じ場所を寸分のズレもなく、何度も何度も斬りつける。
ベヒーモスの血飛沫でアリーシャの体も赤く染まる。
それでも、アリーシャは一心不乱に剣を振るい……
「グギャアアアアアッ!!!?」
ついに、ベヒーモスの足を切り飛ばした。
体を支えることができず、ベヒーモスが床に沈む。
「シッ!!!」
アリーシャが跳躍して、ベヒーモスの背中に降り立った。
それと同時に剣を突き立てる。
そのまま、剣を突き立てた状態で駆ける。
ベヒーモスの背中を縦一文字に切り裂いて……
体を裂かれる痛みに、ベヒーモスが暴れ狂う。
それでも、アリーシャはベヒーモスの背中から離れない。
繰り返し剣を振るい、執拗なまでにダメージを与えていく。
まるで戦鬼だ。
死神の影響とはいえ、女の子がここまでやるなんて……
驚いてしまい、ついつい、その場で足を止めてしまう。
本来ならば、援護をした方がいいのかもしれないが……
その必要はなさそうだ。
それに、今援護などをしたら、アリーシャの矛先がこちらに向くかもしれない。
「シネッ!」
アリーシャがベヒーモスの背中を駆け上がり、頭部に達する。
剣を逆手に持ち替えた。
そして、一気に振り下ろす。
「グアアアアアッ!!!?」
真紅の刃が、ベヒーモスの頭部を上から下に一直線に貫いた。
それでもまだ、ベヒーモスは動いていた。
もがき苦しみ、アリーシャを振り払おうとしている。
しかし、そんな抵抗は無駄というように、アリーシャは剣を90度、横に回転させて、傷をえぐる。
さらに、一度引き抜いて……
もう一度、突き刺した。
そのまま今度は横に切り裂き、引き抜いた。
急所を絶たれて……
今度こそベヒーモスが絶命して、その動きを止めた。
血が滝のように吹き出す。
それがアリーシャの体をさらに赤く染めていく。
剣先から、ベヒーモスの血が滴り落ちていた。
その姿は……まさしく、死神だ。
「なるほど……ね」
今のが死神の力というわけか。
アリーシャが恐れ、他人を遠ざけようとするのも当然だろう。
ただ……
「お兄ちゃん!」
「うん?」
「アリーシャちゃんを助けないといけません!」
「ああ、そうだな」
あんな風に暴れることがアリーシャの本意とは思えない。
エリゼがそう気づかせてくれた。
なら、俺はアリーシャを止めるだけだ。
「グルァアアアッ!」
もう一匹のベヒーモスが、仲間をやられたことで怒りをあらわにするが、
「悪いが、お前は邪魔だ。閃光焔月線<レイライン>」
魔法を叩き込み、黙らせる。
今はアリーシャが最優先で、ザコに構っているヒマは欠片もない。
「ウゥ……!!!」
アリーシャは、紅に染まる瞳をこちらに向けた。
「まずいな……アリーシャのヤツ、自我がないみたいだ」
「えっと……?」
「俺達のことも敵、って認識しているらしい」
死神の影響だろう。
「でも、それはアリーシャちゃんのせいじゃないです。無差別に暴れるなんて、そんなことをする子じゃないです」
「同感だ」
突き放すようなところはあったけれど……
でも、それは俺達を傷つけまいとするアリーシャの優しさだ。
彼女は優しい子だ。
こうして暴れることを、本心から望んでいるとは思えない。
今まで彼女の周りで起きた不幸というのは、全て死神のせいだろう。
実在していたことは驚きで、詳細はよくわからない。
ただ、死神が宿主であるアリーシャを乗っ取っている。
好き勝手に暴れて、暴走して……
その結果、不幸が積み重ねられてきたのだろう。
さて。
原因は理解した。
なら、どうするべきか?
「考えるまでもないな」
俺は、アリーシャの死神の存在を否定してみせた。
だから、これ以上、死神を放っておくわけにはいかない。
アリーシャの体を好き勝手にさせるわけにはいかない。
ここで止めてみせる!
「エリゼは二階へ」
「そんなことできません!」
「でも……いや、そうだな」
俺がエリゼなら、自分だけ逃げるなんて絶対に受け入れない。
「なら、援護を頼む。決して無理はしないように」
「はいっ、わかりました!」
作戦を決めたところで、俺は前に出る。
足音に反応して、アリーシャがこちらを向いた。
「アリーシャ、聞こえるか?」
「……」
返事はない。
ただ、血にまみれた体を動かして、血に濡れた剣を構えるだけだ。
それでも。
俺の声は届いていると信じて、声をかけ続ける。
「アリーシャが死神に魅入られているっていう理由、やっと、全部理解したよ」
「……」
「アリーシャはその剣のせいで、ずっと苦しんでいたんだな。でも、生きていくためには剣を手放すことができなくて……ずっと、一人でいたんだな」
「……」
「でも、それも終わりだ。俺が、アリーシャを止めるから。その剣に宿る死神を消してみせるから。アリーシャ……お前を助ける」
「……」
誰かを助けるために戦う。
今回で、エリゼに続いて二度目だ。
不思議と力が湧いてくるような気がした。
自分のためではなくて、誰かのために戦う時、人は、いつも以上の力を発揮できるのかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
「いくぞ」
一歩を踏み出して……
同時に、アリーシャも駆けた。
「シャアアアアアッ!!!」
速い。まるで獣だ。
圧倒的な速度でアリーシャが迫る。
「能力強化<アクセル>!」
こちらも身体能力を魔法で引き上げて、対抗する。
そして、アリーシャの一撃を訓練用の杖で受け止めるが……
「ちっ……やっぱり無理か」
訓練用の杖は、たったの一撃でへし折れた。
所詮は、屑鉄で作られた安物だ。
死神が宿る魔剣に敵うわけがない。
「お兄ちゃん、これを使ってください!」
エリゼが短剣を投げて、それを受け取る。
こちらも訓練用のものだけど、ないよりはマシだ。
「フッ! シッ!」
アリーシャの攻撃を真正面から受け止めるようなことはせず、短剣を使い、流すように攻撃を逸らす。
アリーシャの動きは速いが……
取り憑かれているせいか、技術というものがまるでない。
ただ力に任せて剣を振るっているだけだ。
まあ、その力がとんでもないから油断はできないけど……
でも、 これならなんとかなる。
俺は的確に、冷静にアリーシャの攻撃を捌いて……
合間合間に訪れる、わずかな隙を突いて反撃に移る。
「風嵐槍<エアロランス>!」
初級魔法では心もとないが、威力を上げすぎて、アリーシャを傷つけてしまっては意味がない。
多少の擦り傷打撲は我慢してもらうしかないが……
魔法の威力を上げてしまうと、致命傷になってしまう恐れがある。
「シャアアアッ!!!」
アリーシャは獣のような動きでこちらの魔法を避けて、迫ってきた。
なんていう速度だ。
ちょっとでも気を抜いたら見失ってしまいそうになる。
「水波槍<ウォーターランス>!」
水の槍を射出して……
「氷雪槍<アイシクルランス>!」
間髪入れずに、氷の槍を撃ち出した。
二つの魔法が重なり……
「グッ!?」
氷の檻となり、アリーシャの動きを封じた。
すぐに抜け出すことは敵わない。
……敵わないはずなのだけど。
「グアアアアアッ!!!」
「ウソだろっ!?」
アリーシャが吠えると同時に、氷の檻を力任せに打ち砕いた。
決して油断していたわけじゃない。
アリーシャの力が、こちらの予想を上回った結果だ。
「シャアアアッ!!!」
「ちっ」
今度はこちらが隙を突かれてしまう。
これは……
「アリーシャちゃんっ!!!」
「……ッ……」
エリゼの声が響いて……
そして、アリーシャが動きを止めた。
「負けないでくださいっ!!!」
「うっ……ぁ……」
エリゼの言葉に反応するアリーシャ。
ぎこちない様子でエリゼの方を見る。
まさか、意識が戻った……?
「本当はそんなことしたくないはずです、笑っていたいはずです。だから……!」
「うぅ……」
意識が戻ったわけじゃない。
ただ、エリゼの言葉はアリーシャに届いている。
その魂に響いている。
「アリーシャ!」
エリゼに習い、俺も言葉を投げかけた。
「エリゼの言う通りだ。死神とか、そんな訳のわからないヤツに負けるな!」
再びアリーシャが動きを止める。
よし。
俺の言葉も届いているみたいだ。
なら……
後は彼女の強さを信じる。
「もう、こんなことは終わりにしたいんだろ!? 誰も傷つけたくないんだろ!? なら、負けるな!」
「う……くぅ……」
「アリーシャなら、死神なんかに負けないはずだ!」
必死になって言葉を重ねる。
どうして、ここまで必死になるのか?
俺自身もよくわからない。
ただ……
あの時みたいに、アリーシャが泣くところは見たくないと思った。
笑顔を見たいと思った。
そう……強く思ったんだ。
「知り合ったばかりだけど……でも、それでもわかるんだ。アリーシャは優しい女の子だ。俺達のことを気にしてくれて、傷つけたくないから、わざと冷たい態度をとって距離を取ろうとして……」
「あぁ……」
「その優しさは、アリーシャの強さだ。そんな強い女の子が、死神なんかに負けるわけがない。負けてたまるものか!」
「……うぅ……」
「だから……」
そっと前に出た。
防御魔法などは唱えてなくて、完全に無防備な状態だ。
でも、アリーシャは攻撃に出ることはない。
片手で顔を押さえつつ、うめき、よろめいている。
そんな彼女に手を差し出した。
まっすぐに目を見て。
心に言葉を届けて。
強く、叫ぶ。
「戻ってこいっ!!!」
ギィンッ!!!
甲高い音が響いた。
それは、アリーシャの剣が砕ける音。
刀身にヒビが入り、それは柄にまで伸びて……
そして、バラバラに砕け散る。
それと同時に、彼女にまとわりついていた黒い気配が離れていく。
「……あぅ……」
アリーシャの膝から力が抜けて、そのまま倒れそうに。
慌てて駆け寄り、その体を支えた。
軽い。
彼女の体は、まるで羽のように軽かった。
こんな体で、ずっと一人でがんばってきたんだな。
長い間、耐えてきたんだな。
そう思うと、なんだか胸の奥が熱くなった。
「よくがんばったな」
「……あたし……」
意識は残っているらしく、アリーシャが小さな声で言う。
「あたし一人だったら……ダメ、だった……たぶん、あのまま死神に飲み込まれて、いいようにされて……でも」
「でも?」
「あなたの声が……聞こえた、から。エリゼも……」
俺を見て。
次いで、エリゼを見る。
アリーシャは、弱々しいながらも笑みを見せる。
とても晴れやかな表情だ。
「あたしも、がんばらないと……って。だから、あたし……」
「ああ、そうだな。がんばったよ、アリーシャはすごくがんばった」
「……あり、がとう……でも」
アリーシャの表情が険しいものに変わる。
「にげ、て……死神は、まだ……」
「大丈夫だ」
こんな状態なのに、アリーシャは俺達の心配をしてくれる。
本当に優しい女の子だと思う。
「エリゼ、アリーシャを頼む」
「わかりました」
アリーシャをエリゼに任せて、俺は後ろを見る。
そこに闇があった。
夜よりも深い闇。
見ているだけで心が囚われてしまいそうで……
ずっと直視していたら、頭がおかしくなってしまいそうだ。
そんな濃厚な闇があった。
「オォ、オオオオオ……ヨクモ、我ノ依代ヲ……」
やがて、闇は一箇所にまとまり、人の形を取る。
エル師匠と同じ骸骨の体。
しかし、その身にまとうオーラは、あの人とは真逆のものだ。
冷たい負の感情しか得られない。
ひたすらにおぞましく、到底、受け入れられないものだ。
こいつが死神。
長年に渡り、アリーシャを苦しめてきた元凶だ。
そう思うと……
「……っ……」
自然と怒りがこみ上げてきて、拳を強く握る。
強くなることだけを生きる目的としてきた。
その他のことはどうでもいいはずだった。
でも……
今は、そうじゃない。
強くなることよりも、アリーシャの力になりたいと思う。
彼女を苦しめた元凶を排除したいと思う。
どうしてそう思うのか?
それはまだ、よくわからないのだけど……
「でも、今やるべきことだけはわかっている!」
死神を討ち滅ぼすこと。
それが、俺のやるべきことだ。
「こ、こんな……」
顕現した死神を見て、エリゼが震えていた。
それも仕方ない。
死神の力は上級の魔物に匹敵する……いや、それ以上だ。
圧倒的なオーラをぶつけられて、恐怖に囚われてしまう。
それでも。
エリゼはアリーシャを離そうとしなかった。
かばうように抱きしめていた。
うん。
やっぱり、エリゼは自慢の妹だ。
そこで見ていてほしい。
すぐに終わらせるからな。
「許サヌ……我ノ依代ヲ……貴様ヲ新シイ依代ニシテクレル……!」
「許さない……だって?」
俺は死神に向き直る。
そして、手の平を向けた。
「許さないのは俺の方だ」
「ナンダト?」
「ふざけたことをしてくれたな……お前のせいで、一人の女の子の人生が狂わされた。そのツケ……その身で払ってもらうぞ」
「ハハハッ、人間ガヨク吠エル! 許サナイトイウノナラバ、ドウスルトイウノダ? 我ト戦ウトデモ? 人間ゴトキガ?」
「その人間の力、思い知らせてやるさ!」
「ウットウシイ!」
死神が、その手に持つ鎌を大きく振り抜いた。
その軌跡に従い、漆黒の波動が流れてくる。
高密度の魔力の塊だ。
直撃したら跡形もなく消し飛ぶだろう。
でも……
「ナ、ナンダト!?」
漆黒の波動は、俺に当たる直前で霧散した。
ありえないと言うかのように、死神が動揺を見せる。
「貴様……今、ナニヲシタ?」
「律儀に教えるわけないだろ」
「グッ……死ネッ!!!」
再び、死神は漆黒の波動を飛ばしてきた。
でも、結果は変わらない。
全て俺の手前で消失する。
「グググ……」
死神からしたら必殺の攻撃なのだろう。
それを訳もわからないうちに防がれてしまい、とても悔しそうだ。
「イッタイ、ナニヲ……」
「教えるわけない……と言いたいが、最後だからな。教えてやるよ。単純に、お前の魔力を食べただけだ」
「ナン、ダト……?」
「今の攻撃、魔力を元にしたものだ。なら、源となる魔力を食べてしまえばいい。それだけで、簡単に消滅させることができる」
「馬鹿ナ……敵弾吸収ダト!? ソノヨウナ真似、人間如キニデキルワケが……!?」
「……そうやって、人を見下して利用して」
右手に魔力を溜める。
「アリーシャを苦しめてきたのなら……俺は、絶対に許さないぞ」
「……ッ……」
ビクン、と死神が震えた。
恐怖を抱いたのかもしれない。
でも、それは恥でしかない。
上位生物のはずなのに、下である人間に恐怖するなんて。
「コノヨウナ、コトハ……」
死神は鎌を強く握り締めて、
「認メテタマルモノカッ!!!」
こちらに突撃をする。
魔力がダメなら物理攻撃。
浅はかな考えだ。
死神を名乗るのだから、もう少し工夫してほしい。
死神が鎌を叩きつけてくるが、
「ナッ!? バ、馬鹿ナ!?」
俺は、死神の鎌を片手で受け止めた。
「ナニヲシタ!?」
「今度は教えてやらないよ」
魔法を使わなくても、魔力を一点に集中させれば、このように刃を防ぐこともできる。
物理攻撃に切り替えることは予想できたから、あらかじめ対策をしておいただけだ。
「さて……そろそろ終わりにするぞ」
「ナ、ナンダ、コノ力ハ……!? コノ圧ハ……コレダケノ力ヲ、人間如キガ……!? コノ私ガ、負ケルトイウノカ!? ナゼダ!?」
「敗因に気づけないから、お前はここで終わるんだ」
死神に手の平を向けて、再び魔力を解き放つ。
「拘束印<サークルバインド>」
「ガッ!?」
魔力の鎖を練り上げて、死神を拘束した。
これで逃げられない。
「マ、マテ!? 取リ引キヲシヨウ! 私ノ力ヲヤル! ダカラ……」
「いらないよ」
あいにくだけど、そんなものはいらない。
今は、力よりも大事なものを見つけたんだ。
だから……
「お前は、欠片も残さず消し飛ばす」
「ヤメッ……!!!」
「星紋爆<サザンクロス>!」
光が弾けた。
世界を白く染めて。
光で埋め尽くして。
悪しきものの存在を許さない。
俺の放った魔法は、死神を飲み込み……
一瞬で、その存在を無に帰した。
「よし、終わったな。エリゼ、大丈夫か? アリーシャの様子は?」
「……」
エリゼのところに戻り、二人に声をかけた。
アリーシャは体力の限界だったらしく、気を失っていて……
一方で、妹はぽかんとしていた。
「エリゼ?」
「……す……」
「す?」
「すごいですっ!!!」
エリゼは目をキラキラと輝かせながら、大きな声で言った。
「あんな魔物を一撃で倒してしまうなんて……お兄ちゃんはすごいです! すごすぎますっ! お兄ちゃんは男なのに魔法を使えるだけじゃなくて、こんなすごい魔法も使えるなんて……ふあああ、本当にすごいです! あううう、私の語彙が少なくて、すごいしか言えません!」
「えっと……ありがとう?」
一応、褒められているのだろう。
「それはともかく……エリゼ」
「はい?」
「アリーシャが……」
床に転げ落ちていた。
「あぁ!? ご、ごめんなさいっ、アリーシャちゃん。興奮するあまり、つい……」
「やれやれ」
慌てる妹を見て、俺は苦笑するのだった。
ベヒーモスの出現で試験は一時中断。
現場はかなり混乱することに。
ただ、そのおかげでアリーシャの死神のことを誰にも知られることはなかった。
よかった。
あんなものを見られていたら、大騒動になっていただろうからな。
せっかく死神から解放されたのに、変なことで注目を浴びたらかわいそうだ。
そんなことにならなくてよかった。
ただ……
ちょっとした懸念は残る。
死神を倒した時。
懐かしいというか……一瞬だけど、妙な気配を覚えた。
転生の理由。
俺が追い求めていた存在。
……魔王の気配。
気のせいかもしれないが……
でも、注意した方がいいかもしれないな。
って、話が逸れた。
あの後、試験はそのまま中止に。
すぐにダンジョンは封鎖された。
合否については、ベヒーモスが出現するまでの活動で判断されるらしい。
事件が起きたことで、ある程度、甘く見てもらえるだろうが……
どうなることか。
そして……
――――――――――
「では、これで試験を終了とする! 合格者には後ほど通達を送る。入学するまで奢ることなく、日々、鍛錬に励むように。以上!」
試験官の合図で解散になった。
喜び抱き合う者。
肩を落として涙を流す者。
その後の反応はそれぞれだ。
俺は……
「お兄ちゃん」
エリゼに声をかけられた。
「合格、おめでとうございます」
「ありがとう」
無事、合格することができた。
男が魔法学院に入学する。
前代未聞のことだけど、でも、成績などがしっかりと考慮されて合格することができた。
女性が強い社会だけど、かといって男性を貶めることはないようだ。
「えへへ、これでまた一緒ですね。これからもお兄ちゃんと一緒にいられるなんて、うれしいです。とてもとてもうれしいです。きっと、私は世界で一番幸せな妹です」
エリゼがふにゃりと笑う。
なにこの天使。
お持ち帰りしたい。
「アリーシャちゃんも、おめでとうございます」
「……」
エリゼの隣にはアリーシャがいた。
しかし、合格したというのにうれしそうではない。
すごく気まずそうな顔をしている。
「あの、あたし……」
「ストップ」
「え?」
「ここじゃ他に人もいるから、とりあえず、あっちで話そうか」
そう言って、俺達は人気のない広場に移動した。
ベンチに並んで座る。
「……ごめんなさい」
俺達だけになると、アリーシャは頭を下げて震える声でそう言った。
「あたし、二人に剣を向けて……」
「死神に操られていた時の記憶が?」
アリーシャは小さく頷いた。
「全部、覚えているわ……」
アリーシャの手は震えていた。
そんな自分の手を見つめながら、辛い過去を告白する。
「あたし……この手で色々な人を殺してきた」
「……」
「最初は、盗賊だった。あたしがいた村は小さなところだったけど、あの剣が御神体として祀られていたの。笑っちゃうわよね。その正体を知らず、死神を祀るなんて」
「その後は?」
「ある日、剣の話を聞いた盗賊がやってきた。盗賊達は家族を、友達を、村人を殺して……剣を奪おうとした。あたしはせめて一撃をと思って、剣を手に取って……」
「そこで死神に取り憑かれたのか?」
アリーシャは何も言わず、頷くことで応えてみせた。
「気がついたら、盗賊達は全て死んでいたわ。でも、盗賊達を切った記憶はしっかりと残っていて……それから、あたしはあの剣と一緒に過ごすことになったの」
「捨てようと思わなかったんですか?」
エリゼの問いかけに、アリーシャは首を横に振る。
「前にも話したと思うけど、死神が離してくれなくてどうすることもできなかった。それに、ただの子供が何もなしに生きていくなんて無理だから、生きるためにあの剣を利用したわ。利用して……そして、殺した。殺してきた」
「でも、それはアリーシャちゃんのせいでは……」
「あたしのせいよ。あたしが、あの剣を使い続ける、って決めたんだから」
エリゼには悪いが……
俺も、アリーシャの責任だと思う。
でも、それは悪いことじゃない。
むしろ、アリーシャの『強さ』でもあると思う。
魔剣のせいにして責任から逃れることは簡単だ。
でも、アリーシャはそれを良しとしなかった。
自らの責任として、目の前の事実をしっかりと受け止めている。
だから、彼女は『強い』と思う。
「ただ、ずっとそのままっていうわけにはいかないから、学院でなんとかしようと思ったんだけど……その必要もなくなったわね」
そこで、アリーシャの表情が初めて柔らかいものに。
「ありがとう」
「……アリーシャ……」
「あなた達のおかげで、これ以上、人を斬らずに済んだ。あの剣から解放された。それで今までのことがなかったことにはならないけど……でも、ありがとう」
「どういたしまして。ちょっと心配してたけど、大丈夫そうだな」
「え?」
「これからどうするのかな、って。自暴自棄になる可能性も考えていたけど、そんなことはなさそうだ。アリーシャはしっかりと前を向いている。うん。そうやって前を向いて生きていかないとな」
「……」
アリーシャがじっと俺を見つめる。
「あなた、不思議な人ね」
「そうか?」
「魔法が使えるだけじゃなくて……なんていうか、今まで周りにいなかったタイプよ。そう……とても強い人。強くて、でも、力を持っているだけじゃなくて……温かい人」
そう言うアリーシャの頬は、少し朱色に染まっていた。
心なしか、瞳も潤んでいて……
同い年だというのに妙な色気を感じてしまい、ついついドキドキしてしまう。
「なんといっても、お兄ちゃんですからね」
エリゼは、俺が褒められたことを自分のことのように喜んでいた。
「あ、そうだ」
思い出したようにエリゼが言う。
「アリーシャちゃんは、これからどうするんですか? 学院に入学しようとしたのは、魔剣をなんとかするためだったんですよね? でも、その理由がなくなったら……」
「せっかく合格したのだから、学院に通うわ。もっと魔法を学びたいとも思うし」
「そうですか、良かったです。でも、今はどこで過ごしているんですか?」
「街の宿よ」
「大丈夫なんですか? 入学すれば寮に入れますけど、それは来月ですし……」
「大丈夫よ。安い宿だから、まだ一ヶ月くらいはなんとかなるわ」
「そんなのいけません!」
「え?」
エリゼがぐぐっと詰め寄り、大きな声で言う。
「アリーシャちゃんはかわいい女の子なのに、安宿に泊まるなんて……そんなことはダメですよ」
「か、かわいい……って」
照れているらしく、アリーシャが赤くなる。
「でも、ちゃんとした宿に泊まるお金なんてないし……」
「だったらウチに来てください!」
「え? あなたの家に?」
「自分でいうのもなんですけど、私、貴族の娘なので。家もそれなりに広いので、アリーシャちゃんが泊まっても何も問題はありません!」
「家に……ということは、一緒に……?」
ちらりと、アリーシャがこちらを見る。
その顔はさきほどよりも赤い。
「あんたは……その……迷惑じゃないの?」
「俺? 別に迷惑なんてことはないけど」
「本当に?」
「本当だって。そんなウソをつく必要もないし……むしろ、気心知れた相手が増えるのはうれしいかな。一時とはいえ、パーティーを組んだ仲だし」
「そ、そう……」
アリーシャは考えるような仕草をとり……
ややあって、コクリと頷いた。
「それじゃあ……少しの間、お世話になろうかしら」
「はい! 大歓迎しますよ♪」
「これからよろしくな」
最初に、アリーシャはエリゼと握手をして……
次いで、俺と握手をしようとして……
「……」
「どうしたんだ?」
「やっぱり、あんたとは握手をしない」
「え、なんで?」
「だって……今の私の手、汚れているかもしれないし……どうせなら、もっと綺麗な時に……でもでも……」
小さな声なので、後半は何を言っているのか聞こえなかった。
「いいから、ほら」
「あっ……」
強引に握手をした。
アリーシャの頬が赤くなり、視線があちこちに飛ぶ。
それから、視線を逸らしたまま手を握り返して……
「……よ、よろしくね」
「ああ、こちらこそよろしく」
今日から入学までの間、新しい家族ができるのだった。